共謀罪法案が成立した。通信傍受法(1999年公布)、秘密保護法(2013年)の流れに沿った必然の帰結ともみえるが、安倍首相が6月15日にこだわった理由を邪推している。57年前のこの日、安保批准阻止を訴えて30万人以上が国会を包囲し、全学連ら7000人が突入する中、樺美智子さんが亡くなった。「おじいちゃん、僕もやったよ」と、首相は岸信介の遺影に得意げに報告したのではないか。
野際陽子さんが亡くなった。享年81である。彼女との出会いは小学生の頃。「キイハンター」津川女史はセクシーで頼りがいのあるお姉さんだった。その後も「トリック」など数々のドラマで、バイプレーヤーとして存在感を見せる。知性、ユーモア、包容力に溢れ、齢を重ねるごとに輝きを増した希有な女優の死を心から悼みたい。
「ブリューゲル~『バベルの塔』展」(東京都美術館)を訪れた。<16世紀ネーデルランドの至宝~ボスを超えて>の副題にあるように、ブリューゲルはボスに学び、人間の欲望、煩悩、狂気をキャンバスに込めた。ちなみに公認されているボスの真作は極めて少なく、信奉者、模倣者を含めた〝ボスグループ〟が形成されていたという。
ボイマンス美術館(オランダ)が所蔵する約90点が展示され、内訳はブリューゲルの「バベルの塔」と版画、ボスグループの版画と油彩画、他の芸術家の彫刻といったところだ。旧約聖書をモチーフに人間の驕りに警鐘を鳴らした「バベルの塔」は、想像に反して60㌢×75㌢の大きさだが、そこに1400人以上が描き込まれている。無限のスケールを誇る細密画で、ブラックホールのようなパワーを放射していた。
作品について論じるのはここまで……。美術展に足を運ぶのは年に多くて5回ほどで、審美眼と無縁な俺の評など的外れに決まっている。細部までしっかりチェックし、蘊蓄を傾け合っている他の鑑賞者との落差は否めず、疎外感を覚えて会場を後にする。帰宅するや本棚から、「暗い絵」(野間宏、1946年発表)を取り出した。同作はブリューゲルの「反逆天使の墜落」をモチーフにしている。
〝平成の治安維持法〟共謀罪が成立した2017年、俺が「暗い絵」を読んだ1970年代後半。そして「暗い絵」の舞台設定である治安維持法下の1930年代後半……。40年×2のタイムスリップを体感しながらページを繰った。主人公の深見進介は野間の分身で、ブリューゲルの画集を灰にした大阪空襲を目の当たりに、学生時代を回想する。
深見は左翼運動の拠点だった京大で、永杉をリーダーとする急進的派に属しており、小泉を中心とする穏健派(共済会委員たち)と対立していた。<一点突破全面展開>対<組織温存>は政治の世界(ヤクザの抗争でも)で頻繁に現れる構図で、前者は破滅、後者は腐敗という道筋を辿る。上記の60年安保に当てはめれば、ブント全学連は美しく散り、共産党は前衛の誇りをかなぐり捨てて生き残った。
野間を戦後文学の旗手に押し上げた「暗い絵」だが、俺が大学に入った頃、若者に読まれなくなっていた。本作に描かれた〝青春の光景〟がそぐわなくなっていたからだが、最下限世代の俺は、読み返してノスタルジックな気分に浸った。先輩の部屋に三々五々集まり、政治や社会、文学、映画、音楽、そしてオブラートに包みつつ恋愛について夜通し語り合った思い出が甦ってくる。
分野は何であれ、アートは接する時の精神状態で印象が大きく異なる。失恋直後に「惑星ソラリス」を見たら自殺したくなるが、順風満帆の日々なら眠くなるだろう。ブリューゲルは巨大な蜃気楼で、画集の中には豊饒な生命力とユーモアを感じる作品も多い。だが、深見らを惹きつけたのは「反逆天使の墜落」だった。圧制下の日本と当時のネーデルランドを重ね、〝出口のない暗さ〟に共感したのだ。
多くの野間作品では欲望=悪で、葛藤の根源になっている。深見も過激な思想だけでなく、自身の欲望が恋人に疎まれたと苦悩していた。純粋な愛と欲望との乖離はある時期まで、日本文学の主要なテーマでもあった。奔放な性をユーモアにくるんだ描いたブリューゲルの作品に深見は感応せず、絶望的状況に追い詰められた自分を、「反逆天使の墜落」に投影したのだろう。
別稿「共謀罪に至る道程~歳月をかけて蝕まれてきた自由」(5月19日)で、<共謀罪は1980年半ば、既に実質的に機能していた>と記した。明文化されたことにより、「暗い絵」に描かれたような弾圧が繰り返されるのだろうか。深見の同志、永杉、羽山、木山が獄死するなど、当時は身を賭して闘う者が少なからずいた。〝権力に阿る〟が主音になった現在の日本だが、権力の質を変えることは十分可能なのだ。
野際陽子さんが亡くなった。享年81である。彼女との出会いは小学生の頃。「キイハンター」津川女史はセクシーで頼りがいのあるお姉さんだった。その後も「トリック」など数々のドラマで、バイプレーヤーとして存在感を見せる。知性、ユーモア、包容力に溢れ、齢を重ねるごとに輝きを増した希有な女優の死を心から悼みたい。
「ブリューゲル~『バベルの塔』展」(東京都美術館)を訪れた。<16世紀ネーデルランドの至宝~ボスを超えて>の副題にあるように、ブリューゲルはボスに学び、人間の欲望、煩悩、狂気をキャンバスに込めた。ちなみに公認されているボスの真作は極めて少なく、信奉者、模倣者を含めた〝ボスグループ〟が形成されていたという。
ボイマンス美術館(オランダ)が所蔵する約90点が展示され、内訳はブリューゲルの「バベルの塔」と版画、ボスグループの版画と油彩画、他の芸術家の彫刻といったところだ。旧約聖書をモチーフに人間の驕りに警鐘を鳴らした「バベルの塔」は、想像に反して60㌢×75㌢の大きさだが、そこに1400人以上が描き込まれている。無限のスケールを誇る細密画で、ブラックホールのようなパワーを放射していた。
作品について論じるのはここまで……。美術展に足を運ぶのは年に多くて5回ほどで、審美眼と無縁な俺の評など的外れに決まっている。細部までしっかりチェックし、蘊蓄を傾け合っている他の鑑賞者との落差は否めず、疎外感を覚えて会場を後にする。帰宅するや本棚から、「暗い絵」(野間宏、1946年発表)を取り出した。同作はブリューゲルの「反逆天使の墜落」をモチーフにしている。
〝平成の治安維持法〟共謀罪が成立した2017年、俺が「暗い絵」を読んだ1970年代後半。そして「暗い絵」の舞台設定である治安維持法下の1930年代後半……。40年×2のタイムスリップを体感しながらページを繰った。主人公の深見進介は野間の分身で、ブリューゲルの画集を灰にした大阪空襲を目の当たりに、学生時代を回想する。
深見は左翼運動の拠点だった京大で、永杉をリーダーとする急進的派に属しており、小泉を中心とする穏健派(共済会委員たち)と対立していた。<一点突破全面展開>対<組織温存>は政治の世界(ヤクザの抗争でも)で頻繁に現れる構図で、前者は破滅、後者は腐敗という道筋を辿る。上記の60年安保に当てはめれば、ブント全学連は美しく散り、共産党は前衛の誇りをかなぐり捨てて生き残った。
野間を戦後文学の旗手に押し上げた「暗い絵」だが、俺が大学に入った頃、若者に読まれなくなっていた。本作に描かれた〝青春の光景〟がそぐわなくなっていたからだが、最下限世代の俺は、読み返してノスタルジックな気分に浸った。先輩の部屋に三々五々集まり、政治や社会、文学、映画、音楽、そしてオブラートに包みつつ恋愛について夜通し語り合った思い出が甦ってくる。
分野は何であれ、アートは接する時の精神状態で印象が大きく異なる。失恋直後に「惑星ソラリス」を見たら自殺したくなるが、順風満帆の日々なら眠くなるだろう。ブリューゲルは巨大な蜃気楼で、画集の中には豊饒な生命力とユーモアを感じる作品も多い。だが、深見らを惹きつけたのは「反逆天使の墜落」だった。圧制下の日本と当時のネーデルランドを重ね、〝出口のない暗さ〟に共感したのだ。
多くの野間作品では欲望=悪で、葛藤の根源になっている。深見も過激な思想だけでなく、自身の欲望が恋人に疎まれたと苦悩していた。純粋な愛と欲望との乖離はある時期まで、日本文学の主要なテーマでもあった。奔放な性をユーモアにくるんだ描いたブリューゲルの作品に深見は感応せず、絶望的状況に追い詰められた自分を、「反逆天使の墜落」に投影したのだろう。
別稿「共謀罪に至る道程~歳月をかけて蝕まれてきた自由」(5月19日)で、<共謀罪は1980年半ば、既に実質的に機能していた>と記した。明文化されたことにより、「暗い絵」に描かれたような弾圧が繰り返されるのだろうか。深見の同志、永杉、羽山、木山が獄死するなど、当時は身を賭して闘う者が少なからずいた。〝権力に阿る〟が主音になった現在の日本だが、権力の質を変えることは十分可能なのだ。