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Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

どうでもいいけど

2022年11月07日 | Weblog

自分たちの祖先のことを知ろうともしない若者たちのあふれる国に明るい未来があるとは思えません。

なぜなら感謝心や敬意など、人としての温かい心も、ふるさとや国という共同体を愛する心も育たないからです。

過去への感謝は未来への責任感を生み出します。

しかし、そんな過去を知るよりも、ゲームをしていた方が快適で楽しいことなのです。

戦闘ゲームで自分が無傷で相手を殺す快楽は知っていても、痛み傷つく苦しみを伴う生身の戦いについては知りたくもない。

かつては、色々な家に、軍服姿の凜々しい若者たちの遺影が飾られていました。そうした1枚の写真でも、色々な想像をかき立てられるものです。

しかし、コンピュータグラフィックスの表現に、様々な人生の背景や陰影はありません。

なんだか、もう、取り返しの付かないところまで、来てしまったような気もします。

少しは何とかしたいとも思いますが、無駄なことなのかもしれません。

情の繋がりと共にしか教えられぬ事、つまり、家庭でしか教えられぬ事を、私如きに肩代わりできるはずがないのですから。

ただ、虚しくても私は教育における戦いを続けると決めています。

 

 

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仏作って魂入れず

2022年11月07日 | Weblog

教育は、イベントではないし、仕組みづくりでもありません。

「仏作って魂入れず」という言葉は、言い古された言葉ですが、仏像の如くに、有り難そうな、様々な教育のかちたと仕組みを作ってはいるけれども、そこに本当に魂を込めようするのは、中途半端なことでやれるものではないと感じています。

私は大した人間ではなく、大したこともやれてはいないので、偉そうなことは何一つ言えないのですが、それでも今、感じていることは、大局を見据えていない具体的教育実践も、大局しか見ずに眼前の子どもたちの心の動きを見ない教育も、どこか虚ろだということです。

人が人を育てるというのは、魂を込めて、血の通った交流を生み出すところからしか始まらないのだと私は思います。

人間が人間をデータとしてしか見られなくなった時代に、血の通った人間教育を目指せば、自ずと孤独な道を歩むことになります。

他人様から、「無駄が多い。徒労だ。」と思われるようなことを、厭わず愚直にやり続けるには覚悟が必要です。

ただし、教育への思いも、「正しい教育観の私が、間違った教育観のみんなをただしてやろう」などという傲慢な気持ちを少しでも持てば、瞬時に教育力は失われていくしかないものだと思います。

その怖さに私は敏感であり続けたいと思います。そして、それを怖れるが故に、学び続ける人間でありたいと思っています。

そのことで、私は、一人で、一歩一歩、道を踏みしめながら歩いて行くことになるのかもしれませんが、それもまた仕方のないことだと思います。

 

 

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