自分たちの祖先のことを知ろうともしない若者たちのあふれる国に明るい未来があるとは思えません。
なぜなら感謝心や敬意など、人としての温かい心も、ふるさとや国という共同体を愛する心も育たないからです。
過去への感謝は未来への責任感を生み出します。
しかし、そんな過去を知るよりも、ゲームをしていた方が快適で楽しいことなのです。
戦闘ゲームで自分が無傷で相手を殺す快楽は知っていても、痛み傷つく苦しみを伴う生身の戦いについては知りたくもない。
かつては、色々な家に、軍服姿の凜々しい若者たちの遺影が飾られていました。そうした1枚の写真でも、色々な想像をかき立てられるものです。
しかし、コンピュータグラフィックスの表現に、様々な人生の背景や陰影はありません。
なんだか、もう、取り返しの付かないところまで、来てしまったような気もします。
少しは何とかしたいとも思いますが、無駄なことなのかもしれません。
情の繋がりと共にしか教えられぬ事、つまり、家庭でしか教えられぬ事を、私如きに肩代わりできるはずがないのですから。
ただ、虚しくても私は教育における戦いを続けると決めています。