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Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

先入主2

2011年11月02日 | Weblog
若者たちに日本の古典芸能の映像を見せると、
ある一定の割合で、必ず嘲笑めいた笑いが起きます。
そして、興味を示さず眠りにつく層もいます。

笑いは、
語りの節回しや、
鼓の音、笛の音、
その奏者の表情に反応して起きます。

その原因を考えたときに、
幾つかのことが考えられます。

①先人の生き様、死に様の壮大なドラマである歴史を
 自分とは関係ないものとしてしかとらえられなくなった。
 祖先との大きな断絶が生まれてしまった。

②語り、鼓、笛など日本の伝統的楽器に触れてこなかったため、
 ダサイもの、変なものとしてしかとらえられなくなった。

③栄枯盛衰、無常観などを感じ取る感性が失われ、
 目の前の享楽的価値にしか、
 楽しみを見いだせなくなってしまった。

④テレビのお笑い番組に見られる、
 刹那的な笑いこそが楽しいものであり、
 人生観や人間観を描いたものには心が反応しなくなった。 


私もこうした環境の中で育ってきた人間であり、
日本の伝統的芸能を楽しめるまでには、
随分、時間を必要とした一人ではあります。

しかし、最近、ふと、思うのです。

「他の国で、
自国の伝統芸能に触れたときに、
その国の子どもたちから、
嘲笑にも似た笑いが生まれるなどという国はあるのだろうか?」と。

これもまた、私たちの「先入主」として、
意識の中に何が入っているのかが、
大きく影響しているのだと思います。





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先入主

2011年11月01日 | Weblog
最近、「先入主」と言うことについて、
深く考えさせられます。

この言葉は、江戸時代の貝原益軒が、
『和俗童子訓』の中で繰り返し述べている言葉ですが、

要するに、
良いことでも悪いことでも、
先に頭に、また、心に入ったものが、
その人の価値観となってしまうということです。

だから、子どもの頃から、
良きもの、良き価値観にふれる努力をし、
善きものが先に入ってくるよう努力しなければならない。

現代では、あらゆるメディアが、
「先入主」になろうと手ぐすね引いて待っています。

テレビやインターネットの
くだらない娯楽番組などを通じて、
享楽的、退廃的、刹那的、功利的価値観が、
いたるところにばらまかれています。

偽物を本物と錯覚させる情報に充ち満ちています。

それらが先に入り込んでしまえば、
その強い刺激から逃れるのは容易ではありません。

人間は「習慣」の生き物ですから、
悪しき習慣(生活習慣も心の習慣も)が、
いったん心の中を支配すれば、

新しき習慣が
強い意志の力と不断の努力とによって、
その悪しき習慣に上書きされるその日までは、
その習慣に支配され続けなければなりません。

だから、子どもの頃の環境はとても大切なのです。

良き環境をつくるために、
子どもの周囲にいる大人たちの
不断の努力が、
今日ほど必要な時代はないだろうと思います。

いったん浅ましい先入主に支配されれば、
・くだらない笑いにしか反応できず、
・真善美といった不易の価値観には見向きもしなくなり、
・本能のままに、また、きわめて打算的に行動していく、
きわめて禽獣に近い人間となるでしょう。


それを何とか防ぎたいものだと思います。
どうやら、祈るような気持ちで戦い続けるしかないようです。

必敗の戦いを、戦い抜くしかない。
大げさでも何でもなく、そんな気持ちでいます。


















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信じること

2011年11月01日 | Weblog
バッカーズ寺子屋という学び舎で、
「志」を共に学んでくれた子どもたちが、
立派な若者に成長していることが、
次第に耳に入ってくるようになってきました。

次世代の社会の担い手を育成するという
私たちの祈りが、
少しずつ形になってきていることを
とても嬉しく思います。

どんな子どもでも、
私は必ず伸びていくと信じています。

学校で先生にいつも駄目だと叱られている子どもでも、
きっと大きく伸びていく。

私はそのことを心から信じています。

偏差値という尺度には、
必ずしもとらわれなくていいのです。

私は、いわゆる大学受験の勉強はたいしてできませんでした。
というか、面白いと思える教科は、国語ぐらいしかなかった…。

でも、それがよかったのだと今では心から思っています。

あの多感な時期に、受験勉強そっちのけで、
文学や哲学や音楽にどっぷり漬かれたことが、
また、試行錯誤して感性と思考を自分なりに鍛えてきたことが、

今になってみて、
私の中で、かけがえのない価値になっています。

「バカで良かった!(笑)」


でも、勉強が出来る人は、
しっかりやるのも大切です。

歩く道も価値観も人それぞれなのですから。

また、今の私には、勉強の大切さがよく見えています。

だから、自分を信じてお互い頑張りましょう!



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