フィギュアスケートの羽生結弦選手が4位に終わりました。心から健闘を称えたいというのもおこがましいのですが、以下の記事を読んで感じたことを。
「「一生懸命頑張りました。正直、これ以上ないくらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないですけど」と(羽生選手は)時折、声を震わせながら強く言い切った。
ネット上では「無駄な努力とか言わないで」「そんな報われない努力じゃないよ」「自分を責めないで」「報われない努力、とか自分を貶めないで。あなたの向上心、表情に作り出す世界は誰も真似できない」と健闘した羽生にエールが相次いだ。」 (中日スポーツ)
私は、羽生選手の努力は報われなかったのだと思います。なぜなら金メダルを目指して懸命に努力を重ねてこられたからです。目指した地点に届かなければ、4位だろうと、銀メダルであろうと、やはり、本人にしてみれば、報われなかったと思うしかないのだと思います。
しかし、無駄な努力などあろうはずがありません。素晴らしい、価値ある、尊い努力だったのだと思いますし、心からの敬意を表します。
要は、「報われたかどうか」ということと、「無駄かどうか」ということは、大きく違うのだということを私は思います。
報われない努力、というか、努力が報われないことは、いくらだってあるのです。でも、それが無駄だとか、価値がなかったなどということは絶対にないのです。
ちょっとした言い回しの違いですが、両者は大きく異なっていると思います。
努力に対する意識の違いが、こうしたミスコミュニケーションを招くのだろうと感じました。