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Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

負荷をかけ続ける

2024年12月09日 | Weblog

私は東京と福岡の間を最低でも月2回は往復しています。それ以外にも全国各地に講演や研修にお邪魔することがあります。

キャリーバックはいつも20㎏を超えるので、手にはキャリーバックだこ?ができています。ゴルフもテニスも野球もしませんから、キャリーバック以外に手のひらにたこができるようなことは何一つしてはいません。

また、萩往還道を萩の涙松から山口市の瑠璃光寺五重塔まで約36㎞を1日で歩く研修を、最低でも年に5回はやっています。勿論、私も歩いています。

講演・研修のための準備や下調べなども沢山ありますから、「大変ですね」と声をかけていただくこともあます。しかし、体に負荷をかけ、頭に負荷をかけることで、私はまだまだ気力体力共に充実しています。有り難いことです。

もう62歳になりましたが、これからも日本の未来のためにやりたいことが沢山あります。毎日が楽しく充実しています。

できるだけ楽に楽にと思っていたら、筋肉も脳も衰えていたかもしれません。勿論、個人差があり、人それぞれの価値観で生きているわけですから、「かくあらねば」などというつもりは毛頭ありません。自分の好きなように生きていけば良いと思いますし、人間は自分の習慣とそこから身についた価値観を脱することはなかなか難しいことだと思うからです。

しかし、他人のために力を尽くすことが損をすることだなどとは、これっぽっちも思わない人間でありたいと思いますし、自分が楽をするためにどうしたら良いかなどと考えたり、無駄な時間でしかない陰口や他人の噂話などとは無縁の人間でありたいと思います。

その時間は何も生み出すことの出来ない時間だからです。

人生には限りがあります。どのような人生にするかは自分が決めるしかないと思います。今日の私は何をするのか?

YouTubeを見たり、ネットサーフィンをしたり、ゲームをしたり、居眠りをしたりして、だらだら過ごしていても、1日は過ぎていきます。それを楽ができて得をしたと思うのも良いかも知れません。

しかし、人生の中で得られる、他人からの信頼や尊敬や感謝や、自分の中での誇りや自尊心や忍耐力といったものは、ひとつも手にすることはできません。

それもまた自分で選んだことですから、それは仕方のないことだとは思います。

ただ、私は溶けていく日本を何とかしたいと思っています。日本という国の素晴らしさを、未来の子どもたちに遺したいと思います。

私に出来ることは、自分に負荷をかけ続け、自分の言葉に信念を宿らせることぐらいです。そして、尊敬する人たちから少しでも学ぶべきことを吸収し、ささやかであったとしても、世の中に発信していくことぐらいです。

一人でも共鳴して下さる方と出会えたら望外の喜びです。

他人を変えることなど私には出来ませんから、せめて自分だけは、自分の望む自分になるように鍛え続けたいと思います。

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読書の難しさ

2024年12月06日 | Weblog

読書の難しさは色々とあります。

まず、日頃から、読書嫌いの人に、良かれと思って本を勧めても、読みたくないものは頭に入りにくいということです。読書そのものが嫌いという人は、そうした機会でもなければ、そもそも本を読むこともないわけですが、勧めるべきか、勧めざるべきか。難しい問題です。

次に、読書が好きで多くの本を読んでいる、ということは良いのですが、そうした人は私も含めて、読む本の傾向が偏りがちだということです。人間は、聞きたいことを聞きたいように聞き、見たいことを見たいように見ることしかできない。とはよく言われることですが、偏りを避けるべきか、避けずに強みとするかは、人によって判断が異なり、これもまた難しい問題です。

結局、自分の判断に委ねるしかないと言ってしまえば、身も蓋もなくなるわけで、実に悩ましく思います。文部科学省やPTAも、子どもたちへの「推薦図書」などを決めているようですが、本当は、まず大人から推薦図書を決めて読むべきなのかも知れません。ただ、それをやると思想信条の自由に反するとか、押しつけられただとか、猛反発を喰らいそうな予感がします。

しかし、本を読みもしない大人たちが、偉そうに子どもたちにこれを読みなさいと言っても、通じないのではないかとも思います。だから、まずは自分がやってみせるというのが、教育の基本だと私は思います。

答えは出ませんが、とにかく悩ましい問題であることだけは確かなようです。

 

 

 

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世の中は公平

2024年12月05日 | Weblog

ちょっとしたことで、噓や誤魔化しはわかってしまうものです。自分ではうまく取り繕っていると思っても、それは無駄なことです。「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉の通りだと思います。だから、小さな嘘もつかないことです。それでは、信用という大きな財産を失ってしまうからです。そうした道理が分かるようになる人もいれば、分からぬままに人生を終える人もいると感じます。世の中は思いの外、実に公平なのだと思います。

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人財育成の本道

2024年12月04日 | Weblog

人財育成に関して、様々な研究や学説や言説があります。私はHow toの人財育成は好みません。なぜなら、人間というものは、そんなに単純なものではないと思っているからです。一時的に意識が向上して上手くいったとしても、それが継続しなければ、元に戻っていくだけでしょうし、カンフル注射のようなものでは、長続きしないと思います。

北大路魯山人の言葉の通り、「立派な人間は立派な仕事をする。下らない人間は下らない仕事をする。」というのが、「確定的」な事実だと思います。

精神修養というものは地道なものだと思います。また、教養を身につけていくことも一朝一夕ではできないものです。教養があり、人間として修養が積まれた人の言葉や表情や顔つきは、素晴らしいものになり、どんな場面でも、同じように人に接していくことが出来るものだと思います。スキルとして学んだものは、どこかでボロが出てしまうものだと思います。

本物のように振る舞うスキルを習得するのではなく、教養や修養を経た本物の人間にならなければ、意味がないと思います。実際に、過去の偉大な人物たちが、そのようなHow toの学びによってその位置に至ったことはあまりないだろうと思います。

「子曰く、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。」(孔子が言った。君子と言われる人物は、義=道理にかなった正しいこと に敏感であり、小人は利益に敏感である。)

「子曰く、君子はこれを己に求む。小人はこれを人に求む。」(孔子が言った。君子と言われる人物は、全てを自分に求め、自分を責めるが、小人は全てを他人に求め、責任を他人に求めるものだ。)

※君子=学問も道徳性も共に優れた人。※小人=学問はあるが道徳性のない人。

紀元前に孔子が語ったこの言葉を、2000年以上かけても身につけることが出来ないのが私たち人間の姿です。付け焼き刃のような教育でなんとかできるものではないと思います。

 

補記

萩駅舎で維新のリーダーたちの顔を拝見してきました。実に引き締まった、一身を賭して、国家を背負っていく気概にあふれた顔つきだと感じました。こうした顔つきのリーダーが、今の政治の世界にどれだけいるだろうかと思ってしまいました。

 

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親の心配・子の不安

2024年12月04日 | Weblog

親御さんが子どもを心配する気持ちはよくわかります。しかし、その心配が子どもの不安な心を生み出したり、その過保護が子どもの自立心を損なったりするということも、ままあることです。

叱ることや褒めることをもって、教育をしている気になりがちですが、褒めようが叱ろうが、それは手段であって目的ではありません。

いずれにしてもバランスと目的意識が大切で、自分は子どもに何を伝えたいのか。どうなってほしいのか。よくよく考えておかなければならないことだと思います。

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恵まれていることに気づく

2024年12月03日 | Weblog

富士山も自分の立っている位置からしか見ることはできません。

世の中もやはり自分の立っている位置からしか見ることは出来ないのだと思います。

正しいか正しくないかではなく、良いか悪いかでもなく、

ただ自分の立っている場所で、それぞれが力を尽くしていくしかないのだと思います。

批判をしたり、誹謗中傷したりしていても何も変わりはしないのです。

私は私の与えられた場での教育に全力を尽くします。ただ、それだけです。

一つ言えることは、学校の先生は、校舎があって、教科書があって、生徒が目の前にいてと、恵まれた環境にいます。

自分一人で世間を相手にして、「私が数学を教えます」「私が国語を教えます」と言って、

いったい何人の人が学びに来てくれるでしょうか。

教室を借りるのにも家賃、光熱費、コピー機リース代、コピー代、用紙代、様々な費用が必要となります。

また、机や椅子やホワイトボード、プロジェクター、パソコン、色々なものが必要です。

自分の給与やスタッフへの給与も支払う必要があります。

20人の生徒から、一人月額2万円を集めたとして、売上は40万円です。

教室の家賃が20万だとすれば、残りは20万円しかありません。

それでは経営としては成り立つはずもありません。

そもそもあなたの授業に月額2万円を払う価値を認めて下さる方がどれだけいらっしゃるのかです。

そうした経費がかからない(税金で賄われている)というだけで、学校の先生は大いに恵まれているのです。

だから、私も教員時代、もっと謙虚に、与えられた環境に感謝せねばならなかったと今は思えています。

本当に自分が教えたいこと、教えられることがないのに、

ただ、教科書通り教えることにどれほどの価値があったのだろうかと今は思います。

そんなことに疑問すら持たなかった自分でなくなって本当に良かったと思います。

 

 

 

 

 

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エクスプレッションアカデミー2024

2024年11月30日 | Weblog

エクスプレッションアカデミー2024in福岡 全4講座が終了しました。最終講座は満員御礼でお席がなくなってしまい、お断りした方には申し訳ありませんでした。

高校で現代文を教えていた生徒で、今は教師となっている方の参加もいただきました。

それを機に17年前のレポートを懐かしく読み返しましたが、当時から揺るぎなく「志の教育」を志向していたこと。そして、それが生徒たちにも良く伝わっていたことが改めて感じられました。

教育の成果と言うものは、直ぐには分からないものです。しかし、信念を持って全力で伝え続けなければならないのだと思います。それが10年、20年経って、伝わっていたと感じられることがあったら、それで良しとすべきなのだろうと思います。

 

 

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わかったこと

2024年11月27日 | Weblog

「教育を良くする」というと「子どもたちを良くする」と思うことが多いと思います。

しかし、そうではありません。

「子どもに影響を与えている自分(大人)自身が良くなる、立派な人間になる」ということ以外には、教育を良くする方法などないのです。

自分自身が、子どもや親や多くの人たちに、良き影響を与えられるよう、自分自身を磨き、その結果、自分の言葉と行動が教育と呼ばれるに足るものになり得るかどうか。それだけなのです。

「教育が良くない」ということは、自分自身の生き方や考え方が未熟であるのだと、大人が我が身を省みるべきだったのです。

学び精進すべきは、子どもでは無く、親であり教師であり、全ての大人たちだったのです。

私にも、ようやく、そんな当たり前のことが分かるようになってきました。

そのためには、広く、深く学ばなければならないということも分かってきました。

虚心に学び続けるだけです。

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エクスプレッションアカデミー福岡

2024年11月27日 | Weblog

明後日は福岡でのエクスプレッションアカデミー最終講座。

今年は「教育において大切なこと」をテーマに全4回で話をさせていただきました。家庭教育にも、学校教育にも、社員教育にも大切なことです。

第1講座のテーマは「志」、特別講座は、 鹿児島への宿泊研修、第2講座は「教養」、第3講座は「修養」、そして、今週の第4講座が「仁と感謝」です。

私自身、話をさせていただくにあたって沢山の気づきと学びがありました。久しぶりに、亡くなった渡部昇一先生の謦咳に接し(残念ながらCDですが)、懐かしいお声を聴きつつ、新渡戸稲造や幸田露伴、その他の先人に学ばせていただきました。

もっともっと私も学びを深めなくてはならないと思いました。そして、吉田松陰の言葉が思い起こされました。

「而して近時に至り師道益々廃す。
 余因って其の源を洞察し、亦一説を得たり。
 大抵師を取ること易く、
 師を撰ぶこと審かならず。
 故に師道軽し。

 故に師道を興さんとならば
 妄りに人の師となるべからず。
 又妄りに人を師とすべからず。
 必ず真に教ふべきことありて師となり、
 真に学ぶべきことありて師とすべし。」

         吉田松陰「講孟箚記」

言行一致を旨として頑張りたいと思います。

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寺子屋講座

2024年11月23日 | Weblog

今日は小郡寺子屋志学舎の講座でした。前回のスピーチコンテストを経て、みなさん一回り大きく成長した感じを受けました。楽しく、活気のある学び舎、一人一人が尊重され、自由で伸び伸びと学ぶことが出来る場に、また一歩近づいたように思います。

明日はバッカーズ寺子屋の講座です。今から東京に飛びます。こちらは、出雲(出雲大社)、松江(小泉八雲記念館)、安来(足立美術館)を巡る1泊2日の合宿の事前研修の講座です。話したいことが沢山あります。

明日は、日本の自然、歴史、文化、伝統、そうしたものを渾然一体として感じ取ることの出来る、そんな学びの1日を創り上げていきたいと思います。

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