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ヘッドの変更 10.3.1~10.4.4、10.7.1~10.7.4

10.3.1 存在は無
 <今>・ここを祥明
 そこに宇宙がある
 無限次元空間
 数学は無を扱える
10.3.2 集合は点
 集合は点、点は集合
 個と全体は同じ
 中間がある
 中間のみが実体
10.3.3 超国家は個人
 国家は中間
 EUは超国家
 数学は先行する
 全体と個の関係
10.3.4 個の意識
 個は全てを含む
 歴史の中の個
 個が自立する
 平等な社会
10.4.1 意思の力
 宗教者
 指導者
 哲学者
 ルサンチマン
10.4.2 歴史の解釈
 自由を獲得
 空間認識の経緯
 ツールの進化
 個人を武装化
10.4.3 歴史の<今>
 生きている
 歴史の重み
 時間は加速する
 <今>しかない
10.4.4 宇宙の歴史
 137億年
 多重宇宙
 試される人類
 歴史の変節点
10.7.1 私の世界
 出発点
 私は私の世界
 私の世界を表現
 作成の生活規範
10.7.2 宇宙に展開
 社会を再配置
 シェアする世界
 位相構造
 宇宙に飛び出す
10.7.3 全てを知りたい
 全てって何?
 ここにいる理由
 何を知りたい?
 存在するとは
10.7.4 知ってどうする
 私がいない世界
 問われれば応える
 山を下りる
 次の頂きへ
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10.3.1~10.4.4、10.7.1~10.7.4

10.3.1 存在は無
 <今>・ここを祥明
  ①今・ここを証明
  ②私は私の世界
  ③放り込まれた存在
  ④自由でいられる
 そこに宇宙がある
  ①宇宙では無
  ②内なる世界のみ存在
  ③内に宇宙がある
  ④無限大は無に収束
 無限次元空間
  ①地球原理の仮説
  ②多重宇宙で説明
  ③数学の世界に住む
  ④多重宇宙のロジック
 数学は無を扱える
  ①全てを求める
  ②存在と無が共存
  ③存在する意識
  ④全てが無に帰する
10.3.2 集合は点
 集合は点、点は集合
  ①新しい集合論
  ②コンパクト空間
  ③次元の圧縮・拡張
  ④点と集合の配置
 個と全体は同じ
  ①端と中核がつながる
  ②トーラス形状
  ③個と全体が共存
  ④無限が表現できる
 中間がある
  ①三段階論理の適用
  ②下位の要望集約
  ③上位の意思を企画
  ④ヘッドロジック
 中間のみが実体
  ①家族・国家は中間
  ②個人は基本的単位
  ③コミュニティと同等
  ④配置のみ有効
10.3.3 超国家は個人
 国家は中間
  ①国家は境界を作る
  ②宗教と民族の括り
  ③国民国家の弊害
  ④企業に境界はない
 EUは超国家
  ①欧州2020戦略
  ②EU内で循環させる
  ③多様な価値観の国
  ④EUから規約と指令
 数学は先行する
  ①多様な中間の存在
  ②個をまとめる単位
  ③超国家との連携
  ④三段階論理で具体化
 全体と個の関係
  ①個は生きている
  ②分化する場を求める
  ③思いを発信
  ④全体での配置と循環
10.3.4 個の意識
 個は全てを含む
  ①個人が分化する
  ②ユニット活動
  ③エンパワメント
  ④集合をなす
 歴史の中の個
  ①歴史哲学は後付け
  ②内なる世界を表現
  ③時空間を形成
  ④伝播力を活用
 個が自立する
  ①基本的な単位と認識
  ②持続可能な教育
  ③個人を生かす仕事
  ④期間限定の家族
 平等な社会
  ①配置された時点で平等
  ②所有ではなく、利用
  ③多様な政治形態
  ④ソーシャルな環境
10.4.1 意思の力
 宗教者
  ①クルアーンは戒律
  ②キリスト教は救いの道
  ③南無阿弥陀仏と唱える
  ④一神教という災い
 指導者
  ①ヒトラー:全体主義
  ②スターリン:祖国戦争
  ③毛沢東:文化大革命
  ④アレキサンダー:帝国
 哲学者
  ①フッサール:現象学
  ②ルソー:宗教改革
  ③ソクラテス:対話
  ④デカルト:二元主義
 ルサンチマン
  ①宗教は奴隷を救う
  ②指導者は暴走する
  ③革命家は殺される
  ④哲学者は歴史の主役
10.4.2 歴史の解釈
 自由を獲得
  ①国民国家による自由
  ②総力戦を招いた
  ③不平等な社会
  ④新しい民主義
 空間認識の経緯
  ①ユークリッド空間
  ②デカルト座標系
  ③点からなる位相
  ④自由で平等な空間
 ツールの進化
  ①戦争と科学技術
  ②インターネット
  ③イノベーション
  ④AI技術
 個人を武装化
  ①ヒッタイトの鉄
  ②種子島の鉄砲
  ③総力戦で意識の変化
  ④情報共有ツール
10.4.3 歴史の<今>
 生きている
  ①存在と時間
  ②<今>という時間
  ③存在の脆弱さ
  ④未来から<今>を問う
 歴史の重み
  ①好き嫌いで判断
  ②個人の多様性
  ③存在とクライシス
  ④歴史の現場意識
 時間は加速する
  ①100年が1年に圧縮
  ②クライシスで加速
  ③多様化が拡大
  ④拡散から凝集
 <今>しかない
  ①個人の自立
  ②持続可能な社会
  ③役割を果たす
  ④サファイア社会
10.4.4 宇宙の歴史
 137億年
  ①137億年の経緯
  ②地球という偶然
  ③<今>という時間
  ④未来は存在しない
 多重宇宙
  ①変化が常態
  ②拡張の収縮
  ③宇宙原理の範囲
  ④繰り返す宇宙
 試される人類
  ①大いなる意思
  ②環境社会は課題
  ③存在の力で覚醒
  ④私は預言者
 歴史の変節点
  ①2050年に折り返し
  ②さあ!始まよう
  ③個人の複数性
  ④存在の意味を探る
10.7.1 私の世界
 出発点
  ①数学をベースとする
  ②存在と無が始点
  ③ブログに痕跡を残す
  ④現象の確認
 私は私の世界
  ①私のすべてを表現
  ②配置の多重化
  ③私の世界を完結させる
  ④女性が外との接点
 私の世界を表現
  ①分化プロセス
  ②物理層と論理層
  ③言葉の限界
  ④カテゴリー定義
 作成の生活規範
  ①本のDNA抽出
  ②自分のために仕事
  ③パートナーを接点
  ④家庭生活に投影しない
10.7.2 宇宙に展開
 社会を再配置
  ①非正規の言葉空間
  ②サファイア理論
  ③次の世界を示唆
  ④配置で社会を見直す
 シェアする世界
  ①存在で個の覚醒
  ②他者の世界に写像
  ③公共意識を体現
  ④新しい民主主義
 位相構造
  ①進化の先にある世界
  ②社会を位相表現
  ③近傍で伝播
  ④環境社会と定義
 宇宙に飛び出す
  ①多重宇宙の偶然性
  ②時空間のコード化
  ③未唯宇宙の近傍系
  ④全てを知る意味
10.7.3 全てを知りたい
 全てって何?
  ①大いなる意思が示す
  ②偶然の重なり
  ③2050年の変節点
  ④ソクラテスECHO
 ここにいる理由
  ①放り込まれた
  ②知らずに去れない
  ③時間が続いている
  ④立ち位置を知る
 何を知りたい?
  ①私に求められるもの
  ②新しい数学の姿
  ③自由と平等の関係
  ④歴史の先行き
 存在するとは
  ①存在の理由
  ②先を知りたい
  ③存在の力に至る
  ④自分を知る
10.7.4 知ってどうする
 私がいない世界
  ①いない世界が存在?
  ②来る前の世界?
  ③自分と他者の差異
  ④求めるもの
 問われれば応える
  ①私からは言わない
  ②独我論は語らない
  ③思考のきっかけ
  ④ECHOでトレース
 山を下りる
  ①変革は始まるはず
  ②超人の生き方
  ③哲学している
  ④ソクラテスの対話
 次の頂きへ
  ①次があるのか
  ②冗談じゃない
  ③平静を装っている
  ④宇宙を旅する
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『カラマーゾフの兄弟』の試訳

『いま、息をしている言葉で。』より 翻訳の多様性

 創刊時から予想外の売れ行きを示し、のちに外国文学の古典では例外的なベストセラーとなった『カラマーゾフの兄弟』を依頼した時のことです。今野哲男さんのコーディネイトでロシア文学者の亀山郁夫さんと会うことになりました。場所はご自宅近くの喫茶店でした。

 私たちは亀山さんの著作は当然ですが、いくつも読んでいました。『破滅のマヤコフスキー』(筑摩書房)、『磔のロシア--スターリンと芸術家たち』(岩波書店)、『熱狂とユーフォリア-スターリン学のための序章』(平凡社)など評判になったものにはすべて目を通していました。この企画では何をお願いしようかと考えてはいましたが、亀山さんの提案にも興味がありました。ドストエフスキーならたぶん『悪霊』になるのではないかとも漠然と考えていました。やがて亀山さんが少し疲れたような表情をして現れました。精神的な集中を長時間続けた後なのだろうと思いました。

 企画の提案には静かな語り口で答えてくれました。一番印象に残っているのは、翻訳がいかに大変な仕事であるかを淡々と語ったことです。翻訳をお願いするばかりの私たちには勉強になる話でした。亀山さんは新訳は引き受けるが、どの作品にするかは一週間考えたいと言いました。

 一週間後再び同じ喫茶店に現れた亀山さんは、前回とは少し違う印象がありました。快活な調子で思い切ったようにこう切り出したのです。

  「ドストエフスキーをやるなら、『カラマーゾフの兄弟』からやってみたい」。それを聞いて、「いきなりカラマーゾフか。大変だなあ」と思ったのを覚えています。しかし実に魅力的な提案でした。世界文学史上最大の小説です。もちろん最初から取り組むには、編集部にとって荷が重い作品であるのは確かです。創刊前ですからシリーズのタイトルさえ決まっていませんでしたし、文庫という形式も決めていませんでした。古典新訳文庫はまだ影も形もなかったのです。しかし私と今野さんは逡巡することなく言いました。

  「分かりました。それでは試訳をお願いします。それを検討してから決めさせてください」

 「試訳」という言葉は翻訳の世界ではよく使われます。全体ではなく一部分を試みに翻訳してもらうことをいいます。文体のスタイル、人称の問題、注の入れ方などを事前に検討するためです。正式に翻訳を発注する前の、いわば翻訳者と編集部のお見合いのようなものだといえばお分かりいただけるでしょうか。全体を訳してからでは、もし訂正をお願いすると膨大な作業になってしまいます。ですから必ず最初に依頼している作業です。編集部の目指す方向と訳文が違うと思われる時は、双方話し合って相違点を確認した後、もう一度試訳をしてもらいます。それでも合意に達しないときは、三回目の試訳をするか、そこで終了するか話し合って決める。もちろん場合によっては試訳が四回になることも珍しいことではありません。

 このやりとりを終了してから、正式に依頼することになるのです。もちろん一部を読んだだけですから、全体を読んで再び部分的な訂正をお願いすることもあります。この試訳は大変に重要な作業です。その試訳を亀山さんにお願いしたのです。

 やがて今野さんの手元に『カラマーゾフの兄弟』の試訳が届きました。大変な努力をしていただいたことはすぐに分かりました。しかし私たちが馴染んできた今までのロシア文学の正統的な翻訳をまだ幾分か踏襲しているように思えたのです。編集部もうまく意を伝えられていない憾みがありました。結果として、もう一度試訳をお願いすることになりました。亀山さんはこちらの熱意に応えてくれました。大変な作業だったと思いますが微塵もそんな気配は見せませんでした。

 もちろん今野さんも私もロシア語は一語もわかりません。翻訳というものを最終的に決めるのは日本語であるという信念あるのみです。『カラマーゾフの兄弟』を新訳で出すということには編集者としても想像以上のプレッシャーがありました。高校時代から埴谷雄高などをすぐに持ち出す友人に囲まれていたので、「大審問官」という劇中劇とでもいうべき伝説的な箇所を含めて読んではいました。しかしこの小説を理解していると思える人間は極めて少数しかいないことはよく承知していましたし、自分自身を含めて満足のいく読書になっていない方が多数派だということも十分認識していました。

 いきなり大舞台に上った感じもありました。古典を擁する文庫で、『カラマーゾフの兄弟』が入っていないものはありません。文字通り最大の商品です。勢い慎重にならざるをえません。

 ふたたび届いた原稿を前に、私と今野さんは話し合いました。今野さんがその時強調したのは、彼が再び読み直した岩波文庫の米川正夫訳のリズミカルな文体の力でした。確かに八十年以上前の翻訳ですので出だしの「著者より」に使われている一人称は「余」という古風なものであり、使われている日本語も古いことは否めませんでしたが、文体は意外に読みやすいリズムを持っていることに気づいたのです。

 原卓也訳、米川正夫訳、その他の訳を含めて今野さんと二人で何度も吟味しました。結論は米川訳のリズムの良さは残しつつ、現代的な表現ですらりと読ませるという、言うのは簡単ですが、その実なかなか難しい注文でした。

 亀山さんともう一度お会いして話そうと思った私たちは再度の打ち合わせを申し入れました。

 その日のことはよく記憶しています。午後遅い時間に御茶ノ水駅で待ち合わせた後、さっそくいつものように喫茶店に行くことを提案しました。

 ところが亀山さんは少し沈黙したあと、唐突に「酒が飲めるところがいい」と言うのです。まだ陽は高い。それでもせっかくのリクエストです。何とか開いている居酒屋はないかと探しました。一軒すでに営業を始めているように見える店があったので、二階へ続く階段を上るとドアを開けて、もう飲めますかと聞きました。店長らしき人物が笑顔で現れて、「もうすぐ朝礼が始まりますので、うるさいかもしれません。それでもよろしければどうぞ」と言ってくれました。亀山さんにそう告げると「全く問題ない。そこに行こう」との答え。私たちは開店前の鎧えた匂いのする居酒屋に入って早速ビールを注文しました。

 つまみをとり、話は重い雰囲気の中で始まりました。今野さんは編集者になる前は、芝居をやっていた演劇人です。ですから昔取った杵柄で携えてきた岩波文庫の米川訳を朗々たる声で読み始めました。役者を辞めてから十数年ぶりに人前でセリフを喋ったことになったそうです。このリズム、そして今という時代を反映した新しい文体。ロシア文学の翻訳に特有の重い文体ではなく、ドストエフスキーの晦渋さを十分反映しつつも流れるように読めるもの……。

 亀山さんの表情が我々の身勝手な発言のたびに曇る。とその時でした。

 「お客様には丁寧に!」「今日も一日笑顔でいこう!」典型的な居酒屋の朝礼が始まり、店長の声が店内に響き渡りました。そのあとを従業員たちが復唱する。これにはこちらの張りつめていた神経も大いに緩んでしまいました。吹き出しそうになるのを堪えながらさらに続けました。

  「ドストエフスキーが今の日本に生きていて、日本語で書いたらどんな文体になったでしょうか」

 じっと聞いていた亀山さんでしたが、最後に一言「分かった」と言ったのです。やり直しをお願いしても一向に怒り出さない亀山さんの包容力に感謝しつつ、それから少し飲んで別れました。この話は亀山さん自身が講演で壇上から私を指さしながら「そこに座っている光文社の駒井さんに試訳の原稿を返されて、最後は居酒屋に行って打ち合わせをしたんです」としばしば披露されているから、もしかしたらお聞きになった方もいるかもしれません。

 それから間を置かずして、亀山さんから新しい原稿が送られてきました。それこそが、あの新訳『カラマーゾフの兄弟』の素晴らしい翻訳だったのです。私たちの意図が十全に反映された訳文でした。それから刊行まで亀山さんには大変な作業をお願いすることになり、結局五回も校正を重ねて第一巻は完成しました。創刊を飾る一冊でしたが、最初から売れ行きが非常に良かった。読者は読める『カラマーゾフの兄弟』を熱望していたのです。
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曰独伊三国同盟

『近代日本を形作った22の言葉』より

 1940(昭和15)年9月27日、ベルリンで調印されました。第一次世界大戦後、国際連盟とパリ不戦条約によって目指された平和を希求する国際秩序は既にほとんど崩壊していました。直接の大きなきっかけは1929(昭和4)年にアメリカの株式市場の大暴落から始まった世界大恐慌です。この時代の国際協調主義を支えていたのは平和への期待だけではありません。経済発展です。第一次世界大戦で発揮されたアメリカの底しれない物量主義はこの国の巨大な経済力を世界に実感させました。アメリカと協調すれば世界は分け前にあずかれる。この信念を打ち砕いたのがアメリカ発の大恐慌だったのです。

 国際協調を続けては悪影響を被る。列強は、国際協調よりも、自国中心の政治的・経済的・軍事的広域圏を建設し、棲み分けて生き残りをはかろうとしました。イギリスは本国と広大な植民地との連携を強化し、アメリカは中南米の囲い込みに努めます。日本とドイツとイタリアもまた同様の道を歩み、国家体制のファシズム的な点も似通っていたせいもあり次第に接近し、ついに同盟に至りました。

 現代語訳

  大日本帝国政府、ドイツ国政府、イタリア国政府は、すべての国がそれぞれの所を得ることをもって、恒久平和の先決要件であると認められることを理由に、アジアおよびヨーロッパの地域において、それぞれの地域で民族の共存共栄の実現に必要な新秩序を建設し、かつ、これを維持することを根本の意義とし、先の地域においてこの趣旨による努力を行い、相互に提携し、かつ協力することを決意した。

  さらに、三国の政府は、世界のいたる所で同様の努力をやリ遂げようとする諸国に刻し、協力を川しまない。それにより、世界平和に対する三国の約束を実現することを望む。よって日本国政府、ドイツ国政府、およびイタリア国政府は、次の通り、協定をする。

   第1条 日本国は、ドイツおよびイタリアの、ヨーロッパにおける新秩序の建設について、指導的地位を認め、かつ、これを尊重する。

   第2条 ドイツおよびイタリアは、日本国のアジアにおける新秩序建設について、指導的地位を認め、かつ、これを尊重する。

   第3条 日本国、ドイツおよびイタリアは、前記の方針に基づいて努力をし、相互に協力すべきことを約束し、さらに、三締約国のうち、いずれかの一国が現に欧州戦争、または日中紛争に参入し、他の一国によって攻撃された時は、三国はあらゆる政治的、経済的、軍事的方法によって、相互に援助することを約束する。

   第4条 本条約実施の為、各日本国政府、ドイツ政府、およびイタリア政府によって任命された委員から成る混合専門委員会は、遅れることなく開催されるべきものとする。

   第5条 日本国、ドイツおよびイタリアは、前記の諸条項が、三締約国それぞれとソヴィエト連邦との間に現存する政治的状態に、なんら影響を及ぼさないことを確認する。

   第6条 本条約は、署名と同時に実施され、実施の日より10年間有効とする。この期間が満了する前に、適当な時期において、締約国中の一国が要求した場合、締約国はこの条約の更新について協議しなくてはならない。

  この証拠として次の者は、各本国政府より正当の委任を受け、この条約に署名調印した。

 解説

  アジアの覇権、アメリカヘの抑止として--荻上

  楽観論をもとにした間違った選択--片山

  荻上:第二次世界大戦が行われていくなかで、日本がどういう国と連携し、世界の秩序を荒らそうとしていると他国が見ていたのか。この三国同盟の結ばれ方と内容から、読み取ることができます。日本、ドイツ、イタリアの三国が、当時の戦時下のなかで独特の全体主義国家をっくり、新秩序を建設しました。これは明らかに、それまでの国連体制や米英仏などを中心とする他の国家の動きに、対抗しようという狙いがあります。

   フランスに報いたいドイツと、満州や他のアジアに進出したい日本。地理的にもアジアとヨーロッパで、もろもろの利害が一致した結果、関係が結ばれたわけです。

   日独伊の三国は植民地主義に乗り遅れていた。これから植民地を拡大させたい国同士が形成した同盟です。それぞれの理念と正義を拡大したいという思惑があったのでしょう。それぞれの具体的な権限などはさておき、ひとまず戦争協力で一致しておきましょう、といった内容です。

  片山:日独伊三国同盟を結んだことで、日本は連合国側に「ファシズム国家」「全体主義国家」「ナチスの仲間」といったイメージを持たれる決定的な要因になりました。[日ソ中立条約]とも絡めると、「日独伊」と「ソ」は国際連盟の中で大きな役割を担いながら、連盟から外れた大国です。

   国際連盟の体制とは何であったか。経済については、今日で言うところのグローバリズムを志向していたと思います。アメリカのウィルソン大統領は第一次世界大戦中の1918年1月、アメリカ連邦議会で演説し、「14ヵ条の原則」を発表して、国際連盟の構想を打ち出しましたが、その中には次のような内容が含まれていました。

   「平時戦時にかかわらず領海外つまり公海における海上交通を絶対に自由にすること」「平和を維持するために国際連盟に参加した諸国間からは一切の経済的障碍をでき得る限り取り除くこと」「公平な通商条約が結ばれなければならないこと」

   アメリカ主導の世界自由貿易体制が国際連盟とセットで意図されていたことは明白でしょう。戦争の反対語は平和でなく貿易という古典的な考え方がありますが、ウィルソンの態度はそれを地で行くものでした。しかし、相互経済依存が平和の恒常化につながるというのは、お互いの繁栄が前提となってのことです。世界大恐慌となると、企業の連鎖倒産のような状態が多国間で現出します。不況や恐慌までが輸出されてしまう。壁を作り、閉鎖された経済ブロックを設定して生き残るという方策が、時代の選択肢として説得力を持つようになりました。

 崩れたシナリオ、決定的失敗

  片山:日本とドイツとイタリアが国際連盟を脱退した理由は、結局グローバリズムを否定したからでしょう。日本は1931(昭和6)年に満州事変を起こし、翌年に満州国が建設されました。しかし、国際連盟はこの国を認めず、日本は1933(昭和8)年に連盟を脱退。同年、ドイツでは「ヴェルサイユ体制」の打倒を政治目標に掲げる国民社会主義ドイツ労働者党けチス)が政権をとり、口約通り国際連盟を脱退。ムッソリーニ率いるイタリアも遅れて1937(昭和12)年に第二次エチオピア戦争を契機として国際連盟を脱退しました。

   日本とドイツとイタリアは国際連盟の4つないし5つしか席のない常任理事国を務めた国々でした。この三国は国際協調主義を放棄する過程において接近してゆきました。まず日本とドイツは1936(昭和11)年11月25日、日独防共協定を結び、翌年11月6日、イタリアがこれに加わりました。国際協調主義が破れて同盟外交に復する。第一次世界大戦のときまで時計の針が戻ったのです。

   日独伊防共協定の出来上がる4ヵ月前の1937年7月7日、北京で盧溝橋事件が起き、日本と中国国民党政府との企而戦争へと拡大しーてゆきました。1939(昭和14)年9月にはドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が欧州で始まります。日本もドイツも、最も気にしたのはアメリカの動向です。

   アメリカはアジアにおいては蒋介石率いる中国国民党政府を支持し、欧州ではイギリスに近しい立場をとり続けていました。ドイツと日本はアメリカを牽制するためには、やはりイタリアを巻き込んで防共協定を軍事同盟に発展させて、「力の均衡」を強めることが効果的であると考えました。それから第二次世界大戦がドイツの勝利に終わるだろうと予想して、そのあとの「世界分割」の構想も組み込まれました。こうして日独伊三国同盟が締結されたのです。

   ここに独ソ不可侵条約と日ソ中立条約が絡みます。ソ連も日独伊と同じく国際連盟で大きな役割を担いながら、除名になった大国です。

  荻上:この4カ国が絡み合う形で、国際連盟秩序に対抗する別の秩序をつくるという流れですね。

  片山:現実的には日本としては、日独伊三国同盟を結ぶときの大前提的な予測がありました。ドイツがソ連と戦争をしないこと。ドイツがイギリスとの戦争に勝つこと。この予測が当たると思って、ヒトラー率いるドイツと同盟を結んだわけです。シナリオが外れるとわざわざ同盟する意味がない。しかしどちらも外れました。決定的な失敗です。
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