つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

南京事件

2024-06-13 | Weblog
林建良氏のメルマガより

12月13日、中国では
南京事件86周年の追悼式典が行われ、
式典中には「30万人の同胞が殺された」と
旧日本軍を批判する言葉があがりました。

「南京事件」とは、歴史の教科書だと
1937年に数日の間で30万人の中国人が
虐殺された事件として取り上げられており、

中国には「南京大虐殺記念館」まで
建てられています。

しかし、ここで不可解なことがあります。

中国側は、30万人もの大規模な虐殺が
行われたと主張していますが、
遺骨は見つかっていないのです。

それどころか、
事件のあったとされる時期の前後で
南京の人口は増加していました。

実際、林先生に言わせれば
南京事件そのものが
実在しなかった事件なのですが、

そもそも南京事件とは
どこから出てきたのでしょうか?

本当の戦前の日本人の姿は
どのようなものだったのでしょうか?

台湾出身で、
日本と中国の歴史や文化をよく知る
林建良 (りん けんりょう) 先生に本当の歴史を
解説していただきました。

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From: 林建良 台湾独立建国聯盟・日本本部委員長

南京事件が広まったワケ

中国人は、すり替えが得意です。

自分たちのやったことを
中国人以外の人間がやったようにすり替えるのです。

南京事件も同じで、
中国の言い分としては

1937年12月に日本軍が南京を占領して、
2ヶ月間にわたる虐殺や強姦、放火を
はたらいたと主張しています。

日本人がいかに中国人に残虐なことをしたか
詳細に事実として記録し、教育してきました。

しかし、南京事件は嘘で、
単に中国兵がやったことが
さも日本兵がやったかのように
すり替えられているのです。

南京事件の5ヶ月前、
北京で中国兵が日本人を虐殺する
通州事件が起こりました。

南京事件での日本兵の残虐行為として
中国が記録している内容は、
通州事件で中国兵がやったことと全く同じ。

中国人の考えでは、
「自分たちが(残虐行為を)やっているから、
 相手もやっているに違いない」
と考えて、

あたかも南京虐殺が真実であるかのように
事細かな残虐行為の描写をしてきました。

しかし、あくまでこれは
中国が自身の悪事を日本人の悪行にすり替えただけで、

中国人自らが残虐行為をしているからこそ、
事細かに残虐行為の数々を羅列できるのです。

日本兵と一番長く付き合った台湾の証言
 戦前の日本人の本当の姿とは?

では、本来の日本兵はどんな姿だったのでしょうか?

それは、日本統治を最も長く
経験した台湾を見ればわかります。

終戦時に台湾にいた日本兵の数は
およそ20万人。
当時の台湾人の数は600万。

台湾人ほど日本兵を知る人間はいないでしょう。

2014年、「KANO 1931 海の向こうの甲子園」
という映画が台湾で公開されました。

これは、戦前に甲子園で準優勝した
嘉義 (かぎ) 農林学校の選手と
日本人監督の奮闘を描いた映画で、
大ヒットしました。

冒頭、
日本兵が台湾人と一緒に
列車に乗っているシーンから
映画は始まります。

台湾人から見れば
日本兵は頼りになる優しい存在だったのです。

この映画の監督もプロデューサーも
戦後生まれの人なので、

この映画内の日本人の姿は
純粋な台湾人から見た、
代々受け継がれた日本人の姿だと言えるでしょう。

中国にとって、過去の歴史解釈とは、
自分たちの都合のいいように
白黒すり替えることが可能なもの。

このような
中国が作り上げた歴史に
騙されてはいけません。

ぜひ、騙されてきた「歴史」や「真実」と
呼ばれているものの中に
どれほど中国によって作られた虚像があるか
確かめてみていただきたい。

それがなければ、日本民族は
残虐で悪い民族だと
後世に伝えられてしまいます。

僕はこれを見るたびに
残念で仕方ありません。

写真は、今は咲き終わったナンジャモンジヤ(ヒトツバタゴ)



コメント (2)
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