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1.5.1~1.6.4

1.5.1「他者との接点」

 他者理解としての新刊書。20年前に開館した豊田市図書館から始まった。裾野市には本と出会えるところがなかった。以前の豊田市図書館、愛知県図書館とも3冊しか借りられなかった。

 新館では15冊借りることができるようになった。それに合わせて、多くの新刊書が揃った。この環境で本を借りる気になった。人は本というカタチを借りて、語ることが多い。全ての人が二重人格である。それで社会を知る気になった。

1.5.1「他者との接点」

 他者理解としての新刊書。20年前に開館した豊田市図書館から始まった。裾野市には本と出会えるところがなかった。以前の豊田市図書館、愛知県図書館とも3冊しか借りられなかった。

 新館では15冊借りることができるようになった。それに合わせて、多くの新刊書が揃った。この環境で本を借りる気になった。人は本というカタチを借りて、語ることが多い。全ての人が二重人格である。それで社会を知る気になった。

1.5.2「ちょっかい」

 他者の世界にちょっかいを出すことになった。社会との関係は50歳ぐらいから始めた。偶々、訪れたハメリンナ市の環境学習施設のDr.ヘリさんを参考にした。EU相手に地域で活動していた。

 図書館返本ボランティア、環境学習施設ボランティア、そして愛知万博のVL。ボランティアの基本は「笑顔とあいさつ」で市民を勇気づけることとした。だけど、豊田市民というものが見えなかった。彼らは先のことを考えていない。そこで、他者の先行きを考えることにした。

1.5.3「サファイア」

 仕事で見出したサファイアの概念で社会を分析することにした。分かったのは、社会は持続可能な循環をしていない。組織の論理で、モノづくりという上流から消費という下流に流しているだけ。

 消費するための仕組み。有限が判明した現在、持続可能にするためには消費から変えないといけない。そのためにはサファイア循環の4つの機能を定義する。

 支援(f)・提案(i)・モノつくり(r)・勇気づけ(e)

1.5.4「先を知りたい」

 他者の世界の先行きを知りたい。日々の気付きを蓄積するしかないが、日々は好きではない。短いようで長い一日。永遠回帰のような繰り返し。そこから徐々に知ることはできない。気付きは一瞬。それが数学者のあり方。

 25年間、雑記帳にまとめてきた。そこから未唯空間、未唯宇宙。与えられた者でやってきた。他者の未来を知って、希望を未唯Ⅱに托そう。

1.6.1「作り方」

 未唯空間のつくり方を述べる理由は、トレースする人へのヒントに過ぎない。ゼロから作ってきた。60歳以降は未唯空間を成合にしてきた。答えのない質問、質問のない答えを探して。

 7つのカテゴリーを最初に決めたが、20年経っても、変わっていない。この軸で暮らしてこれた。本も全て、このカテゴリーの中に収まっている。これが最大の成果かもしれない。

 未唯宇宙には本からの情報が多い。ほとんど未消化の状態になっている。それらを自分のためにオープンにしている。

1.6.2「320のヘッド」

 全てを対象に蓄積してきた。10のカテゴリ×8のプロセス×4の分類で320の項目を腰にしている。それをヘッドと名づけた。上位は目次で下位は構成となる。キーワードはヘッドに埋め込む。

 ヘッドの考え方は配置とつながっている。それで位相を作り、距離の概念を入れることもできる。これが未唯空間です。ヘッドの組合せで次元も想定できる。

1.6.3「意味を知る」

 ヘッドと名づけた辺りから未唯空間と部品表の対比が始まった。車に関する設計・製造の全てを部品単位に表現するのが部品表。仕事の最初に部品表に出会ったのは何らかの仕掛なんでしょう。

 部品表の部品に対して、未唯空間は言葉で全てを表現する。言葉を因数分解したり、キーワード空間で別位相を見たり、ホロン的な表現をしている。部品に物があるように、言葉には意味がある。これを組み合わせて、概念になる。

1.6.4「表現方法」

 全てを表現するのに、一次元の文章ではムリである。三次元でさえ、センで表わすとピエゾのようになってしまう。部品スタイルで目次・構成そして仕様に分けた。それなりにスッキリしている。

 理想の表現は「論考」形式です。ウィトゲンシュタインが「これが全て」と言いきったものは正規化されていないスタイルはあこがれです。第一次世界大戦のロシア戦線でノートに記している姿を想起する。
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OCR化した6冊

『秘密結社』

 デルフォイの神託所

『教育原理』

 教育の歴史 海外の教育史(古代ギリシアの教育思想)

  古代ギリシアにおける教育文化

   古代ギリシアの教育思想を学ぶということ

   古代ギリシアの教育風景

   ポリスの政治と市民

  古代ギリシアの哲学者たち

   ソクラテスと哲学的対話

   プラトンによる真理へのアプローチ

   アリストテレスの政治教育の地平

  ソフィスト的弁論術と教養観の拡大

   職業教師の誕生と弁論術

   ソフィストヘの評価とギリシア的教養

『デジタル・エイプ』

 拡張された知恵

  数字の山を、使える資源に変える

  うそと真実

  ダーウィンが陥った「コミュニケーションの障害」

  アルゴリズムの説明責任は誰にある?

  「取り残された人々」をとうするか

  テクノロジーと戦争

  新しい時代の民主主義

  私たちの権利と義務とは

  私たちがすべての可能性をつかむために

『日本ハンドブック』

 女性の現況

  女性たちはどこにいるのか?

  好まれない女の子、若い世代への非難

 21世紀日本の貧困

  新たな貧困形態

  日雇い労働者とホームレス

 気候変動と日本

  気候変動の影響

  北極海航路の可能性

 世界のなかの日本

  日本、発展の推進役

  直接投資先の変化

  アジア地域における立ち位置のむすかしさ

『法学部、ロースクール、司法研修所で学ぶ法律知識』

 刑法

 概観

 1 刑法の2つの機能

  犯罪は成立するか?

  刑法の法益保護機能

  刑法の自由保障機能

  2つの機能の関係

 2 刑法の全体像--総論と各論

 3 刑法総論--犯罪成立の3ステップ

  犯罪成立の3ステップ

  ステップ1 構成要件該当性

  ステップ2 違法性

  ステップ3 責任

 4 刑法各論--窃盗罪に関する主な論点

  窃盗罪の構成要件

  窃盗罪にまつわる5つのケース

   情報窃盗

   「他人の占有」の有無

   窃盗罪の保護法益

   権利者排除意思と使用窃盗

   利用処分意思と毀棄・隠匿目的の窃取

『ヘーゲルを越えるヘーゲル』

 「歴史の終わり」

  「冷戦の終焉」と哲学的テーゼ

  マルクス主義の敗北という「終わり」

  ヘーゲルの歴史哲学のポイント

 コジェーヴの見たヘーゲル:「精神」とは何か

  「歴史の終わり」をめぐる解釈

  「精神」の発展の運動と自己反省の図式

  理性の「普遍性」の問題と「進歩」の絡み

  「歴史」には手を出さなかった哲学者たち

  経験的社会科学の方法論との繋がり

 「自由」を求める闘争

  「共同体」と自己実現

  「絶対精神」への見方

  「自由」における自己実現の可能性

  ホッブズとルソーの「自由」

  「市民社会」に近代的意味を与える

  「一般的理念」と「法」「人倫」「国家」

  現実の闘争や消耗戦も肯定

 「歴史」の終わりとナポレオン

  啓蒙思想家とフランス革命

  ドイツで発展した自由主義

  ヘーゲル=コジェーヴの帰結

 ヘーゲルにおける「歴史」と「哲学」

  歴史を参照し知の体系を構築

  未来は不確定という問題

  「絶対知」の扱い

 「私たちにとって」

  「知」の対象が、「意識」の内容の場合

  「経験」から「私たち」の視座が形成される

  意識の本質をめぐる問題を提起

 「私たち」の来歴と行く末

  「全知の語り手」へのヘーゲルの逆説

  『精神現象学』が示す循環構造

  ガダマーの「地平の融合」

 「私たちにとって」の実践

  「理性的なもの=革命の理想」

  キルケゴールとハイデガーの立場

  ハーバマスのリッター、ローティ批判

  ヘーゲルの形而上学化との訣別

 観察者と行為者

  アーレントとヘーゲルの歴史観

  ヴィーコとヘーゲルは「歴史家兼哲学者」

  「技術者」の視点を持った「歴史家」マルクス

  「注視者」か「行為(参加)者」か

 歴史の廃墟へのまなざし

  ヘーゲル=マルクス系歴史哲学への非難

  ベンヤミン的、屑拾い的な歴史家像

  ファノンの「主/僕」の弁証法への言及

  〝ヘーゲルが書けなかったこと〟
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アーレントとヘーゲルの歴史観

『ヘーゲルを越えるヘーゲル』より 観察者と行為者

アーレントとヘーゲルの歴史観

 「私たち」が「歴史」の中の「行為者」か、外から冷静に見る「観察者」か、という問題に関してハンナ・アーレント(一九〇六-七五)も興味深い問題を提起している--アーレントの思想全体の概要については前掲の『今こそアーレントを読み直す』などを参照されたい。この問題は彼女自身の「人間」観と深く関係している。

 アーレントは主著『人間の条件』(一九五八)で、古代ギリシアのポリスで成立した「人間」という概念を構成する主要な条件として、①労働②仕事③活動--の三つを挙げている。彼女の言う「労働」は、通常の意味の「労働」とは違って、生命を維持するための身体的な営みを指す。「仕事」は、テーブルや椅子などの家具や芸術作品など、人間同士を結び付け、関係性を規定する「物」を制作する営みである。「活動」とは、言語による説得や演技によって相手の精神に働きかけ、合意を得ようとする営みである。「労働」が他の生物とも共通しているのに対し、「活動」こそが人間を人間たらしめている最も重要な条件と考えられた。「活動」によってポリスに生きる市民たちは言語的表現能力を鍛えられた。また、自由な討議を通して、他者の異なった意見を知ることで、市民たちの物の見方が多元化した(=複数性)。それと連動して、公的領域において、対等で自由な市民たちによる「政治」が発展した。ただし、市民たちの生活の物質面は奴隷や女性など市民権を持だない人の「労働」や「仕事」に支えられていた--市民の自由な「活動」が、奴隷の「労働」に支えられているという図式は、へーゲルの「主/僕」の弁証法に対応していると見ることができる。

 アリストテレスは、そうした「政治的(活動的)生活とは別に、哲学者に見られる「観想的生活を想定し、これこそが市民としての最高の生活形態としたが、これは市民全般に共通の態度ではないので、アーレントは、これは例外的なものと見なし、『人間の条件』の中では本格的に論じていない。

 アーレントは、このポリスで確立した「活動」中心の「人間」観が、古代世界の終焉と共に次第に変質していき、人間が他者とのコミュニケーションよりも、物を生産することに精を出す工作人に、そして生命を維持するためにひたすら労働する生物へとてい落していった過程を描き出しているI近代においては、奴隷が存在せず、ほとんどの人が生活のために働かなければならないので、そうなってしまうのは不可避である。『人間の条件』と同じ年に公刊され、後に『過去と未来の問』(一九六一初版、一九六八改訂版)に収められた論文「歴史の概念」では、そのことがへーゲルの歴史哲学に見られる近代的な「歴史」観と結び付けて論じられている。科学・技術の発達に伴って、人間が住む「世界」が大きく変化するようになると、人々は道具や芸術作品、建造物だけでなく、自分たちは「世界」をも制作しているという意識を持つようになった。その意識は更に、「歴史」のコースをも自ら作り出しているという意識に変容していった。

ヴィーコとヘーゲルは「歴史家兼哲学者」

 「歴史」を〝作る〟という意識が生じるのは、主として〝政治〟の場においてであるが、アーレントに言わせれば、近代の〝政治〟〝では、「活動」によってお互いの関心やパースペクティヴを多元化し、人間性を豊かにしていくという契機が希薄になった。代わって、各人の既定の利益を追求するために、他人と争ったり、同盟したり、妥協したりする場、あるいは、そうやって形成された共通の利益を確実にするために権力を行使することがノ収治〃と見なされるようになった。そうなると、社会や国家は自分たちの思い通りに作ることが〝政治〟の「目的」であり、〝歴史〃〝はその実現の過程ということになる。そういう意味で「歴史を作る」という発想をした典型がマルクスだ。アーレントに言わせれば、マルクスは「歴史を作ること」と「活動」を誤って同一視してしまったのである。つまり、「歴史を作る」プロジェクトに参加することによって、人々が失われた自由を再び獲得できると錯覚してしまったのである。

 近代の「歴史」概念を確立したとされるのは、イタリアの反デカルト主義の哲学者ジャンバッティスタ・ヴィーコ(一六六八-一七四四)とヘーゲルである。ヴィーコは、人間たちの集合的な行為から生成する領域としての「歴史」に対しては、「自然」に対するのとは異なるアプローチが必要だとして、神話、伝説、芸術作品など、過去の人々の言語活動の記録を研究することの意義を説いた。ヴィーコやヘーゲルにとって、人々の行為の帰結から「歴史」は生成するのは確かだが、「歴史Jは、特定の傑出した主体たちが計画的に特定の方向に進めていけるようなもの、人間の生産物ではなかった。従って、「歴史を作る」ことは不可能だ。

  彼らの考えた真理とは、歴史家の観想的で、後ろ向きのまなざしに開示されるものであり、過程を全体として見ることのできる立場にある歴史家こそが、行為=活動する人々の「狭い目的」を度外視し、彼らの背後で自らを実現してゆく「より高次の目的」に集中することができるのだ(ヴィーコ)。一方マルクスは、歴史という概念を近代初期におけるホッブズらの目的論的な政治哲学と結び付けた。そのためマルクスの思想においては、「より高次の目的」--歴史哲学者に従えば、歴史家であり哲学者たる者の後ろ向きのまなざしにのみ露わになる目的--は、政治的行為=活動の意図された目的となり得たのである。

 ここでアーレントが〈actor〉と呼んでいるのは、古代ギリシアの市民のように、物質的な利害から完全に解放されて自由に活動できる人間というより、近代の市民社会の中で経済的利益を追求しながら同時に、(利益配分的な意味合ぃの強ぃ)〝政治〟にも関与する、近代市民社会の市民、へーゲルあるいはハーバマスが想定しているような市民だろう。ヴイーコやヘーゲルは、「歴史家兼哲学者」としての「私たち」の視座で、これまでの歴史の流れを「観想的」に、つまりそこから距離を置いて哲学的に考察しながら振り返ることで、それぞれ自らの限定された「目的」--経済的な利益や社会的評価、日常的関心事など--を追求している個々の当事者たちに見えてはこない、歴史自体の目的である「高次の目的」をじっくり見据えようとした。自らが「歴史」を「制作」できるなどという僣越な考えは抱いていなかった。『法哲学要綱』の「序文」の末尾近くに出てくる「ミネルヴァの臭は黄昏がやって来る頃にようやく飛び立つ」というフレーズは、そうしたヘーゲルの基本的スタンスを示している。

「技術者」の視点を持った「歴史家」マルクス

 それに対して、ホッブズに倣って〝政治〟を、意図的に活動=行為する人々の「目的」実現の営みと見るマルクスは、「歴史」をそのプロセスと見るようになったのである。では、マルクスは、「歴史家」の視点を欠いていたかというと、必ずしもそうではない。彼が「唯物史観」を構想し得だのは、「歴史家」としてのまなざしを持ち、社会の中で現に自らの目的を追求することに躍起になっている当事者たちには見えないものを可視化しようとしたからである。マルクスは、資本家や労働者の行動を分析して、そこから「歴史」のコースを導き出したわけではない。ただ、それは「後ろ向き」のまなざしに集中する「歴史家」ではなく、「技術者」の視点を持った「歴史家」である。

 アーレントによると、プラトン(前四二七-前三四七)は、「イデア(理念)」を、造物主(デミウルゴス)が諸事物を制作するために用いた「モデル」のようなものとして記述していた。(プラトン的な意味での)「哲学者」による「イデア」を見る(観想する)試みは、その「モデル」の本質を見極め、それに従って、世界を正確に捉え直すと共に、人為的に作られる政治や道徳の諸制度を最善の形にもたらすことを「目的」としていた。マルクスは、そうした「技術者」的な視点をも、伝統的な哲学から継承していたのである。

  マルクスはそれまで来世に位置づけられていた楽園を地上に建設しようとしたとしばしば言われるが、歴史家のまなざしと、技術者のまなざしとが結び付いたことの危険性は、それまで超越的であったものを内在的なものに変化させた点にあったわけではない。知られていない、かつ、知ることができない「高次の目的」を計画され意志される意図へと変換することが危険なのは、それによって意味および有意味性が目的=終わりへと変換されてしまうからである。こうした目的への変換は、歴史全体のヘーゲル的な意味--自由の理念が次第に展開し、現実化されてゆくこと--を、マルクスが人間の行為の目的として捉え、更に、伝統に従って、この究極「目的」を生産過程の最終生産物と見なしたときに生じたのである。

 プラトンの[イデア=モデル]論、ホッブズの目的論的人間観、へーゲルの「歴史家兼哲学者(兼技術者?)」のまなざしがマルクスの中で合成され、人類の最終目的を実現するための歴史の「プログラム」に変換されたわけである。マルクスによって、共産主義社会の実現は、工作人の集合体である人類にとって動かしがたい「目的」であり、「哲学者兼歴史家」の任務は、そこに最も迅速に辿りつく経路を算出することにあったのである。マルクスにとって、政治における「活動」や「実践」は、決まった「目的=終わり」を実現するための工作でしかなかったのである。

「注視者」か「行為(参加)者」か

 アーレントが一九七〇年代に行った講義を、彼女の死後刊行したものである『カント政治哲学講義録』(一九八二)では、カントが『永遠の平和のために』(一七九五)、『諸学部の争い』(一七九八)等、晩年の政治哲学的著作で呈示した、革命的な熱狂の中で人々が成したことを、距離を置いて見つめる「注視者spectatoごのまなざしの重要性が強調されている。アーレントが「注視者」を重視するのは、人々が自らの「狭い目的」の追求に没頭し、「歴史家」や「哲学者」さえも、究極「目的」を目指す「制作者」のまなざしを持つようになった近代においては、古代のポリスのように、活動=演技者相互の働きかけを通して、「世界」に対する見方を多元化し、関係性を絶えず再編することが困難になったからであろう。複数化された世界の中で、各自が時間をかけて--恐らく自分では、自分がどういう存在者かはっきり分からないまま、生涯をかけて--自らの生の意味を見出すのではなく、決まった「目的」を追求することこそが生の意味だと思われているような社会は、分かりやすい「目的」を与えてくれるイデオロギーに、人々は飛びつきやすい。そこに全体主義の危険がある。強力な「目的」志向を相対化するために、「注視者」のまなざしが必要ということだろう。

 アーレントは、歴史の流れを傍から見る「注視者」のまなざしを保持しようとしていた点で、カントとへーゲルの双方を評価している。しかし、カントの歴史哲学が「人類」を主人公にしており、世界史の「終わり」がオープンになっているのに対し、「絶対精神」を主人公とし、「終わり=目的」が想定されているへーゲルのそれに対しては、若干の警戒を示している。その懸念はある程度当たっているが、これまで見てきたように、へーゲルの「絶対精神」を、神のごとき形而上学的存在として実体的に解釈するのではなく、人々の集合的意識、あるいはその願望や思弁の社会的現れと見ることも可能である。「歴史の終わり=目的」を実体的に描いたのは、コジェーヴであって、へーゲル自身の記述は、目的論的な性格かどうか曖昧である。

 アーレントやハーバマスが提起する、「歴史」を語るのにふさわしいのは、「注視者」か「行為(参加)者」かという問題は、へーゲルの歴史哲学をどう読むかという問題と密接に関わっている。
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ヘーゲルにおける「歴史」と「哲学」

『ヘーゲルを越えるヘーゲル』より

歴史を参照し知の体系を構築

 第一章、二章で既に示唆したように、ヘーゲルの「歴史」哲学は、彼の「哲学」観と不可分の関係にある。それは、人間の思考や行為の〝正しい在り方〟を指し示そうとする、あるいは、少なくともそういう身振りを示す「哲学」、あるいは哲学的理性が、そうした自分の立ち位置をどうやって正当化するのか、という問題である。「哲学」が単に常識や偏見を疑うだけで、人々が従うべき理性的な思考の道筋(規範)を示すことに拘らないのであれば、さして難しい理論的に困難な問題はない。自分自身の思考パターンが硬直しないよう、自己批判を繰り返すだけでよい--実際には、その姿勢を保ち続けるのはかなり大変なことなのだが。

 「歴史」と「哲学」を一体不可分のものと見るヘーゲル哲学の思想史的な意味を再確認しておこう。カントは、人間の「理性」が自分の能力を超えた所まででしやばって、宇宙の起原や神の本性について語ろうとする傾向があることを指摘し、最も「理性」的な営みである「哲学」の役割を限界付けようとした。そこで、「哲学」の仕事を、経験的に確認可能な知覚のメカニズムを探究する認識論の領域と、道徳の領域、美的価値判断に関わる領域に区分けしたうえで、認識論の領域では、具体的な対象を認識するメカニズムの探究に専念した。しかし、彼の後に続いたフィヒテは、そうしたカントの禁欲的態度に飽き足らず、人間の精神活動の全領域を統一する体系を構築し、かつその体系をメタ論理的に基礎付けることを試みた。フランス革命後の哲学的精神が高揚していた時代には、そうした壮大で完成した知の体系を打ち立てることが求められたのである。

 フィヒテは、(自我自身を含めて)全ての事物はその存在を自我によって措定されていること、および、自我はそのことを反省によって知ることができる、という二つの根源的事実を、自らの体系の出発点にしようとした。ただ、そのことによって、自我にとって自己自身を始めとする、全ての事象に関する知識はどのようにして保障されるのか、単なる自我の思い込みではないのか、というデカルト以来の近代哲学につきまとう根本的矛盾を改めてクローズアップさせることになった。知の起点である「自我」の、対象や自己の在り方について反省する能力が信用できなければ、「自我」の営みである「哲学」の言説は、全て怪しくなる。自分のことさえ、よく分かっていない〝私〟(たち)の妄想ではないのか?

 シェリングは、私たちの「自我」には自己自身にも把握できない、非理性的、無意識的な側面があることを認め、純粋に合理的な、見通しがいい知の体系を構築することは放棄する方向に舵を切ったが、ヘーゲルは「歴史」を参照することで、現実に存在する「私」が把握できない領域を、合理的に把握し、壮大な知の体系を構築する路線を打ち出した。すなわち、個々の自我を包摂する人間の「精神」が歴史的に発展してきた方向性を辿り、それを未来へと延長していくことによって、「哲学」的な知の立脚点を得ようとした。

未来は不確定という問題

 (その時々の「哲学」の営みに凝縮される)人間の「知」の全般的な発展過程とその成果が、ある哲学者が構築する「知」の体系が指し示すところと合致していれば、その体系は正しいと言うことができよう。合致するとしたら、それは、当該の「哲学」の体系が、歴史的に生成してきた人間の普遍的な「知」を集約したものであり、「哲学史」の頂点に立っているからだろう。そうした自らの歴史的な位置付けを明らかにするには、「歴史」の発展の普遍的方向性を発見する必要がある。それが、ヘーゲル以降の「哲学」の新たな課題になった。普遍的発展法則に従って進行していくはずの「歴史」と、人間の理性の結晶であり、理性の働きを明らかにする役割を担う「哲学」は相互依存関係にある。

 しかし、そうやって「哲学」と「歴史」の相互依存関係を前提にすると、「哲学」は自らが呈示する歴史の発展法則を正当化しなければならなくなる。過去の歴史であれば史料などによって経験的に確認できるが、未来のことは分からない。未来は常に不確定である。そこにヘーゲルの「歴史哲学」にとっての最大の問題がある。未来において、歴史的事実の認定の仕方や歴史の叙述・構成の仕方を含めて、これまで動かしがたい「歴史」の根本的事実・法則とされていたものが、全てあるいは部分的に間違っていたと判明するかもしれない。そうなると、それを支えとしている「哲学」も知的権威を失う。「歴史」との一体化は、「哲学」にとって諸刃の剣である。

 そこで第二章で話題にした「絶対知」が問題になる。ヘーゲルのような「歴史哲学」は、自分が記述している「精神」の運動がいつしか、「歴史」--「精神」からしてみると、自己自身のそれまでの運動--の全ての意味を知る「絶対知」に到達すること、かつ、哲学者としての自らが、「絶対知」に到達した「絶対精神」と同一化し、全てを見通せることを大前提とするかのような構成を取らざるを得ない。そういう前提を取らないと、自らの叙述の全てが宙に浮いてしまう。ヘーゲルは、その最終的な立脚点の所在について、『精神現象学』の最終章で言及している。このことをどう評価すべきか?

 自分自身の立脚点のことを正直に語る彼の誠実さ、哲学的一貫性を追究する姿勢の表れのようにも見えるが、自分の立脚点の弱さに直面して開き直り、形而上学的・疑似神学的な想定に逃げているようにも思える。それがヘーゲルに対する評価の分かれ目になる。マルクスは、「哲学」と「歴史」の不可分の結び付きを見出した点でヘーゲルを評価する一方で、歴史の最終ゴールを、理性の推論によって予見しようとする観念論的な発想は徹底的に批判し、あくまでも、歴史的・社会的な現実を(距離を取りながら批判的に)観察することによって、歴史発展の法則を見出す唯物論的方法を提唱した--いかなる理念(理論的仮説)も予め前提することなく現実を観察して法則を導き出すということは可能かという問題を改めて考えると、第三章で見た、ブランダム・ハーバマス論争に繋がっていく。あるいはラカンのように、「絶対知」を自我が超えてはならぬ境界線を指し示すものとしてアイロニカルに理解する見方をすることもできる。

「絶対知」の扱い

 それに対して、へーゲルを専門的に読解し、へーゲルに固有の概念や方法を強引な〝解釈〟で大きく変質させることなくほぼそのままの形で保持しながら、現代にも使えるものであることを示そうとする人たちは、「絶対知」の扱いに苦慮することになる。偉大なるヘーゲルが「絶対知」の到来を予見していたということになれば、ヘーゲルの「歴史哲学一全体が、〝啓示〟になってしまう。「絶対知」は到達すべき努力目標だということにすれば、形而上学・神学であるとの批判は回避しやすいが、それだと、ヘーゲルの「歴史」の論述全体が、単なる希望的な憶測になってしまう。カントに『世界市民的見地から見た一般史の構想』という、世界的な市民社会が実現するのではないかという期待と推測による、歴史観を呈示した短い論文があるが、それと基本的に同じことになってしまう。へーゲルの〝歴史〟の方が、より多くの素材を取り込んでいて長大であることが違う、というだけのあまり面白くない話になってしまう。

 恐らく、「絶対知」というのは少なくとも現代の哲学者が実体的に捉えることができるものではないが、哲学的思考を刺激し、導く指導的理念のようなものであり、自分自身や社会の在り方を捉え直そうとする、私たちの反省的・倫理的思考に不可避的に内在する、というような位置付けを与えるのが、一番座りがよく、ハーバマス、テイラー、ホーネット、ブランダムなどの間で展開される最先端の議論にも繋げやすいだろう。ただ、『精神現象学』では、「絶対知」は、「歴史」の中で運動してきた絶対精神が最終的に到達する、自己知である、というどく抽象的な規定しか与えられていないので、ヘーゲルのテクストだけを頼りにして、そうした位置付けを与えるのは困難であるとも思える。
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