弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

近藤道生氏と戦争体験

2009-04-16 19:25:13 | 歴史・社会
日経新聞「私の履歴書」は近藤道生氏のシリーズが続いています。
第1回が、近藤氏大学2年の時の真珠湾攻撃です(そのときのエピソードについてはこちらに紹介しました)。1942年に大学を繰り上げ卒業して大蔵省に入省したもののすぐに海軍短期現役士官として戦争にかり出され、1947年に復員するまでを主に南方で海軍士官として苦労されました。第1回から4月14日の第13回まで、近藤氏の戦争体験がずっとつずられます。そして次の日の第14回で、戦死した戦友たちに思いをはせます。

おそらく近藤氏にとって戦場で過ごしたこの6年間は、人生の中でもっとも重い体験だったのでしょう。

ウィキペディアによると、復員した近藤氏は大蔵省に復帰し、銀行局長を経て国税庁長官に就任します。そしてその後、1975年に博報堂の社長に迎えられ、博報堂の経営に貢献したようです。
私の履歴書における今後の展開が楽しみですが、近藤氏にとっては、戦場での体験が、それ以前以後の人生にも増して強く印象に残ったものと思われます。

近藤氏に限らず、死と隣り合わせの戦場を生き抜いて復員された方々が、戦後の日本復興と高度成長を支えたことは間違いないでしょう。あの戦場の労苦に比べれば、戦後焼け跡からの生活など苦労のうちに入らなかったと思われます。

私はもちろん戦後生まれですから、戦争中のことは書物で知るしかありません。現代の感覚で戦争中を評価しようとしてもそれはほとんど無意味です。
戦争中に日本国民が
・どのような生活を送り
・どのような情報に接し
・どのようなことを考えていたのか
という点について、できるかぎり生の姿に接したいと考えております。

その意味で、日経新聞の「私の履歴書」で描かれる戦時中の生の体験は、私にとって貴重な情報源となってきました。

近藤氏は1920年生まれということで、90歳が近いご高齢です。近藤氏と同じように将校として太平洋戦争を経験された方々は、おそらくそのほとんどがすでにお亡くなりになっていることでしょう。もうこれからは、このような体験を語ってくださる方もあまり出てこないだろうと推察されます。私の履歴書で近藤氏の戦争体験を記録に残されたことは、貴重な記録となりました。
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