「証言記録~マニラ市街戦」(NHK衛星第1)を見た。1945年2月、10万以上の市民の命が失われたマニラ攻防戦の真実に迫るドキュメンタリーである。証言で日本軍の常軌を逸した行為の数々が明かされていくが、一方の米軍もまた狂気に囚われ、市民の犠牲を顧みない非人道的な砲撃を繰り返していた。
マニラ市街戦と同じ時期、日本軍はレイテ島で敗走を重ねていた。一兵卒として従軍していた大岡昇平は、「俘虜記」、「野火」、「レイテ戦記」で悲惨な戦闘の真実を抉り出す。今回は市川崑監督による映画「野火」(59年)について記したい。スカパーで四半世紀ぶりに同作を見て、船越英二(田村一等兵)の演技にあらためて衝撃を受けた。船越は極限まで減量し、田村の無垢な魂を表現していた。
肺を病んだ田村は、隊にも病院にも居場所がなく、自決を覚悟しながら荒地を彷徨う。十字架に導かれて海辺の集落に辿り着いた田村は、教会前で折り重なる日本兵の白骨死体を見る。恐怖に駆られて無用な殺人を犯し、悔恨で銃剣を捨てた田村は、他の日本兵と合流しパロンポンに向かった。斃れた仲間の軍靴を別の者が次々奪っていく場面はコミカルだが、<棄民としての戦争>を象徴的に物語っている。
ニューギニア戦線を人肉を食べて生き延びた兵隊、事切れる直前「ここを食べてもいいよ」と上腕部を示す台湾での応召兵、猿狩りと称し日本兵を殺して食糧する安田と永松……。戦場においては、残虐行為もカニバリズムも「正気」である。田村は人間としての尊厳を保ち、仲間の肉を食べなかった。その代償として得たのは「狂気」である。大岡が追求したのは、<戦場における正気と狂気の顛倒>だと思う。映画は戦場のシーンで終わっているが、原作では田村が狂人として世間から隔絶される復員後までを描いている。
画面に繰り返し野火が現れる。それが、農民たちの生活の徴なのか、ゲリラの狼煙なのか、米軍の砲撃によるものなのかわからない。ストーリーが進むにつれ、野火は田村の中で、具象から抽象(「神の火」)に浄化していく。
今年3月に亡くなった船越英二さんは、市川監督と最高のコンビだった。「黒い十人の女」(61年)、「私は二歳」(62年)は、本作とともに邦画史を飾る金字塔である。
故中内功氏(ダイエー創始者)もまた、比戦線(ルソン島)で地獄を味わった。食料を求め米軍キャンプに近づいた中内氏は、GIがアイスクリームを作るために電気を起こしているのを知る。その時の衝撃が、ダイエーの原点になった。歩んだベクトルの向きは逆だったが、大岡と中内氏に共通するのは<国家への拭い難い不信感>だった。ダイエーの興隆と突然の崩壊の謎を解く鍵は、中内氏が戦場で経験した狂気の中にあると思う。
マニラ市街戦と同じ時期、日本軍はレイテ島で敗走を重ねていた。一兵卒として従軍していた大岡昇平は、「俘虜記」、「野火」、「レイテ戦記」で悲惨な戦闘の真実を抉り出す。今回は市川崑監督による映画「野火」(59年)について記したい。スカパーで四半世紀ぶりに同作を見て、船越英二(田村一等兵)の演技にあらためて衝撃を受けた。船越は極限まで減量し、田村の無垢な魂を表現していた。
肺を病んだ田村は、隊にも病院にも居場所がなく、自決を覚悟しながら荒地を彷徨う。十字架に導かれて海辺の集落に辿り着いた田村は、教会前で折り重なる日本兵の白骨死体を見る。恐怖に駆られて無用な殺人を犯し、悔恨で銃剣を捨てた田村は、他の日本兵と合流しパロンポンに向かった。斃れた仲間の軍靴を別の者が次々奪っていく場面はコミカルだが、<棄民としての戦争>を象徴的に物語っている。
ニューギニア戦線を人肉を食べて生き延びた兵隊、事切れる直前「ここを食べてもいいよ」と上腕部を示す台湾での応召兵、猿狩りと称し日本兵を殺して食糧する安田と永松……。戦場においては、残虐行為もカニバリズムも「正気」である。田村は人間としての尊厳を保ち、仲間の肉を食べなかった。その代償として得たのは「狂気」である。大岡が追求したのは、<戦場における正気と狂気の顛倒>だと思う。映画は戦場のシーンで終わっているが、原作では田村が狂人として世間から隔絶される復員後までを描いている。
画面に繰り返し野火が現れる。それが、農民たちの生活の徴なのか、ゲリラの狼煙なのか、米軍の砲撃によるものなのかわからない。ストーリーが進むにつれ、野火は田村の中で、具象から抽象(「神の火」)に浄化していく。
今年3月に亡くなった船越英二さんは、市川監督と最高のコンビだった。「黒い十人の女」(61年)、「私は二歳」(62年)は、本作とともに邦画史を飾る金字塔である。
故中内功氏(ダイエー創始者)もまた、比戦線(ルソン島)で地獄を味わった。食料を求め米軍キャンプに近づいた中内氏は、GIがアイスクリームを作るために電気を起こしているのを知る。その時の衝撃が、ダイエーの原点になった。歩んだベクトルの向きは逆だったが、大岡と中内氏に共通するのは<国家への拭い難い不信感>だった。ダイエーの興隆と突然の崩壊の謎を解く鍵は、中内氏が戦場で経験した狂気の中にあると思う。
大岡昇平と中内功。
どちらも傑物ですが、中内は長生きしすぎたのかなあ。
日本人にとっては62年前ですが、今現在世界の各地でさらに悲惨に戦争が行われてますよね。
やっぱり憲法9条は守らなければ、と思います。
これは最強の武器だと思いますが。
関東軍は満蒙開拓団を残して逃げ、南方戦線で多くの兵隊が餓死や自決を選んだ。沖縄で起きたこと、被爆者の扱い……。日本は戦争で自国民を最初に棄てるというのが、先の戦争の教訓です。
この事実を知れば、9条改正なんていえません。最初に泣きを見るのは自分たちなのだから。
最後の場面「野火の傍には農民がいて、私はそういう普通の人々に会いたい」の言葉が響きます。