未唯への手紙
未唯への手紙
第10章は答を求めるもの
両隣が若い女性の幸せ
両隣が若い女性だと未唯空間検討を継続できる。駅前スタバのコンセントがあるカウンター席だけですね。今日は混んでいたのでしょうがないですね。
図書館のカウンター席には仕切りがある。何のために? つまらない男が来るためでしょう。
第10章は答を求めるもの
第10章は答を求めるもの。10.3は数学から見た答。個人は全てを含む。個人が自立することで平等な社会になることの証明。
先を急ごう!
同じことを書いている。深くするか、別の方向に向かうか。はたまた、反対方向に向かうか!
10.3.1「存在は無」
本当にいるのか。どう証明しよう。誰に対して証明するのか。自分に対してしか思えない。自分がいるかどうかを自分に証明する?
やはり、いないという答なんでしょう。これが哲学の「存在」の答。だからって、居なくなっても同じ。
無限次元の中の任意の三次元が数学の答。これは哲学の答と同じ。数学は0=1のように無が扱える。
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OCR化した6冊
『北西ヨーロッパの空間構造』
ケルン・ボン大都市圏郊外部の空間構造
ドイツにおけるケルン・ボン大都市圏
ケルン・ボン地域
大都市圏の地方町
『メルト=ポンティと<子どもと絵本>の現象学』
絵本『いないいないばあ』から始まって
遊びの「いないいないばあ」
絵本『いないいないばあ』(松谷みよ子・瀬川康男)
絵本『いないいないばあ』が50周年を迎えた理由
『近代日本を形作った22の言葉』
曰独伊三国同盟
現代語訳
解説
崩れたシナリオ、決定的失敗
アメリカとの戦争を避けたい「空気」
機能の余地なき新秩序
どんぶり勘定と自転車操業
考え方がおかしい。
解説
日ソ中立条約
現代語訳
解説
ハル・ノート
現代語訳
解説
妥結できなかった外交の罪深さ一一荻上
大局的な視点が欠けていた一片山
自分たちでつくリ上げた緊張状態
崩れた近代国家の体裁
解説
『いま、息をしている言葉で。』
翻訳の多様性
『カラマーゾフの兄弟』の試訳
ロシア革命から百年
ロシア人の名前がぐんと分かりやすくなった
愛称の変化を一つまでに
落語調のゴーゴリ登場
カントが普通の言葉で語り始めた
『都市社会学』
コミュニティ論再考 新しいコミュニティのかたち
はじめに
社会学におけるコミュニティ
コミュニティヘの相反するまなざし
「開かれたもの」と「閉じられたもの」の両義性
ジェイコブズの「新しい近隣」
近隣における多様性/「ちがい」
「新しい近隣」と非排除性/非同質性
「創発するコミュニティ」と節合のメカニズム
アーリと「創発性」
サロンにみる「創発性」
「節合」のメカニズム
あらたな社会史の位相
「情動的な紐帯」をさぐる
あらたな社会史の位相
むすびにかえて
『博士号のとり方』
博士論文の型
博士号の型を理解する
研究分野
研究方法
研究による貢献
章立ての詳細な枠組と選択
実践にもとづく学問分野における博士号
連立したプロジェクトとしての博士号
出版済みの自分の文献をもとに博士号を取得する
オリジナリティーという概念
博士論文を書く
何を書くか
いつ書くか
どう書くか
本腰を入れる
リライトの過程としてのライティング
執筆者のタイプの違い
執筆の際の実用面について
ライティングエ程サイクル
ライターズブロック
論文の内容と文体
学会発表論文と学術誌論文を書く
オープンアクセス
偽カンファレンス、偽学術誌、そして自費出版
ケルン・ボン大都市圏郊外部の空間構造
ドイツにおけるケルン・ボン大都市圏
ケルン・ボン地域
大都市圏の地方町
『メルト=ポンティと<子どもと絵本>の現象学』
絵本『いないいないばあ』から始まって
遊びの「いないいないばあ」
絵本『いないいないばあ』(松谷みよ子・瀬川康男)
絵本『いないいないばあ』が50周年を迎えた理由
『近代日本を形作った22の言葉』
曰独伊三国同盟
現代語訳
解説
崩れたシナリオ、決定的失敗
アメリカとの戦争を避けたい「空気」
機能の余地なき新秩序
どんぶり勘定と自転車操業
考え方がおかしい。
解説
日ソ中立条約
現代語訳
解説
ハル・ノート
現代語訳
解説
妥結できなかった外交の罪深さ一一荻上
大局的な視点が欠けていた一片山
自分たちでつくリ上げた緊張状態
崩れた近代国家の体裁
解説
『いま、息をしている言葉で。』
翻訳の多様性
『カラマーゾフの兄弟』の試訳
ロシア革命から百年
ロシア人の名前がぐんと分かりやすくなった
愛称の変化を一つまでに
落語調のゴーゴリ登場
カントが普通の言葉で語り始めた
『都市社会学』
コミュニティ論再考 新しいコミュニティのかたち
はじめに
社会学におけるコミュニティ
コミュニティヘの相反するまなざし
「開かれたもの」と「閉じられたもの」の両義性
ジェイコブズの「新しい近隣」
近隣における多様性/「ちがい」
「新しい近隣」と非排除性/非同質性
「創発するコミュニティ」と節合のメカニズム
アーリと「創発性」
サロンにみる「創発性」
「節合」のメカニズム
あらたな社会史の位相
「情動的な紐帯」をさぐる
あらたな社会史の位相
むすびにかえて
『博士号のとり方』
博士論文の型
博士号の型を理解する
研究分野
研究方法
研究による貢献
章立ての詳細な枠組と選択
実践にもとづく学問分野における博士号
連立したプロジェクトとしての博士号
出版済みの自分の文献をもとに博士号を取得する
オリジナリティーという概念
博士論文を書く
何を書くか
いつ書くか
どう書くか
本腰を入れる
リライトの過程としてのライティング
執筆者のタイプの違い
執筆の際の実用面について
ライティングエ程サイクル
ライターズブロック
論文の内容と文体
学会発表論文と学術誌論文を書く
オープンアクセス
偽カンファレンス、偽学術誌、そして自費出版
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博士論文を書く どう書くか
『博士号のとり方』より 博士論文を書く 何を書くか いつ書くか どう書くか
本腰を入れる
EMPは、科学専攻の学生の多くは論文を執筆する作業より、研究ノートに現在までの進捗状況を記入することを含む実験作業の方を好むことを明らかにした。論文の執筆は夜、週末、休日があてがわれるという。そのような学生は次のようなことを言う。
時間がかかったとしても、実験を繰り返すような無心になってできるものであれば、作業としては好きだ。でも、その作業がイントロダクションや結論を書くように難しいものであれば、好きではない。
決められた時間を実験室でブラブラと過ごす方がいい。その方が精神的に楽だ。
書くことは「本当の仕事」ではなく、常に二番目にしか考えられないため、なかなか求められる時期に開始されない。ある学生は言う。「わずかな時間の隙間があるときに少しずつ書くんだ。でもいつもうまくいかずに書いたものを破棄してしまう」。
「後回し」と「一貫性のなさ」は忙しい現代においてよくあることで、指導教員が学生の執筆を見張るようになるまで、他の援助は期待できない。実際、多くの学生が最終年まで論文の執筆作業に入らない傾向があるが、これは本当に避けた方がよい。
では、あなたの場合はどうだろう。執筆活動を始めることに問題を感じているだろうか。インスピレーションがわくのを待っていたりしていないだろうか。どちらかといえばデータの見直しなど、ほかのことをしたいと感じていないだろうか。もちろんメールやツイッターの確認もしたいと思うだろう。チュートリアルの準備もあったかな。買い物もしなきや。はたまた部屋でも片付けるか。このように考える傾向はすべての新米著者に共通している。しかし、トロロープのように、書く者は書く時間を決めて確固として譲らない。その時間がくれば深呼吸をし、歯を食いしばり、書くのだ。あなたにもできることだ。
このような訓練をしてみるとよい。つまり、アントニー・トロロープは一五分ごとに二五〇語書くようペースを調整した。彼は線引きされた紙を使い、その紙の場合一枚当たり手書きで二五〇語書けることを計算した。パソコンを使う現代の私たちは、文字数などはすぐに分かる。初心者の場合、無理をせず、二〇分で二百語相当〔日本語で五百文字弱くらい〕を目標とし、その文章の冒頭を「この研究の目的は、」とすること。今すぐに書くのではなく、書く時間を今決めること。早朝でなくてもよい。自分の状況と勉学のパターンなど赤ら最適な時間を選ぶこと。ただし、一度決めたその時間は守り、邪魔が入らないようにすること。
さて、結果はどうだっただろうか。時間を決めて、その時間に他の邪魔が入らないようにし、執筆に専念することができたであろうか。もしできたならば、それはトロロープの歩んだ道へと一歩足を踏み入れたことを意味する。多くの人が発見するように、あなたもインスピレーションというものは「書き始めてから」くるものだということを学んだだろうか。書き終わったら、その草稿を数人の同輩に見せ、反応を得るとよい。分かりやすい文章になっていたか。言いたいことをどの程度理解してもらえたであろうか。必要に応じて改善をし、次に指導教員に見せる。
人によっては社会的プレッシャーがある方が、一人マイペースで書くプロセスよりもうまくいくと感じるだろう。例えば、ケント大学の学生は「黙って書け」グループなるものを形成している。会合があるたびにそれぞれが手短かに何を書くかを説明する。これにより公的なコミットメントとなり、実際にそれを書く可能性が高くなるのだ。そして残りの時間をすべて黙って個別に書くことに費やすのである。そのセッションが終わる前にまた数分かけて自分が何を達成できたかをグループで分かちあう。もちろんこれは自分の部屋や図書館でもできる。しかし、決まった時間に決まった場所にいるために、他の人と同じ活動をすることが社会的プレッシャーになり、集中して書くためのモチベーションになる。
リライトの過程としてのライティング
博士論文は審査されるので、論文執筆は何年もかけた研究の結果を単に報告する以上のものでなければならない。書くという作業は書き手に考えさせるので、研究結果を文章化する段になると別の方法が浮かんできて、学生は非常に苦しい思いをする。書くことが発見につながり、そしてよくいわれるように、発見とは単に書きとればよいというものではない。そう考えれば、書くことが論文作成で最も難しい作業であるのは簡単に分かる。
ある学生は言った。「書く段になるまで何を言うかなんて、もちろん完全に分かるわけではない。実際に書いてみるまで、自分の解釈が完全に誤りであったことに気づかなかった。ポイントになるべきことが表現できていない。だから該当する全部の部分を書き直そうと思ったんだ」。
もし、自分が書いたものをあたかも他人が書いたもののように読むことができれば、自身の不正確で雑な文章を簡単に批判できる。自身と自分の書いたものの間に「距離」を置く方法は、書いたものを二、三日机の脇に置いた後、初めて手に取るような気持ちで読んでみることだ。そうした時間がない場合は、他のやり方をとらなければならない。つまり、友達に電話したり会いに行ったりして、「間」を置いた後に読んでみる。こうした心理的な「スイッチ」の切り替えは「距離」を置くのに役立つ。もう一つのやり方としては、書いたものを声に出して読んでみることだ。書いたものを耳で聞くと「言いたかったこと」と「(実際に)言ったこと」の違いに気づくだろう。コンピュータ科学を学んでいた学生のライナは自分の書いた論文を猫に読み聞かせた。役に立つような学術的なフィードバックを猫がしてくれたかどうかは定かではないが、少なくとも誰もいない部屋で声を出して読む気恥ずかしさからは守ってくれた。同様に、「読み」を録音して、後で間いてみるのも効果的だ。
ラグとピーターは一四かそれ以上の活動項目を含む、博士論文執筆の概観を提示した。書き直しは執筆作業のなかで重要な要素であり、初期の草稿と、意味の定義を精査して書き改めた原稿とを見比べることは良い勉強になる。コンピュータはこの書き直しの作業を何度であれ実に容易にしてくれる。書き直しの最終版は博士論文、あるいはその一部を形成する学術誌の文献となる。この執筆活動のプロセスについてはムレイに詳しく書いてあり、良い参考となる。
執筆者のタイプの違い
誰しもが同じやり方で執筆をするわけではない。論文の書き方を学ぶ方法が少なかとも二種類あるように、執筆者のタイプも同様に二種類に分けられる。学校では最初に構想を練ってから書き始めるよう教えられるが、世の中、計画的な人間ばかりではない。「とにかくやってしまえ」タイプの人も少なからずいる。まず、言いたいことを最も適切な方法で言うことは、そもそも簡単なことではない。よって、段階的なアプローチをとることが賢明である。
連載をもつライター、つまり「シリアリスト」は、ライティングを逐次処理的なものとして捉え、言葉を書きながら訂正を加えていく。そのようなライターは実際に書き始める前に何を書くか綿密な計画を立てる。「シリアリスト」の執筆アプローチを例に挙げる。
今、難しく感じているのは内容をどういう文体、表現で書き、そしてその流れをどうするかということだ。文章を書いているとき、自分の文体は良いと感じるし、書き手としても悪くないと感じる。でも筆の進みがとても遅いんだ。
そのような「シリアリスト」の書き方の一つに、多くの箇条書きと形成中の考えをまとめた書類を作るという方法がある。それらを徐々に肉付けし、文章を書き出していく方法をとるのだ。もしあなたもこのような書き方をするタイプなら、様々なフォントや色を使い分け、原稿のどの部分が完成したか、どこが未完成なのかを強調することが役立つかもしれない。それと比べ、「全体主義者」は書く際に一定の長さの完結した文章を書くことしか考えられない。
私は手書きで完全な最初の草稿を書いた。書きながら少しずつ書き足していき、書き終えたときにはそれがかなりの分量になって、まるで紙の上の「第三次世界大戦」の様相を呈していた。興味がわけば朝は八時半、九時半くらいから夜遅くまで書き続ける。思い立ってから書き終えるまでの時間は短い方がよい物が書ける。
「シリアリスト」は文章を書くことにおいて、「全体主義者」と全く異なる点を強調していることがうかがえる。
執筆の際の実用面について
学生によってはパソコンに直接打ち込みながら書くことを好む者もいる。また他の者は手書きでメモをとったり、かなり綿密な草稿を書いたりする者もいる。最善の方法というものはない。自分にあったやり方は実験的に試していくしかない。
ほとんどの分野ではマイクロソフト社のワードなど市販されているソフトを使って論文が書き上げられる。しかし、理系の特定分野においては LaTeX(ラテックス)システムが標準となっている。それは数学的な表記の多い複雑な文書を作成することが可能だからである。もしこれがあなたの分野における標準である場合、ほとんどの大学において使い方を教えてくれる短いコースがあるため、そのようなコースに登録し、使い方を学ぶよう勧める。きっと役に立つだろう。
私たちはみなパソコンのスペルチェッカーに慣れているはずであるが、文法の校閲機能もある。ただし、文法の校閲機能の性能はまちまちである。グラマーチェッカー(文法校閲機能)は一部の学術的文献をなかなかうまく扱えていないのが実態である。例えば、ある文章を受動態で書き直すようにいってくる場合がある。ただし、科学系の論文の文体としてそれは良くないアドバイスであることが多々ある。そうだとしても、特に英語が母国語でない学生や執筆に慣れていない学生にとっては何らかの基本的なフィードバックとして役に立つことは間違いない。
また、多くの参考書(もしくはそのオンライン版)も有用である。辞書も言葉がもつ微妙な意味の違いを調べることに役立つほか、文脈のなかでそれがどのように使われているのかを見つけることにも役立つ。多くの大学では例えば Oxford English Dictionary のような主要な辞書のオンライン版へのアクセス権を有している。また、他の本(例えば Gowers' Plain Words や Fowler's Modern English Usage )は言葉の細かいニュアンスなどについてガイダンスを与えてくれる。また Roget のシソーラスは言葉の同義語や類義語を集めその状況に妾った適切な言葉を見つける上で役立つ。その他にも質の高いオンライン辞書などもある。
書誌管理ツールでは RefWorks や BibTeX が有用であり、自分の集めた論文や本などのデータベースを構築でき、必要なときに自動的に必要な書式にあわせて参考文献をリスト化できるだけでなく、論文の本文から参考文献の書誌情報に連携できるということもあり、大変実用的である。博士論文など長編の文献を作成する際は、このようなシステムを使うことでかなりの時間と労力の節約になる。
ライティング工程サイクル
「ライティング工程サイクル」とは書く作業に体系的にアプローチする方法である。その工程にはいくつかのステップがある。
・要点を書き出すこと(もし「全体主義者」であるなら順番を問わず書き記すこと。「シリアリスト」の場合は順番を付けて書くこと。あるいはマインドマップのように要点をページ全体に分散するように書いた上で関連した要点などを線でつなげるのもょい)。書き出すときに思い立ったことをすべて書き込み、大まかな計画を立てること。もちろんその計画に常に従う必要はない
・おおまかな構成をし、それができて初めて先に書いた要点を文法と文章のバランスを考慮した段落としてまとめること
・執筆の量とそれを達成する日付に関する目標を立てること
・一週間に二時間から五時間を執筆に費やす計画を立てること。毎週初めにその時間をいつにするのかを決めて、トロロープのようにその時間を守り、邪魔が入らないようにすること
・執筆のための静かな落ち着ける場所を探し、できれば執筆には同じ場所を使うこと
・書いたものを読み直し、校閲すること
・初期の草稿は指導教員に見せる前に同輩や友達にコメントしてもらうこと
・同輩からのフィードバックをもとに「改訂を加える」こと
・「さらなるフィードパック」を指導教員から得ること
・「フィードバックを受け入れ」改訂をするか考え直すこと
フィードバックは執筆する過程において重要な要素である。同期生などの同僚にこのようにフィードバックを求めると、必然的に彼らからも同じことが求められ、フィードバックを返してあげる必要が生じる。よって、どのようにすれば効果的にフィードバックを返せるかを意識するのも重要である。フィードバックを返すときの基本などについては、指導教員向けに書かれている第12章に記載しているが、あなたにも非常に関わる内容でもあるため、役立つだろう。
本腰を入れる
EMPは、科学専攻の学生の多くは論文を執筆する作業より、研究ノートに現在までの進捗状況を記入することを含む実験作業の方を好むことを明らかにした。論文の執筆は夜、週末、休日があてがわれるという。そのような学生は次のようなことを言う。
時間がかかったとしても、実験を繰り返すような無心になってできるものであれば、作業としては好きだ。でも、その作業がイントロダクションや結論を書くように難しいものであれば、好きではない。
決められた時間を実験室でブラブラと過ごす方がいい。その方が精神的に楽だ。
書くことは「本当の仕事」ではなく、常に二番目にしか考えられないため、なかなか求められる時期に開始されない。ある学生は言う。「わずかな時間の隙間があるときに少しずつ書くんだ。でもいつもうまくいかずに書いたものを破棄してしまう」。
「後回し」と「一貫性のなさ」は忙しい現代においてよくあることで、指導教員が学生の執筆を見張るようになるまで、他の援助は期待できない。実際、多くの学生が最終年まで論文の執筆作業に入らない傾向があるが、これは本当に避けた方がよい。
では、あなたの場合はどうだろう。執筆活動を始めることに問題を感じているだろうか。インスピレーションがわくのを待っていたりしていないだろうか。どちらかといえばデータの見直しなど、ほかのことをしたいと感じていないだろうか。もちろんメールやツイッターの確認もしたいと思うだろう。チュートリアルの準備もあったかな。買い物もしなきや。はたまた部屋でも片付けるか。このように考える傾向はすべての新米著者に共通している。しかし、トロロープのように、書く者は書く時間を決めて確固として譲らない。その時間がくれば深呼吸をし、歯を食いしばり、書くのだ。あなたにもできることだ。
このような訓練をしてみるとよい。つまり、アントニー・トロロープは一五分ごとに二五〇語書くようペースを調整した。彼は線引きされた紙を使い、その紙の場合一枚当たり手書きで二五〇語書けることを計算した。パソコンを使う現代の私たちは、文字数などはすぐに分かる。初心者の場合、無理をせず、二〇分で二百語相当〔日本語で五百文字弱くらい〕を目標とし、その文章の冒頭を「この研究の目的は、」とすること。今すぐに書くのではなく、書く時間を今決めること。早朝でなくてもよい。自分の状況と勉学のパターンなど赤ら最適な時間を選ぶこと。ただし、一度決めたその時間は守り、邪魔が入らないようにすること。
さて、結果はどうだっただろうか。時間を決めて、その時間に他の邪魔が入らないようにし、執筆に専念することができたであろうか。もしできたならば、それはトロロープの歩んだ道へと一歩足を踏み入れたことを意味する。多くの人が発見するように、あなたもインスピレーションというものは「書き始めてから」くるものだということを学んだだろうか。書き終わったら、その草稿を数人の同輩に見せ、反応を得るとよい。分かりやすい文章になっていたか。言いたいことをどの程度理解してもらえたであろうか。必要に応じて改善をし、次に指導教員に見せる。
人によっては社会的プレッシャーがある方が、一人マイペースで書くプロセスよりもうまくいくと感じるだろう。例えば、ケント大学の学生は「黙って書け」グループなるものを形成している。会合があるたびにそれぞれが手短かに何を書くかを説明する。これにより公的なコミットメントとなり、実際にそれを書く可能性が高くなるのだ。そして残りの時間をすべて黙って個別に書くことに費やすのである。そのセッションが終わる前にまた数分かけて自分が何を達成できたかをグループで分かちあう。もちろんこれは自分の部屋や図書館でもできる。しかし、決まった時間に決まった場所にいるために、他の人と同じ活動をすることが社会的プレッシャーになり、集中して書くためのモチベーションになる。
リライトの過程としてのライティング
博士論文は審査されるので、論文執筆は何年もかけた研究の結果を単に報告する以上のものでなければならない。書くという作業は書き手に考えさせるので、研究結果を文章化する段になると別の方法が浮かんできて、学生は非常に苦しい思いをする。書くことが発見につながり、そしてよくいわれるように、発見とは単に書きとればよいというものではない。そう考えれば、書くことが論文作成で最も難しい作業であるのは簡単に分かる。
ある学生は言った。「書く段になるまで何を言うかなんて、もちろん完全に分かるわけではない。実際に書いてみるまで、自分の解釈が完全に誤りであったことに気づかなかった。ポイントになるべきことが表現できていない。だから該当する全部の部分を書き直そうと思ったんだ」。
もし、自分が書いたものをあたかも他人が書いたもののように読むことができれば、自身の不正確で雑な文章を簡単に批判できる。自身と自分の書いたものの間に「距離」を置く方法は、書いたものを二、三日机の脇に置いた後、初めて手に取るような気持ちで読んでみることだ。そうした時間がない場合は、他のやり方をとらなければならない。つまり、友達に電話したり会いに行ったりして、「間」を置いた後に読んでみる。こうした心理的な「スイッチ」の切り替えは「距離」を置くのに役立つ。もう一つのやり方としては、書いたものを声に出して読んでみることだ。書いたものを耳で聞くと「言いたかったこと」と「(実際に)言ったこと」の違いに気づくだろう。コンピュータ科学を学んでいた学生のライナは自分の書いた論文を猫に読み聞かせた。役に立つような学術的なフィードバックを猫がしてくれたかどうかは定かではないが、少なくとも誰もいない部屋で声を出して読む気恥ずかしさからは守ってくれた。同様に、「読み」を録音して、後で間いてみるのも効果的だ。
ラグとピーターは一四かそれ以上の活動項目を含む、博士論文執筆の概観を提示した。書き直しは執筆作業のなかで重要な要素であり、初期の草稿と、意味の定義を精査して書き改めた原稿とを見比べることは良い勉強になる。コンピュータはこの書き直しの作業を何度であれ実に容易にしてくれる。書き直しの最終版は博士論文、あるいはその一部を形成する学術誌の文献となる。この執筆活動のプロセスについてはムレイに詳しく書いてあり、良い参考となる。
執筆者のタイプの違い
誰しもが同じやり方で執筆をするわけではない。論文の書き方を学ぶ方法が少なかとも二種類あるように、執筆者のタイプも同様に二種類に分けられる。学校では最初に構想を練ってから書き始めるよう教えられるが、世の中、計画的な人間ばかりではない。「とにかくやってしまえ」タイプの人も少なからずいる。まず、言いたいことを最も適切な方法で言うことは、そもそも簡単なことではない。よって、段階的なアプローチをとることが賢明である。
連載をもつライター、つまり「シリアリスト」は、ライティングを逐次処理的なものとして捉え、言葉を書きながら訂正を加えていく。そのようなライターは実際に書き始める前に何を書くか綿密な計画を立てる。「シリアリスト」の執筆アプローチを例に挙げる。
今、難しく感じているのは内容をどういう文体、表現で書き、そしてその流れをどうするかということだ。文章を書いているとき、自分の文体は良いと感じるし、書き手としても悪くないと感じる。でも筆の進みがとても遅いんだ。
そのような「シリアリスト」の書き方の一つに、多くの箇条書きと形成中の考えをまとめた書類を作るという方法がある。それらを徐々に肉付けし、文章を書き出していく方法をとるのだ。もしあなたもこのような書き方をするタイプなら、様々なフォントや色を使い分け、原稿のどの部分が完成したか、どこが未完成なのかを強調することが役立つかもしれない。それと比べ、「全体主義者」は書く際に一定の長さの完結した文章を書くことしか考えられない。
私は手書きで完全な最初の草稿を書いた。書きながら少しずつ書き足していき、書き終えたときにはそれがかなりの分量になって、まるで紙の上の「第三次世界大戦」の様相を呈していた。興味がわけば朝は八時半、九時半くらいから夜遅くまで書き続ける。思い立ってから書き終えるまでの時間は短い方がよい物が書ける。
「シリアリスト」は文章を書くことにおいて、「全体主義者」と全く異なる点を強調していることがうかがえる。
執筆の際の実用面について
学生によってはパソコンに直接打ち込みながら書くことを好む者もいる。また他の者は手書きでメモをとったり、かなり綿密な草稿を書いたりする者もいる。最善の方法というものはない。自分にあったやり方は実験的に試していくしかない。
ほとんどの分野ではマイクロソフト社のワードなど市販されているソフトを使って論文が書き上げられる。しかし、理系の特定分野においては LaTeX(ラテックス)システムが標準となっている。それは数学的な表記の多い複雑な文書を作成することが可能だからである。もしこれがあなたの分野における標準である場合、ほとんどの大学において使い方を教えてくれる短いコースがあるため、そのようなコースに登録し、使い方を学ぶよう勧める。きっと役に立つだろう。
私たちはみなパソコンのスペルチェッカーに慣れているはずであるが、文法の校閲機能もある。ただし、文法の校閲機能の性能はまちまちである。グラマーチェッカー(文法校閲機能)は一部の学術的文献をなかなかうまく扱えていないのが実態である。例えば、ある文章を受動態で書き直すようにいってくる場合がある。ただし、科学系の論文の文体としてそれは良くないアドバイスであることが多々ある。そうだとしても、特に英語が母国語でない学生や執筆に慣れていない学生にとっては何らかの基本的なフィードバックとして役に立つことは間違いない。
また、多くの参考書(もしくはそのオンライン版)も有用である。辞書も言葉がもつ微妙な意味の違いを調べることに役立つほか、文脈のなかでそれがどのように使われているのかを見つけることにも役立つ。多くの大学では例えば Oxford English Dictionary のような主要な辞書のオンライン版へのアクセス権を有している。また、他の本(例えば Gowers' Plain Words や Fowler's Modern English Usage )は言葉の細かいニュアンスなどについてガイダンスを与えてくれる。また Roget のシソーラスは言葉の同義語や類義語を集めその状況に妾った適切な言葉を見つける上で役立つ。その他にも質の高いオンライン辞書などもある。
書誌管理ツールでは RefWorks や BibTeX が有用であり、自分の集めた論文や本などのデータベースを構築でき、必要なときに自動的に必要な書式にあわせて参考文献をリスト化できるだけでなく、論文の本文から参考文献の書誌情報に連携できるということもあり、大変実用的である。博士論文など長編の文献を作成する際は、このようなシステムを使うことでかなりの時間と労力の節約になる。
ライティング工程サイクル
「ライティング工程サイクル」とは書く作業に体系的にアプローチする方法である。その工程にはいくつかのステップがある。
・要点を書き出すこと(もし「全体主義者」であるなら順番を問わず書き記すこと。「シリアリスト」の場合は順番を付けて書くこと。あるいはマインドマップのように要点をページ全体に分散するように書いた上で関連した要点などを線でつなげるのもょい)。書き出すときに思い立ったことをすべて書き込み、大まかな計画を立てること。もちろんその計画に常に従う必要はない
・おおまかな構成をし、それができて初めて先に書いた要点を文法と文章のバランスを考慮した段落としてまとめること
・執筆の量とそれを達成する日付に関する目標を立てること
・一週間に二時間から五時間を執筆に費やす計画を立てること。毎週初めにその時間をいつにするのかを決めて、トロロープのようにその時間を守り、邪魔が入らないようにすること
・執筆のための静かな落ち着ける場所を探し、できれば執筆には同じ場所を使うこと
・書いたものを読み直し、校閲すること
・初期の草稿は指導教員に見せる前に同輩や友達にコメントしてもらうこと
・同輩からのフィードバックをもとに「改訂を加える」こと
・「さらなるフィードパック」を指導教員から得ること
・「フィードバックを受け入れ」改訂をするか考え直すこと
フィードバックは執筆する過程において重要な要素である。同期生などの同僚にこのようにフィードバックを求めると、必然的に彼らからも同じことが求められ、フィードバックを返してあげる必要が生じる。よって、どのようにすれば効果的にフィードバックを返せるかを意識するのも重要である。フィードバックを返すときの基本などについては、指導教員向けに書かれている第12章に記載しているが、あなたにも非常に関わる内容でもあるため、役立つだろう。
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社会学におけるコミュニティ
『都市社会学』より コミュニティ論再考 新しいコミュニティのかたち
コミュニティヘの相反するまなざし
コミュニティはまぎれもなく社会学の主要なテーマの一つである。それにもかかわらず、これがコミュニティだと誰もが認めるようなものはない。社会学が社会学者の数だけあるように、コミュニティもまたそれを論じる人の数だけあるといわれる。とはいえ、コミュニティを論じたものとしてしばしば取り上げられる議論はある。たとえば、以下にみるベルとニュービーの論議がそれにあたる。ベルらによると、コミュニティは概ね三つの系、すなわち「地政学的な意味でのコミュニティ」、「ローカルな社会システムとしてのコミュニティ」、そして「感情の交わりとしてのコミュニティ」で捉えることができる。いずれも「近接し共存していること」、「社会集団やローカルな制度組織による、局所的で相対的に境界づけられたシステミックな相互作用」、「メンバー間にみられる人格にもとづく強い紐帯、帰属意識、あたたかさを特徴とする人間同士の結びつき」を基本的属性としている。この論議は、従来のコミュニティの社会学がコミュニティを「地域性」と「連帯性」を二大要件とし、「特定の地域で利益や価値観を共有する人間の集まり」としてとらえてきたとする、アメリカ文化史学者の能登路雅子の論議とほぼ一致している。
さてこうした論議では、あえて指摘するまでもないが、定住が自明のものとされており(→定住主義)、その上で「安定的な共属感情/アイデンティティ」と「内的な一体化」が強調されている。しかし考えてみれば、こうした論調は、これまでも散見されたものである。たとえば戦時体制期にナショナリティを草の根レベルから唱道した主張の裡に、そして現代に目を移すと、「安全・安心」がコミュニティ・イッシューを構成するなかであらわれている、防災隣組の設置をよびかけるような動きの裡にみてとることができる。ちなみに、後者についていうと、二〇二〇年の東京オリンピック開催を見据え、安全・安心なまちづくりが防災と防犯とがセットになった状態で展開されている。同時にそこでは、衰退するコミュニティの再編を町内会にたいするテコ入れを介しておこなおうとする意図が見え隠れしている。そうした点てまた、一見、復古的にみえる「隣組」といったネーミングが権力の意志を明確に伝えている。だからこそ、社会学ではコミュニティにたいして深い危惧を抱く論調が常に存在したし、いまも存在するのである。だが、そうした論議/論調は、社会学もしくはその周辺では、どちらかというと近代の町内会体制に向けられ、社会統合のメディアとしてあった同質性/同質化のメカニズムに照準を合わせてきた。
もっとも社会学的論議から少し目を逸らすと、コミュニティを先の三つの系でとらえるものばかりではないし、(コミュニティを)いわゆる「閉じられたもの」としてネガティヴにみるものばかりでもないことがわかる。たとえば、デランティは、「地域性」=近接性と単一のアイデンティティを絶対視するコミュニティのとらえ方はもはやリアリティがないと言う。それに代わって、デランティがコミュニティの中心に据えるのは、複数のアイデンティティに根ざす対話的な「共同性」である。前掲の能登路の場合、コミュニティそのものよりはその変動の方向に関心を示し、地理的境界とコミュニティ意識の境界が二致しなくなる過程、すなわち「地域性」が徐々に後にしりぞき、「連帯性」が前に出てくる過程に注目している。そしてベンダーの立場に依拠しながら、コミュニティを「相互依存と情緒的絆を特徴とする社会関係のネットワーク」と見なす。こうして、「連帯性」がコミュニティの基本的な要件となる。デランティの主張と能登路の主張は細部において必ずしも一致しているわけではないが、コミュニティを「閉じられたもの」に回収してしまう議論に一線を画するという点では共振している。
「開かれたもの」と「閉じられたもの」の両義性
デランティや能登路とは別に、日本のコミュニティの原型を町内/近隣にみて、それを必ずしも「閉じられたもの」に一元化しない論議も存在する。たとえば、ベルクは、日本の近隣の基底には人と人とが相互に喚び合う位相的関係が伏在しており、日本の近隣が内に閉じられていて、「同じであること」を強いられるという通説は必ずしもあてはまらないという。むしろ階級、職業が混在していて、信条も雑多であること、そしてそのことか「生活の共同」の場面において障害にならないのが日本の近隣の特徴だというのである。ベルクによると、その要因は、その場その場の状況にしたがうという「場の規範」、目に見える人間関係による黙契のようなものが機能していることにもとめられる。こうした「場の規範」=黙契への着目には、あきらかに近隣に内在する「開かれたもの」へのまなざしが活きづいている。同時に、その「開かれたもの」には、容易に「閉じられたもの」へと転成/反転する契機を宿している。この点について、筆者は別のところで次のように述べた。
(「場の状況」=黙契は)生活上の接触に根ざす共感によって媒介されているとはいえ、いやむしろそうであればこそ、人間関係の可視的な広がり、つまり人の姿をとらえることのできる範囲/規模(=領域性)にとどまらざるを得ない。そして結果的に、明確な境界に囲い込まれた人間関係を下地とする秩序形成が行動面での高度な同質性をもたらすことになる。
一つの例を示そう。先の戦時体制期に、身分とか階層、あるいは職業などの違いを相対化する上述の近隣のもつ可能性は、戦争遂行のための上からの均質化/平準化の動きに取り込まれ、町内会構成員が「領域的なもの」へと統合された。そしてその結果、「異なる他者」を排除し、同調性を強いる集団主義が社会のすみずみまでゆきわたることになった。このようにして「草の根」の戦争への動員がおこなわれることになった。この例からも窺いしることができるように、近隣は歴史のおりおりにおいて両義性をみせている。つまり「閉じられたもの」と「開かれたもの」はつねに「コインの両面」としてあり、互換性を有していたのである。
ここで想起されるのは、かつて社会学において一大争点となった町内会論争である。そこでは、近代における町内会体制が垂直的な権カシステム(ガバメント)にからめとられていたことへの着目からはじまってそれを近隣一般に適用しようとする論議と、近隣にベルク流の「場の状況」、すなわち「間」の論理をみてそれが近代の町内会体制を貫いていたとする論議が鋭く対立した。筆者は最初の論議を「近代化論」、後の論議を「文化型論」と整理したが、明らかに前者は「閉じられたもの」に、後者は「開かれたもの」に力点を置いている。だが結局のところ、両者は「遠くて近い」関係にあったのである。なぜなら、いずれも先に触れた近隣の両義性に目を閉ざしていたからである。両者に違いがあるとすれば、町内会を歴史的な位相でみるかそれとも超歴史的な位相でみるか(ソシュール流にいうと、通時的にとらえるか共時的にとらえるか)である。
さて話を少し前に戻そう。要するに、社会学的論議から問われているのは、コミュニティにひそんでいる「開かれたもの」の可能性を、それがつねに「閉じられたもの」への転成の契機を宿していることを見据えながら、しかも「文化型論」にみられるような本質主義的規定に陥らずに、コミュニティを構成する諸主体のつながりや流動的な相互連関がより大きなもの、あるいは異なったものへとつながっていく脈絡において示すことである。そこで次に、こうした課題を少しでも明晰にするために、ジェイコブズの近隣にたいする多様性/異質性認識をみることにしよう。
コミュニティヘの相反するまなざし
コミュニティはまぎれもなく社会学の主要なテーマの一つである。それにもかかわらず、これがコミュニティだと誰もが認めるようなものはない。社会学が社会学者の数だけあるように、コミュニティもまたそれを論じる人の数だけあるといわれる。とはいえ、コミュニティを論じたものとしてしばしば取り上げられる議論はある。たとえば、以下にみるベルとニュービーの論議がそれにあたる。ベルらによると、コミュニティは概ね三つの系、すなわち「地政学的な意味でのコミュニティ」、「ローカルな社会システムとしてのコミュニティ」、そして「感情の交わりとしてのコミュニティ」で捉えることができる。いずれも「近接し共存していること」、「社会集団やローカルな制度組織による、局所的で相対的に境界づけられたシステミックな相互作用」、「メンバー間にみられる人格にもとづく強い紐帯、帰属意識、あたたかさを特徴とする人間同士の結びつき」を基本的属性としている。この論議は、従来のコミュニティの社会学がコミュニティを「地域性」と「連帯性」を二大要件とし、「特定の地域で利益や価値観を共有する人間の集まり」としてとらえてきたとする、アメリカ文化史学者の能登路雅子の論議とほぼ一致している。
さてこうした論議では、あえて指摘するまでもないが、定住が自明のものとされており(→定住主義)、その上で「安定的な共属感情/アイデンティティ」と「内的な一体化」が強調されている。しかし考えてみれば、こうした論調は、これまでも散見されたものである。たとえば戦時体制期にナショナリティを草の根レベルから唱道した主張の裡に、そして現代に目を移すと、「安全・安心」がコミュニティ・イッシューを構成するなかであらわれている、防災隣組の設置をよびかけるような動きの裡にみてとることができる。ちなみに、後者についていうと、二〇二〇年の東京オリンピック開催を見据え、安全・安心なまちづくりが防災と防犯とがセットになった状態で展開されている。同時にそこでは、衰退するコミュニティの再編を町内会にたいするテコ入れを介しておこなおうとする意図が見え隠れしている。そうした点てまた、一見、復古的にみえる「隣組」といったネーミングが権力の意志を明確に伝えている。だからこそ、社会学ではコミュニティにたいして深い危惧を抱く論調が常に存在したし、いまも存在するのである。だが、そうした論議/論調は、社会学もしくはその周辺では、どちらかというと近代の町内会体制に向けられ、社会統合のメディアとしてあった同質性/同質化のメカニズムに照準を合わせてきた。
もっとも社会学的論議から少し目を逸らすと、コミュニティを先の三つの系でとらえるものばかりではないし、(コミュニティを)いわゆる「閉じられたもの」としてネガティヴにみるものばかりでもないことがわかる。たとえば、デランティは、「地域性」=近接性と単一のアイデンティティを絶対視するコミュニティのとらえ方はもはやリアリティがないと言う。それに代わって、デランティがコミュニティの中心に据えるのは、複数のアイデンティティに根ざす対話的な「共同性」である。前掲の能登路の場合、コミュニティそのものよりはその変動の方向に関心を示し、地理的境界とコミュニティ意識の境界が二致しなくなる過程、すなわち「地域性」が徐々に後にしりぞき、「連帯性」が前に出てくる過程に注目している。そしてベンダーの立場に依拠しながら、コミュニティを「相互依存と情緒的絆を特徴とする社会関係のネットワーク」と見なす。こうして、「連帯性」がコミュニティの基本的な要件となる。デランティの主張と能登路の主張は細部において必ずしも一致しているわけではないが、コミュニティを「閉じられたもの」に回収してしまう議論に一線を画するという点では共振している。
「開かれたもの」と「閉じられたもの」の両義性
デランティや能登路とは別に、日本のコミュニティの原型を町内/近隣にみて、それを必ずしも「閉じられたもの」に一元化しない論議も存在する。たとえば、ベルクは、日本の近隣の基底には人と人とが相互に喚び合う位相的関係が伏在しており、日本の近隣が内に閉じられていて、「同じであること」を強いられるという通説は必ずしもあてはまらないという。むしろ階級、職業が混在していて、信条も雑多であること、そしてそのことか「生活の共同」の場面において障害にならないのが日本の近隣の特徴だというのである。ベルクによると、その要因は、その場その場の状況にしたがうという「場の規範」、目に見える人間関係による黙契のようなものが機能していることにもとめられる。こうした「場の規範」=黙契への着目には、あきらかに近隣に内在する「開かれたもの」へのまなざしが活きづいている。同時に、その「開かれたもの」には、容易に「閉じられたもの」へと転成/反転する契機を宿している。この点について、筆者は別のところで次のように述べた。
(「場の状況」=黙契は)生活上の接触に根ざす共感によって媒介されているとはいえ、いやむしろそうであればこそ、人間関係の可視的な広がり、つまり人の姿をとらえることのできる範囲/規模(=領域性)にとどまらざるを得ない。そして結果的に、明確な境界に囲い込まれた人間関係を下地とする秩序形成が行動面での高度な同質性をもたらすことになる。
一つの例を示そう。先の戦時体制期に、身分とか階層、あるいは職業などの違いを相対化する上述の近隣のもつ可能性は、戦争遂行のための上からの均質化/平準化の動きに取り込まれ、町内会構成員が「領域的なもの」へと統合された。そしてその結果、「異なる他者」を排除し、同調性を強いる集団主義が社会のすみずみまでゆきわたることになった。このようにして「草の根」の戦争への動員がおこなわれることになった。この例からも窺いしることができるように、近隣は歴史のおりおりにおいて両義性をみせている。つまり「閉じられたもの」と「開かれたもの」はつねに「コインの両面」としてあり、互換性を有していたのである。
ここで想起されるのは、かつて社会学において一大争点となった町内会論争である。そこでは、近代における町内会体制が垂直的な権カシステム(ガバメント)にからめとられていたことへの着目からはじまってそれを近隣一般に適用しようとする論議と、近隣にベルク流の「場の状況」、すなわち「間」の論理をみてそれが近代の町内会体制を貫いていたとする論議が鋭く対立した。筆者は最初の論議を「近代化論」、後の論議を「文化型論」と整理したが、明らかに前者は「閉じられたもの」に、後者は「開かれたもの」に力点を置いている。だが結局のところ、両者は「遠くて近い」関係にあったのである。なぜなら、いずれも先に触れた近隣の両義性に目を閉ざしていたからである。両者に違いがあるとすれば、町内会を歴史的な位相でみるかそれとも超歴史的な位相でみるか(ソシュール流にいうと、通時的にとらえるか共時的にとらえるか)である。
さて話を少し前に戻そう。要するに、社会学的論議から問われているのは、コミュニティにひそんでいる「開かれたもの」の可能性を、それがつねに「閉じられたもの」への転成の契機を宿していることを見据えながら、しかも「文化型論」にみられるような本質主義的規定に陥らずに、コミュニティを構成する諸主体のつながりや流動的な相互連関がより大きなもの、あるいは異なったものへとつながっていく脈絡において示すことである。そこで次に、こうした課題を少しでも明晰にするために、ジェイコブズの近隣にたいする多様性/異質性認識をみることにしよう。
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ヘッドの変更 1.1.1~1.2.4
1.1.1 存在と無
存在は希望
無は無
数学で考えたい
生きるシナリオ
1.1.2 孤立と孤独
放り込まれた
絶対的孤独
他者はいない
他者の承認
1.1.3 真理探求
存在は不思議
存在の証し
数学の真理
哲学の真理
1.1.4 数学に行こう
風呂場で決断
数学は空間
部分は全体
全体を創造
1.2.1 考えるとは
考え抜く
生きること
啓示を得る
答えがない質問
1.2.2 夢を求めた
女性がいる
夢を描く
夢を聞く
夢を語る
1.2.3 もう一人の私
無敵のμ
行動できる
夢を描ける
内なる他者
1.2.4 偶然は味方
大いなる意思
偶然は必然
意図された未来
偶然を活かす
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1.1.1~1.2.4
1.1.1存在と無
存在は希望
①孤立と孤独の世界
②内なる世界に存在
③存在と無が同居
④無為をめざす
①孤立と孤独の世界
②内なる世界に存在
③存在と無が同居
④無為をめざす
無は無
①死すべき者として
②いろいろな見方
③行動はしない
④どこでも行ける
①死すべき者として
②いろいろな見方
③行動はしない
④どこでも行ける
数学で考えたい
①数学にあこがれ
②数学者にはなれない
③今の数学は無意味
④新しい数学で解く
①数学にあこがれ
②数学者にはなれない
③今の数学は無意味
④新しい数学で解く
生きるシナリオ
①20代・30代は数学
②40代・50代は社会学
③60代・70代は歴史学
④未来学者を目指す
①20代・30代は数学
②40代・50代は社会学
③60代・70代は歴史学
④未来学者を目指す
1.1.2孤立と孤独
放り込まれた
①生まれてきた
②存在感がない
③生きていくしかない
④生きる空間はどこ
①生まれてきた
②存在感がない
③生きていくしかない
④生きる空間はどこ
絶対的孤独
①存在しなくなる
②あまりにも狭い世界
③死しか見えていない
④宇宙空間に浮遊
①存在しなくなる
②あまりにも狭い世界
③死しか見えていない
④宇宙空間に浮遊
他者はいない
①存在を認めない
②誰もいないのに
③私は見えていない
④他者の世界とする
①存在を認めない
②誰もいないのに
③私は見えていない
④他者の世界とする
他者の承認
①承認はいらない
②自分を律する
③孤立をつらぬく
④孤立死は当たり前
①承認はいらない
②自分を律する
③孤立をつらぬく
④孤立死は当たり前
1.1.3真理探求
存在は不思議
①存在する
②全ては私のためにある
③全てを無視しよう
④存在から始める
①存在する
②全ては私のためにある
③全てを無視しよう
④存在から始める
存在の証し
①生まれてきた理由
②他者の世界に求めない
③内に真理を求める
④多くの真理がある
①生まれてきた理由
②他者の世界に求めない
③内に真理を求める
④多くの真理がある
数学の真理
①無を表現できる
②全てを対象にする
③不変なものは何か
④論理で展開
①無を表現できる
②全てを対象にする
③不変なものは何か
④論理で展開
哲学の真理
①存在と時間
②他者が不用
③論理の飛躍
④言葉の限界を認識
①存在と時間
②他者が不用
③論理の飛躍
④言葉の限界を認識
1.1.4数学に行こう
風呂場で決断
①泣き叫ぶ日々
②数学科へ行こう!
③大学がない環境
④哲学は選べなかった
①泣き叫ぶ日々
②数学科へ行こう!
③大学がない環境
④哲学は選べなかった
数学は空間
①ロマンの世界
②真理は単純
③真理は数学にある
④本質を見ていく
①ロマンの世界
②真理は単純
③真理は数学にある
④本質を見ていく
部分は全体
①トポロジーを選ぶ
②変化から未来を見る
③連続性を確保
④<今>が未来
①トポロジーを選ぶ
②変化から未来を見る
③連続性を確保
④<今>が未来
全体を創造
①全体を把握する
②先を考える
③全体は多様体
④空間を創り出す
①全体を把握する
②先を考える
③全体は多様体
④空間を創り出す
1.2.1考えるとは
考え抜く
①いい加減さが必要
②トポロジスト
③行動はしない
④本質はシンプル
①いい加減さが必要
②トポロジスト
③行動はしない
④本質はシンプル
生きること
①生きるは考えること
②考えるは生きること
③論理的な思考
④池田晶子の世界
①生きるは考えること
②考えるは生きること
③論理的な思考
④池田晶子の世界
啓示を得る
①デルフォイの瞑想
②行動せずに考えよ!
③赤ピラミッドの階段
④歴史が変わる!
①デルフォイの瞑想
②行動せずに考えよ!
③赤ピラミッドの階段
④歴史が変わる!
答えがない質問
①数学に期待した
②微分方程式の世界
③数学は自分でつくる
④未来につながる
①数学に期待した
②微分方程式の世界
③数学は自分でつくる
④未来につながる
1.2.2夢を求めた
女性がいる
①愛する対象
②心が救われる
③無条件に肯定
④世界は存在する
①愛する対象
②心が救われる
③無条件に肯定
④世界は存在する
夢を描く
①ひたすら応援する
②考え続ける
③喜びが見える
④未来につなげる
①ひたすら応援する
②考え続ける
③喜びが見える
④未来につなげる
夢を聞く
①聞くから始まる
②皆の夢を自分の夢に
③自分の夢を皆の夢に
④夢をカタチに
①聞くから始まる
②皆の夢を自分の夢に
③自分の夢を皆の夢に
④夢をカタチに
夢を語る
①自分自身を語る
②聞いてくれる
③自然に伝わる
④大きな世界につなぐ
①自分自身を語る
②聞いてくれる
③自然に伝わる
④大きな世界につなぐ
1.2.3もう一人の私
無敵のμ
①私の行動的な部分
②未唯への手紙
③もう一人の私と認識
④他者に干渉する
①私の行動的な部分
②未唯への手紙
③もう一人の私と認識
④他者に干渉する
行動できる
①前向きに行動
②行為を決定
③恐怖心はなくなった
④最終兵器となる
①前向きに行動
②行為を決定
③恐怖心はなくなった
④最終兵器となる
夢を描ける
①夢を理解する
②全てを知る
③他者の夢を知る
④人類に夢を与える
①夢を理解する
②全てを知る
③他者の夢を知る
④人類に夢を与える
内なる他者
①心の中に入り込む
②自然な理解
③女性精神分析
④心は傷つけない
①心の中に入り込む
②自然な理解
③女性精神分析
④心は傷つけない
1.2.4偶然は味方
大いなる意思
①意思を感じる
②意図を持っている
③私のために用意
④流れが分かれば無敵
①意思を感じる
②意図を持っている
③私のために用意
④流れが分かれば無敵
偶然は必然
①偶然は必然です
②生まれた偶然
③人間原理に基づく
④歴史に戻す力がある
①偶然は必然です
②生まれた偶然
③人間原理に基づく
④歴史に戻す力がある
意図された未来
①私は私のすべて
②与えられた全て
③偶然から未来を描く
④未来は作られる
①私は私のすべて
②与えられた全て
③偶然から未来を描く
④未来は作られる
偶然を活かす
①仕掛けを先回り
②偶然を読み解く
③原因をたどる
④啓示を受ける
①仕掛けを先回り
②偶然を読み解く
③原因をたどる
④啓示を受ける
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