弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

荒井裕樹弁護士が金融グローバルプレーヤーに転身

2010-11-14 13:31:10 | 弁理士
2006年時点、東京永和法律事務所の升永英俊弁護士が、青色ダイオードの中村裁判を始め、職務発明の大物事件を一手に手がけていること、アルゼvsサミーの特許権侵害事件で70億円を超える賠償判決を勝ち取っていることは知っていました。

その升永弁護士の元で、荒井裕樹弁護士が活躍していることを知ったのは、2006年12月にTBS番組「情熱大陸」で放映された番組で、ここでは「情熱大陸・荒井弁護士」として記事にしました。
番組を通じて感じられる、荒井弁護士の凄いところは、自分の顧客を争いごとで勝たせるため、顧客の話を聞いた上で、通常人では考えつかないような法律構成を創出し、あるいは相手方のロジックの弱点を見抜いてそこを切り崩していく論理を展開する能力に長けていることでしょうか。
とにかく、勝訴という実績により、荒井弁護士が裁判官を説得するたぐいまれな成果をあげていることは間違いありません。
番組では、「弁護士となって3年目(だったかな?)に年収1億円」が注目点となっていました。
荒井弁護士は毎日深夜まで頑張っています。番組は、そんなに頑張って楽しいですか、と振ります。

私は2006年の上記記事の中で、『一つ危惧するといえば、民事訴訟は結局AさんからBさんにお金を移動するか否か、という争いであって、それ自体新たな価値を創出するものではありません。唯一、「新たな判例規範を創出する」という喜びがあるのみです。このような仕事に嫌気が差して、もっともっと社会派に転ずる、ということはあるかもしれません。』という感想を述べたのでした。

2007年4月には「荒井裕樹「プロの論理力」」を記事にしました。

その後、2008年6月です。突然升永英俊弁護士が、東京永和法律事務所を解散し、ご自身はTMI総合法律事務所にシニアパートナーとして合流したのです。それでは荒井弁護士はどうしたのか。それからしばらく、荒井弁護士の消息を知ることができませんでした。

このたび突然、『荒井裕樹の「破壊から始める日本再興」 』というネット記事が登場しました。
『2008年6月、年俸4億円超という訴訟弁護士の仕事を捨てて米国に留学。直後にリーマンショックが起きる世界的な金融・経済危機の震源地で、金融工学の本質を学ぶ。2010年5月ニューヨーク大学スターン経営大学院でMBA(経営修士号)を取得し、ブックフィールドキャピタル共同最高経営責任者に就任。』
『投資家を目指すのは、株主の立場で日本企業の経営に関わり、変革を迫るためだ。遠くない将来に、日本の基幹産業を活性化し、再び高度成長させたいと考えている。』

荒井弁護士は、民事訴訟の弁護士から、金融のプレーヤーに転進していたのでした。2008年6月に米国に留学したということは、升永弁護士が自身の法律事務所をたたんだ期日と一致しています。これは偶然とは思えません。荒井弁護士が退職したことを契機として、升永弁護士は事務所を閉じたのでしょうか。

荒井弁護士は一体何を考えているのか。第1回の記事『自分がバフェットになって、この国を変える~年俸4億円超の弁護士から投資家へ転身した“志士”の決意』から拾ってみます。
『私は2000年10月に訴訟弁護士になって以来、数多くの訴訟を手がけた。
・・・(中村修二氏の職務発明の対価を求めた裁判、UFJホールディングスと三菱東京フィナンシャル・グループの信託部門の統合交渉差し止めを求めた裁判、味の素の人工甘味料にかかわる職務発明の対価を巡る訴訟、日本の特許侵害訴訟史上で最高額の賠償金支払命令を勝ち取った訴訟について紹介。)
・・・
しかし弁護士になって7年半が過ぎた2008年6月、私はある決断に基づいて行動を起こした。所属する弁護士事務所を辞め、米ニューヨークのマンハッタンにあるビジネススクール、ニューヨーク大学スターン経営大学院に留学したのである。この時、31歳だった。
なぜこのような決断を下したのか。1つには、弁護士という仕事に対して限界を感じたことがあった。裁判所の判決に納得できないケースが相次いだ影響もあったが、「弁護士という職業では世界という舞台で戦うことはできない」と悟ったことが大きかった。
弁護士として生きてきた自分がこれから世界で戦えるフィールドはどこか。考え抜いた末に選んだのが、金融の世界だった。
経済のグローバル化に伴って、マネーが国境を越えて行き交う金融市場。そこでグローバルプレーヤーとして活躍している日本人はまだいない。それどころか、この国は投資マネーに翻弄され続けている。
「それならば、自分が最初のグローバルプレーヤーになって、日本を今の窮状から救い出してやる」。こう決意した。』

そうだったのですか。

私が2006年時点で感じた予感が、ある意味当たっていたような気がします。荒井弁護士の才能は、民事訴訟の弁護士の枠に収まりきれなかったのでしょう。
ただし私は、『一つ危惧するといえば、民事訴訟は結局AさんからBさんにお金を移動するか否か、という争いであって、それ自体新たな価値を創出するものではありません。唯一、「新たな判例規範を創出する」という喜びがあるのみです。このような仕事に嫌気が差して、もっともっと社会派に転ずる、ということはあるかもしれません。』と予測しましたが、社会派に転じたのではなく、金融マンに転じてしまったのですね。

確かに、「情熱大陸」や「プロの論理力」で垣間見た荒井氏は、社会派というよりも金融プレーヤーが似合っているような気もします。
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3 コメント

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堕落論 (フォン)
2010-11-15 11:29:49
僕も、いわゆる職業専門家と言われる職業についています。専門家の悪口で「専門バカ」という言い方がありますけれども、それで結構。ただ、一般に、専門的知見=職業倫理と思います。しかし、最近では、倫理は壊れ。既述の公式が正しいとすれば、専門的知見も壊れたと思います。
したがって、荒井弁護士は、いくら能力があっても、法曹界には馴染まなかったものと思います。
このHPには、本間雅晴元中将の情報を探しているうちにたどり着きました。
判然とした文章で、感じ入りました。
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荒井裕樹弁護士 (ボンゴレ)
2010-11-15 20:58:19
フォンさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

もちろん民事訴訟弁護士は尊敬されるべき職業であり、その職務の範囲内で正義を実現するという崇高な目的を有しています。
ただし、荒井裕樹弁護士ほどの能力と野心を持っている人の場合、やはりその職務の枠内には収まりきれないこともあるでしょう。

新しい分野でどのような活躍ができるかはご本人次第ですが。
返信する
フォン (Unknown)
2010-11-16 21:48:30
ご返事ありがとう存じました。

僕も当該番組は見ました。情熱大陸については、エンターテイメントとしてよくできた番組と思っており、つまり、実態とは別のものを移していると思ってみています。でも、とにかく、本人のパワーには、金額の多寡もあいまって圧倒されたのを覚えております。

「民事訴訟は結局AさんからBさんにお金を移動するか否か、という争いであって、それ自体新たな価値を創出するものではありません」

一時、ホリエモン騒動のとき、「本当の企業価値は何か」とか議論されたと思います。
マネーゲームも、結局は価値を創出していないのではないか、とする意見もあります。であれば、荒井氏は、新たな価値を創出する分野に船出をしたのではない、とも思いました。もっとも、「価値」についての定義は、考えたらきりがないような気もいたします。でも、現在価値会計、といった用語法に見られるように、価値=お金、という感じでしょうか。

一緒に働く若い弁護士(41歳)が「とにかく金持ちが尊敬される、というように、世の中、なっているんです」と、あるとき、言ったのを聞いて、悔し紛れに「清貧という言葉があるんだ。わざとドカタ仕事するほうがカッコいいと思われる時代もあったんだ」と返したのですが、説得力は自分でも驚くほどありませんでした。
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