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つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

公民館短歌会 63

2011-03-19 | 災害
 昨日の歌会は、大震災の話題に始まり、短歌作品も震災、津波に関するものが数多く見られました。いろいろな方面からのお話を聞くことは有益です。Hさんの弟さんは仙台におられたのですが、大地震のしばらく前から何度も揺れたそうです。あまりにも頻繁でニュースにならなかったようですが・・・弟さんは大地震からは免れられたそうです。
 とすると、我々の最も気になる東海地震も予兆があるということなのでしょうか。

 公民館にも震災募金箱がありましたので、協力しました。近くのコンピニにも設置してありましたのでこちらも・・・写真は昨日の雪の仙台上空より。(ネットより)
 昨日で、死者6539人となり、阪神震災の犠牲者(6434人) を超え、戦後最悪となりました。行方不明を入れると、16893人。

昨日の一首

地震後のすさまじき津波見つめゐる陸をのみこむ海の逆襲   Mさん
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震災一週間

2011-03-18 | 災害

 大震災から一週間たちました。終日震災の暗いニュースで、さらに原発のトラブルが追い打ちをかけています。この一週間、毎日、海外のメディアを中心にupしていた夫の姪(zooeyさん)のブログが勇気を与えられるものであり、もっと早く伝えたかったのですが、身内を褒めるのもどうかと思い遅くなりました。(リンクしています)
 海外からの励ましと賞賛の言葉も伝えたくて・・・下は彼女の3/12の記事からです。写真も彼女のブログから。

 世界中から届いた日本への「祈り」のメッセージ

http://karapaia.livedoor.biz/archives/51984086.html

 
(彼女は子供の頃から、向上心が強く、グローバルです。)


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激震地より

2011-03-17 | 災害
 地震以来気になっていた激震地に住むペンフレンドとようやく連絡がとれました。震度7に襲われた宮城県栗原市。そこに住むHさんと知り合ったのは、もう35年も前。書道機関紙の紙面上でした。

 とにかくご一家が無事でしたので一安心です。数年前の岩手宮城内陸部地震で家を損傷され、新築されていたため、今回は被害はなかったようです。
 ようやく、電気も水道も復活してほっとされていました。今、宅配業者も被災地への荷物は断るのですが、念のために必要な物資を聞きましたら、「ガソリン」という返事。電話をかけても胸がつまってしまいました。津波の影響のない内陸部であり、新築で多分大丈夫と思いながらも心配だったので・・・励ましの電話を喜んで下さいました。(写真はネットより。震度の色分け図。最強の緑色の部分が栗原市)
 19年前、東京にいた時に東北旅行をした折、一度お目にかかりました。厳美渓?に案内下さったのです。

 昨日は、地元老人会で地震の義捐金の集金をして来ました。担当地区の皆さんは好意的に出して下さいました。
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津波のトラウマ

2011-03-15 | 災害
 昨日の英会話は、スリランカのEranga先生の体験も交えて、自然と地震の話になりました。今、日本へ世界中から救援の手が差し伸べられていますが、スリランカからも6年前の津波の時助けられたお礼ということで、来日が予定されています。その通訳者として、先生は東北に出かけられます。

 2004.12.26 のスマトラ沖地震で、タイのプーケットやスリランカを襲った津波では、死者、行方不明16万人余でした。スリランカは地震のない国で、津波にも無防備だったのでしょう。その中で親を津波で喪い、孤児になる幼児もありました。その孤児二人を先生のお母様は育てておられます。もうすぐ12歳になるので、裁判所で子供に尋ね、戸籍上も子になるかを審査されるのだそうです。勿論先生のお母様はよく面倒を見られてきたので戸籍に入れられるようです。
 なぜこういう制度があるかと言うと、孤児をお手伝いさん代わりに使うケースがあるからだとか・・・

 その子たちは水の怖さが今も忘れられないらしく、決して水泳はしないそうです。先生のお子さんが泳ごうとしても、「やめて」と止めるそうです。今も怖かった津波を思い出す水がトラウマになっているのです。写真はプーケット津波(Yahooネットより)
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転送願いのメール

2011-03-14 | 災害
 「節電のお願いです」というタイトルで、下のようなメールが友人から来ました。メールを転送していたところ、最初に送った友人から、「いたずら転送メールに注意」というメールが来ました。リンクしている総務魂の番頭よっさんさまも同じメールが来たそうで、安心していたのですが・・・それに同じメールを5通貰った人もいたし・・・

 「■お願い■>関西電力で働いている友達からのお願いなのですが、本日18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!>こんなことくらいしか関西に住む私達たちには、祈る以外の行動として出来ないです!>このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!>と友達の友達からが届きました。このをできるだけ多くの人に送信してください。」

 よくよく考えてみれば、富士川を境に、西は60ヘルツ、東は50ヘルツで周波数が違うため簡単に送電は出来ませんね。しかし、節電は大切なので、たとえ関西電力を装ったメールでも、日本全体が非常事態ですから、無駄な電気は使わないことが大切ですね。

 昨日は、地震の規模がM9と訂正発表があり、ここ400年で日本最大ということになりました。死者は1500人余り。行方不明一万人余。これまでの最大は、明治24年(1891年)の濃尾震災でした。上の写真は、津波にのみ込まれた宮城県名取市付近の沿岸。(Yahooネットより)
 濃尾震災は明治24年10月28日朝、岐阜を震源として起こったM8(震度7)の地震。死者7000人余。余震は4日で720回。下の写真は、濃尾地震直後の長良橋。(岐阜市歴史博物館資料より)

     
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放射能から身を守るために

2011-03-13 | 災害
 東北関東大地震で福島原発周辺にも避難勧告が出ています。人類の英知を集めて造られた原発ですが、地震に襲われ、問題が発生。原子力安全保安院の人たちは徹夜で見守っておられるようです。日本ではじめて炉心溶融となっても海水で冷却はしていて、とりあえず安全は保たれているのですが・・・リンクしているミラノのレイコさんのブログの一部(放射能から身を守るために)をコピーします。

「以下は古長谷稔さんの著書を元に川島和正さんがまとめた文をそのまま引用です。 

もはや放射能汚染されるのは時間の問題になってきましたので、被害を最小限に抑える方法をお伝えします。

原発被害について
おそらく日本一研究している古長谷稔さんの著書、「放射能で首都圏消滅」より引用です。メディアの報道を信用しないで、この情報を信じて行動してください。
今の報道を聞く限り、住民の避難や準備のペースに合わせて報道している気がします。
(パニックにならないようにするため)

★ 放射能から身を守る方法

1 呼吸の仕方が分かれ道
外部被ばくに比べて、内部被ばくが圧倒的に危険です。
そのため、放射能を吸い込まないように高性能フィルター防塵マスクをつけてください。
汚染された水や食べ物を食べないように気を付けてください。
傷口からも放射能が入るので、バンドエードやテープで防いでください。
ゴーグルやレインコートがあれば、目や肌も覆ってください。

2 家には1週間閉じこもるように
まず水が一番大切です。家じゅうの容器に水をくんでおいてください。ペットボトルの水も大量に用意すべきです。
次に、米、麺類です。これらはかさばらず日持ちします。

3 閉じこもる時の注意点
とにかく外気が入るのを防ぐようにしてください。換気扇は消しても隙間があいているので、シートとテープでしっかり隙間を防ぐべきです。窓のサッシの隙間もテープとシートでふせいでください。

4 雨が降ったら絶対にふれてはいけません
放射能を含む雨はもっとも危険です。事件後、少なくとも10日間は雨にふれてはいけません。

5 1日30~40グラムとろろ昆布か乾燥コンブをたべてください
放射性ヨウ素を体内に取り込んでしまうと、ガンを引き起こします。そのため、先にとろろ昆布か乾燥コンブに含まれるヨウ素で体を満たすことによって、放射性ヨウ素を取り込むことを防ぐことができます。

では、一刻も早く準備してください。
1人でも多くの方の命が助かることを祈ります。

この案内はコピペして広めていただいても構いません。」

 実は30年くらい前、夫は三菱重工で原発開発に携わっていました。そのころスリーマイル島の事故が起こり、日曜日でも出勤しました。他のブログのコメントで記憶違いして、チェルノブイリと書いてしまいましたが・・・写真は、スリーマイル島(Wikipediaより)
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東北関東大地震

2011-03-12 | 災害
 昨日3/11 14:46に、M8.8(13日にM9と訂正) という国内観測史上最大の地震が東北地方に発生しました。少し前から三陸沖に二度、前触れがあり、不気味でしたがついに・・・宮城県栗原市では震度7を観測。死者、行方不明は1000人を超えています。
 昨日のニュースは、7mもあった津波の恐ろしさと次々起こる余震を伝えていました。今朝5:42にも、甲信越で震度6の余震です。

 昨日JR東日本は、この地震の影響で、東北エリアと首都圏の新幹線と在来線の運行を終日取りやめ。東海道新幹線も運休。仙台空港は閉鎖。飛行場があのように水浸しになったのは初めて見ました。
 首都圏の交通もストップし大混乱。新宿発着の地下鉄、JRが止まり、タクシーも渋滞で来ないらしく、長蛇の列。東京駅では構内で夜明かしした人も・・・今朝は運転が再開されたのですが・・・

 寒の戻りで寒さ(仙台では1度)が続いて、雪まで降り、自然の猛威に恐れるばかりです。さらに火災も発生。夥しい数の車も燃えて地獄のようです。

 宮城県栗原市には知人があります。ひたすら無事を祈るのみです。
 亡くなられた方のご冥福を祈ります。(写真は白菊)     合掌

追記; 13日に地震の呼び名が変更されましたので、タイトルを東北地方太平洋沖地震から東北関東大地震に書き換えました。
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公民館短歌会 56

2010-07-17 | 災害
 今月から歌会は第三金曜日。新しい人も増え、都合で曜日を変更しました。歌会の昨日は、岐阜県の東濃地方では、記録的豪雨により山崩れが発生。道路も冠水し、車が流され行方不明。全国ニュースにもなり、東京や神戸から見舞いの電話を頂きましたし、奈良の前田さまからもメールを頂いています。ブログにもお見舞いのコメントを東京から頂いています。(さよちんさま、ありがとう) 

 幸いこの町は八百津町や可児市のように山はないので、被害はありません。不運にも亡くなられた一家は本当にお気の毒で、ご冥福を祈ります。ふだんはのどかな町ですが、今は日本中から同情の目が集まっているようで・・・まだ新築間もない家に、4mもの大きな岩がころがり落ちるとは・・・

今月は新しく入られた人の作品です。写真は横浜美術館庭のインパチェンス。

七月の日ざしも強く照る午後はインパチェンスの赤よ負けるな  Mさん
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ハイチ地震から1ヵ月

2010-02-14 | 災害
  1/12カリブ海ハイチでのマグニチュード7の大地震から一ヶ月。20万もの人が亡くなり、今も収拾がついていません。もともと世界最貧国の1つですのに・・・いたましいことです。
 ハイチは、友人がボランティアで訪れた国です。今もずっと援助金を送られていますが、どうにもならないようです。私も微力ながら協力しましたが・・・言語はフランス語の訛ったクレオール語。フランスの植民地だったらしく・・・首都は、ポルトープランス。首都も無法地帯になっていて、刑務所が倒壊し、脱獄者が5000人という想像もつかない事態になっているようです。もともと政情も不安定だったのに、更に拍車をかけて・・・

 昨日は、バンクーバーオリンピックが開幕。岐阜からは、トリノ(9位)に続いてスノーボードの中島志保選手が出ています。国民の1/3の300万人が被災しているハイチでは見ることも叶わないでしょう。浅田真央選手のライバルの韓国のキム・ヨナ選手は、ハイチに1億ウォンも寄付したとか・・・

 リンクしているフクちゃんを真似て、待受け画面をupして見ました。パソコンの前の花は、一重のストック。八重のものは以前に紹介しました。(2008.5.13) 一重と八重とは花も葉もまるで違い、別の植物に見え、ネット(昨日と同じサイト)で尋ねました。待受け画面の写真は、我家の長屋門の雪景色。下の写真は、4年前旅先の孫(小2)から来たバンクーバーの水族館の絵葉書。(2006.9.24にup)
         
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甲州印傳

2009-10-08 | 災害
 甲州印傳のコイン入れを頂きました。鹿皮に漆を押した伝統工芸品。創案したのは、上原勇七という人らしく、現在は十三代目。特徴は、強く軟らかい鹿皮と時とともに色が冴える漆との調和。使い込むほど独特の風合いが出るようで早速コインを入れました。
 印伝の由来は、寛永年間インド(印度) から幕府に献上された皮の装飾品をヒントにして、国産化されていったことによるようです。

追記; 台風18号はそれほどの被害もなく、当地を通り過ぎたようです。今年は死者6000人に及んだ伊勢湾台風から50年。この日を思いますと油断は禁物ですが・・・
 我家は植木鉢が倒れた程度で、怖さは伊勢湾台風の1/10くらい・・・被害を受けられた方にはお見舞い申し上げます。
 今朝はバヌアツで大地震もあったようで、神様も少し意地悪かなと・・・
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