つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

我々の生き方と 「論語」「墨子」「荘子」

2009-07-15 | 歴史
 頭記のテーマで放送大学主催の講演会がありました。講師は岐阜大学教授の安東先生。専門は中国哲学。教育学部の学生に、教師としてあるべき姿も指導されているようです。この学問に入られて、お祖母さまの生活観と一致したということが分かったそうです。

 論語は、孔子とその弟子の言語録で、「忠」「恕」「仁」に貫かれていることはよく知られています。

 礼記の典礼篇は、こまごまとして日常のことが記されています。道の真中を大手をふって歩くなとか、正視せず横目で見るなとか、座敷に上がるときの靴の脱ぎ方から食事の作法までこまごまと書かれています。お祖母さまは全て守られていたとか・・・

 墨子は、秦の始皇帝の時代に何故か消され、清に復帰。長い間闇の中に消されていたために完全には残っていないそうです。しかし、なかなか見逃せない項目もあります。「大国が弱小国を攻める侵略戦争は殺人罪の延長」と捉えられています。これは権力者に都合が悪いので長い間、闇に消されていたのでしょう。

 荘子の逍遥遊篇に、「みそさざいは深い森に巣をかけるが、巣をかける枝は一枝で足りる。どぶねずみは大河の水を飲むが腹一杯あればそれで充分」があります。これは、堯から天下を譲られようとした許由が拒絶した言葉です。
 2400年前の思想が、まだ生きているということは素晴らしいことです。
コメント (3)
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