つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

山田耕筰の世界

2004-08-25 | 文化
 岐阜市の音楽ホールで山田耕筰コンサートがありました。くるる主催の昨年の宮澤賢治コンサートが好評だったため、満席でした。
 構成、伴奏、川口耕平氏(千葉大学名誉教授)、ソプラノ、川口氏の実妹、渡部千枝さん(名古屋音大講師)、テノール、日本シューベルト協会国際歌曲コンクール1位、北村敏則氏という豪華メンバーでした。北村氏はペーターシュライヤーの再来とか・・・ちなみに筆者は20年ほど前姫路市でのペーターシュライヤー独唱会に行ったことがあります。なお「語り」は数々の芸術賞に輝く、舞台女優のたかべしげこさんでした。
 山田耕筰は恵まれた環境に育った上、姉婿の外人宣教師に、西洋音楽の基礎を学び、今の東京芸大に入学、1910年にはベルリンに留学、50歳で、レジオンドヌール受賞、弟子の育成にも長けていて、團伊玖磨氏などが目立ちます。50歳ころ毛髪が薄くなったため、せめて名前の文字にケをつけようと、作を筰に変えられたことは余りにも有名です。
 プログラムは童謡の他に、歌曲、録音ですが、日本人が始めて作った交響詩「曼荼羅」も披露されました。ドビュッシーとストラビンスキーの影響が感じられます。
 鎮魂の月8月らしく、長崎の鐘の作者、永井隆博士の歌に曲をつけられた、「播祭の」も唄われました。
 最後は山田耕筰の親友であったという三木露風が作詩した「あかとんぼ」を我々聴衆も一緒に唄いました。余談ですが、三木露風の生地、兵庫県龍野市では、毎日午後5時になると、この歌がミュージックサイレンにのって町中に流れます。
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