
昨日は、讀賣テレビ特別解説委員・岩田公雄氏の講演会があり、Gさんに誘われ岐阜市内のホテルに出かけました。テーマは、報道の現場からー取材のウラ側。今話題の北朝鮮のこと、ミャンマーのスー・チーさんの軟禁時代に個人的に取材されたことなど興味深い内容でした。
40歳のとき、1989年6月の天安門事件の取材をし、目の前で銃が発砲され、命を落とす寸前の恐怖を体験。その後度々危険な状況に遭遇し、死を覚悟されていたそうです。何万人も殺害されたその事件の翌年、私は中国を呑気に観光旅行し、そのすさまじさを知らずにいました。天安門事件の当事者の写真の中に、ノーベル平和賞を受賞しながら出席を許されなかった劉氏も写っているそうです。
ルワンダの虐殺後も取材され、そのむごさに息をのまれたそうです。そのスライドもありましたが、割愛します。ツチ族とフン族の争いについては、2010.3.7と、2010.4.16 に書いています。ところが今、ルワンダは奇跡的に立ち直っているそうです。それを聞いて救われた思いがしました。
北朝鮮にも取材に行かれ、恐怖の体験をされました。小泉首相のおかげて拉致した人が一部解放されましたが、岩田氏は10年も前にそのことを聞きだしておられました。それを聞いてしまった後、殺されるかという恐怖があったとか・・・大韓航空を爆破させた金賢姫に日本語を教えていた人が、拉致された田口さんだったようです。拉致被害者の蓮池さんは友人だそうです。
イスラエルは、2000年以上前から戦闘状態です。下のスライドに地図がありますが、どの国も境界線を譲らず、二言目には、ダビデ、サウル王の時代から我が国の領土だと言い続けています。


北朝鮮側からの38度線

エルサレムの区分け

ユダヤ教 嘆きの壁

聖墳墓教会 後ろ姿は岩田氏

スー・チーさんを取材
40歳のとき、1989年6月の天安門事件の取材をし、目の前で銃が発砲され、命を落とす寸前の恐怖を体験。その後度々危険な状況に遭遇し、死を覚悟されていたそうです。何万人も殺害されたその事件の翌年、私は中国を呑気に観光旅行し、そのすさまじさを知らずにいました。天安門事件の当事者の写真の中に、ノーベル平和賞を受賞しながら出席を許されなかった劉氏も写っているそうです。
ルワンダの虐殺後も取材され、そのむごさに息をのまれたそうです。そのスライドもありましたが、割愛します。ツチ族とフン族の争いについては、2010.3.7と、2010.4.16 に書いています。ところが今、ルワンダは奇跡的に立ち直っているそうです。それを聞いて救われた思いがしました。
北朝鮮にも取材に行かれ、恐怖の体験をされました。小泉首相のおかげて拉致した人が一部解放されましたが、岩田氏は10年も前にそのことを聞きだしておられました。それを聞いてしまった後、殺されるかという恐怖があったとか・・・大韓航空を爆破させた金賢姫に日本語を教えていた人が、拉致された田口さんだったようです。拉致被害者の蓮池さんは友人だそうです。
イスラエルは、2000年以上前から戦闘状態です。下のスライドに地図がありますが、どの国も境界線を譲らず、二言目には、ダビデ、サウル王の時代から我が国の領土だと言い続けています。


北朝鮮側からの38度線

エルサレムの区分け

ユダヤ教 嘆きの壁

聖墳墓教会 後ろ姿は岩田氏

スー・チーさんを取材
そんな中死を覚悟して取材に当たる取材人の貴重な体験談です。
天安門事件やルワンダ、北朝鮮までとは驚きました。
今は特別解説委員として活躍されていらっしゃるとは。
ところで岐阜と関係ある方なのですか?
報道に携わる人々は、時として危険極まりないところへも行かねばならないでしょうし、仕事とはいえ貴重な体験もされてきたのでしょう。
新聞や報道では知りえないことまで、知っているのでしょうね。取材された内容によっては、公表すべきでないと判断されたこともあったように思います。
スー・チーさん、今来日中ですね。ナイスタイミングの話題です。
いるので省略しました。
彼のモットーは、生涯現役であることです。
岐阜とは縁はありませんが、讀賣新聞を購読している
Gさんが、東京まで申し込んでくれました。
世界中をかけめぐり、阪大で講師もされているので
岐阜へ来られることは何でもないのでしょう。
おかげで訂正することが出来ました。
ありがとうございます。
岩田氏は、「取材の裏側」という著書もあります。
来場者から20人くじで当たった人は本を贈呈
されました。