プライベートについて書いたのですが、誤解を沢山招くと思っています。なぜなら、それは、62歳になった今の時点での私の考え方だからです。昔、子どもたちが、まだ小さかった頃には、勿論、そうはいきません。プライベートの時間が大切なものであることは言うまでもありません。
何かを語るときに難しいのは、人は、自分の経験と今の立ち位置からしか物を言えないということです。そこに誤解や行き違いが生まれます。発信する側も、受信する側も、自分の枠組みでしかものを見ることが出来ないからです。
歴史についても同様です。今の価値観で過去の人たちの言動を裁いてはいけないと思います。その時代には、その時代の社会状況と価値観があったからです。逆に、過去の価値観で今の人たちの言動を裁くことも難しいのだと思います。特にこの場合、過去と言っても、どこの時代に立脚するかで大きく判断基準は違ってきます。だから正確に議論することが大切になるのだと思います。
例えば、「男子厨房に入らず」という言葉が男尊女卑を示すかのように言われることがあります。しかし、信長の時代に日本に来たルイス・フロイスの日記を読むと、「男性しか厨房に立って料理をしなかった。これは、われわれヨーロッパ人とは逆である。」というような言葉が記されています。「日本は」「ヨーロッパは」というけれど、いつの時代を切り取って物を言っているかによって、物の見方は大きく異なるものだと思います。
だから、何が正しいかということもあるでしょうが、今の私たちにとって、「何が大切か」を考えて行くしかないように思います。そして、それは、いつの時代も利己的であってはならないものだと思います。