Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

なんだかなぁ

2021年10月20日 | Weblog

テレビ朝日のニュースより。

「群馬県太田市。市の職員は、投票所で使う鉛筆を1本、1本、削っています。今回の衆院選では、感染防止対策として、投票に使った後の鉛筆を持ち帰ってもらうことにし、10万3000本を特注しました。しかし、投票日が予想よりも早まったため、20日からの期日前投票に間に合わなくなり、急きょ、抗ウイルス機能があるという鉛筆を1万本購入。それを、職員が仕事の合間に、1本ずつ削っているのです。」

これは、どんな意味の報道なのか?と思いました。

美談?慰労?

投票日が早まったから大変だろうがという政権批判?

いずれにせよ、きっと太田市には苦情が殺到して、

余計な仕事が増えるのではないかと心配されるところです。

コメントを見ても、

「短期バイトにやらせたら」「鉛筆ぐらい持ってこさせたら」「ペグシルにしたら」

コスト感覚を疑うコメントが盛りだくさん。

その通りだと思います。

ちなみにアマゾンで調べたら、

ペグシル10,000本で27,930円。

単価は約2,8円でした。

抗菌鉛筆は二本組しか見当たらなかったのですが、

2本で490円。

10,000本発注したら単価は落ちるとは思いますが、

ペグシルより相当高いと思います。

人件費は5~6人でやっていたようですから、

安く見積もって時給1,000円として1日で一人8,000円。

5人で40,000円。ペグシル20,000本買えそうです。

まぁ、仕事の合間に鉛筆削りという話ですから、

実態は不明ですが・・・。

こんなことやっている方も問題でしょうが、

これを報じるマスコミも、

もはや何が言いたいのか、

私にはよくわかりません。

無駄が多いのだと言うことだけはよくわかりました。

 

 

 

 

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父の故郷

2021年10月18日 | Weblog

2日間の研修で、

久しぶりに筑豊に泊まりました。

遠賀川が流れています。

ホテルの部屋から撮った朝の風景です。

亡父は子どもの頃、

この辺りでも過ごしたのだろうなと思うと、

なつかしいような気持ちになりました。

こうして命は受け継がれ、

人の世も受け継がれていくのだろうと思いました。

 

 

 

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読書の秋

2021年10月17日 | Weblog

秋でなくても読書は大切ですが、

今日、ふと思ったことは、

もっと沢山、本を読みたいなぁということです。

本とは出会いだと思っていますから、

私の興味がわいたときに、

目をつぶって買った本が沢山有ります。

その本たちを早く読みたいと思います。

しかし、必要に迫られての読書が、

当分はまだまだ続きそうです。

 

 

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同じ穴の狢

2021年10月14日 | Weblog

どんな人の声に対しても、耳を傾けていこうと思います。

人の好き嫌いで、その情報に耳を塞ぐ人がいます。

しかし、大切なことは、

その主張が論理的に正しいかどうかです。

誰が言っているのかではなく、

何を言っているかを判断しなければなりません。

また、人の考えは変化することもあります。

また、専門的に学んでいる人の考えは

大変示唆に富んでいます。

だから常に情報に対して

オープンマインドでいることが大切です。

見解が違おうとも、私如きの勉強量では、

太刀打ちできないような見識は、

学ぶに値するものだと思います。

だから、たとえ考えが対立する人であっても、

私は冷静に耳を傾けたいと思います。

テレビのワイドショーとネット程度の情報レベルで、

わかったようになった気になって物を言うのは

考えが浅く、恥ずかしいことだと思います。

しかし、多くの人は、それが自分のことだとは

夢にも思っていない。

そうして、世論は形成されていくのだろうと思います。

一国の政治のレベルは、その国の国民のレベルである。

至言です。

その浅さに対して無力な私も、

所詮は同じ穴の狢でしかありません。

 

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18歳以下に10万円相当給付

2021年10月12日 | Weblog

「18歳以下に10万円相当給付」というニュースに、

様々な修羅場が頭をかすめました。

親子の力関係で、

家庭内で争奪の修羅場が起こりそうですし、

「おい、誰のおかげで食っていけてるんだ。よこせ!」

とか、

子どもの給付金を父親と母親の

どちらがかっさらうかバトルとか、

色々な事態が頭をよぎりました。

学校でも喝上げなどが盛んになりそうです。

上納金を誰が一番集められるのか、

競争が起こるかもしれません。

また、判断力の無い子どもたちが大金を掴んだ時に、

一体、何に使うのかも興味深いところです。

賢い子どもたちも一定数はいますから、

大きな格差が生まれてきそうです。

自己投資に向かうか、刹那的消費に向かうか

といったところでしょうか。

給付方法もよくわからないので、

すべては杞憂だと思いますが、

大胆な政策につい妄想してみました(笑)。

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コロナとの共生

2021年10月11日 | Weblog

「コロナとの共生」という気持ち悪い言葉があります。

人類規模で生命の不思議を語る文脈での

「ウィルスとの共生」ならまだわかります。

それは人類のみならず、すべての生物の宿命だからです。

しかし、

「スペイン風邪との共生」「インフルエンザとの共生」

「SARSとの共生」「エイズとの共生」

という言葉に違和感があるように、

「コロナとの共生」も違和感があります。

そう言う場合には、「コロナウィルスとの共生だ」という

逃げ道は用意されているのでしょうが・・・。

それが政治家のスローガンになるというのが、

どうもよくわかりません。

 

スペイン風邪は終わっているというか、

そもそもインフルエンザウイルスH1N1の亜種だそうですし、

インフルエンザとは、厭でも共生し続けています。

SARSは毒性の強さにあっという間になくなりましたし、

エイズとの共生など苦しそうで辛そうで、

共生したいとも思えません。

 

一体、「コロナと共生しよう」とは、どういう料簡なのか、

私にはよくわからないのです。

本当に自分がコロナと共生したいのか。

子どもたちにコロナと共生させたいのか。

あるいは、

ウイルスの引き起こす病との共生だと言っているのか。

だったら「ガンとの共生社会を」とか、

「悪性腫瘍との共生を」

「糖尿病との共生を」というスローガンも

ありだと言うのでしょうか?

人間に災いや苦しみをもたらすものとの共生を語るのは、

私には違和感がありすぎて、

その言語感覚について行けません。

 

「コロナとの共生」など、収束してしまえば

意味の無い言葉になってしまいます。

また、コロナ禍が継続した場合でも、

瀕死の状態になって病院に行くと、

玄関に「コロナとの共生を」という

スローガンが掲げてあるなど、

どう考えても悪い冗談でしかありません。

 

 

 

 

 

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人間は考えた自分になる

2021年10月11日 | Weblog

「人間はそうそう無理のきく存在ではない」

と考えるのも自由ですし、

「人間はどこまでも無理のきく存在だ」

と考えるのも自由です。

一つ言えることは、

人間は自分が考えた自分に

近づいていくということです。

「協力的な仕事をするか」

「あまり協力的でない仕事をするか」

というのも、心の持ち方の問題です。

それは確実に周囲に伝わっていきますし、

自分の在り方生き方を正しく周囲に伝えていきます。

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じじいの使命

2021年10月11日 | Weblog

子どもたちがまた、小さい頃、柴犬を飼っていました。

あまり私は世話ができなかったけれど、

よくなついてくれていました。

子どもの頃から、ずっと家には犬が居ました。

子どもにとっても、良き遊び相手、良き友人でした。

若い頃には、犬を飼う時間も含め、

子育てにも時間が必要だったのだと思います。

必然的に、大した仕事は

できていなかったのだろうと思います。

多くの人に支えられていたから、

何とかなっていたのだと思います。

今、子どもたちは成人しています。

私も生物としての使命は終えたのだと思います。

これからは子どもたちや若い人たちのために、

寸暇を惜しんで力を注ごうと思います。

かつてそうしていただいた事へのご恩返しです。

捨て身になれるのは、じじいの特権かもしれません。

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昨日も、そして、今日もまた

2021年10月10日 | Weblog

昨日は熊本での充実した時間を過ごすことができました。

今日はバッカーズ九州寺子屋での

充実した時間を過ごすことができました。

人生は時間です。

一日一日を、充実したものにしていきたいと思います。

私は自分の人生の時計が止まる日を知ることはできません。

ただ、もう来年は還暦です。

このままアクセルを踏み続けるべきか、

そろそろブレーキの準備も必要なのか、

少しは、考えてみようかと思うこともあります。

しかし、どうもブレーキが見当たらないようです(笑)。

死して後已む。

ということかと思います。

 

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影響力

2021年10月07日 | Weblog

影響力が無ければ、

あまり意味は無いのかもしれません。

しかし、広く浅くが影響力なのか、

鋭く深くが影響力なのかはわかりません。

生きているうちに花開くこともあれば、

死んだ後に花開くこともあります。

どちらが影響力があるのかはわかりません。

私の目指している世界は、

やはり深さなのだと思います。

他人がどう思うかはわかりませんが、

とにかく真剣に学び、行動していくだけです。

力不足、能力不足を痛感しますから、

努力有るのみです。

 

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