弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

1号機非常用復水器の潜在的可能性

2011-11-05 09:54:55 | サイエンス・パソコン
原子炉は、燃料棒の間に制御棒を挿入して核分裂を停止した後も、崩壊熱が発生し続けるので、水冷却を継続する必要があります。そして、全電源喪失時であっても冷却を継続できるようにする設備を備えています。
福島第一原発の場合、1号機は「非常用復水器(Isolation Condenser)」を用いています(こちらの図面)。圧力容器内の蒸気が非常用復水器に配管で導かれ、非常用復水器に溜まった水で冷やされて液化し、その水が圧力容器に戻る、という仕組みです。

非常用復水器は、圧力容器との間で冷却水を循環ポンプで強制循環させる必要がなく、自然に水が循環して圧力容器を冷却することができます。そのメカニズムが最初はわからなかったのですが、「多分このようなメカニズムだろう」というのを思いつきました。その点については非常用復水器の動作メカニズムに書いたとおりです。

先日、原発事故10月24日経産省報告書で報告したように、新たな技術資料が経産省から公開されました。
その資料の中で、非常用復水器について新たな情報を得ることができました。
(別添3)東北地方太平洋沖地震に伴う福島第一原子力発電所1号機における事故時運転操作手順書の適用状況についての5ページに
「IC(非常用復水器)の水源については、交流電源を駆動源とするポンプが停止することから、IC容量(約6時間)を超える場合には、D/D-FP(ディーゼル駆動消火ポンプ)により補給する」
と記載されているのです。
非常用復水器の図面を見ると、非常用復水器への配管として「純水補給系より」と「消火系より」という系統が記載されています。おそらく、「純水補給系より」が、交流電源を駆動源とするポンプで供給される系統であり、「消火系より」がディーゼル駆動消火ポンプで供給される系統だと思われます。
以上より、
第1に、「非常用復水器に充填された水によって原子炉を6時間にわたって冷却することができる」こと、
第2に、「非常用復水器に水を供給することができれば、永続的に原子炉を冷却することができる」ことがわかりました。

今回の津波来襲により、すべての交流電源が失われました。そのため、電動ポンプ駆動を必要とする冷却系は全滅です。しかし、1号機の場合、ディーゼル駆動消火ポンプで非常用復水器に冷却水を供給し続けることができれば、原子炉の冷却は継続可能だったということになります。

ただし現実には、D/D-FP(ディーゼル駆動消火ポンプ)を始動し、スタンバイしていたものの、スタンバイ中に故障してしまい、役立てることはできませんでした。しかしそのかわりに消火系に消防車を接続できたのであり、消防車から水(淡水、その後は海水)を非常用復水器に供給できれば、この冷却系を利用できる、はずでした。

もう1点、非常用復水器を稼働させるためには、圧力容器と非常用復水器とを連結している配管系のバルブ類を制御しなければなりません。図面によれば、バルブ類は「MO」(電動駆動弁)と書かれており、直流電源で作動しているようです。今回の事故では、直流電源(バッテリー駆動?)までも失われてしまったのです。
津波来襲後に、非常用復水器と圧力容器をつなぐ多数のバルブがどのような状況にあったのか、いまだに判明していないようです。東電は、「津波来襲後は非常用復水器が役に立っていなかった」というスタンスに立っています。

以上を総合すると、非常用復水器を備えている1号機は、電動弁を作動させるバッテリーさえ生きていれば、永続的に原子炉を冷却し続けることができたように思われます。そして、非常用復水器の電動弁を少なくとも10日以上にわたって動作させるためのバッテリーを、非常用復水器の近く(原子炉建屋の上階)に配置しておくことは、ちょっと知恵を働かせればできたことのように思われます。

震災前に東電が行った津波試算の経緯で書いたように、2002年には国の地震調査研究推進本部が「東北から房総にかけての日本海溝沿いなら、どこでもM8級の地震が起きる」という報告をしており、この報告に基づいて東電は2008年に福島第一、第二両原発への津波の高さを試算し、福島県沖で房総沖津波(1677年)が発生したと仮定した場合、福島第一原発は最大13.6メートル、福島第二は14.0メートルの津波に襲われると試算できていたのです。
この試算が出た後に、「1号機の計装用バッテリーを、津波の被害を受けない上階に十分な容量(10日間作動可能)で配置しておこう」というアイデアが出ていれば、1号機は助かっていた可能性がある、と思いました。

小惑星探査機「はやぶさ」では、発射直前になって、「4基あるイオンエンジンそれぞれのエンジン本体と中和器を、お互いに融通できるようにバイパスダイオードを増設しておこう」というアイデアが出て、無理やりその設計変更を断行しました。「こんなこともあろうかと」という危機管理意識がなせる技でしょう。原発の現場ではこのような発想が生まれなかったのですね。

ところで、非常用復水器を備えていない2、3号機はどうでしょうか。
2、3号機は、圧力容器内の蒸気圧力でタービンを回して冷却水を循環する「隔離時冷却系(RCIC)」を備えており、津波後は実際にこの系統で冷却を行いました。ただしこの系統は、温度が上がった冷却水を格納容器内に排出します。その結果、格納容器の温度と圧力はどんどん上昇しますから、たとえ冷却水ポンプは動き続けても、早い段階で格納容器のベントを行うことが必須です。また、RCICで循環する冷却水は核燃料に直接触れるので、放射能を帯びてしまいます。それに比較すると、1号機の非常用復水器は、供給する冷却水は原子炉と隔離されているので放射能を帯びません。また、熱せられた冷却水を格納容器に溜めるわけではないので格納容器の温度・圧力上昇を心配する必要がありません。非常用復水器の方がRCICと比較してよっぽど非常時に適合しています。
2、3号機については、2~6号機から撤去した「蒸気凝縮系」とはで報告したように、もともと「蒸気凝縮系」という冷却系が設置されていました。どうも1号機の非常用復水器と同じメカニズムのようです。この冷却系は2003年頃に撤去されてしまったようなのです。
今後、各地の原発の安全性を高めるためには、もし蒸気凝縮系が撤去されたのであれば再建し、計装電源用のバッテリーを十分に配置してあげることが必須であるように思われます。
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2号機で放射性キセノン検出騒動

2011-11-03 20:31:11 | サイエンス・パソコン
11月2日朝、2号機で核分裂の可能性 キセノン検出、ホウ酸注入 福島第1原発というニュースが突然流れました。
産経新聞 11月2日(水)9時32分配信
『東京電力は2日、福島第1原発2号機で原子炉格納容器内の気体に半減期が短い放射性キセノン133、同135が含まれている可能性が判明、溶融した燃料で核分裂が起きている恐れが否定できないとして、核分裂を抑えるホウ酸水を原子炉に注水したと発表した。』
『放射性キセノンは核分裂に伴い発生する。東電は先月28日、2号機の格納容器内の気体を吸い出して放射性物質を除去する装置を設置しており、1日に採取した気体を分析したところ、キセノン133と135が含まれている可能性があることが明らかになった。このため、2日午前2時48分に原子炉への注水ラインからホウ酸水の注水を始めた。東電は、キセノンの検出が続くかどうか、状況を見極める。』
当初は、分析値が微量なので誤検出かどうか確認、ということでしたが、その後確かにキセノンが検出され、「いよいよ再臨界が起きたのか」と大騒動となりました。

ところが3日になって、
東電、「臨界でなく自発核分裂」…保安院は慎重
という話になりました。
読売新聞 11月3日(木)13時12分配信
『原子炉内では、運転時に生成した放射性物質キュリウムが単独で分裂する「自発核分裂」が散発的に起きており、極微量のキセノンはキュリウムの分裂で説明できるとした。
 キセノン133とキセノン135は、1日に格納容器から採取したガスから検出された。濃度はともに1立方センチ当たり約10万分の1ベクレルと極微量だったが、それぞれの半減期は約5日、約9時間と短く、直近に核分裂反応が起きたとみられ、東電は2日、小規模な臨界が一時的にあった可能性もあるとの見方を示していた。
だが、詳しく解析したところ、小規模な臨界であっても検出量の1万倍のキセノンが発生することがわかった。臨界を防ぐホウ酸水を2日未明に注入した後もキセノンが検出されたことも、臨界が起きていない根拠として挙げた。』

「自発核分裂」とははじめて聞く言葉です。そこで調べてみました。ウィキには、自発核分裂について説明がされています。その上で、
『自発核分裂の確率 [編集]主な核種の自発核分裂の確率を以下に挙げる。
235U: 5.60 × 10-3 回/s-kg
238U: 6.93 回/s-kg
239Pu: 7.01 回/s-kg
240Pu: 489,000 回/s-kg(約 1,000,000 中性子/s-kg) 』
とのデータが掲載されていました。
ウランとプルトニウムの同位体の中では、プルトニウム240が圧倒的に高い確率で自発核分裂するようです。
そして、原子力発電所で生まれるプルトニウムのうち、核分裂するプルトニウムは70%というサイトでは、「原発のウラン燃料は、使い切った状態で、プルトニウムが1%生成しており、そのうちのプルトニウム240が24%を占めている」という情報が掲載されていました。
原発の原子炉の中では燃料棒中にプルトニウム240が順次生成しており、福島第1の2号機原子炉内の核燃料棒中にもプルトニウム240は生成していたはずです。そのプルトニウム240は自発核分裂の確率が非常に高いとあります。また、キセノンとは? ウランが核分裂する際にできる希ガスによると、『放射性同位体のキセノン133や135は、原発の燃料として使われるウランやプルトニウムが核分裂する際にできる。』とあり、プルトニウムの核分裂でもキセノン同位体は発生するようです。プルトニウム240の自発核分裂でも同じかどうかは不明ですが。

報道では、原子炉内の燃料棒中に核分裂で生成したキュリウムの自発核分裂が、今回のキセノンの原因であるとしています。プルトニウム240の自発核分裂についてはまったく触れていませんが、実態はどうなのでしょうか。

また、このように調べてみると、原子力の専門家にとって「自発核分裂」はごく初歩的な知識であり、非臨界にある原子炉内においても常時起こっている現象であることは当然の知識として保有しているべきものと思われます。今回、「東電でのキセノン分析 → 原子力安全保安院へ報告 → 官邸へ報告」という伝言ゲームの中で、どこかで専門家が「これは臨界ではなく自発核分裂の可能性が高い」と思いつかなかったのでしょうか。思いつけば、最初の報道発表、官邸への最初の報告においてその旨を説明できるでしょうから、ここまで大騒ぎすることにはならなかったと思われます。

ps 11/5 日本原子力学会による報告書
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川口淳一著「小惑星探査機はやぶさ」

2011-11-02 20:25:51 | サイエンス・パソコン
カラー版 小惑星探査機はやぶさ ―「玉手箱」は開かれた (中公新書)
クリエーター情報なし
中央公論新社
私は、小惑星探査機「はやぶさ」の動向についてはイトカワ着陸の前後からリアルタイムで追いかけており、それなりの知見を得ていました。そのいきさつについてはこのブログに記録してきており、ブログ記事の一覧をHAYABUSA -BACK TO THE EARTHに掲載しました。

今回、上記の「カラー版 小惑星探査機はやぶさ」(川口淳一著)を娘から借りて読んだところ、私が知らなかった事柄が載っていました。そこで、忘れないうちにここに記録しておこうと思います。

《小惑星サンプルリターン計画はなぜ生まれたか》
1980年代後半、日本の惑星探査はアメリカより四半世紀遅れていました。そのため、NASAと共同で勉強会を設けていました。勉強会で「こんなことをやりたい」と日本側が発案したとしても、日本は予算がなくて実行できないのですが、アメリカはどんどん実行してしまいます。
そこで「NASAもためらうような計画を立てよう」ということで、小惑星サンプルリターン計画の検討を本格的に始動させたというのです。川口さんが発案者であり、プロジェクトマネージャとなりました。

《宇宙研の構造》
当時は文部省の宇宙科学研究所でした。研究者は縦割りの組織に所属しつつ、小惑星サンプルリターンプロジェクトのような横糸のプロジェクトにも参画する形です。このプロジェクトは、縦割りの組織ではないにもかかわらず、問題なく進行することができました。

《打ち上げロケットのチューニング》
はやぶさを打ち上げたM-Vロケットは、普通に使ったのでは打ち上げ能力が足りないので、4段目に大型のキックモーターを搭載しました。このキックモーターを含め、3段目までのロケットを極限までチューニングしたといいます。通常はロケットと探査機を別組織が開発するので、このようにロケットと探査機を同時最適化することはめずらしく、宇宙科学研究所だからできたのです。

《リアクションホイール》
はやぶさは3つのリアクションホイールを備え、三軸制御を行っています。惑星探査機で三軸制御を採用するのははやぶさがはじめてでした。
はやぶさがイトカワに接近した2005年、3個のリアクションホイールのうちの2個が相次いで故障しました。3個のリアクションホイールは米国の同じ会社が同じ時期に作ったものであり、分解不可という条件で輸入したために詳細が分かりません。残った1個もいつ壊れてもおかしくありません。ホイールの回転速度を3800rpmから1600rpmに落として運転を続けました。

《スウィングバイ》
この本を読むと、スウィングバイというのは紙と鉛筆から生まれるアイデアの勝負なのですね。川口先生は、1992年から95年まで「さきがけ」を5回スウィングバイさせてジャコビニ・ジンナー彗星に向かわせるミッションを実行しましたが、うまく行きませんでした。川口先生はこのとき、自分は本当に全力を尽くしたのかと反省が生まれたといいます。
98年に打ち上げられた火星探査機「のぞみ」は、川口先生のアイデアで月スウィングバイを2回行ってさらに地球スウィングバイも行い火星へ到達する計画でした。2回の月スウィングバイはうまく行きましたが、最後の地球スウィングバイ時、同時に行うエンジン点火が不調で失敗してしまいました。しかしこのあと、川口先生は紙と鉛筆で試行錯誤を繰り返し、もう一度地球に帰ってきて地球スウィングバイを2回行って火星に到達する新しい軌道を思いついたのです。
はやぶさも、尋常な飛行ではイトカワに到達できないところでしたが、川口先生のアイデアでEDOVEGA法という方法を採用し、その間に必要な軌道修正をイオンエンジンで行うことによって問題を解決しました。
川口先生はスウィングバイの名人なのでした。

続く
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