ロシアのウクライナ侵攻で感じたのは、技術の進化だけでなく、人間同士が向き合う従来の〝戦争の形〟が維持されていることだ。今回の戦争は世界で軍事増強の世論を惹起し、敗戦から77年経った日本でも、平和憲法の評価が下がりつつある。背後で蠢くのは統一教会のみならず、日本会議、神政連といった時計の針を戦前に巻き戻そうとする〝カルト組織〟だ。
この時期、戦争関連のドキュメンタリーが放送されているが、日本にとって戦争とは、軍隊とは何だったのかを考えるテキストを読了した。奧泉光と加藤陽子東大大学院教授の対談を収めた「この国の戦争~太平洋戦争をどう読むか」(2022年、河出新書)である。
「石の来歴」、「浪漫的な行軍の記録」など、戦争を背景に多くの作品を発表してきた奧泉を〝遅れてきた戦争文学者〟とブログで評した。一方の加藤は専門が近現代史で軍事、戦争についての研究で知られている。日本を代表する作家と歴史学者が提示する考察は俺にはハードルが高かったが、<物語>をキーワードに内容を紹介したい。
明治以降、<国家の成長物語に沿った歴史物語を提供したのは軍隊>と加藤は分析する。前提は徴兵制で、いきなり世界と伍する必要に迫られた政府は、<国民=軍隊>の一体感に意識的に醸成し、メディアも空気に迎合した。朝日新聞は満州事変(1931年)以降、軍の報道機関に化していたと自己検証している。
日露戦争は遼東半島だけでなく、朝鮮半島の権益を巡る戦いで、5年後の日韓迎合に繋がっている。<ロシアがシベリア鉄道を南下させ、朝鮮半島に海軍根拠地をつくることが脅威>と説くシュタインに日本政府の要人は影響を受けた。別稿で紹介した「スノードロップ」で、島田雅彦は<日露戦争時の膨大な借金が日本の死命を制した>との仮説を展開していた。日本は100年以上前、アメリカに首根っ子を掴まれていたということか。
合理、非合理を超越し、抑圧された中間層の<物語>とメディアが煽る好戦記事が反響板になって戦争に突き進む。多大な犠牲を払ってロシアに勝ったことが記憶の中に組み込まれ、満蒙開拓を農民に説いた<満州は日本の生命線>というスローガンはその実、<物語>レベルにも達しない妄想だった。
俺も満州は資源が豊かと思い込んでいたが、勘違いだった。資源供給地として価値は低かったにもかかわらず、精密な調査をしないでスローガンが先行した。後に首相になった石橋湛山は東洋新報で〝満州放棄論〟を訴えていたが、冷静な分析が掻き消されたのは周知の通りだ。小林秀雄や橋川文三は、宣戦布告もなしに延々と続いた日中戦争についても疑義を呈していた。その日中戦争は2国間にとどまらず、蒋介石の戦略で国際化し、収拾が難しくなる。
アメリカへの開戦も想定外の積み重ねだった。南部仏印進駐(41年)直後の禁輸もそのひとつだし、経済力の差が決定的な国に戦いを挑むなど狂気の沙汰だ。だが、根拠はゼロではなかった。アメリカ側の資料には<自国民の忍耐を考えると戦争は2年が限界>との分析もあった。それをうのみにしたわけだが、〝米国民の忍耐〟は非合理な<物語>に過ぎない。
本書では俎上に載せられなかったが、国民と軍隊の一体感と同調圧力への忌避を記して発禁になったのは石川淳の「マルスの歌」だ。「マルスの歌」は好戦気分を高揚させる流行歌で、石川は発表前年に発表された「露営の歌」に重ねている。街角で唱和される同曲に耳を覆う主人公は、<私が狂っているのか、それとも社会が狂っているのか>と自問していた。
本書で奧泉は<軍隊もまた物語>と述べ、小説での記述が抽象化した<物語>に埋没していくことを逃れるべきと主張していた。これは戦争だけにとどまらず、災害やコロナ禍でも同様だ。加藤も多様な語り手による史料をチェックし、安易な<物語化>を克服していきたいと語っている。
両者が後半に言及した小説のうち、「ポロポロ」(田中小実昌)を購入した。感想は近日中、本書の論旨とともに紹介する。
この時期、戦争関連のドキュメンタリーが放送されているが、日本にとって戦争とは、軍隊とは何だったのかを考えるテキストを読了した。奧泉光と加藤陽子東大大学院教授の対談を収めた「この国の戦争~太平洋戦争をどう読むか」(2022年、河出新書)である。
「石の来歴」、「浪漫的な行軍の記録」など、戦争を背景に多くの作品を発表してきた奧泉を〝遅れてきた戦争文学者〟とブログで評した。一方の加藤は専門が近現代史で軍事、戦争についての研究で知られている。日本を代表する作家と歴史学者が提示する考察は俺にはハードルが高かったが、<物語>をキーワードに内容を紹介したい。
明治以降、<国家の成長物語に沿った歴史物語を提供したのは軍隊>と加藤は分析する。前提は徴兵制で、いきなり世界と伍する必要に迫られた政府は、<国民=軍隊>の一体感に意識的に醸成し、メディアも空気に迎合した。朝日新聞は満州事変(1931年)以降、軍の報道機関に化していたと自己検証している。
日露戦争は遼東半島だけでなく、朝鮮半島の権益を巡る戦いで、5年後の日韓迎合に繋がっている。<ロシアがシベリア鉄道を南下させ、朝鮮半島に海軍根拠地をつくることが脅威>と説くシュタインに日本政府の要人は影響を受けた。別稿で紹介した「スノードロップ」で、島田雅彦は<日露戦争時の膨大な借金が日本の死命を制した>との仮説を展開していた。日本は100年以上前、アメリカに首根っ子を掴まれていたということか。
合理、非合理を超越し、抑圧された中間層の<物語>とメディアが煽る好戦記事が反響板になって戦争に突き進む。多大な犠牲を払ってロシアに勝ったことが記憶の中に組み込まれ、満蒙開拓を農民に説いた<満州は日本の生命線>というスローガンはその実、<物語>レベルにも達しない妄想だった。
俺も満州は資源が豊かと思い込んでいたが、勘違いだった。資源供給地として価値は低かったにもかかわらず、精密な調査をしないでスローガンが先行した。後に首相になった石橋湛山は東洋新報で〝満州放棄論〟を訴えていたが、冷静な分析が掻き消されたのは周知の通りだ。小林秀雄や橋川文三は、宣戦布告もなしに延々と続いた日中戦争についても疑義を呈していた。その日中戦争は2国間にとどまらず、蒋介石の戦略で国際化し、収拾が難しくなる。
アメリカへの開戦も想定外の積み重ねだった。南部仏印進駐(41年)直後の禁輸もそのひとつだし、経済力の差が決定的な国に戦いを挑むなど狂気の沙汰だ。だが、根拠はゼロではなかった。アメリカ側の資料には<自国民の忍耐を考えると戦争は2年が限界>との分析もあった。それをうのみにしたわけだが、〝米国民の忍耐〟は非合理な<物語>に過ぎない。
本書では俎上に載せられなかったが、国民と軍隊の一体感と同調圧力への忌避を記して発禁になったのは石川淳の「マルスの歌」だ。「マルスの歌」は好戦気分を高揚させる流行歌で、石川は発表前年に発表された「露営の歌」に重ねている。街角で唱和される同曲に耳を覆う主人公は、<私が狂っているのか、それとも社会が狂っているのか>と自問していた。
本書で奧泉は<軍隊もまた物語>と述べ、小説での記述が抽象化した<物語>に埋没していくことを逃れるべきと主張していた。これは戦争だけにとどまらず、災害やコロナ禍でも同様だ。加藤も多様な語り手による史料をチェックし、安易な<物語化>を克服していきたいと語っている。
両者が後半に言及した小説のうち、「ポロポロ」(田中小実昌)を購入した。感想は近日中、本書の論旨とともに紹介する。
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