微妙な存在


LEICA X1

大きな画像

ライカのX1というカメラは、微妙な存在のカメラといえる。
設計に、かなり力が入っていることは確かである。
以前の機種のように、ブランドを冠しただけの他社製デジカメ・・というわけでは決してない。
もっとも、最終の組み立てはドイツとはいえ、実際にパーツを作っているのはどこか日本のメーカーなのだろうが・・・

ライカというブランドにそれほど興味の無い人は、格好はいいけれど、いくら何でも高すぎる、と言うだろう。
一方でライカのファンは、所詮デジカメ、しかもM型のパロディ・・という見方をするのだろうか。
あまり持っている人と出会わないことを考えても、案外実際に買う人は少ないのかもしれない。

コンパクトなボディに大き目の撮像素子を積むことで、一眼レフに遜色の無い画質を実現しているという。
薄口で都会的な、極めてクールな表現をする特殊なカメラだとは感じている。
しかし、画像の品質自体は、(一眼レフカメラも含めたデジタルカメラ群の中では)まあ普通程度なのではないかと思う。
作動速度も平凡で、反応が遅くて少々イラつくことも多い。
性能のみで考えるなら、どうしてもこのカメラでなければ・・という理由はあまりない。

そもそもライカの魅力って何なのだろう。
実は僕自身が、その事をいまひとつわかっていない。
ネットで調べてみると、あの機械としての質感、音、手触りがいい、という意見が一番多く、またレンズの設計思想が明確なところが素晴らしい、という人もいる。
いずれもハード面での評価であるが、それは銀塩時代のライカには当てはまっても、X1にも完全に当てはまる・・とは言いきれないように思う。
X1を触っていると、純機械式のM型ライカとはやはり少し違って、デジカメの小さいやつだよな・・と思ってしまう。

それでも僕は、今、もっぱらX1を持って歩いている。
小さくて楽でいいということは、たしかにある。
しかしそれだけではない。
スナップのような写真を撮るには、この程度の大きさが最適なのだ。
黒くてずんぐりとした、大袈裟な一眼レフカメラは、スナップ写真には向かない。
小さいカメラは、相手に威圧感を与えないから、大きなカメラでは撮れない写真が撮れる。

そう考えると、このカメラの現実的な価値が、多少は見えてくる。
だがそれだけで考えるのは、ライカの場合は間違いなのだ。
このカメラには、他のカメラでは持ち得ないブランドという要素が加わる。

そういうものに疎い僕には、ある意味で一番向いていないカメラなのかもしれないが(笑)、この赤いマークを見ただけで、特別な反応を示す人がけっこういるのに驚かされる。
寄ってきて、それライカ?と聞いてくる人がかなりいるのだ。
人ってこんなに自分を撮るカメラのことを観察しているものなのだ・・ということがわかる。

しかもそれがカメラ好きの人というわけではなく、むしろ一般の人が強く反応するのが面白い。
ライカがエルメスと関係していることも影響しているのだろうが、写真の原理はわかっていなくても、ファッションには強い興味を持った人たちが、雑誌などで読んだのだろう。
つまりこれはカメラというより、装飾品の一種なのだ。
写真好きの真面目人間としては、そういうことに多少反感も持つが、一般社会では、必要以上にカメラに夢中になる人の方こそが、「変わった人」と思われているのだろう。

いずれにしても、このカメラにはブランドという付加価値が、良きにつけ悪しきにつけ、ついて回る。
女の子がM型の中古を胸にぶら下げているのを、最近よく目にするが、しっかり撮るのがあんなに難しいカメラと比べると、イージーなX1は、ステータスは多少落ちても、実用性まで兼ね備えている。
(それじゃあダメなのかもしれないが・・笑)

田舎のおじさんやおばさんは、ライカとライスの違いもわからないが、それはそれでかえって面白いし、一方で過敏に反応する人たちも、人間を観察する上で非常に興味深い。
言葉は悪いが、どちらも僕にとっては被写体であり、いつもと違う何らかの反応を示してくれるのは有難いことなのだ。
ここが重要なのだが、ライカを前にすると、人は威圧感だけの国産一眼レフとは微妙に違う表情を示すので、結果的にこのカメラならではの写真が撮れることも多いのだ。

X1は、とても不思議なカメラである。
マニアックでありながら、一方でミーハーである。
いまだにこのカメラの本質を捉えることが出来ないでいる。
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