大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2021年06月08日 | 写詩・写歌・写俳

<3430> 野鳥百態 (23)  エノキと野鳥

        

     良しにつけ 悪しきにつけ

    とにかく 生きものたちは

    都合によって 生きている

 『万葉集』にエノキとエノキに来る多くの野鳥を引き合いに出してままならぬ逢瀬の嘆きを詠んだ女の歌が見える。巻十六の「由縁ある雑歌」の部立の中の3872番の詠人未詳の「吾が門の榎の実もり喫(は)む百千鳥千鳥は来れど君そ来まさぬ」という歌である。「由縁」とは「作歌事情に縁起・因縁ともいうべき話のあるものの意」(『日本古典文学大系』)で、巻十六には詠人の事情による歌が集められていて、中には諧謔趣向の歌も含まれている。この歌は諧謔歌ではないが、作者には情けない思いの歌である。

 で、歌の意は「わが家の門口に繁るエノキの実を食べに来る鳥は色々と沢山やって来るけれども肝心のあなたさまはおいでにならない」となる。エノキは日当たりのよい適当な湿気のあるところに生えるニレ科の落葉高木で、よく枝分かれして樹冠は横に広がり、大きくなると高さが二十メートルに及び、夏によく葉が繁るので、その名はこの枝に由来すると一説にある。この歌に見えるエノキは自生でなく、植栽されたものであろう。

 雌雄同株で、花期は四、五月ごろ。実は花の後、五月の中旬には枝木いっぱいにつく。実は長い柄の先につき、直径5、6ミリ、球形の核果で、九月ごろ赤褐色に熟し、熟すと甘味が加わり食べられる。実は熟した後、小鳥たちに食べられる。食べられずに残れば、冬に至って黒く干乾びて皴が入り、堅くなる。この堅くなった黒い実をアトリ科のイカルやシメが好んで食べる。あの太い強靭な嘴でぴちぴちと音を立てながら砕くので、群れて食べると賑やかに聞こえる。

 ところで、エノキには実が熟さない五月中ごろから多くの小鳥たちが群れでやって来る。メジロ、シジュウカラ、ヤマガラ、エナガ、ときにはヒタキ科の仲間たち。みんな連れ立つようにやって来ては去って行く。中には幼鳥も混じり、楽しげに枝移りをし、実には一向興味を示さず、枝葉にいる青虫などを捕っている。虫は産みつけられた卵が孵った感。この光景を目撃し、上述の万葉歌が思い起こされた。

 エノキは夏の初めごろから多くの実をつけるが、小鳥たちは実が未熟なうちは見向きもしない。秋以降、実が成熟すとともに小鳥たちはその実に関心を抱く。そして、「榎(え)の実もり喫む」百千鳥の光景が見られるようになる。この光景は種子を運んでもらうエノキにとってありがたく、エノキと小鳥たちの持ちつ持たれつの間がらを示すもので、生の成り立ちの一端を示す。この光景をもってこの万葉歌は成立しているわけである。

 言わば、歌はエノキと百千鳥(小鳥たち)の幸せな充実した賑わいに反し、一向に姿を見せない逢いたい君への思いの丈である。秋という季節が淋しさを募らせるという思いの日々。つまり、この歌は秋から冬のころ詠まれた歌ということになる。それにしても、小鳥たちはみな健やかに枝移りしている。 写真は左から未熟なエノキの実に見向きもしないカワラヒワとヤマガラの幼鳥、青虫を捕まえて食べるヤマガラ(いずれも五月末)、堅く黒いエノキの実を啄むイカル(一月初旬)。

 


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