<3829> 余聞 余話 「 事 件 」
事件には昔も今も加害者に被害者加へ傍観者あり
以前、「事件にはいつも加害者被害者に加ふるところ傍観者あり」という歌を詠んだ。このほど奈良市において、安倍晋三元首相が参院選の応援演説中に四十一歳の男に襲われ、狙撃されて亡くなるという事件が起きて、大騒動になり、なお、尾を引いている。この事件が起きたとき、何故か、この歌を思い出し、冒頭の歌に及んだ。
こういう人間が絡む事件には必ず加害者がいて、その相対の被害者がいる。そして、加えるところ傍観者なるものがいる。事件におけるこの関係性、或いはこの図式は、昔に変わらず今も同じである。そう思えると同時に傍観者はネット社会の出現によって様変わりした。そうとも受け取れるところが見て取れる。
警察の警備の手薄、配置ミスなどもネット社会の傍観者たる当時の聴衆の各方面からの目撃記録が有無を言わさず、警察もその点を認めざるを得なかった。加えて、容疑者の動機が宗教団体への恨みで、安倍元首相に向かったことも明らかになっている。
これほど明快な事件はないが、その明快な事件の奥に潜む闇の深さは闇のままである。これからはその闇を解かねばならないのであろう。司法当局にしてもマスメディアにしてもそこのところの闇の解明がなされなければ、この単純とも思える事件の解決にはならず、社会の将来に尾を引くことになる。
とにかく、事件には如何なる形にせよ、そこには人が関わり、大小多少はあっても加害者と被害者が存在し、事件を取り巻く傍観者が存在するということで、安倍元首相の惨劇が思われることである。 写真は安倍元首相が撃たれ騒然となった奈良市の現場(テレビの映像による)。
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