<3775> 余聞 余話 「夢想(2022年5月)」
大の字になりて乾坤一体の夢想こよなき緑の五月
最近のニュースに触れるところ、人間の英智は欲望に負け、英智の先鋒であるべき科学が真理に及べないまま十分に働かず、人間世界のそこここで悪戦苦闘しているように思えてならない。もちろん、科学の進展が人間世界を豊かにし、利便、快適、安心といった項目において進歩のバロメーターの数値を高め、その風景において一定の評価を得ている。これは間違いないところであろう。
しかし、その反面、欲望が英智の邪魔建てをし、我がもの顔に、その方途を妨げ、科学を私たちにとって正常でない方へ導き、そして傾斜させ、或るは私たちの生命をも脅かすという状況に至らしめている。例えば、核の問題がある。これなんかは典型例としてあげられるに違いない。
言うまでもなく、核兵器は先の対戦において使用され、その破壊力は証明済みで、二度と用いてはならないという教訓を示したが、人間の良心に基く英智は欲望の制御に及べず、核兵器の保有を許し、大国を中心に拡散して現在に至り、なお、核兵器を持ちたがっている国も見られるのが現状である。
もちろん、核の問題は一例に過ぎず、英智と欲望の葛藤の表面化は、諸相において見られ、私たちの意識にまで及んで、深刻化を示している。これもまた間違いないところで、地球温暖化や海洋汚染などの地球環境(自然)の異変、或いはその影響の広がりなども加えられる。
人間の限りない欲望、この欲望に引きずられ、私たちの精神の基にある英智、その先鋒でなくてはならない科学が、言わば人間の能力としての至らなさによって制御し難く、欲望の側に傾斜して、その影響による歪がいよいよ深刻化し、表面化するところまで来ているというのが、人間世界の諸相に見え隠れし、言わば、人類の課題として顕現して来たということである。
人間は目先きの欲望を叶えんとして夢中になり、夢中は決して悪いことではないが、夢中ゆえに科学の逆作用による難儀な状況に至るそうした問題点などには意識が行かず、目もくれないで突き進むといった仕儀に陥り傷口をより深くしているのが今日的と言えるように思える。この欲望優先の人間世界の趨勢に間違いないことは、すべてとは言わないまでも、そこここに認められると思う。
人間の英智、即ち精神力がいま少し深化すれば、欲望が適度に抑えられ、多少この状況に好転が見られるようになるだろう。だが、欲望は限りもあらず、したたかである。で、その難儀に気づいて人間の行ないを変えようと声を上げ、行動に出ている人々も広い世界には見られるようになって来たが、こうした難儀への対処は、緒に就いたばかりで、制止の利かない底の知れない欲望の強さによって妨げられ、一向に進まないというのが、人間世界の有りさまとして見えるように思える。
「人間というものは持った経験のないものは持たないでいても平気でいられるものです。けれども一度それが当然の権利として彼のもの――いいえ彼女のものと思い込み始めたときになって、それなしで暮らすのはひどく辛いものです」というウエブスターの『あしながおじさん』(松本恵子訳)の言葉が思い起こされる。情けないというか、不甲斐ないというか、一旦獲得した欲望を満たす暮らしを見直すということはなかなかもって難しく、出来ないということである。
ロシアのウクライナへの軍事侵攻を考えても、人間の英智が欲望に負け、英智の先鋒たる科学がその欲望によって不正に曲げられ、プーチン大統領の広言などをニュースで知るほどに考えさせられる。その発言には大量破壊兵器である核兵器の脅しと、使用されるのではないかという恐怖が纏う。核兵器が一旦用いられれば、十万或いは百万単位の死傷者を出す。
この核兵器を大量に保有しているプーチン大統領の独裁国ロシアがこの度のウクライナへの軍事侵攻で使用をほのめかし、脅しに用いた。大戦後、多くの国、殊に大国が保有する核兵器には英智による歯止めの「核抑止」という一致した考え方が定着していた。で、広島、長崎以後、核爆弾として実戦で用いられたことはない。これは人間の英智が欲望に勝る状況にある一つの証左と思えるが、ロシアのウクライナに対する暴挙の中において、プーチン大統領の野望は狂ったとしか思えない言動の中で、核兵器の使用をちらつかせたのである。
所謂、プーチン大統領のこの点における言葉は、核を有することによって戦争を抑止するという英智の方法論を台無しにするもので、核使用への可能性を限りなく高めたと言わざるを得ない。その脅しの限りない無気味さに世界は曝され、その独裁の野望(欲望)は英智の意志を衝き崩しにかかって来たのである。ということで、前置きが長くなったが、ここからが人間の英智に貢献すべき科学における我が夢想が展開するということになる。
漫画「ドラえもん」の四次元ポケットの発想ではないが、科学によって科学を制するで、人間の英智に従って核兵器を無用の長物にするというものである。現在の科学は核兵器を搭載したミサイルに対し、迎撃ミサイルによってこれを迎え撃ち、核兵器が飛行中に撃ち落とす、或いは、それをすり抜けさせて目的を果たすという能力の攻防が展開されている。そして、この攻防の展開は、まさに欲望の仕儀そのもので、いたちごっこのようにエスカレートして止むことがない。
私の夢想は、こんな無駄な費用と神経をすり減らす競争などせず、発想の転換を研究者に促すというものである。どういうことかと言えば、それは最も安心出来、それに加え、相手の脅威に及ぶ防衛システムの構築を成すということである。そのシステムとは如何なる核兵器を搭載した優れもののミサイルでも、その防衛システムによって国土の領域に入らせず、その寸前で感知し、感知したミサイルはその途端、核爆弾を搭載したまま、ブーメランのようにそのミサイルを飛ばした側にUターンさせ、撃ったところに戻し、そこで爆発を起こさせるというものである。
この防衛システムが行き届けば、核兵器を用いた攻撃国は自分の核兵器によって自分の国を攻めることになるので、どこに文句を言うことも出来ず、自業自得状態に至る。言ってみれば、この防衛システムが出来れば、核兵器は無用の長物なる。科学の限りない進展は、未来においてこのくらいのことはやれると思える。人間の英智がまともに働いて欲望を制御出来ることが先決ではあるが、わが夢想はドラえもんの四次元ポケットの発想に等しく、理想に基くところ、科学に期待するところである。 写真は核兵器の使用をちらつかせるプーチン大統領(中央・テレビの映像による)。
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