つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

米兵はなぜ裁かれなかったのか?

2023-12-24 | Weblog
田母神氏のメルマガより

「ママサン、ダイジョウブ」

拙い日本語で
農婦を手招きする米兵。

農婦は群馬県の米軍演習地で
空のやっきょうを拾っていた。

それらを換金して、
生活の足しにするためである。

声を掛けられた農婦が、
ふと米兵の方を見ると、
彼は大量のやっきょうを
足元にばら撒いていた…

農婦が米兵たちの元へと
徐々に近づき、お互いの距離が
約10mに差し掛かった時、

突如として
米兵が声を荒げたのである。

「GET OUT HERE !
 (あっちに行け!)」

その直後、鋭い銃声が
まるで雷のように空を裂いた。

そして、農婦はその場にどっと倒れ、
ピクリとも動かない。

そう、米兵が銃弾を発砲し、
打たれた農婦は即死となったのだ…

これは、1957年に起きた、
米兵が農婦を射殺するという、
悲惨な事件…

犯人である米兵の名前から
「ジラード事件」と呼ばれ、
日本中が騒然としました。

もちろん、日本で裁判が開かれ、
犯人は然るべき"法の裁き"を受けると
世間は思っていたのですが…

なんと、裁判の手続き開始前に
米軍が"ある声明"を発表。

それは、
「これは、ジラード氏が"公務中"に
 起こした事件であるため、
 アメリカで裁判を行う」

という内容でした。

つまり、この事件の裁判権は
「アメリカ」にあるという主張です。

これを聞いた日本の世論は
もちろん激昂します。

「遊び半分で人を殺しておいて、
 何が公務中だ」

「アメリカで裁判を行ったら、
 事件が"うやむや"に
 されるのではないか?」

日本政府もアメリカに抗議した結果、
何とか日本で裁判を行えることに…

その結果は、
「懲役3年・執行猶予4年の有罪判決」

しかし、この裁判には、
どうしても腑に落ちない点が
残されていました。

なんと、殺人罪ではなく
傷害致死罪で起訴されたのです。

一体なぜ、米兵は狙って農婦を
撃ち殺したにもかかわらず、
殺人罪に問われなかったのか…

この謎を紐解くカギは、
日本を操る"影の政府"が
握っていました。

「ジラードを殺人罪ではなく、
 傷害致死罪で起訴すること」

「日本側は、訴訟代理人を通じて、
 日本の裁判所が判決を可能なかぎり
 軽くするように勧告すること」

アメリカの極秘文書を元に
"影の政府"に関して書かれた
「秘密のファイル」(春名幹男 作)では、
このように記されています。

つまり、日米間で
"非公開の協議"が行われ、
犯人の罪が異常なほど軽くなった
ということでしょう。

"影の政府"とは
一体どんな組織なのか…

そして、私たちの生活を
どのように支配しているのか…

写真は最近買い求めたシクラメン 背景は友人が私の短歌作品を墨書してくれたもの


コメント (4)
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