Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

道徳教育

2018年05月09日 | Weblog
かつて「英国公使館焼き討ち事件」がありました。

隊長は、高杉晋作。
副将は、久坂玄瑞。
火付け役は、井上馨、伊藤博文、寺島忠三郎
斬捨役には、山尾庸三ら。

今であれば、器物損壊や、放火や、傷害の罪で、
伊藤博文は、総理大臣になるどころの
話ではないでしょうし、
山尾庸三も、東大の工学部を作ることなど
できないでしょう。

これは道徳的には良いことなのでしょうか?
日本のためなら、火付けもOK!
と言って良いのでしょうか。

人は若気の至りで、若い頃には
色々な失敗をするものです。
道徳的に正しくないことだって、
いくらでもあります。

しかし、再起の道を断っては
いけないのだと思います。

若さ故の侠気や不品行も、
自己の内省に繋がったり、
胆力を養ったりしていきます。

後に大成したのは、
そうしたことがあったからなのかもしれません。

かくして、
私の道徳律の一つには、
人の過ちに寛容であるということが加わるのです。

マスコミを利用しながら、
相手を社会的に抹殺しようと、
足を引っ張り合うような社会が、

道徳的に健全な社会とは、
私には思えないのです。

そして、
そうした人たちの生き方の改善に、、
道徳の教科書が万能薬であるとも思えないのです。

国会中継では、
選良と呼ばれる大人たちが、

違う意見の人の話など聞かなくて良いし、
口汚く野次を飛ばしても良いし、
議長に詰め寄っても良いし、
テーマに沿って議論をしなくて良いし、
気にくわなければ、
欠席して議論しなくても良いのだということを
散々身を以て示しておきながら、

子供たちには道徳教育をと言える神経が、
私にはよく理解できないのです。

国民の代表たちがそうなのてすから、
後は推して知るべしでしょう。

それを道徳の教科書を教えたからと言って、
大人たちが改めるようになる気が
私にはしないのです。

そして、
自分ができもしないことを、
他人にだけやらせようとしてはいけない
という美意識が、

私の中で、道徳教育に
諸手を挙げて賛成することを妨げるのです。

道徳教育には賛成するものの、
そのやり方に賛成していないのだと、
このブログを書いていて
意識が整理されてきました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

泥中の蓮

2018年05月09日 | Weblog
泥中の蓮とは、
汚れた環境の中にいても、
それに染まらず、
清く正しく生きるさまのたとえですが、

泥に浸かっている部分を見れば、
人は、あぁ、汚い奴だと見るでしょうし、

水面に咲く美しい花を見れば、
美しい人よと褒め称えるのでしょう。

私は人間というのは、
そうした美しくはないところと、
美しいところとを併せ持った
存在ではないかと思います。

少なくとも私はそうです。

だから、道徳教育が大事だと
声高に言う資格などありませんし、
言うつもりもありません。

然りとて、
道徳教育が大事だと
声高に叫ぶ人たちを
非難するつもりもありません。

私は、私の言葉と行動を見て、
正しく生きてくれる人たちが
育ってくれたら良いなと願いますし、

まず、自分自身の言葉と行動を
正さなくてはと思います。

偉そうに言う資格など私には無いことを
よくわかっているからです。

それが、
私が道徳教育に批判的だと
思われている理由のようです。

しかし、
私と共に学んでくださっている子どもたちは、
誰よりも徳を修めているのではないかと思います。

大切なことは、
教科書で道徳を教えることではなく、

真に人徳のある人物を
涵養できるかどうかだと私は思います。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする