goo

OCR化した7冊

『グローバル経営論』

 「ものづくり」を考える

  「ものづくり」とは何か

  「ものづくり」から「ことづくり」への転換

『民主主義とホロコースト』

 理性と暴力

  冷戦終結で再び進む国家・民族の分裂

  アメリカの理念が崩れ去る?

  独裁色強める世界

  ヨーロッパでも高まる民族独立運動

  移民・難民急増で再び迷走するヨーロッパ

  移民政策の転換迫られるドイツ

  中間層による「文化」からの反撃

  国家レベルの暴力増大の危険性

  自国中心主義と組織論理からの脱却への道

  人間中心の社会モデルの構築を

『書店に恋して』

 これからの書店人へ

  悩み三題

  複合化について

  商業施設の金太郎飴化

  ブックフェア、返品率

『公共ガバナンス論』

 英国におけるコミュニティによる資産所有・管理

  はじめに

  英国における資産移転の状況

   資産移転の概念

   資産移転の政策的意義

   資産移転の実施状況

  コミュニティによる資産所有・管理をめぐる政策展開--資産移転政策・コミュニティ入札権--

  コミュニティ資産所有・管理の事例

   資産移転による資産所有事例--タウンフィールド・コミュニティ・センター・プロジェクト--

   入札権による資産所有事例--アイビー・ハウス--

  おわりに

   コミュニティ政策のパラダイム・シフト

   日本へのインプリケーション

『歩行する哲学』

 ヘーゲルの「ひとりでに歩く道」

 ウィトゲンシュタインは言葉の間をどう歩いたのか?

『オリンピック全史』

 1964年東京大会

『自動車 カーシェアリングと自動運転という未来』

 カーシェアリングの評価を踏まえた今後の都市交通政策のビジョン

  抑制の効いた自動車利用というありかた

   自家用車利用とカーシェアリング利用は大きく性格を異にするものであること

   カーシェアリングは利用量に抑制がきくこと

   自動車利用はなくせない若しくは0にしなくてよいことの確認

   自家用車保有の漫然とした継続の回避

   カーシェアリングの適切な評価の困難さ

  自動車の効用を踏まえた今後の都市交通政策のビジョン--適度な自動車利用との共存

   カーシェアリングによるいわゆる公共交通と適度な自動車利用との共存

   少量の自動車利用をバランスの軸としたライフスタイル

   バランスのとれたライフスタイルを目指す姿勢

   民間企業運営であるところのカーシェアリングの公共性

 おわりに

  この地球における自動車というもの

  カーシェアリング利用の「雰囲気」

  大阪万博と高速道路とキャロル

  自動車に係る言説のサブシステム

  今までできなかったことができる喜びを得る道具としての自動車
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

カーシェアリングの評価を踏まえた今後の都市交通政策のビジョン

『自動車 カーシェアリングと自動運転という未来』より カーシェアリングの評価を踏まえた今後の都市交通政策のビジョン

抑制の効いた自動車利用というありかた

 自家用車利用とカーシェアリング利用は大きく性格を異にするものであること

  自家用車とカーシェアリング利用とでは「利用目的」と「利用」の関係が異なることを確認した。

  具体的な利用目的を取り上げながら、そ沓違いがどのように利用の実態やその量にあらわれてくるかということについて検討した。そして、カーシェアリング利用に際しては利用の前に考量の過程があり、その途中でバスや自転車や鉄道などの他の交通手段が並列で選択肢に上がってきており、それら他の交通手段なども含めて考量がなされているということを確認した。また、自家用車の場合は同様の考量がなされにくいことを確認した。

  これらのことから考えてくると、都市交通政策の中で自動車による移動を検討する際には、自家用車利用とカーシェアリング利用とは、同じ自動車を利用する移動でありながら、かなり性格の異なるものとして捉えることが妥当であるとの認識に至る。「タクシー利用」と同様に、「カーシェアリング利用」についても、自動車という交通用具を利用しているが、「自家用車利用」とは別なものとして扱うのが適当なのである。

 カーシェアリングは利用量に抑制がきくこと

  カーシェアリングの利用実態として、自家用車利用よりもその絶対量において走行距離が少ない傾向にあることを示した。また、カーシェアリングが、利用に応じて従量制の課金がなされるというしくみであることから、利用者の自動車走行距離を抑制する機能を持つことを示した。

  カーシェアリングの地域にもたらされる影響として次を確認した。

   カーシェアリング利用は一般的な自動車利用より絶対量において少なくなる傾向にあり抑制機能が働くこと

  自家用車の場合を検討し、自家用車利用ではカーシェアリング利用との比較において、抑制がききにくいことを確認した。

  都市交通政策においては、自動車走行距離の縮減が大きな課題となっている。走行距離に抑制が働きにくい自家用車利用と比べて、走行距離が絶対量において少ない傾向にあり、抑制機能が働くカーシェアリングは、そのしくみに対して高い評価が与えられるべきである。自家用車利用は、その利用、走行距離に抑制機能がはたらかないため、過度な利用を招き多大な外部不経済をもたらしてきた。そして、これまでは自動車利用といえば自家用車利用しか選択肢がなかった。そのため、自動車という交通用具を利用した移動の全てがそのように外部に大きな負荷をかけるものであるかのように捉えられてきた。

  しかし、カーシェアリングは抑制機能がはたらき過度な利用とならないしくみであり、外部に与える不経済は0とはいえないまでも、少なくとも自家用車利用よりは格段に少ない。自動車の利用が外部不経済が深刻になるまでに増大したのは、「自動車という道具の性質」のみに起因するのではなく、「自家用車というしくみ」にも大きな要因があり、自家用車というかたちでしか自動車の利用ができなかったということが与えてきた影響について十分に認識すべきである。

  今後はカーシェアリングが導入された地域においては、抑制の効かない自家用車利用とは別に、これまでに想定できなかった「抑制のきいた自動車利用」というありかたを交通行動のか力ちのひとつとして位置づけることが可能となったのである。

 自動車利用はなくせない若しくは0にしなくてよいことの確認

  次の趣旨のことを述べた。

   ・鉄道やバスなどが一定のサービスレペルで提供されている都市部においても、自動車による移動を0にできない。生活を送るにあたって避けがたく自動車利用が必要となっている

   ・現在の自動車社会で生活する際に、レジャーも含めて、施設が自動車利用を前提としていることが多く、避けがたい自動車利用というものが都市部においても残ってしまう

  モータリゼーションの時代を経て成立している現代の日本の社会においては、上記のように都市部においても、自動車利用をOにしにくい環境において生活を送らざるをえない状況にある。

  カーシェアリングの利用について次のとおり述べた。

   ・いわゆる公共交通との比較において、自動車に優位性のある効用が享受されやすい目的に利用される傾向にあること

  これらに、前節での利用量に抑制がきくことを考え合わせて提示できることは次のことである。

   ・モータリゼーションからこれまでの時代において、どれだけ自動車利用が外部に不経済をもたらしてきたとしても、現代の自動車利用を前提として確立された社会において、いわゆる公共交通では担いにくい目的、分野を中心に、控えめになされる自動車利用については、明確に「適当」として認めるべきではないか

  このような考え方を否定し、あくまでも自動車利用による移動を0に近づけることを目指す立場はありうるだろう。しかしながら、都市交通政策を担う者がその立場をとる場合には、レジャーや買物も含めて、自動車利用をせずとも便利に快適に生活が行えるように、鉄道やバスなどのいわゆる公共交通のサービスレベルを、現状よりも格段に向上させることや、都市構造そのものの改変が求められるだろう。言うまでもなく、そのための政策コストは多大なものとなるはずである。

  カーシェアリングが導入された以後の都市交通政策は、自動車の利用を0にすることを目指す必要はなく、自動車の効用に則して控えめになされる自動車利用、すなわち「抑制の効いた自動車利用」は積極的に認めてもよいのではないだろうか。少なくとも多くの都市において当面の都市交通政策の効果的かつ効率的な推進のためには、妥当な選択となるであろうと筆者は考えている。

  既にこれまでから、この姿勢において進められてきた政策として各地において行われている交通需要管理施策としてのモビリティ・マネジメントがある。これらの施策では「かしこいクルマの使い方」を標語とし、自動車利用自体をやめるのではなく、あくまでも過度な自動車利用を避けることを自動車の利用者にはたらきかけてきた。そして、この姿勢で考えるとき、カーシェアリングは適度な自動車利用を自然に実現するものとして、極めて有効なしくみとして認識されるはずである。

 自家用車保有の漫然とした継続の回避

  これまで、自動車の保有に関して、するかしないかの二者択一で検討せざるを得なかった。しかし、カーシェアリングを前提にすると、もう少し柔軟に対応ができるようになる。例えば、ライフサイクルの中で子育ての時期や、高齢者の介護、頻繁な通院などが必要な時期などは自家用車を保有し、それ以外の期間はカーシェアリングで賄うというように、自家用車保有の時期を中断したり、再開したり、柔軟に対応することが可能となる。先に見た、カーシェアリングユーザのカーシェアリング利用の分担率は四%であった。この分担率を必ずしも人生の長い期間中維持する必要はないのである。自動車は高齢者や乳幼児を移動させることについて、高い機能を持つ。だから、必要な時期には自家用車を保有し自動車の効用を最大限に享受する。しかし、それ以外の時期はできるだけ控える、というようなバランスのとり方が可能であると思うのである。

  カーシェアリングは、そもそも自家用車の保有を全く否定しているしくみではない。保有の前段、中継ぎなどとしての利用が可能である。実際、事業者の調査によれば、カーシェアリング会員をやめた理由の一定数が自動車の保有となっている。また、保有に向けた車両の試乗的な機能も担っている。個人においてもまずカーシェアリングから入れば、次に保有に移行するとしても、自分のライフスタイルにあった適度な自動車利用の経験を経ることの意味はある。

  そして、重要なことは、ここにも2‐6でみた自動車の効用に照らした考量があるということである。とにかく深い考量なしに漫然と長期間自家用車の保有を継続する、ということを回避することが可能となる。このように考えることにより、カーシェアリングによる控えめな自動車利用をまじえながら、各交通機関を適度にまんべんなく利用するライフスタイルの、長いスパンの中での無理のない維持を実現していくことが可能となるであろう。

  さらに言えば、身体障害者などで移動に困難を持つ者については、自身で運転するにしても、家族等に運転してもらうにしても、そのライフサイクルの大部分において、通常より高い自動車利用率を維持することも認めるべきであるという考えに至る。

  これまでの都市交通政策は、こうした長いスパンでの行動に着目することが少なく、個々の走行をとらえて、それに対するアプローチを中心としてきた。たとえばエコドライブの考え方がその代表例である。今後は少し長い期間、サイクルでみる視点が重要であると筆者は考えている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1964年東京オリンピック大会

『オリンピック全史』より 1964年東京大会

1945年8月6日--エノラ・ゲイが広島に原子爆弾を落としたその日に広島近郊で生まれた坂井義則が、聖火台に火を灯した。破壊され、敗北し、恥辱にまみれ、占領された日本が、復活を遂げた。オリンピックの国際主義と平和主義の枠組みのなかではあったが、日本の国旗、国歌、天皇は、再び人々の前に出ることを許された。21発の礼砲の代わりに、鮮やかに彩られた1万2000個の風船が放たれた。自衛隊の航空機が頭上を飛び、煙で五輪を描いた。国民の9割以上がテレビで観戦した東京オリソピックは、今に至るまで、日本の戦後史において、国全体をつくり替えた最も大きな行事として認識されている。左翼的な朝日新聞でさえも、この程度のナショナリズムは心地よく感じたようだ。「我々はこれまで、国民性を失って国際主義者になるのを良しとする奇妙な幻想にとらわれていた。国旗と国歌を捨てれば、解放された国際主義者になれるのだと思っていた……2週間のオリソピックによって、国民の間に日本人としての自覚が養われた」

しかし、それはどのような自覚だろう。第2次世界大戦の敗北と、長期にわたり国家のあり方に影響を及ぼしたアメリカ占領期を過ぎると、もはや「独自の優れた文明をもつ国」「力を増す帝国主義国」という自負(開催権を返上した1940年時点でのイデオロギー)は、国家の周縁にしか存在しなくなっていた。その代わり、1964年の日本は、類い希なる経済的な変革を遂げていた。敗戦から一世代も経たないうちに日本は形を変え、10年近くの2桁成長により、農村社会から都市社会に生まれ変わった。巨大企業が、さまざまな部門で世界の輸出市場を制しつっあった。経済成長率と1人あたりGDPを上げることが国内政治の主要な目標になり、東京オリンピ″クは、この目標を実現するための手段とシンボルになった。

1945年の度重なる空襲によって灰燼と化した東京は、形としては復興を果たしたものの、住宅や基本的インフラ不足にあえいでいた。地方から数百万単位の移住者が、拡大を続げる工場地区や、ドヤ街、スラム街になだれ込んだことで、状況はさらに悪化した。暴力団、安酒場、麻薬産業などが繁盛した。1960年代前半のようすを、ある人物はこう表現している。「古い木造住宅、薄汚れた掘っ立て小屋、しっくい塗りの安普請のビル、団地などが醜く無秩序に広がる街だ」。人口は1000万人に迫っていた。都市化の波が、それぞれの生活を営んでいた小さな町や県を飲み込んで、世界一の大都市圏を作り上げた。1959年に招致を実現したチームを河野一郎建設大臣が率いていたのは偶然ではない。河野は東京都知事の東龍太郎とともに、東京の変革と近代化こそが国の経済成長の柱であるとみていた。しかし、オリンピックの実施となると話は異なる。競技の結果と大会の評価に国の威信がかかっているのに、大役を依頼できる者は誰もいない。開催まで2年を切ったとき、政府の強い要請を受けて、安川電機会長の安川第五郎がしぶしぶその任に就いた。

戦後、都市圏が大きく成長したにもかかわらず、東京はいまだに19世紀の公衆衛生インフラに頼っていた。水洗トイレはきわめてめずらしく、大半の地区ではバキュームカーが毎日巡回し、建物の地下から排泄物を回収していた。2本の地下鉄は爆発しそうなほどに混雑をきわめ、道路は新たな生産ラインから吐き出された無数の車で埋まっていた。そこで、東京都は、数千億円を投資して新大阪までの新幹線を用意しただけでなく、下水道を刷新し、羽田空港と都心部を結ぶ21キロのモノレールを建設し、40キロの地下鉄を敷設して従来の倍以上に延伸し、100キロの高速道路を新設した。東京は、解体と建設の地獄のような瘴気に包まれた。

五感への強烈な攻撃だった。固定用のセメントの悪臭がそこかしこに漂っていた。通りをふさぐ自動車の排ガスや、郊外に建ち並ぶ工場の煙があまりにひどいので、東京の人々は誰もがマスクを着用し、交通巡査は勤務中に酸素ボンベを携行した。沿道の喫茶店は、客を煙やすすから守るために大判のプラスチックのスクリーンで覆われた。大気汚染で具合が悪くなった人のための救護所も、そこかしこに置かれた。ネオンサインが煌々とともる銀座では、巨大な掲示がその日の亜硫酸ガスの数値を示していた。西銀座のショッピングビルには騒音公害レベルが表示され、騒音被害の脅威の説明が大きく掲示されていた。

競技は約30か所で開催され、千葉県や埼玉県など近隣の県でおこなわれた競技もあった。選手は、東京都心部に設げられた本村と、その他4か所に設けられた分村に宿泊した。施設は専用のオリンピック道路網で結ばれ、それらの道路は結果的に、新しい巨大都市、東京都市圏の輪郭となった。会場の一部は、1958年のアジア大会のために建設されたものだった。かつて1940年オリンピックの開催候補地であったとともに皇国日本のシンボルでもあった代々木一帯は、陸軍の練兵場を経て、和解、地域協調、国際協調のるつぼとして新たに構築され、役割を変えつっあった。黒く平坦でUFOのような東京体育館は、のちに建設される競技会場のミニマリスト的なモダレさを予告するような存在だった。コソクリートを流し込んだ抽象的な形状のオリンピック会場が次々と新たにできあがった。駒沢オリンピック総合運動場とその体育館、球技場、記念塔。そして、国立代々木競技場。なかでも特に印象的なのが、丹下健三の手になる国立第一体育館だ。吊り構造の巨大な屋根が、鉄でできたテントのように覆いかぶさり、複雑な起伏を描いている。これを見たタイムズ紙の記者は息をのみ、次のように記事を結んだ。「建築におけるイマジネーションと効率性の面で、新たな高みに達した施設である。記者室では、記者たちがうつろな目でタイプライター越しに互いを見つめ合っていた。賛辞を送ろうにもできないほどに圧倒されていたのだ」

しかし、最新施設を用意するのにともなったコストは経済的なものだけではなかった。工事を下請けに出した結果、暴力団が深くかかわることになった。また、安全基準が非常に低いうえ、ろくに守られていなかったため、オリンピック関連のプロジェクトで100人以上が亡くなり、2000人以上が重軽傷を負った。地上げがはびこり、政・官・業の強固な癒着によって、汚職と賄賂が蔓延した。新幹線の発注に絡む贈収賄は、氷山の一角にすぎなかった。また、多くの世帯がオリンピック会場から強制的に退去させられ、その大半は郊外の粗末な団地に越していった。

不可解にも、東京都は車道を増やすために路面電車を撤去することを決定した。開会の直前には、がれきを埋めて景観を整備しつつ、一部の住民を追い出した。組織委員会は、暴力団の荒くれ者たちに、東京からしばらく離れて過ごすように要請した。上野公園に住みついていた路上生活者たちも一掃された。数十万匹の野良犬や野良猫が殺処分された。タクシー運転手はクラクションの鳴らし方を改善するよう要望され、酔っ払いは側溝に立ち小便をしないように指示された。交差点には気弱な観光客がごたごたした道路を渡れるように横断用の旗が常備された。

1964年の東京大会はコンクリートで象られたが、測量、計測、集計、記録は、最新エレクトロニクスを駆使しておこなわれた。タイムズ紙は、「SFのようなオリンピック」と報じた。1932年以来オリンピックの公式タイムキーパーを務めてきたのはスイスの時計メーカーのオメガだったが、日本のエレクトロニクス産業の勃興を表すかのように、この大会を境に日本の同業セイコーに置き換えられた。セイコーはデジタルストップウォッチからスタジアム用の巨大時計まで1300種類以上の時計や計測器を製造して寄贈した。セイコーの子会社のエプソンは、水晶時計やプリンティングタイマー(プリンター付き電子記録システム)を製造した。のちにレーザープリンターや計算機の大手メーカーとなる同社の新技術を育む原点となる製品である。コンピュータが初めて導入され、選手のプロフィールを管理し、パフォーマンスを集計し、情報をメディアに配信するために使用された。従来、目視で判定していた水泳でも、ピストルでスタートしたあとは、夕しチを検知するパッドでターンを判定し、さらに、特別設計のカメラで水中のゴール写真が記録されるようになった。時間計測は100分の1秒単位になった。開会式では電子音楽が初めて使用された。黛敏郎の手による、日本各地の梵鐘(寺の釣り鐘)を、IBMのコンピュータで合成した曲である。

女子バレーボールチームにかかるプレッシャーは、いやました。翌日のソ連との決勝の数時間前には日本中の道路ががら空きになり、90パーセント近くの国民がバレーボールを観るためにテレビの前に集まった。日本における「経済の奇跡」を牽引した鉄鋼、自動車、造船、電機などの部門は男性主導だったが、家族を故郷に置いて都市の紡績工場に出稼ぎに来た若い女性たちも大きな役割を担っていた。日本の女子バレーボールチームは、こうした環境のなかで育った。もともとは家族主義的経営の産物として、その後は宣伝と新入社員獲得の一助として、日本の紡績企業は女子工員向けにバレーボール施設を提供した。1950年代までには、業界全体が急成長するなかで、全国レベルのチームがいくつも誕生していた。1964年のチームの中心メンバーは、大阪に本社を置く紡績企業、日紡(ニチボー)の工員たちであった。メディアに「鬼の大松」と呼ばれた監督の大松博文は、皇国陸軍の小隊長の経験があった。

チームに軍隊のような訓練を課し、集中力と運動能力を引き出した。チームは午前8時から午後4時まで通常の仕事をこなしてから、深夜まで練習した。休憩は25分のみ。1962年には、経験と身長で大きく勝るソ連のチームを相手に、世界選手権で優勝した。メディアから「東洋の魔女」と名付けられたチームに対し、大松はオリソピックを見込んでさらなる訓練をさせた。そしてこの日の決勝で再びソ連と対戦した「東洋の魔女」は、またもや勝利を収めた。紡績業界の復権、そしてそのなかで育ったチームのハードワークと固い絆を称える声が国中にあふれた。その後の日本代表女子バレーチームは、メキシコとミュンヘンで銀メダル、モントリオールで金メダルに輝くが、紡績業の低迷とともに時代は終わった。海外からはコストカッ卜の圧力が絶えず、国内ではオートメーションが進むなかで、業界は長期に及ぶ衰退期に入り、日本の女子バレーボールも道連れになった。

大会は滞りなく進行し、閉会式ではアスリートたちが溜まりに溜まったエネルギーを発散させ、競技場から競技場へと練り歩き激しく踊った。独立したばかりのザンビアの選手たちは、手書きの掲示を持っていた。「スポーツ・イラストレイテッド」誌のジョン・アンダーウッドはこのように記録している。ニュージーランド代表のアスリート9人は笑い転げながら隊列を離れ、飛び跳ねなからトラックをもう1周回り、ところどころで即興のジグを踊ったり、いきなり歌い出したりした。やがて貴賓席の前にたどり着くと、天皇裕仁その人の前で喜劇を繰り返し、腰を折ってわざとらしくお辞儀をした。長距離走者のビル・ベイリーは掟破りの投げキッスをした。意外にも、走って止めに来る者は誰もいなかった。陛下は微笑み、西洋式に帽子を取った。

オリンピックには、日本の皇室の作法を変えるほどの力があったのかもしれないが、それでも万能ではなかった。ソ連代表は東京大会で30個もの金メダルを獲得したが、同志ニキータ・フルシチョフを救うことはできなかった。数か月にわたる陰謀劇の末、オリンピックの1週目にフルシチョフは「自発的に」辞職に追い込まれ、反逆者であった第一書記のレオニード・ブレジネフにソ連共産党の権力の座を明け渡した。また、国際協調のメッセージについてはどうだろうか。競技もたけなわの10月16日金曜日に、中国か初めての原爆実験をおこなった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ヘッドの変更 6.1.1~6.2.4、6.4.1~6.4.4

今日はポッキーの日

 今日はポッキーの日、ということで一年半ぶりに誕生日メールを送った。雑記帳の冊数も丁度、1111です。92.01.13から続けている。3399ファイルで1.25GB。26年でこれだけ。

 第一次世界大戦終結から100年なんだ。

 ソンミの塹壕、カッパを着て、無惨に死んでいった40万人。雨だから行かないという大統領。そうだよね、雨だから。

6.1.1~6.2.4、6.4.1~6.4.4

 6.1.1 私のための本

  本がある理由

  全てを対象にする

  何を得るか

  本を蓄積する

 6.1.2 本がある意味

  一万冊で理解できた

  私が存在する

  言葉を得る

  本を処理する

 6.1.3 図書館がある

  いろいろな形態

  白夜の国の図書館

  図書館を守る

  豊田市中央図書館

 6.1.4 図書館を支える

  停滞している

  図書館協議会

  内部から見ていく

  図書館コミュニティ

 6.2.1 本のジャンル

  哲学の存在

  歴史を把握する

  社会はわからない

  文学は読まない

 6.2.2 好き嫌いで判断

  多様に考える

  世界観をつくる

  時空間を超える

  未唯空間にまとめ

 6.2.3 コンテンツが自立

  電子書籍の世界

  知でつなげる

  支援する図書館

  生涯学習制度

 6.2.4 公共図書館

  公共の意味合い

  図書館は先行

  シェア社会

  人類の智恵

 6.4.1 マイライブラリ

  バックボーン

  新刊書は希望

  用意されたもの

  本を取り巻く世界

 6.4.2 読書から拡がる

  図書館の企画

  メディアの活用

  読書方法

  読書の形態

 6.4.3 地域の図書館

  海外図書館を調査

  北欧は生活拠点

  地域の図書館

  豊田市中央図書館

 6.4.4 図書館を守る

  地域を支える

  地域を活性化

  図書館の経営

  市民が防衛
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

6.1.1~6.2.4、6.4.1~6.4.4

6.1.1 私のための本

 本がある理由
  ①豊田市図書館の新館
  ②豊富な新刊書
  ③私のために用意された
  ④使いこなす責任がある

 全てを対象にする
  ①興味の対象を拡大
  ②概念を言葉に変換
  ③本はすごい威力
  ④土曜は本の処理

 何を得るか
  ①一冊一冊に人生がある
  ②私に代って見聞き
  ③読書は格闘技
  ④本からDNAを抽出

 本を蓄積する
  ①NDC、題名、金額を入力
  ②DNAをテキスト化
  ③ブログにアップ
  ④本棚システムを構築

6.1.2 本がある意味

 一万冊で理解できた
  ①年間1500冊ペース
  ②2.5万冊に至る
  ③全ジャンルに好き嫌い
  ④本の意味を探る

 私が存在する
  ①全ての本を分類
  ②全体が見える
  ③先を考えられる
  ④存在する意味

 言葉を得る
  ①概念を言葉に変換
  ②言葉は思考そのもの
  ③思考に共感し、引き継ぐ
  ④言葉の限界に戻る

 本を処理する
  ①OCR化を25年継続
  ②ICレコーダーに感想
  ③雑記帳に書き起こし
  ④未唯空間に蓄積

6.1.3 図書館がある

 いろいろな形態
  ①LAPLは調査型
  ②SFPLは滞在型
  ③豊田市図書館は貸出型
  ④アゴラのある図書館

 白夜の国の図書館
  ①ア・アルトの図書館
  ②15年掛って辿り着いた
  ③豊田市の10倍の来館者
  ④生活型の図書館

 図書館を守る
  ①市民の無知は悪
  ②知の入口を提供
  ③図書館への攻撃
  ④市民を変える

 豊田市中央図書館
  ①日本有数の図書館
  ②新刊書1.3億を継続
  ③市民は良さを感じない
  ④文化のバロメーター

6.1.4 図書館を支える

 停滞している
  ①設立時のまま
  ②市民は変わってきた
  ③貸出件数は低下傾向
  ④TRCで変わるか

 図書館協議会
  ①リーマンショック
  ②新刊書予算は半減
  ③公募委員として参画
  ④常任者は本を読まない

 内部から見ていく
  ①返本ボランティア
  ②図書館に提案する
  ③館長は持ち回り制
  ④司書は不用と主張

 図書館コミュニティ
  ①市民の要望を先取り
  ②市民が支える体制
  ③市民をつなげる活動
  ④電子図書館への道筋

6.2.1 本のジャンル

 哲学の存在
  ①デカルト『方法序説』
  ②一人で作り上げる世界
  ③孤独が思考を深化
  ④思考する生活規範

 歴史を把握する
  ①アタリ『21世紀の歴史』
  ②未来から今を考察
  ③今をどうするか
  ④原因と結果の論理

 社会はわからない
  ①『複雑性とは何か』
  ②変化は周縁から起こる
  ③複雑性で社会を分析
  ④概念に言葉を与える

 文学は読まない
  ①『戦争と平和』
  ②ナターシャへの愛
  ③多様性が平和を生む
  ④トルストイの世界観

6.2.2 好き嫌いで判断

 多様に考える
  ①書くことの苦労
  ②読書は格闘技
  ③好き嫌いで分化
  ④新しい分野を拓く

 世界観をつくる
  ①著者の思いと拘り
  ②世界の状況認識
  ③自由と平等の関係
  ④多様な意見を展開

 時空間を超える
  ①時空間を漂う
  ②思いを浸透させる
  ③未来を描き出す
  ④電子書籍で空間

 未唯空間にまとめ
  ①未唯空間に集積
  ②ネット上にアゴラ
  ③コンテンツ共有化
  ④各自が空間を保有

6.2.3 コンテンツが自立

 電子書籍の世界
  ①新グーテンベルグ
  ②読書形態が進化
  ③コンテンツを分化
  ④受け手で統合

 知でつなげる
  ①バラバラにできる
  ②地域の知識を集約
  ③配置から拡大
  ④個人環境を統合

 支援する図書館
  ①個人環境と接続
  ②ザナドゥ空間を設定
  ③クラウド環境
  ④生活スタイル変革

 生涯学習制度
  ①生涯学習審議会
  ②情報センター構想
  ③図書館と地域の連携
  ④行政に依存しない

6.2.4 公共図書館

 公共の意味合い
  ①地域の近傍系
  ②図書館の役割
  ③市民の力と合体
  ④地域の自立支援

 図書館は先行
  ①学校図書は好き嫌い
  ②県立は環境社会の拠点
  ③市立は多様な存在
  ④アウトリーチで拡張

 シェア社会
  ①皆で作り上げる社会
  ②図書館はシェア
  ③地域で実験
  ④社会を誘導

 人類の智恵
  ①アレキサンドリア
  ②ローマ文化の継承
  ③フィンランド新図書館
  ④市民に役立つ存在

6.4.1 マイライブラリ

 バックボーン
  ①まとまった情報
  ②多様な視点、観点
  ③時空を超えた著作
  ④自分のライブラリ

 新刊書は希望
  ①好奇心はめげない
  ②30冊選択できる力
  ③知りたいという思い
  ④目的が明確になる

 用意されたもの
  ①ムダな新刊書争い
  ②18年で2.5万冊
  ③年間二百万円
  ④抽出して還元

 本を取り巻く世界
  ①一律削減の考え
  ②デジタルの意味合い
  ③本屋の存在理由
  ④出版される意味

6.4.2 読書から拡がる

 図書館の企画
  ①図書相談・婚活の場
  ②読書会・出会い
  ③活動は始まらない
  ④図書館を縛るもの

 メディアの活用
  ①キンドルの読書空間
  ②スマホで読書会
  ③視力低下に対応
  ④コミュニティ化

 読書方法
  ①ネット配布
  ②寝ながら読書
  ③本棚システムの活用
  ④図書館クラウド

 読書の形態
  ①サードプレイス活用
  ②ラテにキンドル
  ③どこでも図書館
  ④スマホで情報提供

6.4.3 地域の図書館

 海外図書館を調査
  ①滞在型のSFPL
  ②調査型のLAPL
  ③知の入口のNYPL
  ④バークレーの電子化

 北欧は生活拠点
  ①北欧の生活スタイル
  ②市民ニーズに対応
  ③10倍以上の来館者
  ④新図書館のアプローチ

 地域の図書館
  ①観光マップに記載
  ②畳部屋で寝ながら読書
  ③観光資源そのもの
  ④町おこしをアピール

 豊田市中央図書館
  ①駅前に立地
  ②豊富な新刊書
  ③司書は必要としない
  ④公民館と連携

6.4.4 図書館を守る

 地域を支える
  ①図書館はブランド
  ②存在理由は不明
  ③シェア社会を先取り
  ④社会変革を提案

 地域を活性化
  ①町全体が図書館
  ②ビジネス支援
  ③考えられる場所
  ④ポータルから発信

 図書館の経営
  ①曲がり角にある
  ②指定管理者制度
  ③先が見えていない
  ④CCC多角経営

 市民が防衛
  ①市民と図書館の関係
  ②図書館を考える市民
  ③図書館戦争
  ④市民を味方にする
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )