酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「殺しを呼ぶ卵」~映画のパルチザンが見据えた21世紀

2022-12-20 17:38:08 | 映画、ドラマ
 サッカーWカップが閉幕した。3位決定戦も素晴らしかったが、アルゼンチンとフランスの決勝戦は歴史に残る激闘だった。メッシがジュール・リメ杯を掲げるシーンに素直に感動する。メッシはバルセロナ時代、自由と想像力を追求し、スポーツを超えたアートにサッカーを飛翔させた。

 初戦でサウジアラビアに敗れ時、誰もが〝アルゼンチンは終わった〟と感じた。どん底から這い上がった最大の理由はメッシの求心力かもしれない。初代〝神の子〟マラドーナはスキャンダラスな悪童というイメージばかり強調されるが、カストロと交流し、反米集会では万余の聴衆を高揚させるアジテーターでもあった。寡黙な人格者と評されるメッシは祭りの後、いかなる素顔を見せてくれるのだろう。

 さて、本題……。54年ぶりに公開された「殺しを呼ぶ卵」(1968年、ジュリオ・クエスティ監督/伊仏製作)を新宿シネマカリテで見た。最長版と銘打たれているのは公開当時、カットされていた残酷なシーンが復活しているからだ。ドキュメンタリー畑で活動していたクエスティは、マカロニウエスタン「情無用のジャンゴ」でコンビを組んだフランコ・アルカッリ(脚本・編集)とともに「殺しを呼ぶ卵」に臨んだ。

 大規模で最新技術を導入した養鶏場の社長マルコ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、養鶏協会でも期待されているが、婿養子ゆえ経営権は妻アンナ(ジーナ・ロロブリジーダ)が握っている。イタリアトップ俳優の向こうを張って煌めいていたのは、アンナの姪で夫妻宅に同居しているガブリを演じたエヴァ・オーリンだった。

 カメラを手に舌を出すオーリンのキュートさ、ロロブリジーダの妖艶さのコントラストに、66歳の俺でさえ胸がザワザワする。アンナに隠れてガブリと不倫していたマルコだが、アンナへの鬱屈した思いを鎮めるため殺人を繰り返していた。娼婦をナイフで切り裂くマルコの様子を窺っていたのは、協会から広報として派遣されることになるモンダイーニ(ジャン・ソビエスキー)だった。

 モンタージュを多用した実験的な映像に加え、マルーナ・マデルナが担当した音楽が刺激的だ。心に針を刺すような弦楽器が奏でる不協和音が不穏なムードを煽る。本作が公開された1968年は激動の年で、ルイ・マル、トリフォー、ゴダールらが労働者、市民との連帯を訴え、カンヌ映画祭を中止に追い込んでいる。本作にも熱いパトスが波及しているが、クエスティ、アルカッリ、マデルナには、パルチザンとしてファシズムと闘ったという共通点があった。

 愛欲が渦巻く展開で、カブリとの関係が仄めかされるモンダイーニはスワップィングパーティーを企画した。マルコはブロイラーの給餌機に愛犬が落ちた光景をヒントに、アンナの殺害を計画する。そのアンナはマルコとの距離に悩み、ガブリの協力で娼婦の装いに身をやつす。面白いのはマルコとガブリの会話だ。「全てを失っても君と生きたい」と性急に迫る40代のマルコを、10代のガブリは一蹴する。純情と成熟が入れ替わり、年齢が逆になったみたいだ。

 製作陣が50年前、どこまで意識していたかは別にして、「殺しを呼ぶ卵」は資本主義に刃を向けていた。徹底した機械化でリストラを図り、失業した労働者たちは養鶏場の周りで「人間は平等だ」と抗議の声を上げ、投石する。遺伝子組み換えの導入が計画され、実験段階で頭のない不気味な鶏が生まれても、アンナは意に介さない。当時は俎上に載せられていなかった遺伝子組み換えが、当然のように受け止められていた。

 資本主義は人間の倫理観を麻痺させ、愛を汚していく。映画のパルチザンの魂が込められた本作は、半世紀後の今、フレッシュに血を滴らせている。
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