『ジャータカ物語』に「あわてうさぎ」という話があります。「地面が壊れる!」と身の危険を感じた一匹のウサギが「地面が壊れる!」と叫び、走り出します。何万匹ものウサギたちも走り出します。逃げるウサギの大群を見て、シカ、サイ、水牛、シマウマ、トラ、ゾウたちも、「何事か?」と尋ねては、一緒に走って逃げ出します。獣たちの列はとうとう10㎞にもなってしまいました。このままではみんな崖から海へ飛び込んでいってしまいます。
この時、丘の上からこの様子を見ていた菩薩の生まれ変わりのライオンが、ものすごい早さで駆けだし、みんなより先回りして大声でうなり声をあげて獣たちを制止します。
ライオンは「なぜこんな馬鹿なことをしているのだ」と怒鳴ると、「地面が壊れるところだからです!」とみんなは答えます。「では、誰が地面の壊れるのを見たのだね。」と尋ねると、「へえ、ゾウがそのことを知っています。」と言います。するとゾウは、「いえ、私たちは知りません。トラが知っています。」今度はトラが、「いいえ、シマウマが知っています。」だんだん聞いていくと、最後はウサギだということになり、ウサギの中でも、はじめの一匹だったことがわかりました。
そのウサギにライオンが問いただし、地面が壊れているという所に行ってみると、良く熟したパパイヤの実が落ちていました。ウサギは「地面が壊れたらどうなるんだろう」と妄想して不安になっていたところに、パパイヤの実が落ちてきたので、地面が壊れる音だと勘違いをし、あわてて走り出したのです。
獣たちは、戻ってきたライオンに、「原因がわかったよ。実はな。」と見てきたことを詳しく説明されて、ようやく安心して、それぞれ自分の家に帰っていきます。
「もし、この時、菩薩のライオンが助けてやらなかったら、獣たちはみんな海の中に駆け込んで、死んでしまった事でしょう。」という言葉でこの話は締めくくられています。
私たちは、高度に情報化された社会に生きています。しかし、昔に較べて本当のことをどれほど知り得ているのか、私にはわかりません。信じるに足る言葉がどこにあるのかもよくわかりません。
ロシア・ウクライナ情勢についても、新型コロナウイルスによるパンデミックにしても、そこで使われている写真が真実を伝えるものかどうかを検証する術はありませんし、見せられている映像の説明が真実かどうかを知る術もありません。
世界の抗しがたい潮流を見ていると、私たちは、あわてもののウサギに引きずられているのではないかと近頃よく思います。あわてもののウサギならまだかわいいものですが、悪意のあるウサギであれば困ったものだとも思います。そして、菩薩の生まれ変わりのライオンがいない時代の悲哀を感じます。
高度情報化社会で、私たちはいったい何を手に入れたのでしょうか。あわてうさぎに振り回された獣たちと、メディアやSNSに振り回される私たち現代人は、大して変わらないような気がしてなりません。そう思うのは愚鈍な私だけだと信じたいところです。