酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「悪貨」~資本主義の彼方に咲くのは彼岸花?

2010-09-07 01:08:41 | 読書
 フランス政府のロマ国外送還が波紋を呼んでいる。スロバキアで先月末、ロマ一家射殺事件が起きたばかりで、流浪の民の受難の日々は終わらない。日本ほどではないにせよ、異文化に寛容なフランスで排除の論理が頭をもたげてきたのは残念でならない。

 定住せず、キリスト教的世界観から距離を置くこともロマ迫害の理由だが、その影響力はとりわけ音楽の分野で顕著だ。ワールドミュージック、ロックだけでなく、日本や韓国の演歌に通底する情感も窺える。

 さて、本題。島田雅彦の「悪貨」(講談社)を読んだ。恥ずかしながら〝島田初体験〟である。以前<この20年、村上春樹を読んでいない>と記したが、戦後文学が一段落した80年代以降、日本の作家から離れてしまった。

 これほどのエンターテインメントを敏腕プロデューサーが放っておくはずがなく、「悪貨」は確実に映画化されるだろう。42章から成る本作は既にシナリオに近く、魅力的な台詞に溢れている。島田にはコテコテの純文学という先入観を抱いていたが、本作では修飾が排されていた。

 島田がいかにして現在の文体、世界観に至ったか、長年のファンなら理解しているはずだが、一見さんの俺は、「悪貨」を独立した作品として論じるしかない。テーマは資本主義で、絡まり合った宿命の糸は次第にほどけ、一本に収斂していく。

 冒頭は「ラルジャン」(ブレッソン、82年)を彷彿させる。ホームレスが手にした100枚の偽一万円札は、若者たち、キャバ嬢、その父の農園主へと渡りながら、それぞれに不幸をもたらす。偽札捜査のキーマンである通称フクロウは、寝食を忘れて真偽を究めるうち、自らの過去に連なるサインを発見した。

 <悪貨は良貨を駆逐する>のグレシャムの法則通り、偽札の流通量が全体の0・01%を超えるとインフレ危機に直面するという。ちなみに0・01%は100億円前後で、「悪貨」では4倍に当たる400億円が流通し、日本経済は崩壊した。

 本作の背景にあるのは、現在進行形の中国による日本買いだ。マネーロンダリングの拠点になっている宝石商に潜入した女性刑事エリカは、謎めいた野々宮に魅せられていく。このふたりのフェイクからリアルへと転調する悲恋がサイドストーリーで、野々宮の伝言<ヴェネチアで待っている>が胸を打つ。

 <彼岸コミューン>は、格差と貧困を生み、人間を苦しめる資本主義の彼方にある社会のモデルケースといえるだろう。野々宮は創始者の池尻と〝仮想の父子〟であり、瀋陽から秘密裏にコミューンを援助する。

 日本買いの中心人物である中国人実業家の郭解が、野々宮にとって偽装の父だ。心が通った父(池尻)、いずれ牙を剝くべき父(郭解)、そして野々宮……。三者の相克が物語に厚みを増している。

 <売ったのは偽の魂です。本当の魂は今もイケさんと「彼岸コミューン」の側にあります。ぼくは中国人の悪魔を利用して、日本の経済を牛耳ってきたユダヤ人やアメリカ人の悪魔に一泡吹かせてやりたかったんですよ>……。

 野々宮は池尻にこう弁明し、日本銀行を支配する国際機関の仮面を被ったロスチャイルドやロックフェラーを、偽札造りより悪辣と批判する。悪魔に勝つために、悪魔を利用し、自らも悪魔になる……。目論見通り事は運ばない。愛に渇く野々宮は悪魔になりきれず、売国奴と化した日本政府の裏切りに遭い、ささやかな破滅を迎える。

 作家の力量ゆえか、シーンのひとつひとつが映画を見たかのように浮かんでくる。平野啓一郎、池澤夏樹同様、発見が遅きに失した島田だが、「悪貨」には感嘆させられた。旧作も読み、いずれ感想を記したい。



コメント (2)
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