教養というものが軽んじられるようになってずいぶんと時が経ちました。大学の教養学部というものも消えてなくなってから久しくなりました。大学で学ぶ一般教養も、「パンキョウ(般教)」と言われる程度のものになり。教養のある人がずいぶん少なくなってしまったと思います。
教養の定義はなかなか難しいと思いますが、知識がその人の知性となり人格となるような学び方をしている人が、教養のある人ということになるのだと思います。いくらクイズに答えられるような知識がたくさんあろうとなかろうと、それがその人の品位品格を高める物になっていなければ、教養人として他人からの尊敬も得られないと思います。例えば、法的な知識がいくらあったとしても、法の網をかいくぐるようなことばかりしていれば、その人が、教養のある人として、人からの尊敬を集めることはないのだろうと思います。
「あの人は教養が無いよね」あるいは、「あの人は教養があるよね」と言われるのは、そこに何があるのかを改めて考えてみたいものです。