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未唯への手紙

未唯への手紙

ウクライナ大飢饉「ホロドモール」

2018年11月24日 | 4.歴史
『ウクライナを知るための65章』より 大飢饉「ホロドモール」 ★ウクライナを「慟哭の大地」と化した「悲しみの収穫」★
ウクライナはヨーロッパにおいて有数の穀倉地帯であるが、ソ連時代には1921~1922年、1932~1933年、1946~1947年の三度にわたり大規模な飢饉が発生した。それぞれの飢饉は、旱魅などの天候不順や政府による強制的な穀物調達の他に、その他様々な要因が加わり引き起こされた。このうち、1921~1922年の飢饉と1946~1947年の飢饉は、戦争や内戦による社会混乱が大きく関わっている。1921~1922年の飢饉はウクライナだけではなく、ヴォルガ沿岸地域でも発生したが、1917年のロシア革命後に誕生したソヴィエト政権が「戦時共産主義」の下で農村から強制的に穀物調達を進めていたことに加えて、第一次世界大戦、口シア革命とその後の内戦による社会混乱が複合して農村が疲弊していたことが、飢饉の被害を拡大させた。一方、1946~1947年の飢饉はウクライナ、モルドヴァ、ロシア中央で被害を出したが、第二次世界大戦の戦災を受けて農村が混乱して穀物の貯蔵が不充分であったにもかかわらず穀物調達が強行されて、干魃などの天候不順も相侯って発生した。
1932年から翌1933年にかけて発生した飢饉は、他の二つの飢饉と比べると、戦争など外的要因による社会的混乱が飢饉の発生に作用したわけではない。1929年に本格的に始動した農業集団化の過程で、「クラーク」と呼ばれた「富農」の追放による農村の混乱、穀物生産の落ち込み、政府による強制的な穀物調達の実施などが相侯って、ウクライナ、ロシア(ドン地域、クバン地域、ヴォルガ沿岸地域)、カザフスタンで飢饉が生じたのである。
ソ連政府はこの間、工業化を実施していくために必要な外貨を獲得するため、穀物が不作であるにもかかわらず穀物輸出を強行するなど、飢餓輸出を敢行していた。また、国内で飢餓が蔓延して被害が拡大していたにもかかわらず、ソ連指導部は国際的威信の失墜を懸念して、イギリス、カナダ、スイス、オランダなど諸外国、国際連盟や国際赤十字など国際組織の救援の申し出に応じず、効果的な救済策を講じなかった。このようなソ連指導部の失策が飢餓の被害を拡大させた点から、飢饉に関して人為的原因が濃厚であるというコンセンサスが研究者の間で得られている。
1929年に農業集団化が始まり、個人農が加入してコルホーズ(集団農場)への組織化が進むと、ウクライナのコルホーズには過重な穀物調達が課せられた。秋蒔き穀物の調達量に関して、1930年はソ連国内の総収穫量の34%、1931年は39・2%、1932年は54・6%を占めた。1930年に「労働日」がコルホーズに導入されて、コルホーズ員の報酬は労働日に基づいて割り当てられることになったが、コルホーズの生産物の大半が国家に調達された。1933年3月の時点で、ウクライナ全体の48%のコルホーズでコルホーズ員に報酬が支払われず、100万人ほどのコルホーズ員に自己消費分の穀物さえ残っていなかった。すでに、農業集団化が本格化する前に、農民たちはコルホーズ加入に抵抗し、家畜を濫費して、家畜数が8分の1に激減していた。
ソ連指導部は穀物調達を遂行するにあたり農村の統制を強めた。1932年10月22日、全連邦共産党(ボリシェヴィキ)中央委員会政治局は非常委員会を設置して、ウクライナには政治局員のモロトフが派遣された。穀物調達の不履行に対してコルホーズ員が野外の公開裁判で裁かれるだけでなく、コルホーズ議長、現地の党や行政の職員も弾圧されるなど強制措置が適用された。また、1932年8月7日には、党と政府の決定により、すべての農産物は人民に所属するとされ、穀物の取引、落ち穂拾い、穂の刈取まで「人民の財産の収奪」として10年の禁固刑が科せられた。さらに、1932年12月27日には国内パスポート制が導入され、コルホーズ員は移動を制限された。こうして、ウクライナの農村では、人間の死体や死亡した家畜、犬や猫などの愛玩動物が食用にされるなどの凄惨な光景が展開し、チフスなどの疫病が蔓延した。
1932~1933年の飢饉は、ウクライナ農村部の人口動態に決定的な影響を与えたが、ソ連邦崩壊後、旧ソ連諸国で資料が開示されて、飢饉の実態について解明が進められている。飢饉の犠牲者数に関して、研究者により250万から750万人までの見解がある。すでに、ソ連邦解体以前から研究者の間で250万人から500万人の数値が示されていたが、旧ソ連諸国で公開された資料から、1931年から1933年にかけて飢饉を原因とする超過死亡者数は180万人、人口減少数については270万人が確認されている。非公式の統計を加味して調整すると、前者は280万人から480万人、後者は370万にから670万人にまで拡大される。一方、ウクライナの研究者の間では人口統計を利用して飢饉の犠牲者数について300万人から350万人までの数値が算出されていて、ウクライナ科学アカデミーの人口統計・社会問題研究所も約394万人と算出している。
ウクライナでは、1932~1933年の飢饉は、飢饉を意味する「ホロド」と「疫病」を表す「モール」を合わせて、「ホロドモール」(飢餓による殺人)の呼称が付されている。さらに、ウクライナにおける被害が甚大であった経緯から、当時の飢饉についてウクライナ人を対象とした「大量虐殺」であったとする見解をウクライナは堅持している。ウクライナ最高会議(国会)は2003年5月15日に可決した決議と、2006年H月28日に採択した法案「ウクライナにおける1932~1933年のホロドモールについて」で、当時の飢饉を「ウクライナ人に対するジェノサイド」と認定した。さらに、翌2007年、ユーシチェンコ(1954~)大統領は第二次世界大戦中のドイツによるユダヤ人虐殺と併せて、当時の飢饉を公式に否定した者に罰金や禁鋼となど刑事責任を問う法案を最高会議に提出したが、否決された。
ホロドモールを「ジェノサイド」とする見解は、すでにソ連時代に欧米社会で現れていた。1953年9月、アメリカのポーランド系弁護士ラファエル・レムキン(1900~59)が、1932~1933年の飢饉をソ連による「ウクライナ民族の殺戮」と非難して、「ソ連政府による古典的なジェノサイドの一例」と断じた。これを契機に、当時の飢饉をウクライナ人に対する「ジェノサイド」とする見解が主に西欧社会で流布した。1988年、米国ではウクライナの飢饉を調査した政府委員会が、1932~1933年にスターリン指導部がウクライナ人に対して「ジェノサイド」を組織したとする見解を示した。その後、1993年にエストニアとオーストラリアの議会が、1932~1933年の飢饉を「ジェノサイド」とする決議を採択し、欧米と南米の15カ国の議会が同種の決議を採択した。
一方、ロシアでは1932~1933年の飢饉が及ぼした被害の悲惨さに関する事実認識に同調するものの、飢饉の被害がウクライナ人だけではなく、ロシア人やカザフ人にも及んでいる点が強調されて、飢饉の解釈をめぐりウクライナとロシアとの間で歴史問題が生じている。ロシア政府は、特定の民族を対象とする「ジェノサイド」は存在しなかったとする見解を堅持している。2008年4月2日、下院で「ソ連国内の1932年~1933年飢饉の犠牲者追悼」に関する決議が採択され、特定の民族を対象にして飢饉が組織された歴史的証拠は存在せず、当時のソ連国内の農業地域に居住していた数百万人に及ぶ諸民族を飢饉の犠牲者とする見解が明らかにされた。ウクライナでも、ユーシチェンコ大統領の後任のヤヌコーヴィチ(1950士大統領が2010年4月27日、1932~1933年の飢饉はウクライナ人に対するジェノサイドとみなすことができず、むしろ飢饉を当時のソ連国内の諸民族の悲劇と強調して、飢饉に関する見解を修正した。また、ヨーロッパ議会は、1932~1933年の飢饉についてのスターリン指導部の責任を認めているが、飢饉をウクライナ人に対するジェノサイドとする見解には慎重な姿勢を示している。

ヘッドの変更 6.5.1~6.5.4、7.8.1~7.8.4

2018年11月23日 | 6.本
「一人で寂しいから」で始まるロジック
 ディスクリートであることが不思議。なぜ、リキッドでないのか?
 愛で淋しさは救われるのか。愛ぐらいしかないのも確かだけど。
 宇宙の中でなぜ一人なのか。一人である感覚が生まれることを追求する方向に行ってしまう。
終活があるのにアイ活がなぜないのか。
 アイとはアイドルですけど。ライブで女性席とか車いす席はあるけど、老人席がないのは、若い者と一緒にするためでしょう。
ヘッドの変更 6.5.1~6.5.4、7.8.1~7.8.4
 6.5.1 図書館を配置
  いつでも
  どこでも
  コミュニティ配下
  知の入口
 6.5.2 地域に拡げる
  街を象徴する
  リアルな場
  メディア活用
  多様な専門家
 6.5.3 情報センター
  クラウド連携
  事務局
  アゴラでコラボ
  アウトリーチ
 6.5.4 地域をまとめる
  要求をまとめる
  理念を掲げる
  教育を変える
  アピール
 7.8.1 新しい数学
  個は全体より大
  個と全体をつなぐ
  配置の世界
  次の世界の姿
 7.8.2 社会を位相化
  市民は変わる
  企業は変わる
  組織から配置
  社会を再定義
 7.8.3 歴史の分岐点
  国は中間の存在
  日本は残される
  時間コード
  歴史の変革
 7.8.4 存在の無
  存在と無
  全てを知る
  変革の時
  存在の無

6.5.1~6.5.4、7.8.1~7.8.4

2018年11月23日 | 6.本
6.5.1 図書館を配置
 いつでも
  ①読書会の企画
  ②知りたい時にある
  ③AI技術活用
  ④未来を考える
 どこでも
  ①本に触れる環境
  ②富良野リゾート
  ③販売店にOPAC
  ④まちライブラリ
 コミュニティ配下
  ①教育委員会から離脱
  ②地域の文化拠点
  ③ネットで統合
  ④危機意識を反映
 知の入口
  ①クラウドで負荷減
  ②多様な運営
  ③参画リテラシー
  ④自由と平等を両立
6.5.2 地域に拡げる
 街を象徴する
  ①情報の整理
  ②多様な市民要求
  ③分化のバロメーター
  ④サービス機能提示
 リアルな場
  ①情報の提供
  ②セキュリティ維持
  ③コンテンツ生成
  ④マスコミを凌駕
 メディア活用
  ①情報の伝播
  ②教育の意識づけ
  ③モバイル環境
  ④行政と連携
 多様な専門家
  ①コンシェルジェ
  ②司書という専門家
  ③アウトリーチ
  ④ユニット行動
6.5.3 情報センター
 クラウド連携
  ①図書館資源の共有
  ②総務省スポンサー
  ③ユニット活動
  ④メッセージ接続
 事務局
  ①企業サービスの高度化
  ②レベルアップ
  ③事務局で統合
  ④知の出口と出口
 アゴラでコラボ
  ①議論できる広場
  ②市民の空間の創造
  ③行動する条件
  ④意思決定から行動
 アウトリーチ
  ①要望の掘り起こし
  ②事務局で展開
  ③クラウドで集約
  ④市民と情報共有
6.5.4 地域をまとめる
 要求をまとめる
  ①何を知りたいか
  ②バラバラな思い
  ③受け手で編集
  ④コミュニティ編集
 理念を掲げる
  ①環境社会の哲学
  ②考え抜いた意見
  ③概念でつながる
  ④大きな構え
 教育を変える
  ①個人が主役の教育
  ②全体が見える
  ③多方面から思考
  ④先を考える
 アピール
  ①個人の内なる世界
  ②思いをまとめる
  ③メディアで表現
  ④クラウドで伝播
7.8.1 新しい数学
 個は全体より大
  ①独我論を理論化
  ②トポロジー論理
  ③無限次元空間
  ④歴史で思考実験
 個と全体をつなぐ
  ①部分は全体を作る
  ②生まれてきた理由
  ③個の覚醒が前提
  ④全体を個に入れ込む
 配置の世界
  ①点を配置する
  ②位相を定義
  ③点が集合、集合が点
  ④未唯宇宙を適用
 次の世界の姿
  ①循環を定義
  ②環境社会を志向
  ③情報共有の意味
  ④未来方程式の実現
7.8.2 社会を位相化
 市民は変わる
  ①消費者から生活者
  ②静脈マーケティング
  ③教育が変わる
  ④家族が変わる
 企業は変わる
  ①高度サービスが主流
  ②インフラを共有
  ③企業存続条件
  ④イノベーション
 組織から配置
  ①組織を超える人
  ②依存する人を排除
  ③内から組織攻撃
  ④社会の分化
 社会を再定義
  ①周縁から中核を攻撃
  ②組織を内から埋める
  ③情報共有の共同体
  ④地域が全体を支える
7.8.3 歴史の分岐点
 国は中間の存在
  ①地政学の破綻
  ②国はバーチャル
  ③対立から融合
  ④超国家から指令
 日本は残される
  ①明治維新で国民国家
  ②戦争で集団的浅慮
  ③クライシスで変革
  ④民族しか頼れない
 時間コード
  ①未来の歴史を示す
  ②超圧縮コード
  ③分岐点をめざす
  ④預言から覚醒できるか
 歴史の変革
  ①歴史は変わる
  ②市民の意識変革
  ③個人が主役の世界
  ④変革点は2050年
7.8.4 存在の無
 存在と無
  ①孤立と孤独で生きる
  ②意思の力は感じない
  ③存在と無の融合
  ④生まれてきた理由
 全てを知る
  ①宇唯宇宙でシナリオ
  ②他者の世界に関与
  ③問われれば、応える
  ④次の頂をめざす
 変革の時
  ①私が存在している
  ②明確な特異点
  ③答は用意されている
  ④知ることが目的
 存在の無
  ①内の世界のロジック
  ②内と外の境界崩壊
  ③存在の無に向かう
  ④無為の世界

所有から利用へ

2018年11月23日 | 5.その他
『君たちはどう働きますか』より 100番目の処方箋
所有から利用へ
 今、世界は不確実性の時代であると言われています。英国のEU離脱や不動産王の実業家トランプの大統領就任など、メディアや専門家の予測とは違ったことが次々と起きています。その理由の1つが、グローバリゼーションによって、世界中の人の流れ、情報の流れ、モノの流れ、お金の流れが複雑につながりあった結果であるとしたら、今後も、予測不能のことが起きていくことでしょう。
 日本の国のこれからも同じだと思います。この国のかたちはどうなっていくのか、社会はどのような姿になっていくのか、労働市場はどのように変わっていくのか、それを正確に見通すことはできないと思います。
 一方、社会の仕組みや構造が大きく変わろうとしていることは、専門家でなくても普通の人たちが肌で感じ取っていると思います。例えば、私たちの暮らしが所有を前提とした生活から、共有や利用の方向に向かいつつあることを感じている人は多いのではないでしょうか。いわゆるシェアリング・エコノミーの流れです。
 インターネットによって、リアルタイムに情報が共有できるようになったことから、所有している人と所有していない人がダイレクトにつながることによって、モノやサービスを共有できるようになりました。家でも自動車でも衣類でも、所有している人は貸し出すことで所有のコストを抑えることができ、所有していない人は購入せずに借りることで安く利用できます。もちろん、従来もそういう利用の仕方はあったわけですが、インターネットの登場で、時間や面倒な手続きをかけずに、手軽にシェアリング・エコノミーを実現できるようになったのです。
 シェアリング・エコノミーでは、社会全体でモノやサービスの稼働率を上げ無駄を少なくするという全体最適と、個人の利便性という部分最適が両立します。社会という全体と個人という部分の両方にメリットがあることを考えると、これが大きな流れになっていくのは必然のことのように思われます。
 シェアリング・エコノミーと同じようなことが、日本の労働市場にも起き始めていると私は感じています。雇用関係は人と企業のマッチングによって成立しますが、いったん社員を雇用すると、企業は簡単には解雇できません。企業は大きなコストリスクを背負って社員を雇用しているのです。先が予測しにくい不確実性の時代には、そのリスクはさらに大きくなります。
 企業が雇用形態を正社員から契約社員やパートーアルバイト、派遣社員などの流動的なかたちにシフトしているのは、不確実性に対する合理的な対処だと言えます。正社員が企業による社員の「所有」という雇用形態だとすれば、非正規社員は「利用」という雇用形態だと言うこともできます。20年ほど前までは、労働者の20%以下だった非正規社員が約40%に達しているという現実は、日本の企業が雇用を「所有」から「利用」へと大きくシフトさせたと見ることもできるということです。企業を取りまく環境が今後も不確実性を増していくことを考慮すれば、この流れはさらに大きくなるものと思われます。
 一方で、正社員という言葉の意味も変わっています。終身雇用が幻想であることに多くの人が気付いてしまった今、正社員は、非正規よりも待遇はよいが責任は不釣り合いに重い、期限のついていない雇用契約であるという程度の意味しか持たなくなっています。正社員幻想にしがみついて、会社に依存して人生設計を立てること自体がリスクであることに、多くの人は気付いています。
 シェアリング・エコノミーの変化と同じように、雇用が、「所有」から「利用」に変化し始めていることを、多くの人たちは肌で感じていると思います。そうした変化の中で、生涯働き続けるためには、1つの企業に「所有」されるのではなく、むしろ主体的に企業を利用して自分が成長しなくてはならないという考え方を持つ人が着実に増えているのだと思います。特に、20代や30代の若い人たちと話をしていると、そのことを実感します。
個人が変われば、企業も国も変わる
 人々の、特に若い人の意識が変化すると、企業は変わらざるを得ません。
 政府が進めようとする働き方改革は遅々として進まなくても、企業は着実に変わり始めています。旧弊にとらわれ変わることができなければ企業は存続できないことを、次代に事業を継承しようとする経営者は強く認識しているからです。
 女性の社会進出のインセンティブを弱めてきた、専業主婦世帯を優遇してきた税制の改革は進まなくても、すでに多くの大企業が配偶者手当を廃止し、その原資を育児手当に置き換えることに着手しています。女性の労働市場参加を促し、同時に、少子化に少しでも歯止めをかけることが、企業の社会的責任の1つであると考えている経営者であれば当然の対応です。
 すでに残業時間ゼロを経営目標として公言し、具体的な対策に取り組んでいる経営者もいます。長時間労働をなくし社員の健康と安全に配慮するだけでなく、本気で社員の生産性の向上に取り組むことなしには、グローバル競争を生き延びることはできないと考えているからです。
 賃金制度も変わり始めています。実質的な年功序列型賃金制度である職能等級型賃金制度から、同一労働・同一賃金を原則とする職務型賃金制度への移行です。終身雇用制を前提とした年功序列型賃金制度の既得権を守ろうとする世代が、定年退職によって労働市場から退場し、企業の枠を超えて働き続ける世代が台頭してくれば、その流れが大きくなるのは必然です。能力と仕事の成果を適切に評価する企業でなければ、優秀な社員から背を向けられてしまうからです。
 大企業の人事制度も変わり始めています。事業部やグループ会社ごとの縦割りの人事制度を改め、企業グループ内の横断型人事制度に転換する企業が増えてきました。横断型人事制度は、企業が全社員に複数のポジションがこなせるユーティリティプレイヤーになることを求め、危機に柔軟に対応できる会社にしようとする試みですが、社員の側からすると、さまざまな分野で仕事を経験することでキャリアの幅を拡げ、労働市場における自身の市場価値を高める取り組みとも言えます。
 また、これまで社内規則で禁じていた副業を解禁する動きも目立ってきています。すでに制度化している企業もあります。目的はさまざまですが、社員が自主的に生産性を高め、社外で知見を拡げることで、自社の成長に活かすことを期待していると思われます。
 このように、個人の意識が変われば企業が変わります。そして、企業が変われば社会が変わり、国の姿も変わっていくはずです。例えば、年功序列型賃金制度や職能等級型賃金制度に代わって職務型賃金制度が日本企業のスタンダードになれば、労働市場全体も自ずと同一労働・同一賃金に変わっていく可能性があります。職務型賃金制度の下では、社員は生産性を向上させないと賃金は上がりませんから、生産性向上へのインセンティブが働きます。賃金は労働時間への対価ではなく、労働成果への対価が基本となるため、無駄な残業はなくなり長時間労働は減少することになるでしょう。賃金と直接関係がなくなる勤務時間や勤務場所の管理も緩やかになり、在宅勤務や副業もしやすくなります。
 つまり、政府が「働き方改革」などと旗を振りまわそうとしなくても、すでに社会や人々の働き方は、変わりつつあります。

インターネットは歴史に逆行している

2018年11月23日 | 5.その他
『138億年の人生論』より
インターネットは歴史に逆行している
 宇宙、地球、生命の歴史を解読してわかったのは、それらの歴史に共通している点として、「分化」する方向に進んでいるということです。
 しかし、そのような長い歴史のなかで、いま文明においては、その流れに逆行する動きがあります。それが、ITを基盤とする情報ネットワークの発展です。
 「分化」について説明しましょう。
 宇宙は初め、ビッグバンという、放射に満たされた状態でした。「放射」というのはエネルギーと言い換えてもいいでしょう。すべての物質が究極の構成粒子にまで分解されるような高温状態で、しかも粒子と反粒子が対になって生まれ、対になって消滅し、エネルギーに変わるような状態です。それは混沌と無秩序に支配された均質の世界です。それが宇宙の膨張による冷却という段階をへて、そこから核子を構成するクォークや、電子、ニュートリノなどが生まれます。陽子、中性子などの核子が生まれ、原子核がつくられ、原子核と電子が結合して原子が生まれ、その原子から分子が生まれ、分子がさらに連なって高分子が生まれてきます。これは物質の分化と言っていいでしょう。高分子の際たるものが、我々のような生命です。
 地球も、生まれたばかりの頃は熱い火の玉でドロドロに溶けていました。それが冷えて現在の状態となります。地球が冷える過程で、水蒸気大気から海が生まれ、残ったガスは大気となり、マグマの海から地殻とマントルが生まれ、鉄ニッケル合金が沈んでコアが生まれるなど、異なる物質圏に分かれました。これも分化と呼ばれます。
 生命も、もとは1個の原始的な単細胞でした。それが何十億年もかけて、多くの真核細胞からなる多様な生命に進化してきました。この過程も分化と呼ばれます。
 このように宇宙、地球、生命の歴史は、すべて均質な状態から、さまざまに異質なものが生まれてくる過程と言えます。これがつまり、歴史は分化の方向に発展するということです。
 では、現代の文明はどうでしょう。歴史とは分化であるという考え方を当てはめるなら、文明の発展の過程も、分化の方向に向かっているはずです。事実、これまで人間圏は、国家や地域共同体などさまざまな階層の共同体を構成要素とするシステムとして分化の方向をたどってきました。
 しかし、そこに登場してきたのがインターネットです。インターネット社会の構成要素は、従来のような共同体ではなく個人です。人間圏というシステムの、これ以上分けることのできない構成要素の最小単位が一人ひとりの人間、すなわち個人と考えれば、その個人からなる人間圏とは、宇宙で言えばビッグバンと同じ状態を意味します。ビッグバンのときは均質なガスの状態ですから、現在の文明をシステム論的に分析すると、ビッグバン状態にある均質の文明ということになります(厳密に言えば異なります。ビッグバンのときはものすごい重力下での均質状態です。単なる熱力学的な意味での均質とはちがい、じっはエントロピーは低く、そこから宇宙全体としてはエントロピーの増加する方向に進化していきます)。
 熱力学的な意味での均質な状態というのは混沌と無秩序です。構成粒子が生まれては消えることが繰り返されるばかりで、何の構造も秩序もありません。
 とは言え、それが無条件によくないと言っているわけではありません。既存の秩序が壊れ、新しい秩序が生まれるという意味では必要です。相変化の起こる前の状態と言っていいでしょう。ただ、歴史の流れからすれば、分化が自然な方向性ですから、均質化した状態のネットワーク社会をこれからどのように分化させていくかが重要な問題となっていきます。
 そもそも、人闇圏の分化には、情報を生成するという面があり、各地域の風土に応じた文化も、社会構造をはじめとするさまざまな秩序なども、すべて情報です。その生成と消滅の過程が文明の歴史と考えれば、いままた新たに、混沌とした均質状態から分化への道をたどろうとしているはずなのです。
 文明を構成するネットワークは成長を続けています。そのネットワークが最終的に意味を持つとすれば、それは新たなユニットに基づくシステムで安定したもの、すなわち秩序でなければなりません。しかし、具体的にどのような秩序がもたらされるかは、まだ答えが出ていません。いずれにしても、これまでとはまったく異なる文明の姿が示される可能性は高いと考えられます。そうしたなかで、1つだけ言えるのは、これからの文明を我々自身がどのようにデザインしたいのか、具体的に考え、明らかにするべきだということです。
 仮に1つの極論として、均質化した社会をよしとするなら、インターネット社会は個人を主体にした、混沌として無秩序な社会だということをも受け入れる必要があります。そのかわり、そのような社会では情報が拡散していきます。情報の拡散とは、リアル社会での噂の伝播と同じで、それが広まるにしたがい、どんどん情報の質が落ちていく危険性をはらんでいることも知っておくべきでしょう。
結局のところ「人生」とは何か
 138億年にわたる宇宙の歴史を俯瞰できると言うと、「では、松井さんから見たら、人生は一瞬の花火のようなものですか?」と聞かれることがあります。しかし、それは誤解です。大きく俯瞰した視点をもっているからと言って、138億年の宇宙史に比べたら100年の人生などちっぽけなものだと言いたいわけではありません。
 100年の人生も、そのときその瞬間に刻まれた情報の蓄積で考えると、すごい厚みをもつ可能性があります。100年どころか、私自身は幸若舞の「敦盛」で有名なフレーズ、「人生五十年」の心意気で生きてきたつもりです。
 その頃に胃がんになり、人生もこれまでかと覚悟を決めたのですが、幸いにも生き延びました。そのときのことは前にも触れました。同じ頃に胃がんにかかった弟は、その5年後くらいに亡くなりました。そのときに、これは私が天命としてもっと長生きしろということだなと解釈して、いっそう毎日を無駄に過ごさないよう心がけてきました。
 現在の我々は、138億年にわたる、宇宙の歴史を解読した知識を、頭のなかに内部モデルとして蓄積できる可能性をもっているのです。
 それがどれだけすごいことかを実感している私からすると、いまの若い学生たちを見て、本当にもったいないと思います。生活が便利になって、暇ができても、その時間をゲームやSNSに費やしているだけでは、現代という時代に生きる特権を享受していないからです。ホモ・サピエンスは初めて、この宇宙がどうしてこのような宇宙になったのか、なぜ我々が存在するのかについて、解き明かしつつあるのですから。
 かつての東大の教授を見ていると、学内政治とか、学会のボスになるためとか、そういった学問の本質とはかけ離れた雑事に追われている人たちがたくさんいました。そして、いまの東大教授は法人化後の雑事に追われているようです。
 それは一般の人にも言えることです。人生とは何かのために生きることだと思いますが、その「何か」があまりに些事にかかわることだからです。ホモ・サピエンスは「生き延びる」という戦略から文明をつくって生き延びたわけではないのです。「何かのために生きる」という実験を始めたのです。単に長生きしたからといって、ホモ・サピエンスとして満足した生き方と言えるのか、私には甚だ疑問です。
 人生とは、頭のなかに内部モデルをつくりあげることです。50年の人生であれ、100年であれ、内部モデルが豊かであれば、実質的にその何倍もの時空を生きることになるというのが、私の実感なのです。

日本の農業の推移

2018年11月23日 | 4.歴史
『日本人はどのように自然と関わってきたのか』より 資本家中心の産業社会--一九四五年~現代
戦後の農業も漁業と同様に、回復の後、穏やかな成長、そして衰退の道をたどった。その過程で、機械化や作物の変化だけでなく、社会的変化も起きた。さらに、産業汚染の影響や農地が主要な産業中心地から遠ざかる現象もみられた。
農村社会について
 焼け出された都市の住民や除隊した人々が十分な労働力を創り出してくれたおかげで、農業生産は戦後すぐに回復した。さらに、戦前の大きな社会問題だった小作農と地主の軋慄はアメリカの占領政策によって取り除かれた。小作農に地主からインフレ以前の価格で借地を買い取らせる、事実上の土地収用を行なったのだ。一九五五年までには、農地のほとんど(九一%)が自作農によって耕作されていた。
 その頃には、農業の生産高は戦前の水準を超えるまでになっていた。その後の総生産高の増加は大したものではなかったが、一人当たりの生産量は急増して、この時期で最も顕著な変化を農村にもたらした。それは農業人口の激減だった。何を含めるかの基準によって数値は異なるが、どの数値も同じ傾向を示していた。一九五五年には成人の農業人口は三六三〇万人(成人総人口の六一・一%)だったが、二○○五年にはわずか八四〇万人(同七・六%)になってしまったのだ。これは七七%の減少である。さらに、一九六〇年でさえ、専業農家はわずか三八%に過ぎなかったのだが、一九八五年には二七%を割り込んだ。しかし、その後は都市経済が不況になると、増加に転じ、二〇〇八年には三八%を超えた。
 人数のみならず、世帯数でも、専業農家は急速に減少した。一九〇六年の専業農家は日本の五四〇万農業世帯の七一%を占め、一九三五年でも五五〇万世帯の七四%を占めていた。しかし、表8-37が示しているように、戦後は両方の傾向が逆転した。さらに、農家の総数が一九五〇年から一九八四年の間に二八%減少し、専業農家の数は八○%近く減少した。兼業農家に転向した農家のほとんどが、高度成長期の後半までには、かろうじて農産物の生産に携わっているに過ぎなかった。実際は、兼業農家は経済的な理由ではなく、自ら選んで、これまでどおりに農家の屋敷に住んでいるが、農家ではなかったのだ。
 兼業農家へ転向する農家の急増は、江戸時代に農民が農閑期に町へ働きに出かけた「出稼ぎ」を思い起こさせる。兼業農家への転向と出稼ぎの両方が可能だったのは、日本は低地の人口密度が高く、都市と農村が混ざり合っているので、賃金の高い仕事がある都市へ農村から通うことができたからである。
 しかし、一九八〇年代の後半に高度成長期が終焉を迎えた後、一九八四年から二〇〇五年の問に二〇〇万人近くを数えた農業収益の低い農家の多くが、世代交代を契機にして、あるいは経済的理由などで農地を売却して、離農してしまった。専業農家に近い兼業農家ほど、都市の不況に対して強かった。こうした農家は都市の仕事を辞めて、農業に戻る家族が多かったからである。
農業の推移
 戦後、農地や農民の数は長期にわたって大幅に減少したが、耕地面積の動向との相関はわずかである。耕地面積は一九四六年に一旦少なくなった後、一九六〇年頃まで多少増加したが、その後は、しだいに減少していった。
 農業生産高(特に畑作物)の動向の方が耕作面積の増減と密接に関連している。ある地域で生産が減少しても他地域の生産が増加して相殺されていたので、全体的には、農業生産高は安定していた。その安定は、一人当たりの生産性が大幅に上がったことで、農業人口が著しく減少したにもかかわらず、維持されていたのだ。この生産性の向上は機械化によるところが大きいが、国際競争の影響を受けにくい食料品を統合的に生産するようになったことも一役買っている。
 農機具の推移から、機械化は一九六五年から八四年の二〇年間に一番急速に進んだことがうかがえるが、それは国の政策を反映している。一九六一年に政府は機械化と農業化学品の使用を促進することを目標とした「農業基本法」を公布したが、政府の支持層である産業界に歓迎される政策だったことは明らかだ。
 この機械化で省力化が進み、農業人口の急速な減少がもたらされたが、表8-40が示しているように、日本の人口と一人当たりの食料消費量が急増していたにもかかわらず、畑作物の生産量の増加を維持することにはつながらなかった。それどころか、一九五〇年から六〇年代に、全国的に緩やかな収穫量の増加がみられた後、高度成長期の後半から作物生産量の減少が顕著になった。一般的に、レタスやホウレンソウのような傷みやすい作物は国内生産の方が有利だったが、海外の方が安く栽培できて、品質を落とさずに日本へ出荷できる作物(特に穀類や豆類)は、国内生産は振るわなかった。一方、米の生産は主に特別関税制度のおかげで、比較的にうまくいっていたが、高度成長期後には大幅に減少した。
 食料生産の集約化は、畜産の分野で特に顕著だった。食料生産量の最も著しい絶対利得が達成されたからだ。日本では、特にブタやニワトリは家族飼育から工場飼育へ移行していた。
 原乳は一九五〇年に一三万三〇〇〇軒の農家(一軒当たりの乳牛は一頭から二頭)が三六万七〇〇〇トン生産していたが、一九七五年までには一六万軒の農家(一軒当たりの乳牛は一一頭)が四九六万トンを生産していた。そして、二〇〇五年には二万七七〇〇軒の大規模酪農場(一軒当たりの乳牛は六〇頭)が八二九万トンの原乳を市場に出荷していた。ちなみに、一九五〇年には一頭の乳牛が年に一・八五トンの原乳を生産していたが、二〇〇五年までには五トンに増加していた。
 一方、農業技術の変化で割を食ったのはウマであろう。二〇世紀の初めにウマの需要が著しく増大したが、戦後は減少しか。例えば、一九五〇年には九〇万五〇〇〇軒の農家が一〇七万一〇〇〇頭を飼っていたが、一九八五年までには九三〇〇軒の農家が二万三〇〇〇頭を飼育しているだけになった。その後、ウマの数は横ばい状態が続いた後で、少し増えて二万七〇〇〇頭になったが、ウマの飼育農家は減少の一途をたどり、一九九三年には五〇〇〇軒になった。
環境問題について
 一九四五年以降に農業が環境に及ぼした影響は、二つの理由でかつてないほど少なかった。一つには、それ以前は農民は木材や肥料などを森林に大きく依存していたが、第二次世界大戦から復興した後は、森林の利用率が減少の一途をたどり、森林を自力の再生に任せるようになったからだ。
 二つ目には、北海道の「開拓」に至るまでの人間と森林の長期にわたる関係の歴史には、低地の森林を農地に変えることが必ず登場するが、一九四五年以降の農業は森林を農地にほとんど変えていないからだ。それどころか、牧草地、果樹園、耕地を合わせた農地の総面積は一九六〇年頃に六〇〇万ヘクタールと最大に達した後、一九八五年には五四〇万ヘクタール、そして二〇〇五年には四六〇万ヘクタールヘ著しく減少しているのだ。消えた農地の大部分は、前述したように、他の用途に利用されたが、二郎(特に林縁にある利用しにくい土地)は自然植生に戻った。
 一方、農村にもたらされた科学技術の変化は、農民、農地、その隣接地域の環境に二つの負の影響を与えた。都市における化石燃料の利用に比べれば、大したことはないが、化石燃料を使う農機具が大気汚染に拍車をかけたことは否めない。さらに、農薬(主に殺虫剤と除草剤)の普及は大気汚染だけでなく、水質汚染の一因にもなった。そして、その被害は海洋生物や鳥類、周辺の植物だけでなく、農薬を使用した農民や食品に残留する農薬を摂取した消費者にも及んだ。
 例えば、一九六七年の初めに発表された医学報告書に、「殺虫剤などの農薬を使っている農民の四〇%以上が化学薬品中毒の症状を示している」と、記載されている。また、その三年後には、茶の名産地として知られている静岡県の緑茶から許容量の一〇倍を超えるDDT(有機塩素系の殺虫剤)が検出された。こうした調査結果を踏まえて、政府が農薬使用の規制を強めたので、これらの問題は改善され始めた。
 農薬よりもはるかに大きな被害をもたらしたのは、様々な工業生産物や工業が利用する物質だった。前述した漁業関連の汚染問題のように、産業界にも化学薬品による汚染被害を認識し、問題に取り組む意欲を持っていた経営者はいたが、損得勘定には勝てなかった。
 工業的化学薬品の問題には、農家や農作業に及ぼす被害と農産物を通じて消費者にもたらされる被害の二つの側面があった。特に悲劇的な後者の事例がT几五五年に起きた。その年の六月に西日本で、嘔吐する幼児が続出し、中には激しい痛みを伴う胃の病気で死亡する幼児も出た。八月までには、岡山県が行なった調査で、幼児の病気は粉ミルクに入っていたヒ素による中毒症と特定された。そして、このヒ素の入ったミルクは森永乳業の徳島工場で生産されたことが突き止められた。この工場では「粉ミルクの乳質安定剤として安い代替製品」を使用していたのだが、「工業用」と表示されたその代替品にはヒ素が含まれていることが判明したのである。
 森永は誤りを正したが、賠償請求問題に発展した。会社側は請求額は支払えないと拒否した。被害者家族のほとんどは政府のわずかばかりの賠償金を受け取ることにしたが、一部の家族は訴訟を起こし、それが何年も続くことになった。一九六三年一〇月に下級裁判所は被告の森永に無罪判決を下したが、原告は最高裁判所に上告した。それから六年後の一九六九年二月に(その頃には産業汚染は大きな社会問題になっていた)、最高裁は過失で告訴された二人の管理職の却下請求を棄却して、徳島地方裁判所に差し戻した。そこで、裁判は一九七三年一一月までさらに四年間も続いたが、ヒ素入り原料の使用を許可しか森永の製造課長一人の刑事過失を認め、懲役三年間の判決を言い渡した。
 しかし、食物汚染の被害は人間に限ったことではなかった。例えば、一九六八年に西日本で汚染された餌を食べた一〇〇万羽のニワトリが具合が悪くなり、半数が死亡している。また、一九七二年から七三年には同じく西日本で、合成飼料を食べたために、病気になったり、死亡したりするウシや奇形の子ウシを産むウシが続出した。その数カ月後には、汚染された飼料を食べたブタが奇形の子豚を産んだり、死産をしたりしてい以。
 さらに、「従来型の」産業被害で苦しむ農民も後を絶たなかった。第7章で述べたように、鉱山や製錬所、製紙工場は田畑よりも上流にあることが多かったので、何十年にもわたって全国各地で農業被害をもたらしてきたが、戦後もこうした問題はなくならなかった。
 例えば、群馬県の安中では、「東邦亜鉛」の鉱山と製錬所が、一九五〇年代の中頃から汚染物質を大気中や河川に排出して、農地、果樹やクワの木、カイコなどに深刻な被害を与えていた。さらに、一九六〇年代から七〇年代に酪農業が盛んになると、鉱山から排出された汚染物質(特にカドミウム)が牧草地を汚染し、その牧草を食べた牛のミルクに汚染物質が取り込まれて、前述したように全国に広がっていたイタイイタイ病など、消費者に被害を引き起こしていた。
 鉱山や製紙工場の廃棄物よりも厄介な問題は、昔から農地と都市が混在している地理的状況の結果だった。農地と都市が混在していると、工場の増加に伴い、その汚染に晒される農地も増加するからだ。しかし、同時に、産業の発展で、地価が上がり、雇用が創出される利点もあった。その結果、都市に近い農地では農業は困難になったが、離農はしやすくなった。
 こうした状況の中で、水質や大気、土壌の汚染によって作物が売り物にならなくなるような被害を被る農民が増えるにつれて、抗議行動や集団訴訟を起こし、汚染企業の「自発的な」賠償金を受け取る場合もあった。しかし、年月が経つにつれて、特に世代交代に伴い、離農して他の仕事に就く農家が増加した。
 こうした傾向が続くうちに、都市周辺から多くの農地が失われる一方で、都市のスプロール化か進み、全国で農地の分布が変わり始めた。漁業が北海道では発展していたが、東京湾や大阪湾では破綻してしまったのと同様に、農業も東京や大阪などの都市圏では北海道よりも衰退がはるかに速かった。その結果、北海道や他の数県(主に東北地方)が国内の農業生産の大半を担うようになった。
戦後、農業人口が減少の一途をたどったのは、主に農業の機械化が進んだからだが、国民の食生活の変化や国際競争に応じて農作物の種類が変化したことも、その経済的要因になった。農村の衰退が政治的影響力の低下をもたらし、その結果、外国の圧力によって保護関税が引き下げられるようになったために、最近の数十年は国際競争が激化した。
農業が環境に及ぼした影響は、都市の産業汚染の被害を被る一方で、汚染を生態系に広める役割を果たしたが、それほど大きいものではなかった。

豊田市図書館の29冊

2018年11月23日 | 6.本
335.1『グローバル化とイノベーションの経営学』開かれた市場と企業組織による調整
366『君たちはどう働きますか』不安の時代に効く100の処方箋
304『心眼を開く』
222.07『魯迅と紹興酒』お酒で読み解く現代中国文化史
295.3『トクヴィル 合衆国滞在記』
210.76『革命とサブカル』「あの時代」と「いま」をつなぐ議論の度
134.1『神 第一版・第二版 スピノザをめぐる対話』
312.21『北朝鮮 おどろきの大転換』
778.25『忘れられそうで忘れられない映画』
596.65『シュトレン』ドイツ生まれの発酵菓子、その背景と技術
336.3『「かたづけ思考」こそ最強の問題解決』
210.1『日本人はどのように自然と関わってきたのか』日本列島誕生から現代まで
159『138億年の人生論』
767.8『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』
336.1『0→1に広げる発想の極意』
336.1『1→10に広げる企画の極意』
420『教養としての物理学入門』
901.3『周縁から生まれる』ボーダー文学論
302.38『ウクライナを知るための65章』
361.43『リーダーの人間学』
180.9『チベット仏教入門』--自分を愛することから始める心の訓練
420.2『物理学をつくった重要な実験はいかに報告されたか』ガリレオからアインシュタインまで
293.59『オランダ・ショート・トラップ』アムステルダムから30分で行ける小さな街
010.21『システムエンジニアは司書のパートナー~しゃっぴSEの図書館つれづれ~』
913.6『満州ラプソディ 小澤征爾の父・開作の生涯』
991『トロイア戦争の三人の英雄たち』アキレウスとアイアスとオデッセウス
302.29『アゼルバイジャンが今、面白い理由』「第二のドバイ」「日本企業のブルーオーシャン」
159『天才と呼ばれる人の習慣術』
159『にぎやかだけど、たったひとりで』人生が変わる、大富豪の33の教え
 

ヘッドの変更 5.1.1~5.1.4、5.8.1~5.8.4

2018年11月22日 | 5.その他
スマホの課金対策
 スマホの課金対策でスマホを外へ持ち出さないことにした。とりあえずの感覚は軽くていい。スマホでいかに手持ち無沙汰を解消していたか。なくて、集中できるようになった。
中央集権化による余剰発生
 明治維新で中央集権化してみて、日本の資源の大きさに政府は驚いたことでしょう。江戸幕府とは段違い。その勢いで海外侵略を始めた。
未唯家族の滞在
 未唯家族の滞在はイベントなしに1週間。奥さんと買い物ツアーをしていたみたい。お金のある人は違いますね。
理念を大きく掲げよう
 高齢者専用宅配⇒シェアード先行。こういった世界を目指します。
図書館の整理休館
 スタバが学生で一杯。月~金までの休館日の午後のスタバは避けよう。
キーワード空間の出番
 次はジャンルを超えてテーマ検討を行なう。
5.8.1「企業存続条件」
 企業は循環させる力として、意味を見出す。モノを作って、売った利益で循環させていくという、消費型の面倒くさいやり方ではなく、高度サービスのような直接的な力を効率よく使っていく。
 家庭で食事を作るために、料理の素人である奥さんが原材料をスーパーで購入して、少人数分作るよりも、効率的なやり方はいくらでもある。現に独身者がやっているやり方に合わせていく。これは育児についても同じである。
5.8.2「企業を配置する」
 企業単独で考えるのではなく、循環の中に入れ込む。家庭そのものを循環に取り込んで、企業をサービスとして位置づける。
5.1.1~5.1.4、5.8.1~5.8.4
 5.1.1 私のためにある
  電算部門
  技術部門
  販売部門
  役割なき役割
 5.1.2 技術部で先を見る
  各人が頂点をもつ
  プロの姿勢
  システムの変化
  全体を捉える
 5.1.3 夢で仕事をする
  皆の夢
  夢を持つ
  組み合わせる
  カタチにする
 5.1.4 数学は武器
  先が見える
  全体が見える
  インフラ
  作るから使う
 5.8.1 企業の役割
  持続可能性
  存在する意味
  存在の力
  循環させる
 5.8.2 企業を配置する
  配置を考える
  情報共有に対応
  シェアード
  新しい社会構造
 5.8.3 クルマで見本
  社会コスト
  生活者視点
  電気自動車
  シェアに対抗
 5.8.4 社会変革
  所有権放棄
  家族制度
  移動負荷
  環境社会

5.1.1~5.1.4、5.8.1~5.8.4

2018年11月22日 | 5.その他
5.1.1 私のためにある
 電算部門
  ①部品表構成
  ②システム設計
  ③データベース解析
  ④個人の能力
 技術部門
  ①自由に考える環境
  ②夢をカタチにする
  ③技術者の思考
  ④プロは個人仕事
 販売部門
  ①お客様との接点
  ②情報共有ステム
  ③販売店と信頼関係
  ④名古屋の人は考えない
 役割なき役割
  ①生まれてきた役割
  ②組織の枠を超える
  ③内なる世界
  ④外なる世界に展開
5.1.2 技術部で先を見る
 各人が頂点をもつ
  ①技術者の思考方法
  ②部分から全体がある
  ③総合的に考える
  ④平等に対する考え
 プロの姿勢
  ①アイデアと粘り
  ②解は必ずある
  ③明確な説明
  ④プロとシンクロ
 システムの変化
  ①活用技術に向かう
  ②サーバー活用
  ③集中から分散
  ④システムで分化
 全体を捉える
  ①実験環境を理解
  ②データ表現
  ③ヘッドロジック発見
  ④多様な世界を表現
5.1.3 夢で仕事をする
 皆の夢
  ①スタンスを決めた
  ②夢を聞き出す
  ③自分の夢にする
  ④実現に会社は使う
 夢を持つ
  ①大きな夢を持つ人
  ②技術部の風土
  ③哲学を入れ込む
  ④危機感を煽る
 組み合わせる
  ①未知の領域を創出
  ②新しいカタチ
  ③自分自身が構築
  ④見せる化で理解
 カタチにする
  ①何をしたいか
  ②インタープリター
  ③仮説から空間を創造
  ④自然な仕組み
5.1.4 数学は武器
 先が見える
  ①シミュレーション
  ②シンプルな考え
  ③仕事は簡単
  ④新技術を読む
 全体が見える
  ①組織を超える
  ②目的と効果
  ③自分の世界を構成
  ④事例で展開
 インフラ
  ①技術者自身が構築
  ②楽しんで活用
  ③明快に作り出す
  ④環境は進化する
 作るから使う
  ①仕事をなくす仕事
  ②徹底的に使う
  ③作る喜び
  ④思いが先に存在
5.8.1 企業の役割
 持続可能性
  ①循環エネルギー
  ②売るだけではダメ
  ③組織はハイアラキー
  ④インフラに只乗り
 存在する意味
  ①クライシス対応
  ②全体に位置づけ
  ③効率エネルギー提供
  ④地域の自立支援
 存在の力
  ①コミュニティ中心
  ②市民は全体を意識
  ③企業を地域に配置
  ④循環する仕組み提供
 循環させる
  ①全体を考える
  ②パートナーが先導
  ③偶然を行動に活かす
  ④ジャンヌ・ダルク
5.8.2 企業を配置する
 配置を考える
  ①企業と社会の関係
  ②多様な個人を包含
  ③機能不全の解消
  ④制約を超える
 情報共有に対応
  ①クラウドの提供
  ②分化した市民
  ③個々にシンクロ
  ④市民につなげる
 シェアード
  ①図書館が先行
  ②パートナーの役割
  ③地域から循環開始
  ④使うことで平等化
 新しい社会構造
  ①インフラのLAN配置
  ②地域の優先順位決定
  ③WANで産業革命
  ④サファイアを意識
5.8.3 クルマで見本
 社会コスト
  ①エネルギー効率
  ②移動コスト低減
  ③情報技術の活用
  ④費用分担の公平化
 生活者視点
  ①利用状況を把握
  ②市民の状況把握
  ③コンテンツ共用
  ④手段の共有化
 電気自動車
  ①地域エネルギーで対応
  ②プラグアウト発想
  ③地域で管理
  ④利益の分配
 シェアに対抗
  ①利用目的のあり方
  ②スマホから指示
  ③シェア車開発
  ④地下駐車場設置
5.8.4 社会変革
 所有権放棄
  ①道路の使用権
  ②クルマは誰のモノ
  ③道路は皆のモノ
  ④所有する意味はない
 家族制度
  ①生存負荷の軽減
  ②市民の最小単位
  ③コミュニティで運行
  ④市民の自立が前提
 移動負荷
  ①クルマを常時活用
  ②お互い様の世界
  ③移動ニーズ減少
  ④軽車両専用道路
 環境社会
  ①情報技術活用
  ②エネルギーの地域化
  ③いい社会の実現
  ④ソフトパス

4.1「組織の形態」

2018年11月21日 | 4.歴史
4.1「組織の形態」
 組織の形態としたのは、歴史の一つとしての組織。それを象徴としていた国民国家。そこにおける形態は結局、安定しなかった。
 20世紀前半は総力戦に終始した。全体主義、共産主義、そして民主主義。そこでは自由と平等がキーワードだった。
4.1.4「国民国家の論理」
 国民国家は、自由を保証する中央集権体制とすると、個人と社会との関係で格差は必ず発生する。
 組織において、自由と平等はトレードオフの関係にある。民主主義という空間の歪みです。
 東京支配に対して、地方がどう立ち向かっていくのか。名古屋のような中途半端では負けるに決まっている。SKEのような無様な存在になる。
4.2.1「地域支配」
 4.2「国民国家」の構図は
 4.1.4.2「中央集権⇔4.2.1「地域支配」
 4.1.4.1「自由を保証」⇔4.2.2「内なる自由」
 4.1.4.3「個人と社会」⇔4.2.3「国家と国民」
 4.1.4.4「格差社会」⇔「国民の状態」
 をとりあえず、割り当てる。本来、個人と社会であったものが、国家に対する国民になった。関係が逆転した。