大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年05月30日 | 写詩・写歌・写俳

<999> 最近の殺人事件に思う

       人をして人を憎しみ人をして人を殺むる 人とは生まれ

 今日の大和は黄砂現象により盆地の平野部から周辺の青垣の山並が霞んでほとんど見えない状態が終日続いた。気温も上昇し真夏日ではなかったかと思われる。今日はこの話ではなく、最近、テレビや新聞をにぎわせている殺人事件について考えてみたいと思う。殺人と言えば、男性がやるものと思われて来たが、最近は男女を問わず殺人に関わっている。これはどういうことなのであろうか。女性も凶暴化しているということか。どちらにしても、この手の事件は世の中を殺伐とさせる。

 人は人ゆえに人を愛し、人を憎む。結果として、ときに人を殺めることも起きる。言わば、人はよかれ悪しかれ人に関わって生きている。否、生きなくてはならないようになっている。犬に噛まれても犬を憎むのではなく、犬の飼い主を憎む。そんなことで、と思う御仁もいるだろうが、ときにはそれが原因で殺人事件も起きる。

 その殺人を思い巡らせるに、人は自身の内にある人をして人を憎しみ、自身の内にある人をして人を殺めるということが思われる。これは、因果の果てというか、誇るべき人に生まれながらというか、その例をみるに、大概は犯人の動機が対人にあることが言える。

                                                           

  犯人は人に生まれず、鳥にでも生まれていたら、人を憎むこともなければ、人を殺めることもなかった。ゲーテは「人間こそ、人間にとって最も興味ある存在であり、恐らくは、また、人間だけが人間に興味を感じさせる存在であろう」(『ゲーテ格言集』高橋健二編訳)と言っている。何というか、事件はいつも人と人との関わりによって生まれるもので、みな哀れを含んでいる。

 もちろん、殺人は極端な現象であるが、その因果の端緒には私たちの日常におけるやりきれない腹立たしさのようなものが少なからず影響してあるのではないかと思われる。この腹立たしさのような感情は誰もが多少は経験するところであろう。で、この腹立たしさのような感情の上に極端な殺人事件も起きるのであって、ゲーテが言うように、人は人ゆえに人に関わり、その因を生むことが考えられる。

 この殺人で、最近、動機のよく理解出来ない事件が増える傾向にあるとされる。なぜ動機があるのに動機が理解出来ないのか。それは、一つに社会が複雑化し、社会自体がその動機について理解しようとしないか、理解したくないという意思を持っているかということで、現代社会がそういう傾向にあるからではないか。

  では、どうしてそういう風な状況になるのか。それは、事件の動機が社会自体に向けられているにもかかわらず、社会とは関係なく、事件が本人自身に起因し、その責はすべて本人にあるとする考えをもって処置しようとするからではないかということが考えられる。本人を異常な人格の特別者にしてそれをもって事件を終わりにするという処方意図がそこにはあることがうかがえる。

  例えば、最近の裁判で被疑者側がよく弁護に用いる手法がある。これを思い起こせばわかる。何かと言えば、犯人の精神的異常性を持ち出し、犯人を異常者(廃人)にしてしまい、ことの始末をつけようとする精神鑑定の傾向が著しいことである。思うに、殺人事件に及ぶような心理状況というのは、ほとんどの場合、尋常ではなく、その一瞬の精神状況は異常に違いない。言わば、異常であるから殺人が出来るということになる。

  これは、被疑者の動機が十分に解明出来ない第三者による裁きの限界を示すものであるとともに、被疑者を異常者(廃人)と決めつけることによって被疑者にとっての最悪の判決を免れる効果が得られるからで、弁護の一手法としてあるとともに、裁判全体の意識の底流に、社会そのものもが社会の病弊たる事件を認めたくないという心理に至り、無意識のうちに事件から逃避したいという意を働かせ、裁判に迫るからではないかということが思われる。

  つまり、事件が個人的事情、特異性に発したもので、社会とは無関係に起きたものであるとする構図の成り立ちを理屈の前提に事件を片付けたいとする意志が働くからだということが思われて来るのである。これは、いわゆる、裁判の妥協的光景で、すっきりしないこともある。裁判は妥協せざるを得ない舞台ではあるが、社会性から言って納得が行かないときもある。最近の事件に思うところつらつら。写真は黄砂現象の大和平野。後方の金剛葛城の山並は全く見えない。

    これやこの 人を憎むも自らの人をしてなす心と言はむ

    憎むこと 憤ること 妬むこと 人は人ゆゑに人に拘る

    人にして人を憎しみ 人にして人を殺むる 哀れの極み

    人ゆゑに人を殺むるその因果 人に生まれてとは人の声

    憎しみの果てと思へるまた殺し 曇天が引き鉄かも知れぬ

    殺めたるものと殺められしもの 二人の間の因縁因果

    人が人を殺めなくてはならぬとは 聞けば哀れな経緯なども

        事件にはいつも臭ひがつき纏ふ 人間臭といふその臭ひ

        事件にはいつも被疑者と被害者に加ふるところその傍観者

 


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