酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「空気人形」~不条理なメルヘンが突く愛の普遍

2009-10-18 00:50:07 | 映画、ドラマ
 加藤和彦さんが亡くなった。音楽界を震撼させたフォーク・クルセダース、海外に雄飛したサディスティック・ミカ・バンド、提供した名曲の数々……。多岐にわたる業績を語るには力不足だが、俺にとって記憶に残るのはソロ3部作(79~81年)で、中でも「うたかたのオペラ」は愛聴盤だった。偉才の冥福を心から祈りたい。

 楽天がCS第1ステージを制し、ダルビッシュを欠く日本ハムと相まみえる。野村監督の有終の美を願うファンも多いが、去就問題で露呈した人間性にうんざりした。〝自己愛の塊〟と断罪するのは忍びないが、野村監督は俺と同じく<正しく愛せない病>を患っている。

 愛にまつわる経験はDNAにインプットされないから、古(いにしえ)と同じ過ちが繰り返される。様々なジャンルで表現された〝愛の形〟でベストワンを挙げるなら、業田良家の「自虐の詩」だ。呉智英、夢枕獏氏らが<戦後日本文化の精華>と絶賛する同作は、読む者に号泣より深い慟哭をもたらしてくれる。

 業田ワールドは<人間の業>、<繰り返しの美学>、<日常の裂け目に覗く真実>、<不条理の彼方の普遍>に彩られている。是枝裕和監督は東京の下町を舞台に、「空気人形」を至高のメルヘンに仕上げた。

 映画館で俺の鼓膜を震わせていたのは、ビートルズの「エリナ・リグビー」だ。身寄りがない老女と孤独な神父の人生を歌った同曲は、本作の背景とぴったり重なっている。公園のベンチに座る老人(高橋昌也)、若さに嫉妬する中年女(余貴美子)、交番で寂しさを紛らわす初老の女(富司純子)、やさぐれ警官(寺島進)、人形制作者(オダギリジョー)etc……。錚々たる面々が脇を固めていた。

 ペ・ドゥナ演じる主人公のノゾミは、冴えないファミレス従業員の秀雄(板尾創路)が購入したダッチワイフだ。シリコーン製の精巧なラブドール(最低でも50万円!)ではなく、空気を吹き込んで膨らませる5800円の旧式の人形なのだ。

 秀雄はノゾミに職場の不満をぶちまけ、食事も2人分用意する。プラネタリウムの発光シールを天井に張り、仰向けになって星座の知識を披瀝する。秀雄が異常というなら、俺だって同類だ。大学卒業後、ニートの走りだった俺は、部屋に迷い込んだ猫に語りかけて心の渇きを癒やしていた。

 <わたしは心を持ってしまいました。持ってはいけない心を持ってしまいました>……。ノゾミはある朝、心を持ち、メイド服で街を彷徨う。ペ・ドゥナの伸びやかな肢体、童女のような表情、滑稽な動作、切ないモノローグの数々に心を強く揺さぶられた。レンタルDVD店でバイトを始めたノゾミは、同僚の順一(ARATA)に恋心を抱くようになる。

 ノゾミのモノローグでとりわけ胸に染みるのは、何度もリピートする<わたしは誰かの代用品。性欲処理のための空気人形>だ。果たしてノゾミは特別だろうか。あなたもまた、誰かの代用品であっても不思議はない。肌を寄せ合う夫、妻、恋人は、果たしてあなたのことだけを考えているのだろうか。性愛に限らず、人は交換可能な代用品かもしれない……。本作は見る側にこう問いかけてくる。

 ノゾミは真っ白なキャンバスに筆を走らせていく。知識を吸収していくが、生と死の感覚が理解できない。ノゾミにとって空気を注入された時が生、抜かれた時が死であり、それらは頻繁に訪れるものなのだ。老人がノゾミに教えた吉野弘の詩(「生命は」)が、本作のキーになってストーリーを進行させる。

 ラストも印象的だった。裂けた日常が縫い合わされた街を、タンポポの種のような柔らかい形がフワフワ舞う。それはきっとノゾミの魂で、孤独な登場人物たち一人ひとりに別れを告げる。ノゾミは一回性の死を手に入れることができたのだろう。愛を成就させる唯一の手段として……。

 最後に秋華賞の予想を。◎⑤レッドディザイア、○③ブエナビスタ、▲①ホクトグレイン、注⑩クーデグレイス、△②パールシャドウ。3連単は⑤1頭軸、馬連&ワイドは人気薄の逃げ馬①から手広く買う予定だ。少額投資でささやかなメルヘンを楽しみたい。外れるという結果は、はっきり見えているけれど……。


コメント (2)
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