弁理士の日々

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東郷和彦「歴史と外交」

2009-04-14 20:38:18 | 歴史・社会
東郷和彦氏は、鈴木宗男・佐藤優騒動が起こる2002年まで、外務省の高級官僚でした。祖父・東郷茂徳(太平洋戦争開戦時と終戦時の外相)、父・東郷文彦(外務事務次官、アメリカ大使)に続く外務省サラブレッド3代目であり、駐ロシア公使・条約局長・欧亜局長・駐オランダ大使などを歴任、あの事件がなければ和彦氏も外務省のトップまで上り詰めたのでしょう。
宗男騒動の2002年、駐オランダ大使でしたが、退職を拒否し免職処分を受けるという異常事態でした。日本に帰ると特捜に逮捕される可能性もあるので帰らず、退官後はライデン大学・プリンストン大学・淡江大学(台湾)・カリフォルニア大学サンタバーバラ校・ソウル国立大学などで客員研究員となり、2007年末に帰国しました。現在はテンプル大学日本校客員教授です。
歴史と外交─靖国・アジア・東京裁判 (講談社現代新書)
東郷 和彦
講談社

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「さて、日本の政治・外交にそういう大きな動きがみられるなかで、プリンストンでの2年間の契約は終了し、私の性からにアジア・シフトの方向性が強まった。
2006年秋、台湾の淡江大学に4ヶ月。2007年春、米国西海岸カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校に半年。そして2007年秋、韓国はソウル国立大学に4ヶ月、強弁と研究の時を過ごすことができた。
このころから、日本の歴史問題や、アジアとの和解や、最終的に避けて通れないアメリカとの歴史問題などについて、英語での論文、日本の雑誌への投稿などで、自分の考えを世間に発表する機会が少しずつ得られはじめた。
そして、2007年12月末。私は日本に帰った。・・・・・
34年の外務省での仕事で北方領土問題の解決という戦いに敗れた後、約6年の外国での“漂流”を経ての帰国であった。」
ここで講談社から本書の提案を受けます。東郷氏は、これまでの勉強をまとめて発表するのははるかに早すぎると最初は思いましたが、6年、外から日本を見続けてきたことについての、現時点でのまとめを書いてみることには、それなりの意味があるかもしれないとして本書執筆に至りました。
「本書で伝えようとしているのは、自己の軌跡のはざまから、いま私が強く感じている、ひとつのメッセージである。
それは『もうそろそろ、終わりにしなくいいけない』ということだ。
戦後、60年の漂流を続けていた日本の歴史問題について、いまだに私たちをとらえている猛烈な左右の対立を、『もうそろそろ終わりにしなくてはいけない』。
意見の違いは、最後まである。それは、徹底的に議論しなければいけないと思う。しかし、そういう意見の違いを乗り越えて、お互いを尊重し、同じ日本人として、オール・ジャパンとしての大きな方向性を、そろそろ見いださなければいけないのではないか。」

この本の中で東郷氏は、この6年間の勉強・思索・そしてアメリカ・韓国・台湾・中国の学生や学者と討論した内容の遍歴を淡々と語ります。それは、外務省エリート官僚だった東郷氏が、一人の学者・知識人として確立していく過程でもあります。日中戦争から太平洋戦争にかけての日本と東アジア・米国との関わり合いについて、当事国出身の留学生らときわめて率直な意見交換を行い、その中から考えの方向性を見いだしていこうと努めています。
そしてその考え方の方向は、私自身が考える方向とも一致しており、この本を読んでいる間、不思議な親近感をずっと感じていました。

この本で取り上げる題材は、靖国問題、慰安婦問題、日韓問題、台湾独立問題、広島・長崎原爆投下問題、東京裁判です。
これら、東アジアや米国と日本との間の「歴史認識」と呼ばれる問題について、東郷氏がそれぞれの問題の当事国で真剣に議論を重ね、考えをまとめていきます。その過程が本の中でつづられています。

宗男騒動という残念な事件の結果、東郷氏は外務省を去りましたが、その事件を逆に糧として、日本をリードする知識人となられることを期待します。
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