Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

コロナとの共生

2021年10月11日 | Weblog

「コロナとの共生」という気持ち悪い言葉があります。

人類規模で生命の不思議を語る文脈での

「ウィルスとの共生」ならまだわかります。

それは人類のみならず、すべての生物の宿命だからです。

しかし、

「スペイン風邪との共生」「インフルエンザとの共生」

「SARSとの共生」「エイズとの共生」

という言葉に違和感があるように、

「コロナとの共生」も違和感があります。

そう言う場合には、「コロナウィルスとの共生だ」という

逃げ道は用意されているのでしょうが・・・。

それが政治家のスローガンになるというのが、

どうもよくわかりません。

 

スペイン風邪は終わっているというか、

そもそもインフルエンザウイルスH1N1の亜種だそうですし、

インフルエンザとは、厭でも共生し続けています。

SARSは毒性の強さにあっという間になくなりましたし、

エイズとの共生など苦しそうで辛そうで、

共生したいとも思えません。

 

一体、「コロナと共生しよう」とは、どういう料簡なのか、

私にはよくわからないのです。

本当に自分がコロナと共生したいのか。

子どもたちにコロナと共生させたいのか。

あるいは、

ウイルスの引き起こす病との共生だと言っているのか。

だったら「ガンとの共生社会を」とか、

「悪性腫瘍との共生を」

「糖尿病との共生を」というスローガンも

ありだと言うのでしょうか?

人間に災いや苦しみをもたらすものとの共生を語るのは、

私には違和感がありすぎて、

その言語感覚について行けません。

 

「コロナとの共生」など、収束してしまえば

意味の無い言葉になってしまいます。

また、コロナ禍が継続した場合でも、

瀕死の状態になって病院に行くと、

玄関に「コロナとの共生を」という

スローガンが掲げてあるなど、

どう考えても悪い冗談でしかありません。

 

 

 

 

 

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人間は考えた自分になる

2021年10月11日 | Weblog

「人間はそうそう無理のきく存在ではない」

と考えるのも自由ですし、

「人間はどこまでも無理のきく存在だ」

と考えるのも自由です。

一つ言えることは、

人間は自分が考えた自分に

近づいていくということです。

「協力的な仕事をするか」

「あまり協力的でない仕事をするか」

というのも、心の持ち方の問題です。

それは確実に周囲に伝わっていきますし、

自分の在り方生き方を正しく周囲に伝えていきます。

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じじいの使命

2021年10月11日 | Weblog

子どもたちがまた、小さい頃、柴犬を飼っていました。

あまり私は世話ができなかったけれど、

よくなついてくれていました。

子どもの頃から、ずっと家には犬が居ました。

子どもにとっても、良き遊び相手、良き友人でした。

若い頃には、犬を飼う時間も含め、

子育てにも時間が必要だったのだと思います。

必然的に、大した仕事は

できていなかったのだろうと思います。

多くの人に支えられていたから、

何とかなっていたのだと思います。

今、子どもたちは成人しています。

私も生物としての使命は終えたのだと思います。

これからは子どもたちや若い人たちのために、

寸暇を惜しんで力を注ごうと思います。

かつてそうしていただいた事へのご恩返しです。

捨て身になれるのは、じじいの特権かもしれません。

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