4月以降、「日本近現代史入門」(広瀬隆著)と「オペレーション・ノア」(野坂昭如著)を読んだ。共通した読後感は<日本は何も変わっちゃいない>で、<もう変わらないのでは>との思いに沈んだ。1カ月後に迫った都議選も、語られる言葉は風船より軽い。
俺は中野区民だが、小金井選挙区(定員1)で漢人明子さんを応援する。市議を4期16年務めた漢人さんは、反原発、女性問題、介護、教育など様々な課題でネットワークをつくってきた。緑の党グリーンズジャパンの東京共同代表でもある。事務所開きは大盛況で、100人前後が詰めかけた。
同選挙区では自民党、都民ファースト、共産党に加え、ホリエモン新党からの立候補も囁かれている。<永田町の地図>で測れば厳しそうだが、漢人さん当選の可能性は十分だ。小金井は市民運動が強い土地柄で、漢人さんはその代表とみなされている。応援団には宇都宮健児、秋葉忠利、保坂展人の各氏に加え、ミュージシャンや映像作家も名を連ねている。都議選唯一の市民派候補は、アート色の強い選挙戦も耳目を集めるだろう。
週末は第18回ソシアルシネマすぎなみ上映会(高円寺グレイン)に足を運び、「マヤ―天の心、地の心―」(2011年、独)を観賞した。フランケ・ザンディッヒとエリック・ブラックの共同監督によるドキュメンタリーである。
マヤ暦終焉(12年末)直前に制作されたこともあり、中盤まではスピリュアルなムードが漂っていた。西欧の世界観と対照的なマヤ人の生き方が描かれ、近代文明そのものに警鐘を鳴らす。マヤ人とは特定の民族を指すわけではなく、メキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスら中米諸国にまたがる、言語と文化を共有するコミュニティーに暮らす900万の人たちだ。
スペイン人によってキリスト教に改宗させられたマヤ人だが、信仰と儀式、価値観は語り継がれている。弾圧と差別の歴史に沖縄が重なった。自然を加工、破壊し、生活者のプライドを抹殺する日米政府、豊かな生態系を守ろうとする沖縄の人たち……。この対立の構図は、中米国家とマヤ人に置き換えられる。本作ではマヤの神秘的な自然が織り込まれ、心象風景が繰り返し挿入されるウミガメに託されていた。
中盤以降、作品は政治性を帯びていく。グローバル企業による金鉱開発で、マヤ人居住区にシアン化合物が垂れ流される。トウモロコシはマヤ人にとって神性を帯びた食べ物だが、モンサントによる遺伝子組み換えトウモロコシに席巻され、マヤ人の多くは土地を手放さざるを得なくなる。
マヤの伝統を守ろうと奮闘する若者の面影はザック(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)に似ていた。ザックはサパティスタの活動家でもあるが、本作の後半でマヤ人とサパティスタによる連帯が描かれていた。スピリチュアルと反グローバリズムの融合は当然の帰結なのだろう。
上映後、中南米に造詣が深い清水透さん(慶応大名誉教授、ラテンアメリカ史)と工藤律子さん(ジャーナリスト)によるトークイベントが開催された。清水さんは東外大教授時代、工藤さんの入試時の監督官だったという。〝師弟〟トークは興味深い内容だったが、工藤さんの開高健ノンフィクション賞受賞作「マラス」については次稿で記すので、今稿では清水さんが提示された点を紹介したい。
清水さんは本作の舞台を熟知するマヤ研究の第一人者だ。カトリックが力を持っていたマヤ人居住区だが、CIAの意を受けた右派プロテスタントが勢いを増し、複数のグループが入り込ませることでマヤ人の分断を図っている。ちなみに本作で紹介されていた牧師は、神の名の下の正当な抗議を呼び掛けていた。学者たちのフィールドワークの成果も諜報機関に利用されていることに、清水さんは忸怩たる思いを抱いている。
飄々とした清水さんは〝人生の達人〟に相違ない。反原発にともに携わる友人が広告代理店時代、原発推進の旗振り役だったことを紹介し、「人間は幾つになっても変われる」と話されていた。「腕を振り上げるより、近くで転んだお婆さんに手を差し伸べることの方が大事」という言葉に説得力を覚える。ポジティブな気分に浸れた映画&トークだった。
俺は中野区民だが、小金井選挙区(定員1)で漢人明子さんを応援する。市議を4期16年務めた漢人さんは、反原発、女性問題、介護、教育など様々な課題でネットワークをつくってきた。緑の党グリーンズジャパンの東京共同代表でもある。事務所開きは大盛況で、100人前後が詰めかけた。
同選挙区では自民党、都民ファースト、共産党に加え、ホリエモン新党からの立候補も囁かれている。<永田町の地図>で測れば厳しそうだが、漢人さん当選の可能性は十分だ。小金井は市民運動が強い土地柄で、漢人さんはその代表とみなされている。応援団には宇都宮健児、秋葉忠利、保坂展人の各氏に加え、ミュージシャンや映像作家も名を連ねている。都議選唯一の市民派候補は、アート色の強い選挙戦も耳目を集めるだろう。
週末は第18回ソシアルシネマすぎなみ上映会(高円寺グレイン)に足を運び、「マヤ―天の心、地の心―」(2011年、独)を観賞した。フランケ・ザンディッヒとエリック・ブラックの共同監督によるドキュメンタリーである。
マヤ暦終焉(12年末)直前に制作されたこともあり、中盤まではスピリュアルなムードが漂っていた。西欧の世界観と対照的なマヤ人の生き方が描かれ、近代文明そのものに警鐘を鳴らす。マヤ人とは特定の民族を指すわけではなく、メキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスら中米諸国にまたがる、言語と文化を共有するコミュニティーに暮らす900万の人たちだ。
スペイン人によってキリスト教に改宗させられたマヤ人だが、信仰と儀式、価値観は語り継がれている。弾圧と差別の歴史に沖縄が重なった。自然を加工、破壊し、生活者のプライドを抹殺する日米政府、豊かな生態系を守ろうとする沖縄の人たち……。この対立の構図は、中米国家とマヤ人に置き換えられる。本作ではマヤの神秘的な自然が織り込まれ、心象風景が繰り返し挿入されるウミガメに託されていた。
中盤以降、作品は政治性を帯びていく。グローバル企業による金鉱開発で、マヤ人居住区にシアン化合物が垂れ流される。トウモロコシはマヤ人にとって神性を帯びた食べ物だが、モンサントによる遺伝子組み換えトウモロコシに席巻され、マヤ人の多くは土地を手放さざるを得なくなる。
マヤの伝統を守ろうと奮闘する若者の面影はザック(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)に似ていた。ザックはサパティスタの活動家でもあるが、本作の後半でマヤ人とサパティスタによる連帯が描かれていた。スピリチュアルと反グローバリズムの融合は当然の帰結なのだろう。
上映後、中南米に造詣が深い清水透さん(慶応大名誉教授、ラテンアメリカ史)と工藤律子さん(ジャーナリスト)によるトークイベントが開催された。清水さんは東外大教授時代、工藤さんの入試時の監督官だったという。〝師弟〟トークは興味深い内容だったが、工藤さんの開高健ノンフィクション賞受賞作「マラス」については次稿で記すので、今稿では清水さんが提示された点を紹介したい。
清水さんは本作の舞台を熟知するマヤ研究の第一人者だ。カトリックが力を持っていたマヤ人居住区だが、CIAの意を受けた右派プロテスタントが勢いを増し、複数のグループが入り込ませることでマヤ人の分断を図っている。ちなみに本作で紹介されていた牧師は、神の名の下の正当な抗議を呼び掛けていた。学者たちのフィールドワークの成果も諜報機関に利用されていることに、清水さんは忸怩たる思いを抱いている。
飄々とした清水さんは〝人生の達人〟に相違ない。反原発にともに携わる友人が広告代理店時代、原発推進の旗振り役だったことを紹介し、「人間は幾つになっても変われる」と話されていた。「腕を振り上げるより、近くで転んだお婆さんに手を差し伸べることの方が大事」という言葉に説得力を覚える。ポジティブな気分に浸れた映画&トークだった。