酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

<エコ的>と<原発的>~ロックの新たなリトマス紙

2011-06-30 01:40:54 | 音楽
 首相の脱原発への傾斜が、菅降ろし激化の理由ではないか……。「朝まで生テレビ!」(24日深夜)で他のパネリストに冷笑されていた小沢遼子さんの発言を、27日付朝日朝刊1面が補強していた。「電力の選択」と銘打たれた連載は、菅首相の〝脱原発解散〟支持に向けた布石かもしれない。

 各電力会社の株主総会で、原発撤退を求める提案は否決された。岡田民主党幹事長、野田財務相、前原前外相は〝脱原発解散〟を強く否定し、海江田経産相に至っては玄海原発再稼働を地元に求めている。アメリカや財界の意を受けているのだろうが、利権を守ろうとする輩が脱原発にシフトする世論を掻き消そうとする状況下、俺は別稿(6月9日)に記した通り、菅首相の逆噴射解散に期待を寄せている。

 さて、本題。3・11以降、俺もまた、エネルギーについて考えるようになった。自然エネルギーと原発の根本的な志向の違いは、他の分野にも応用できるリトマス紙になるのでは……。そう閃いたきっかけは、2週間前の学生時代の友人との宴席だった。

 ロックに話題が及び、F君は「ロックは進歩していない。ただ循環しているだけ」と主張する。俺も同様の趣旨で記したことがあったが、5年のブランクを経て09年暮れ、現役ロックファンに復帰した後、前言を撤回した。<エコ的>という新しい方法論がロックに根付いていることに気付いたからだ。

 俺が<エコ的>に分類するバンド(ユニット)は民族音楽など幅広い音楽と境界線を共有し、手作り感覚に溢れている。曲ごとに担当楽器が変わり、メンバー全員が歌うという姿勢が祝祭的ムードを醸し出す。しかも自然体で、<改革者>の驕りは微塵もなく、量的な成功にも執着しない。代表格はアーケイド・ファイアで、ローカル・ネイティヴスとダーティー・プロジェクターズにもフレーミング・リップスの域に達する可能性はあると思う。

 最近気に入った<エコ的>アルバムを2枚紹介する。まずは、アニマル・コレクティヴの一員でもあるパンダ・ベアの「トム・ボーイ」。初めて聴いたソロアルバムは、サントラを思わせる作りになっている。脳裏で入念に構成された映像に音を重ねたという印象で、内側に沈みながら、無限に向かうベクトルも感じさせる。

 もう一枚は豪州出身のザ・ミドル・イーストの1st「アイ・ウォント・ザット・ユー・アー・オールウェイズ・ハッピー」だ。全編アコースティックで土着的な匂いがする。有機野菜レストランに行ったような気分だ。淡色だが重厚な曲もあり、聴き込むにつれ表情の豊かさに気付いていく。

 現実においては<エコ的>こそ未来で、<原発的>は克服されるべきと考えるが、俺の一押しであるミューズは<原発的>の典型といえる。個々の表現力をテクノロジーで膨らませ、頓挫したプルサーマル計画が成功した暁のようなパフォーマンスを見せつけている。詞の内容が実際の原発同様、危険というのも彼らの特徴だ

 ロラパルーザ'07でヘッドライナーに抜擢され、〝未開の地〟アメリカでもブレークする。オルタナ界の顔役ペリー・ファレルが愛のこもったアジテーションで、暴れ系若者が待つステージにミューズを送り出した。

 フー・ファイターズ、エミネム、コールドプレイの出演が発表された後、ミューズはロラパルーザ'11にブッキングされた。4年前の恩返しもあり、セカンドステージで演奏すると思っていたら、ヘッドライナーとして初日のメーンステージに立つ。蹴落とした形になるコールドプレイとの〝格的な逆転〟は、ひとつの事件かもしれない。

 <原発的>バンドは、ハイパー資本主義の構造に縛られている。ミューズも既に〝飼い犬〟かもしれないが、来月末には最も敬意を払うレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとLAライジンングで共演する。辛うじて牙を保っているようだ。


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