酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

左翼と右翼の境界線とは?~ゲバラの命日に寄せて

2009-10-09 03:58:40 | 社会、政治
 別稿(8月13日)で「左翼、右翼について自分なりにまとめたい」と記してから2カ月……。ゲバラの命日(9日)を機に、遅ればせながら〝夏休みの宿題〟を提出することにする。

 歴史学者でも政治学者でもない俺にとって、無謀としか言いようのないテーマである。付け焼き刃で<左翼=ゲバラ、右翼=三島由紀夫>というリトマス紙を用意して検査した。設定レベルが高過ぎたせいか、世間で左翼あるいは右翼に分類されている人たちの殆どがフェイク(偽物)という結果が出る。

 まずは左翼から。ゲバラが示したのは、①形(権力、主義)に囚われないこと、②弱者や大衆の目線で平等と自由を説くこと、③身体を通して理念を表現する姿勢だった。革新政党幹部や組合指導者の左翼性を①~③に照らしてみると、仮面の下から別の貌が現れてくる。

 学生だった頃、「○○主義なんて意味はない。資質が人間の行動を決めるのではないか」と左翼を自任する友人に話した。彼は烈火の如く怒り、俺に<プラグマティスト>のレッテルを貼った。あれから30年、俺の直感は正しかったのではないか。

 旧ソ連の共産党幹部が日本に生まれていたら、自民党保守派の一翼を担ったかもしれない。ベルリンの壁を壊した活動家がアメリカに生まれていたら、反グローバリズムの闘士として体制に「ノー」を叫んでいても不思議はない。

 話は戻るが、貧困が増大する今の日本に〝左翼のシンボル〟は存在しない。左翼知識人はまさに絶滅種で、辺見庸、佐高信の両氏が最前線か。旧左翼も新左翼も衰退した焼け野原で、しがらみから自由な〝新々左翼〟が産声を上げる日を待つしかない。

 一方の右翼だが、三島を基準にすると合格はたやすくない。最低条件は日本文化への深い理解だが、右翼に分類されがちな小泉純一郎元首相、石原慎太郎東京都知事は果たして……。

 数年前、排外主義的ナショナリズムがこの国を覆った。相手国(中国と韓国)でも同様の機運が高まり、ネット上で対峙する。刃は国内にも向けられ、当ブログも〝反日的〟と攻撃を受けた時期があった。

 排外主義的ナショナリストから熱烈に支持された小泉氏と石原氏には、共通点が幾つかある。小泉氏は文化勲章廃止論者であり、石原氏は野坂昭如氏との対談で「皇室に対する敬意はない」と言い切っていた。小泉氏は横須賀生まれのアメリカンで、石原氏は選民意識が強い。ともに右翼と相容れない徹底した個人主義者で、皇室に傾倒した三島とは大きな違いがある。

 三島に排外主義的発想はなかったが、当然の道筋として、日本の文化と伝統を破壊するアメリカを敵視する。衣鉢を継いだ新右翼(一水会など)が反米愛国を掲げるのは当然の成り行きだ。

 〝本籍アメリカ〟や〝排外主義〟が目立つ右派知識人の中でまともに映るのは西部邁氏だ。<何かを絶対的に信じることに疑念を抱き、形あるもの(理論)より目に見えぬもの(情念)に価値を見いだす>という氏のスタンスに共感を覚える。そのうち右翼に転向しようかな。いや、〝ゲバラ標準〟なら、俺が左翼であった時間など一秒もないことになるのだが……。


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