酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

政治という禁忌~ヒッチコック、オーウェル、そしてリョサ

2007-09-11 02:16:11 | カルチャー
 昨日(10日)、築地本願寺で「9・11七回忌法要」に参加した。イベントの意義、姜尚中氏と森達也氏のピーストークの内容など、詳細は次回に記したい。

 さて、本題。今回はヒッチコックをとばぐちに、政治と表現者のねじれた関係について記したい。

 スカパーで録画しておいた「ヒッチコック~天才監督の横顔」をようやく見た。生涯を丹念に追ったドキュメンタリーだが、作品にも色濃く反映している反共主義については素通りしていた。ヒッチコックが「裏窓」で伝えたかったのは監視の必要性である。ブラックユーモア仕立てで規制なき社会の堕落を描いたのが「ハリーの災難」だった。ヒッチコックは赤狩りの支持者だったのである。

 政治信条はブーメランになり、ヒッチコック当人に突き刺さる。オスカー獲得に届かなかったのは、リベラルの巣というべきハリウッドに疎んじられたからだろう。ヒッチコックの革新性を正当に評価したのは、政治的立場が異なるヌーヴェルバーグの監督たちだった。

 ヒッチコック以上に複雑な構造に置かれたのがジョージ・オーウェルだ。共和国軍義勇兵としてスペイン戦争に身を投じたオーウェルは、主導権を握るためアナキストやリベラルを見殺しにする共産党の体質に絶望する。英国に戻った後、ルポルタージュ「カタロニア讃歌」、東欧型管理社会を告発した「動物農場」と「1984」を相次いで発表した。

 60~70年代、オーウェルは高橋和巳、吉本隆明とともに<左翼養成講座>のアイテムになる。日本のラディカルにとり、最大の桎梏は日本共産党だった。民青の活動家を「スターリニスト」と罵るための理論武装に、「反共主義者」にカテゴライズされるオーウェルの著作が用いられた。皮肉な現象に、あの世で当人も苦笑したに違いない。

 前衛的な手法と壮大なドラマトゥルギーを駆使するバルガス・リョサは、俺が最も尊敬する作家の一人である。社会の闇を告発してきたリョサは、ペルー大統領選(90年)でフジモリ氏に敗れた。ブルジョワと既成の支配層に担がれての出馬で、内外に<転向>の印象を与えてしまった。リョサはマルケスとともに南米文学の最高峰だが、政治との関わりがマイナスに作用し、自らノーベル賞を遠ざけてしまう。

 表現者にとって政治は、偏見を生む火種であり、躓きの石や禁忌にもなりうる。上記の3人は、政治と芸術との噛み合わない関係性を、身をもって示してくれた。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする