Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

関係のない世界

2022年11月17日 | Weblog

「こどもがまんなか」などという言葉が語られているのを耳にしました。

当たり前のように聞こえる言葉ですが、ことさら言葉として出してみると、実に寒々しい言葉だと思います。

教育は、大人自身の在り方、生き方の問題であり、自己変革という厳しさを持たなければ、教育がより良いものになるなどということはないと思います。

自分にも、子どもにも、教育の責任を持たなければならないと私は思います。

いったい「まんなか」とは何か。そこにどれほどの意味と価値があるのか、私にはよくわからないのです。

様々な人との繋がりが断絶された中でも、真ん中に位置すると言うことは出来ます。しかし、それが心のこもった教育なのか?

ひょっとしたら、大切だというニュアンスを真ん中と言い表しているのかもしれません。

お父さんがいて、子どもがいて、お母さんがいて、両親から手を繋がれたこどもが真ん中にいるという図はわかりやすいとは思います。しかし、複雑な家庭環境の中で育たなければならなかった子どもたちだって沢山います。

真ん中でなくとも、心から、子どもの心に寄り添った大人だっていらっしゃると思います。

私は、教育に於いて、互いに敬う心を持つことが大切だと思っています。

子どもは大人を敬い、大人もまた子どもを敬うことが大切なのです。

孔子は「犬馬に至るまで、皆能く養うこと在り。敬せずんば、何を以て別たんや。」と語っています。

これは「孝」について語った文脈ですが、「敬う」心がなければ、人間も犬馬と同じだというのです。

冒頭の言葉から、「敬」のニュアンスは感じられません。

まぁ、どうせ、私の考え方の方が少数であることはわかっています。

しかし、それでも、私は私が納得できる価値を追求して教育をしていくだけです。

粛々と、ただ、粛々と。

 

 

 

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