酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「熊は、いない」~存在理由を懸けて闘うジャファル・バナビ

2023-10-03 21:31:28 | 映画、ドラマ
 グリーンズジャパンの友人に誘われ先日、「政治をかえる! 8区の会」キックオフ準備会(ふらっと阿佐ヶ谷)に参加した。中野区民の俺は8区の有権者ではないが、日本の政治を変える拠点は杉並区であると考えている。キーワードは岸本聡子区長が掲げるミニシュパリズムとコモンだ。残念ながら、若い参加者はいなかった。

 イラン映画「熊は、いない」(2022年、ジャファル・バナビ監督)を新宿武蔵野館で見た。ジャファルは前々稿で紹介した「君は行く先を知らない」のパナー・パナヒ監督の父で、両作のテーマはともに<国外脱出>だ。ジャファルは体制を批判して弾圧されており、「熊は、いない」撮影後にも収監された。

 前作「人生タクシー」(15年)は〝フェイクドキュメント〟で、タクシー運転手に扮したバナビ本人と乗客がイラン社会について論じ合っていた。「熊は、いない」も主演はバナビで、役柄はそのまま映画監督だ。国境の村に滞在し、リモートで助監督のレザに指示を送る。ロケ地はトルコの町だ。海外メディアとの接触だけでなく、映画製作を20年も禁じられているバナビは、ミニマムな映画作りを強いられている。

 偽造パスポートで国外脱出を図るパクティアールとザラのカップルをドキュメンタリータッチで撮影しているうちに、リアルとフィクションが混淆していく。バナビがレザに誘われ、国境付近を歩くシーンが印象的だった。「国境線はどこ」と尋ね、レザが「今、踏んでいるあたりです」と答えると、バナビは後ずさった。逮捕を恐れてではなく、<イランこそが自分の居場所>という強い思いが窺えた。

 現実とフィクションが螺旋状に絡み合うという点で本作と重なったのが「ペルシャ猫を誰も知らない」(09年、バブマン・ゴバディ監督)だ。バナビは滞在する村で、愛し合うことが許されないカップルを撮影したと疑われ、真実を告白することを強制される。告白所に向かう途中、「熊が出ますよ」と仄めかされた。村人たちが集まっていたが全員が男で、イランにおける女性の立場の低さは明らかだ。

 村には<女の赤ん坊のへその緒は、未来の夫を決めてから切る>という理不尽なしきたりがあった。面白かったのは村人たちが必ずしもコーランに忠実ではなかったことだ。暗に〝適当に〟〝辻褄が合っていれば〟とバナビに囁く者さえいる。日本だって他国の人が見れば〝異常〟と映るしきたりがある。<史上最悪の少年への性加害がメディアの了解の下で黙認された>……。日本独特のしきたりが明るみになったのは外圧があったからだ。

 タイトルの「熊は、いない」は反語といっていい。熊とはイランでの弾圧、人々を縛るしきたりのメタファーだが、ラストでザラは死に、駆け落ちを試みた村のカップルは銃殺された。車でテヘランに向かったバナビを待ち受けていたのは収監である。熊は確かに存在する。だが、バナビは挫けない。再び創造するという希望が自身の存在理由だと語っているのだ。シリアスなテーマを掲げながら笑いを誘う場面もあるエンターテインメントを作り上げたバナビに拍手を送りたい。

 本作は確かに遠い国の物語だが、日本では自由の息吹が衰えている。バナビの腰を据えた闘いは、近未来の日本に向けた贈り物なのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする