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ふつうにいない

ふつうにいない

 スタッフに聞きたくない。25年前のメール遮断のトラウマ。

図書カードを忘れた

 カード入れとローディアを間違えて、図書館へ。図書カードなしでは借りられず。27冊を預けて、家まで取りに行った。

明日は豊田市図書館20周年

 20年前にボランティアとして、エプロンを着けて、3階入口でお出迎え。

吉野家の牛鍋ファミリーが出ている。いつ食べようか?

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豊田市図書館の30冊

292.31『ベトナムとバリアフリー』

687.06『JALの奇跡』稲森和夫の善き思いがもたらしたもの

702.3『西洋美術の教室』世界でいちばん素敵な

290.93『ギリシアとエーゲ海の島々&キプロス』

014.45『日本十進分類法の成立と展開』日本の「標準」への道程 1928-1949

371『教育原理』よくわかる! 教職エクササイズ

361.65『秘密結社』世界を動かし続ける沈黙の集団

312.53『リベラル再生宣言』

762.34『ベートーヴェン捏造』-名プロヂューサーは嘘をつく-

367.3『家族のコトバ2』家族と向き合う編

028.09『ヤングアダルトの本』悩みや不安 迷ったときに読む4000冊

319.21『米韓同盟消滅』

706.9『アートと地域づくりの社会学』直島・大島・越後妻有にみる記憶と創造

361.85『ノマド--漂流する高齢労働者たち』

007.3『デジタル・エイプ』テクノロジーは人間をこう変えていく

302.1『地図で見る日本ハンドブック』

367.7『年代別 医学的に正しい生き方』人生の未来予測図

302.43『「アラブの春」とは一体何であったのか』大使のチュニジア革命回顧録

159『元気になる「読み薬」』人生を豊にする93の知恵

935.6『回想録 ヨーロッパめぐり』

336『AIをビジネスに実装する方法』「ディープラーニング」が利益を創出する

336.1『オリジナルシンキング』想像と創造の磨き方

326.56『不安解消! 出所者支援』--わたしたちにできること

320『法学部、ロースクール、司法研修所で学ぶ法律知識』主要10法と法的思考のエッセンス

314.8『総選挙はこのようにして始まった』--第一回衆議院議員選挙の真実--

210.6『近代と現代の間 三谷太一郎対談集』

134.4『ヘーゲルを越えるヘーゲル』

304『トランプVS金正恩 その暗闇・裏側の超真相』

480.36『動物学の百科事典』

366.38『家族・地域のなかの女性と労働』共稼ぎ労働文化のもとで
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数字の山を、使える資源に変える

『デジタル・エイプ』より 拡張された知恵

数字の山を、使える資源に変える

 アップルは、時価総額による評価では史上最大の企業だ。すべての製品に、ひと口かじり取られたリンゴをかたどったロゴマークが付いている。リンゴは、キリスト教の中核をなす神話、神の恩寵に庇護されたエデンの園からの人間の失墜の象徴である。ジョン・ミルトンの叙事詩『失楽園』(書かれたのは科学革命の時代だった)では、悪魔が知恵の木、すなわち「聖かつ賢明なる、しかして知恵を与うる樹」「知識の母なる樹」に実っている禁断の果実を食べるようにイブをそそのかす。食べれば、「すべてのものの生成の源を知るばかりでなく、どれほど賢いといわれていようとも、あのいと高き者たちの、さまざまな思慮を追跡」できるようになると言うのだ。こうして原罪を犯した瞬間、アダムとイブは、自分たちが裸であることと死を免れないことに気づき、科学と自意識、知識と知恵の謎に苦しみ始める。その上、楽園から追放されてしまう。楽園とは、アップルが彼らのデバイスによって建設していると批判されている「壁に囲まれた庭」のことだ。

 デジタルなサルは、ここまでの長い道のりを非常に急速に進んできたし、いまなお加速を続けている。私たちは、遺伝子の96パーセントを、最も近い親戚であるチンパンジーと共有している。そして70パーセントを、一箱の白身魚のフライと共有している(人間の遺伝子の70パーセントはゼブラフィッシュのものと類似しているという研究がある)。私たちを人間たらしめているユニークな4パーセントが、「動物的」な96パーセントを完全に出し抜くことは決してできないだろう。また、その逆も決して起こらないだろう。しかしいまでは、驚くべき乗算機がその4パーセントの効果を高めてくれる。この4パーセントの主要な成分は、私たちの親指をほかの指と対置できるようにする遺伝子だが、この親指のおかげで私たちは道具をつくり、言語、文化・知識などの、集団的な驚異を生み出すことができるようになった。ミルトンのリンゴは、彼の同時代人であるニュートンに重力を教えた伝説的なリンゴであり、さらに、迫害を受け、自殺を企てたチューリングが毒を仕込んで食べたリンゴでもあったのだろう。知恵の木はいまもなお危険だが、その一方で、生命の木(エデンの園の中央にあって、その実が無限の生命を与えるとされる木)が掲げている不死の約束に、私たちはいまなお執着している。

 種としての私たちを定義する特徴は、私たちは自分を知っており、また、自分について知っているということだ。だが、それはある程度までである。私たちは学ぶ。ある程度まで。だから私たちは、数十万世代にわたって維持してきた道具との関係について知っている。私たちは道具を、いまの姿のものとして受け止める。つまり、超高速で、超複雑で、非常に強力なものとして受容する。こうした私たちの本質そのものと絡み合っているデジタル装置が私たちの環境を支配するようになり、私たちの環境は新たなデジタル生息環境へと急速に変貌しつつある。それに関する自分たちの知識を、どう使えばいいのだろうか?

 われわれは、ロボットとの親しい交わりにおいて新たな段階に入った。ロボッ卜は、かつては人間だげが行っていた社会タスクや産業タスクを、ますます幅広く行えるようになっている。先に紹介したルチアーノ・フロリディの予測では、このような状況が続けば、逆説的にも、アニミズムの世界への逆行が起き、ほとんどの人が自分たちの周りには精霊が満ちていると信じるようになる可能性があるという。限定的な意味では間違いないくそうなるだろう。しかし私たちには、極めて高度なデジタルなサルが、私たちを取り巻くモノの状態に関して単純な誤解に陥るとは思えない。それに、繰り返しになるが、ロボットが意識を持った非生物的な実体を懐胎するというような話は、私たちの現在の理解力を超えている。

 私たちは第1章で、「デジタルなサルは選択を迫られている」と宣言し、本書を通してそれを説明しようと努めてきた。いま、極端な反ラッダイト思想にはさまざまなものがあるが、要するにそれらは「テクノロジーの変化そのものは不可避なので、個々の新しいテクノロジーも全面的に取り入れるほかなく、誰にもそれを変えられない。したがって、ロボッ卜や人工知能の利用の拡大は、抑制することも管理することもできない。コントロール不可能な形で、ただ起こる」という考え方である。読者のみなさんは、ほんの少し考えるだけで、この考え方が完全に間違っていることがはっきりわかるはずだ。

 この70年以上の間に、数万人の人間が核兵器の発射ボタンに指を触れてきた。本書執筆時点で、1945年以降、怒りに任せて核攻撃を仕掛けた者ぱいない。これが、長年にわたり維持されてきた、全世界における社会的・政治的選択なのだ。自動車は素晴らしい恩恵だ。だがそれは人を殺しもする。フランスとイギリスの人口は、ほぼ同じである。自動車の総走行距離も、ほぼ同じだ。だが、フランスの交通事故による死亡率はイギリスの2倍である。主な理由は2つある。フランスの道路、特に、オートルートと呼ばれる高速道路は、イギリスに比べ低い安全基準で建設されている。そして、シートベルトに関する法規や、飲酒運転禁止法は、イギリスではおおむね守られているがフランスではそれほどでもない。これらは、何を優先するかが異なる国民の、行政的・社会的選択の違いである。もっとわかりやすい例を最後に挙げよう。アメリカの、今度はラスペガスで、またもや銃乱射事件が起こったとき、『ジ・オニオン』(ウェブの風刺新聞)は次のような辛辣な見出しを掲げた。「『これは防ぎようがない』と言う国だけでこうした事件は頻発する」。

 自動車や高速道路に関する技術的知識は、世界のどこででも利用できる。火薬と金属、そしてそれらを組み合わせた使い方も、何百年もの間、万人に知られてきた。ロシアのスパイがアメリカとNATOの核の秘密を漏洩して以来、核技術も、それを実現できる財力を持ったすべての国の知るところとなった。しかし、異なる場所でぱ異なる選択が行われてきたし、受げ入れがたいリスクは避けるという集団的選択がなされてきた。人工知能についても同じことが言える。同じように対処すべきだし、実際にそうなるだろう。

 すべての感覚が拡張され、洪水のように押し寄せる情報にさらされながら、ロボッ卜やアルゴリズムの集団に助げられているデジタルなサルは、地球でいかに生きるかについて、そして、この先数十年にわたり、どのようなサルとして生きるかについて、正しい選択ができるだろうか? いま私たちが迫られている選択を、いくつか具体的に見ていこう。

新しい時代の民主主義

 独裁主義政権は数千年にわたって存在し続け、20世紀においても世界の広い範囲で支配的なモデルだった。新しいテクノロジーがあらゆる場所に浸透する可能性が、カフカやオーウェルを思わせるのは興味深い。新しいテクノロジーは、抑圧の武器庫に超複雑な新手法をもたらすが、同時に、自由主義の理想が広まる新しい道も生み出す。だが、カフカは1924年に生地のプラハで、オーウェルは1950年にロンドンで、ともに結核にょって40代で亡くなったことを忘れてはならない。新しいテクノロジーが生み出されるはるか以前である。彼らの小説は、すでに「完全な支配」に到達しようとしていた、専制的で、極めて複雑で、残忍な体制に対する、見事に予知的で風刺的な反応だった。

 民主主義の組織は、「複雑な決定はこれまで常に、大きな部屋に入りきるだけの少人数の人間にょって下されてきた」という単純な事実に基づいてつくられてきた。もっと大きな集団は、賛成か反対かを答えるとか、リストの中からひとりの人間を選ぶなどの最も単純な決定しか下してこなかった。新しいテクノロジーは、こうした仕組みの根底に存在する制約を取り除くだろう。いまでは、オビフインで実施するなら、どんな複雑な問題でも、投票を行ったり国民の意見を聞いたりすることが可能だ。インターネット世論調査会社のべ呂の9は2011年の春、国家予算シミュレーターという世論調査を実施した。この予算シミュレーターでは、国家予算の全体的なバランスと個別の要素について、すべての市民が自分の意見を表明できる。私たちの税金をどのょうに使ってほしいかのみならず、どのような形で増税すべきかについても、市民が意見を述べられるデバイスをつくることは十分可能だ。もしも政府が、詳細な調査ができるこの新しい手段を常に使って国民の声を聞き、(極めて適切な判断として)国民の多数意見から外れる場合はその根拠を説明する義務を負うようになれば、それは民主主義にとって重要な発展である。

 新しい立法行為は、原則としてクラウドソーシングに基づいて行うことができる。おそらく国民の多くが、食品安全規則め草案作成今議会の小規模活動への参加を望むことはないだろう。しかし、弁護士や議員の小さなコミュニティーでは、すでにクラウドの活用が始まっている。

 国際金融、サイバー戦争や核兵器、Facebookやアシュレイ・マディソン(既婚者向けの出会い系サイト)が食い物にしている個人的関係のネ″トワーク市場、これらのうち、あなたはどの分野の発展を考えるだろうか? いずれにせよ、私欲がなく志操堅固な市民の良識が、「制度化された超複雑な私欲がもたらす予測できない結果」に打ち勝てるかどうかには、確信が持てない。私たちにはイノペーションを管理する新しい枠組みが必要だ。大勢の個人が一団となって、所有権と権力が集中し続けている状況を緩和できるような枠組みである。多くの人々に影響を及ぼす決定には、多くの人々が関与すべきであり、新しいさまざまな技術が、このデジタル民主主義を新しい世界の強力な要素にするだろう。

 そうして複雑な民主主義が花開くはずだ。ソーシャルマシンは、私的領域や地域社会におけるのと同様、公的領域においても容易に存在しうるし、実際に存在する。本書の著者のひとり、ロジャー・ハンプソンは、ウェブを基盤とする予算シミュレーターを作成し、推進した。それは、レッドブリッジ区(ロンドンの自治区のひとつ。ロジャー・ハンプソンが16年間、区長を務めた)に採用され、YouGovが販売し、世界中の50以上の公共団体で使用されている。これらには、市民インターネットパネルを通して参加することもできる。欧米の民主主義国は、政府から独立した機関として運営される国家パネルを設置するだろう。国家パネルは、最終的には数百万の市民を構成員とすべきだ。積極的な政治参加は、今日の選挙における投票と同様に、社会的に尊重されるはずだ。パネルは、たとえば参加者に少額の金やその他の利益を報酬として与えて調査を行う。IDカードはイギリスでは歓迎されていないが、ポイントカードは普及している。これらを融合して新しいカードをつくれば人気が出るかもしれない。パネルは、予算を立てるためのコラボレーションツールを使って、マス・コラボレーションを実施する。審議のための近代的な技術を利用すれば、新しい最善のアイデアを引き出すことができるだろう。また、パネルは、現在および将来の国家的問題に関してコンセンサスをつくり上げる。全体的なコストは、あらゆる政府部局や公的機関が始終実施している、旧式の不正確な方法による数千件の調査予算のごく一部で済むだろう。新しいテクノロジーは、民主的な関与と参加のための、数多くの新しい手法を提供する。

 同様に、税務当局が個々の納税者に所得税の全額を通知し、それだけの額を、政府のさまざまな行動目的の間でどのように配分してほしいかを尋ねることも可能だ。反応が早い政府は、調査の結果を集計し、政策に反映させることもできる。原理的には、すべての税のパターン、すべての公共支出のパターンをそのような方法で決定し、最終的な分配率の決定は中央政府が行うようにできる。
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古代ギリシアにおける教育文化

『教育原理』より 教育の歴史 海外の教育史(古代ギリシアの教育思想) ⇒ スパルタは一種の理想型

1 古代ギリシアの教育思想を学ぶということ

 日本で教職課程のカリキュラムを学ぶみなさんにとって、いったいなぜ「古代ギリシアの思想」がここで特別に一つの項目に掲げられるほど重要なものとなってくるのでしょうか。じつは古代ギリシアの思想・文化はキリスト教とともに近代西洋社会のものの考え方の原型をつくりあげてきたものの一つであり、今なおけっして無視できない重みがそこには存在しているのです。

 たとえば世界中で使われているアルファベット。その語源がギリシア文字の1つ目(アルファα)と2つ目(ベータβ)をつなげたものであることに示唆されている通り、このアルファベットはフェニキアの古代文字を集約的に発展させたギリシア文字に確かなルーツをもっています。さらには左から右に向かって文章を書くといった一般規則も、当時のギリシア文字の表記法に由来するものです。また音楽や詩、絵画や彫刻など、さまざまな芸術の祖形も同時代の産物といえるでしょう。とくに吟遊詩人ホメロスによる長編叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』は世界で最も古い文学作品の一つですが、宗教的なギリシア神話の物語とともに、当時これらに通暁していることはギリシアの市民たちにとって必須の教養とされていました。

 そのほかにも幾何学や物理学、天文学などの自然科学もこの時代当地で興ったものです。また体育競技も同様です。4年に一度開かれる近代オリンピック大会は古代ギリシア・オリンピアでの体育大会に遠いルーツをもつものであるということについて、あるいはみなさんもどこかで聞いたことがあるかもしれません。

 そして古代ギリシアが注目される何より大きな理由が、そこでほかならぬ「哲学」が誕生したという事実です。たとえば今日では当たり前とされている、すべてのものごとには理由があると見定めたうえでその「紀源」を探ろうとする知の運動性は、このギリシア時代に端を発するものでした。当時のギリシア市民たちはさまざまに、世界の根源がどのようなものとして理解可能か対話を交わしつつ考えをめぐらせました。あわせて、たとえばA=B、B=Cならば、すなわちA=Cといったような論理的推論の作法やレトリック・修辞的な技法も、そうした対話における重要な道具として学ぶべき教養のうちに位置づけられていきました。

 日本には主に明治維新後、古代ギリシアに源流をもった西洋思想が本格的に導入されることとなり、その後ずっと大きな影響をもたらし続けています。すこし大げさにいうならば、それはたとえば私たちが「人間とはなにか」ひいては「教育とは何か」について考える際に、一つの足場を与えてくれているようなものでさえあるかもしれません。本講ではこうした古代ギリシアの教育思想について確認を加えたいと思います。

2 古代ギリシアの教育風景

 紀元前8世紀頃、現在でいうところのヨーロッパの南東、地中海にせり出したギリシア半島では、ポリスとよばれる都市国家が林立しました。それらのポリスは互いに勢力争いを繰り広げながら、それぞれ独自の教育方針を掲げ、次の世代の育成に努めていきます。共同体をともに担うことができる有用な人材を育成することは、時に激しい戦乱をともなった他のポリスとの抗争を生き抜くうえできわめて重要なものでした。

 そうしたポリスのなかで特に有力であったのがアテナイとスパルタです。ライバル関係でもあったこの2つの都市は、まさに対照的な教育方針をもって共同体の維持・発展を目指していきました。

 ①スパルタ

  今でも親や教師が子どもにビシバシ厳しく教え込む様子を「スパルタ教育」といったりしますが、そのイメージの通り、スパルタではまさに軍隊式の厳格な集団訓練教育が展開されました。スパルタ中興の祖である立法者リュクルゴスは、教育を含めたさまざまな分野で抜本的な改革を行い、その後の軍事都市スパルタの基盤を磐石なものとした人物として知られています。彼はポリス内の土地を均等に割って貧しい人たちにも配分し、また集団で一斉に同じ内容の食事をとる「共同食事」を取り入れるなど、それまではびこっていた貧富の差を一掃するべく制度改革に乗り出しました。また生まれてきた子どもをすべてポリスの所有物とみなし、7歳から過酷な集団生活を強いるとともに、女子も含めてレスリングや徒競走、槍投げや円盤投げなどの体育教育重視のカリキュラムを課しました。プルタルコス『英雄伝』の記述によれば、みな丸刈りで裸足、沫浴の禁止に徹底した粗食など、厳しい軍律のもとに完全な管理主義の生活学習が行われていたようです。闘争が奨励されるその教育風景は、あとに述べるアテナイのような自由で文化的な都市国家における教養教育の様子とは対照的なものでした。

 ②アテナイ

  スパルタに並ぶもう一つの代表的な都市国家アテナイでは、ペリクレスやテミストクレスなど優れた改革者による民主政治のもと、より文化的・精神的な学びが重視されました。市民の義務として7歳になると読み書きのほか体育と音楽、さらには詩の暗唱や幾何学の理解といった共通教養がパイダゴーゴスとよばれる私教師によって教授されました。また青年期になると体育場(ギムナジオン)や闘技場(パレストラ)での身体鍛錬が奨励されるとともに、ソフィストらによる弁論術のための私塾も大いに流行しました。ちなみに貴族的な軍事国家であったスパルタとは異なり、アテナイでは18歳以上のすべての市民が参加可能な民会を中心とした直接民主制が採用されていました。市民たちは月に4回アゴラとよばれる中央広場に集まり、間達な討議と挙手による多数決をもって共同体の政治の方向性をその都度決定していったのです。さらに僣主とよばれる一部の権力者が幅を利かせてしまった僣主政治への反省を経た紀元前5世紀以降は、神々の神託のもとすべての成人男性市民からクジ引きで執政官をふくむ公職が選ばれることとなりました。女性や奴隷がそこに含まれていなかったという限界はありますが、これはある意味で徹底した民主主義の実現ともいえるのではないでしょうか。公職の抽選性は裏を返せば、読み書きや体育、音楽その他のギリシア人としての基礎教養が少なくとも表向きにはみなが一定の水準において備えもっていたとみなされていたことを意味しています。

3 ポリスの政治と市民

 ポリスの数は細かなものを入れればじつに1,500を超え、それぞれに歴史も特徴も異なっているのですが、おしなべて上でみたアテナイにおいては典型的な古代ギリシアの教育のかたちが示されており、スパルタの極端な管理主義はむしろ例外的であったといえるでしょう。アテナイはデロス同盟とよばれる周辺諸ポリス連合の盟主として、政治的にも文化的にもギリシア文明を事実上リードする存在でした。この地で活躍したとされる人物には哲学者のソクラテスやプラトン、クセノフォン、歴史家のトゥキディデスや劇作家のソフォクレス、アイスキュロスなど、じつに錚々たる顔ぶれを数えることができます。

 もっともいずれにしても、古代ギリシアの各都市においては市民以外の奴隷たちの労働によって共同体の生産性が保障されていたという一面の事実については注意が必要でしょう。市民らが一日中軍事教練に明け暮れたり、討議や体操、精神活動に連日ふけることができたのは、ひとえに市民権をもたない奴隷たちが農場や鉱山などで生産活動を行っていたことにより生み出された閑暇のおかげでした。もちろん奴隷たちには参政権が与えられておらず、教養としての市民教育が施されることもありませんでした。そしてもう一つ、古代ギリシアにおいては一般的に女子教育が軽視されていたという点も忘れるわけにはいきません。戦争に従軍する義務と合わせ含むかたちで参政権や「真意を率直に述べる権利(パレーシア)」を得ていた男性市民層とは異なり、女性はあくまで結婚して子どもを産むものという考えのもとに学校教育からも完全に締め出されてしまっていたのです。すでにみたスパルタの軍隊教育にしても、女子にはあくまで「陣痛に耐えられるように」といった個別の目的のもと厳しい体育訓練が課されていたにすぎませんでした。

 こうしたいくつかの限界をもちながらも、しかしそこで政治の直接的な担い手となる教養市民の育成が重視されていたということはやはり重要なポイントです。すでにみた通り、大勢を占めていたアテナイ型のポリスではその共同体の運営において民主的な討議がどこまでも大切にされていました。そこでは民主的な討議に参加し得る市民がその必須の教養としてさまざまな力そして構えを身につけることが期待されていたのです。というのも当時のポリスはマケドニアやペルシャ、さらには他の都市国家といった外憂にたびたび悩まされており、有為な人材を育成して国の確かな方向づけを行っていけるかどうかは、共同体の存亡と直結していたからです。

 さて次節ではソクラテス・プラトン・アリストテレスといった当時活躍した哲学者らの思想をとおして、もうすこし踏み込んで古代ギリシアにおける教養そして教育観について考えてみましょう。
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デルフォイの神託所

『秘密結社』より デルフォイの神託所 ⇒ デルフォイのアーモンドの木の下で啓示を得た

 デルフォイの神託所は、古代でもっとも長い歴史を持つ神託所の一つだ。ギリシャ神話によると、太陽神アポロンが、大地の女神ガイアを守る大蛇ピュトンを退治したあと、がイアからここを奪ったとされる。その後、紀元前8世紀に神託所として確立し、特別な巡礼者たちがさまざまな問題に対する神の助言を求めて訪れるようになった。

 聖地デルフォイの中心には、アポロンに捧げられた巨大寺院があった。この寺院は、ギリシャの都市国家がアポロンを讃えて建造した多くの宝物殿を見下ろすように建てられていた。普段は通常の礼拝所として使われていたが、1年のうち9日間は神官の同席のもと「ピュティア」と呼ばれる特別な巫女が、選ばれた訪問者を迎えて神託を行っていた。たった9日間だったため、ピュティアとの面会はたいへん貴重なもので、限られた者、特に裕福で地位のある男女しか利用できなかった。実際、神託を受けるにはかなりの寄付が必要だった。たとえばキオス島の使節は、寺院の至聖所に飾る金の祭壇の寄付を求められている。

 その日が来ると、ピュティアはカソティスの泉の水を飲み、その水を浴びて寺院の至聖所(アディトンと呼ばれる)に入る。通常、ピュティアは若いデルフォイ人の女性だった。その間、面会を許された来訪者は、アポロンの祭壇で蜂蜜のケーキを焼いて捧げたのち、特別な待合室に案内され、そこで心のなかにある質問を神官に伝える。ただし、神託を授かりにきた者は、事前に質問について神官から「指導を受けた」ことを示す証拠も残されている。あらかじめ神官が調べておけば、質問に基づいた神託を下せるからだ。これは重要なことだった。なぜなら、ピュティアが自ら神託を「告げる」ことはないからだ。ギリシャの歴史家プルタルコスによれば、ピュティアは不思議な「気体」によって一種のトランス状態に入るという。

 特権を持つ者は、デルフォイの神託所で神からの助言を授かることができた。

 その気体の影響で、ピュティアは体を痙學させながら奇妙な音や叫び声をあげはじめる。その声を解釈して回答するのは神官の役目だ。そのため、神官は絶大な力を手にしていた。特に、政治的に重要な質問ならなおさらのことである。たとえば紀元前594年、アテナイの政治家ソロンは、アテネ湾(現在のサロニコス湾)の沿岸のピレウスから1.5キロほどの場所にあるサラミス島に侵攻すべきかどうかについて問うた。それに対し、ピュティアは次のように答えている。=

  まず、その島を故郷とした

  戦士たちに生け贄を捧げなさい。

  今、美しきアソビアの波状地に覆われ、

  顔を日没に向けて

  英雄の墓に横たわっている彼らに。

 これは第一級の神託だった。完璧な六歩格(6つの韻脚からなる詩)で語られ、政治情勢に関する鋭く明快な洞察に満ちている。実際、ソロンはアテナイに戻り、サラミスに親戚がいる500人の若い男を募って島の占領に向かった。その1世紀後、サラミスの海戦で、アテナイの艦隊はペルシャの海軍を相手に決定的な勝利を収めることになる。

 デルフォイの神託所は、ローマの時代がかなり進むまで、古代世界でもっとも影響力のある神託所であり続けた。
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