洪水警報
2017-07-05 | 災害
当町に洪水警戒警報が出たのは、昭和51年9月の台風17号による豪雨以来ではないでしょうか。安八豪雨と言われ、木曽川が決壊し多くの家が浸水。この頃神戸にいたのですが、全国ニュースで報道されました。昨日は台風3号の影響で当町にも警報が出ました。しかし、我が地区だけ堤防沿いあるため町全体が浸水しても影響はありません。昨日はテレビのテロップに避難警告が流れたため、友人からスマホに見舞いの言葉が届きました。友人にはお礼の言葉とともに、昭和51年の話をしました。この時は隣の地区が浸水。炊き出しをしたと聞いています。
昨日の警報は境川の増水。境川は岐阜に因縁のある川。安土桃山時代の天正14年(1586年)の洪水まではこの川が県境でした。このころまで我が家は愛知県側。当町は岐阜と愛知の境界の中。大洪水のため木曽川の流れが変わってしまいました。今の境川がかつては木曽川の本流だったのです。
岐阜に帰郷した25年前、全町民にアンケートがありました。昭和51年にどういう被害に遭ったか、という内容で、調査したのは群馬大学。なぜ群馬? その謎は、後日テレビで分かりました。2012.12.2-3に書いていますが、「釜石の奇跡」に関係があります。釜石を救った片田先生が群馬大学に在籍されていました。写真は、昨日頂いた橿原神宮のハンカチと初生りのスイカ。ハンカチは、和紙30%木綿70%で交織されています。写真に写っているテーブルセンターは、餞別に友人から頂いた戸塚刺繍。26年前のもの。白い布に白い糸で刺繍されています。橿原神宮へは35年くらい前に参詣。とても格式高い神宮でした。
和紙を織り込んたハンカチ
橿原神宮の格式が高いのは、祭神が「神武天皇・姫
蹈鞴五十鈴媛皇后」で官幣大社に列せられていまた。
神武天皇は皇孫・瓊瓊杵尊より四代目にあたり、第
一代天皇の位につかれました。
明治23年3月橿原神宮の社号が宣下されて官幣大
社に列せられ、同4月勅使参向のもとご鎮座際行わ
れました。
この際に明治天皇は、京都御所の賢所と神嘉殿を
下賜されました。
現在の橿原神宮は、昭和15年の紀元2600年記念
大祭斎行の記念事業として、境域約15万坪に及ぶ
整備拡張事業が行われ、全国から延べ120万人が
勤労奉仕に従事し、8万本もの樹木が献木されたと
記録されていて、全国各地の珍しい樹木もあります。
その前に、奈良だよりのお礼を言わねば
なりません。いつもありがとうございます。
橿原神宮はあまりにも昔に行きましたので
祭神は忘れています。
全国から献木されていることも知りませんでした。
もう一度行ってみたいです。
遷都1300年祭以来まだ行っていません。
このハンカチは何の記念かは知らずに頂きました。