弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

原発事故直後の航空機による放射能モニタリング

2012-02-24 21:29:39 | サイエンス・パソコン
2月24日の朝日新聞朝刊1面トップは「連絡ミスで空からの放射能測定できず 震災翌日」という記事でした。
『東京電力福島第一原子力発電所で放射性物質の大量放出が始まった昨年3月12日、放射能の拡散を空からすばやく把握する「航空機モニタリング」が、省庁間の連絡の行き違いで実施できなかったことが分かった。自衛隊が人命救助に使っていたヘリコプターを回したにもかかわらず、測定担当者が来なかった。同日は住民の大量避難が続き、最も放射能の拡散方向を知る必要があった時期。まさにその時期に、情報を入手する絶好の機会を逃していたことになる。
 ・・・・・
測定員は15日、福島県小野町の運動場で自衛隊のヘリと落ち合い、午前11時20分に離陸したが、「4号機が爆発した」との情報が入り、この日も測定を中止。16日以降は自衛隊が使用済み燃料プールに水を投下する任務につき、結局、25日まで測定できなかった。
この間、米エネルギー省は米軍機などを使った同様の測定を実施。3月22日、原発から北西方向に線量が高い「帯」が広がっている地図を公表した。』

航空機モニタリングに使用可能な測定機器を、文科省所管の「原子力安全技術センター」が青森県六ヶ所村の出先で管理していたとのことです。文科省から自衛隊への依頼では「午後1時に六ヶ所村の公園」でした。ヘリコプターは1時10分まで待ったけれども誰も来なかったので、離陸して戻ってしまいました。一方センターが文科省から出動要請を受けたのは午後1時半、測定員は午後2時40分から公園で待っていた、ということです。

そんなことがあったのですね。
新聞記事では3月12日の行き違いを問題視していますが、今にして判明していることは、原発から北西の飯舘村までの高濃度汚染が発生したのは3月15日です。従って、3月12日に測定ができなかったことよりも、3月15日の測定を中止してしまったことの方が影響が大きかったことになります。15日から毎日測定を行っていれば、深刻な放射能汚染が北西方向に広がっていった状況をリアルタイムで把握することができたことでしょう。
もっとも、3月15日にヘリを飛ばしていたら、ヘリはもろに北西へ向かう放射能プルームに突っ込み、パニックに陥ったかもしれませんが。

16日以降は自衛隊が使用済み燃料プールに水を投下する任務につき、結局、25日まで測定できませんでした。今にして思えば、使用済み燃料プールへの水供給は消防車で行うべきであり、ヘリによる水投下は徒労でした。そんなことよりも、放射能の航空機モニタリングを行っておくべきだったことが今はわかります。

米軍が航空機モニタリングで詳細なデータを採取していたことは、3月24日には知れていました。去年3月27日にこのブログの「放射能拡散状況の実態」で紹介したように、3月24日の夕刊に、米軍機が測定した放射能汚染状況を示すマップが公表されたのです。
そして、米国エネルギー庁の紹介ページによると、昨年3月22日には福島第1周辺の広い範囲にわたって航空機による放射線マップが公表されています。今回の朝日記事によると、米軍は3月17~19日、40時間以上の飛行で、放射能汚染地図を描いたとのことです。

日本政府も航空機モニタリングを行おうとして後れを取ったことが今回判明しました。しかしそれがあろうがなかろうが、米軍が3月17~19日に測定したことも事実です。この米軍の情報を、日本政府が住民の避難計画に活用できなかったことがもっと大きな問題です。
最近、日本政府が、SPEEDIのデータを国民に公開する前に米軍に情報提供していた、として問題視されています。この点について私は、日本政府がSPEEDIのデータを米軍に提供したそのとき、米軍から航空機モニタリングのデータを日本政府は受領していたに違いないとふんでいます。むしろ現在追求すべきは、「日本政府はなぜ米軍の航空機モニタリングデータを生かせなかったか」という点でしょう。

東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(政府事故調)が2011.12.26に公表した中間報告において、『委員会の活動においては、国民の皆様の声を参考にさせていただきます。ご意見等は、次のメールアドレスまお願いいたします。E-Mail:iinkai.goiken@cas.go.jp 』というアナウンスがされました。私はこれに対し、1月21日に以下のような意見を提出したところです。
『中間報告の
Ⅴ 福島第一原子力発電所における事故に対し主として発電所外でなされた事故対処
 1 環境放射線モニタリングに関する状況
において、米軍の航空機による放射線評価結果が掲載されていません。

米国エネルギー庁の紹介ページによると、昨年3月22日には福島第1周辺の広い範囲にわたって航空機による放射線マップが公表されています。ということは、3月22日以前から、米軍は航空機による放射線モニタリングを実施していたことを意味します。
地上でのモニタリングは、地震や津波による被害(モニタリングポストの損壊、道路、通信途絶)でままならなかったことが中間報告から明らかです。であれば、航空機による絨毯モニタリングが威力を発揮したはずです。
米軍の航空機モニタリング結果を対策本部での避難計画策定に用いようとするアイデアはなかったのか、官邸が知っていたとして利用に至らなかった理由は何なのか、その点についてぜひ最終報告で明らかにしてほしいと考えます。』

私のこの意見が採用されていれば、今年夏に公表される最終報告では顛末が明らかになることでしょう。
コメント
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