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詐欺師症候群とは女性特有の心理

『仕事を任せる新しいルール』より 女性の部下への対処法

特有の心理を知ったうえで任せる

 女性は産休や育休の問題もあるので、長期視点に立って育成を図ることが大事です。

 能力的には男性と遜色がありませんから、仕事を任せる場合も男性社員と同じやり方でよいのです。ただ、女性特有の心理には配慮する必要があります。

成功のファクターの考え方が、男女で異なることも

 『リーン・イン』(日本経済新聞出版社)というフェイスブック社の女性COOであるシェリル・サンドバーグの著書がベストセラーになりました。

 「女性、仕事、リーダーヘの意欲」という副題がついており、女性のリーダーが生まれにくい原因などが書かれています。

 そのなかに「詐欺師症候群」の話があります。

 詐欺師症候群とは女性特有の心理で、「実際に功績を上げたり、成功しても、それを周囲から言われると、それは本当は自分の実力によるものではないような、まるで詐欺行為を働いたような気持ちになる状態に陥る」というもの。

 私自身も、「口ばかりが達者で、重要な仕事をさせていただく機会も増えているけれども、本当は非常に勉強不足で、中身のない人間なのに……。いつか化けの皮がはがれるだろうから怖い」というような気持ちを常にもって生きてきました。

 ところがこの本では、それは女性特有の考え方であることが証明されていて、かつ男性にはそういった心理がほとんど起きないと書かれてありました。

 男性は、自分の出した成果に関して、素直に「自分の実力」と考えられるというのです。驚いて、早速、男性社員に、

 「成功したのは偶然だとかほとんど皆のおかげだ、という風に思ってしまわないの?」と、聞いてみたら、「多少は思いますが、素直に僕の力でできたと思ってうれしいことは確かですよね」と、まさに本に書かれている通りの返事があって驚きました。

仕事への貢献を伝えてもらう

 この話は女性社員のマネジメントを考える際に示唆に富んでいます。

 男性上司は、よく女性の育成をする際に、「せっかく仕事の成果をほめたのに、なぜそんな面倒くさい謙遜をするんだ」と、思うことが多いかもしれません。しかしそれは「詐欺師症候群」なのだな、と知っておいてください。

 このことを頭に入れておかないと、仕事を任せるときに女性社員の実力を見誤ります。

 謙遜している言葉を真に受けてしまったり、「本当はできるのに、変な謙遜をしてきて、せっかくこっちは仕事を任せようと思っていたのに、上昇志向のないやつだ」と思ってしまうと、本人の成長につながらないレベルの低い仕事ばかりをさせることになってしまう恐れがあるのです。

 そして詐欺師症候群について、女性社員本人にも教えてあげてください。

 成果を出した男性はそれを自分の力だと思って、しっかりと成果をアピールしていること。

 自分が成果をきちんと主張してくれないと、上司としては慮るのに手間がかかり困ること。

 仕事の成果を上司にアピールすることも仕事の一つであること。

 何より、そうしてくれないと、忙しい上司にとって、女性の成果をいちいち自分から聞いて確認しに行かなくてはいけないのでは評価がつけられないよ、と伝えると、「今月はこの仕事ができました」「あの仕事は少なくとも先月よりは上手くできるようになってきています」と変わってくれるはずです。

 当社の朝・夜メールはそういうときにも役立ちます。女性社員も業務報告という形式をとるとちゃんと成果が報告できるのです。

 自分の成果のアピールタイムを設けても、なかなか出てきませんが、デイリーで書かせると女性の仕事ぶりがわかるようになります。

 成約に至った男性のプレゼン資料の8割は別の女性社員が前日につくっていた、というようなこともわかるので、それらを正しく評価してあげることです。上司はそうした客観的な目で見て、女性社員の実力を把握しておくことが大切です。
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ナチ党創立の演説

『ヒトラー演説』より ビアホールに響く演説 一九一九~二四 「指導者」としての語り

一九二〇年一月二日、ドイツ労働者党は初めて党事務所を構えた。ビアホールのシュテルンエッカーブロイ内であった。ヒトラーは、演説家としての声望か高まるのに伴って党内での地位も高まり、この月に党の宣伝係長となった。

一月七日にピアホールの「キンドルーケラー」で開かれた「ドイツ民族至上主義的攻守同盟」の集会には六〇〇〇から七〇〇〇人の参加者かあり、そこでヒトラーも演説をした。この集会の成功を受けてドイツ労働者党は、二月二十四日にピアホールの「ホーフブロイハウス」三階のフェストザール(大広間)で初めての大集会を催すことにした。ただし、この集会の主役は民族主義的な演説者として当時著名であったディングフェルダーであり、集会を告知するポスターにヒトラーの名前はなかった。当初は参加者数が心配された集会も、最終的には二〇〇〇人を集めることができた。この集会は、ドイツ労働者党を「国民社会主義ドイツ労働者党」。以下、「ナチ党」と表記する)と改称して、新たに党を創立するための集会となった。

ヒトラーはこの集会で、新しい党綱領を発表する演説を任された。この集会には、一九一七年にドイツ社会民主党を離れて結成されていた「ドイツ独立社会民主党」(左派は一九二〇年十月にドイツ共産党に合流し、右派は一九二二年にドイツ社会民主党に復党した)と、一九一九年に結党していた「ドイツ共産党」の党員も、妨害の目的で多く出席していた。

ミュンヘン警察情報部の報告書によれば、ヒトラーが議長として綱領を読み上げる間、「敵陣営からしばしばヤジが飛び、「出ていけ」という叫びが続いた。何度も大きな騒乱が起きたので、私(報告者)は今にも殴り合いが起きそうだと感じた。[……]さて、議長が決定を読み上げようとすると、[……]あるヤジをきっかけに大きな騒動が起こり、みなが椅子と机の上に立ち、激しい騒乱。出て行けという叫び。採決になると、集会の雰囲気が威嚇的になったため、反対を表明することは許されない状況となった。決定は満場」致で採決された」。このあたりは、『わが闘争』に書かれた「これら綱領はつぎつぎ、ますます高まる歓呼によって満場一致につぐ満場一致で採決されていった」という記述と大きく違っている。

最終的に、この集会でのヒトラーの演説は大きな反響を呼んだ。その三か月後に集会を知らせるポスターには、ヒトラーの姿が輝く弁士として描かれていた。

二月二十四日の公開集会に関する警察の報告書をさらに見てみると、ヒトラーの演説に関して「嵐のような喝采」、「拍手」のような状況描写が多くの箇所に書かれている。ただし、ヒトラーより前に演説をしたディングフェルダーの演説の場合も、「活気に満ちたブラボーの声」、「嵐のような喝采」といった説明文が多く添えられている。ヒトラーだけが聴衆に対して効果的な影響力をもったという評価は正しくなく、ヒトラーの演説に相対的に分があったと理解するべきであろう。

では、いったいヒトラーの演説のどこにその優越性があったのであろうか。そのひとつとしては、「ペテン師」、「高利貸し」、「まんまと信じ込ませる」などの俗語調の言い方が関わっている。一九二〇年五月十一日のヒトラーの演説に関する警察の報告書に、「特に嵐のような喝采をさらったのは、弁士がペテン師と高利貸しに絞首刑を求めたときである」とある。また、「いつの日か、太陽が再び見えてくる日が来る」、「国民が立ち上がり、嵐が起こる」、「われわれの綱領の実現のために、われわれは命知らず、無鉄砲になりたいと思う」、「私には百万長者よりも、なんでもない労働者のほうが好ましい」、「どのドイツ人も反ユダヤ主義者であらねばならない」といったようなスローガンの巧みさも演説効果の重要な要素となっている。

さらにまた別のヒトラーの演説に関する警察報告の記述に、「おなじみの熱狂させるやり方で」(一九二〇年九月二十日)、「情熱的なやり方で」(一九二〇年十月十八日)とあることが示唆るように、ことばの文面以外の音調やジェスチャーといった部分の効果も大きかったことがわかる。
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米西戦争完敗の波紋

『マドリードとカスティーリャを知るための60章』より ★カスティーリャ VS カタルーニャ★

1892年のキューバ、中南米における最後のスペインの植民地。それゆえ、次第に緊迫の度を深めるキューバの独立闘争に対する宗主国スペインの軍事的な制圧作戦も一層激しくなり、それも92年初頭、マンビー軍(キューバ軍)の軍事的優勢は動かしがたくなっていた。言うまでもなく、こうしたキューバの独立闘争には、新興帝国主義国アメリカが背後から支援していた。

1898年1月22日、キューバとの友好促進とキューバ在住米国人の生命と財産の保護のためという口実で、ハバナ港に巡洋艦メイン号が入港した。スペインも主権国家としての威信を示すために、ビスカージャ号をニューヨーク港に派遣する。ところが2月15日深夜、ハバナ港に停泊中のメイン号で原因不明の爆発が起こり、沈没してしまう。およそ270人の乗組員が死ぬ。不思議なことに、この中に将校は一人もいなかった。即座に発表されたアメリカ政府当局の声明によれば、この爆発事件はスペイン海軍の仕掛けた機雷によるものということであった。これを否定する摂政マリアークリスティーナやスペイン政府の弁明は一切聴きいれられず、アメリカの新聞は大々的に主戦論をまくしたてる。アメリカお得意の「リメンバー・メイン」の掛け声で始まる反スペイン・キャンペーンの開始であった。3月末、アメリカのマッキンレイ大統領はスペインに対して、キューバに対する強硬手段を即刻中止し、キューバ支配を放棄し、アメリカを仲介してキューバとの和平交渉を開始するよう要求する。これは、いわば最後通告であった。もちろん、スペインはその要求を拒否する。

4月21日、アメリカはスペインに正式に宣戦布告する。その翌日から、アメリカ海軍はキューバの港の封鎖を開始する。このために、海外からキューバヘの物資の供給はストップしてしまい、次いで、アメリカ軍はキューバ島の侵攻作戦に転ずる。この作戦にはすでにマンビー軍が、キューバの独立の権利を認めると明言しているアメリカ軍の戦列についていた。7月1日、サンティアゴ・デークーバ周辺の高台に築かれたエル・ピソ、エル・カネイ、サン・フアンのスペイン軍要塞に対する総攻撃を開始する。スペイン軍の抵抗も強硬であり、一向に敗退する気配が見られず、攻撃側のアメリカ軍は再度マンビー軍の支援を受けようやく制圧する。あとは港に停泊中のセルベラ提督の指揮するわずか6艘のスペイン艦隊を壊滅させるだけとなった。スペイン艦隊は港から出ようとするが、湾の入り口に待機しているアメリカ艦隊と干戈を交えることになる。たった4時間で終わった。もはや戦闘ではなかったのだ。7月16日、アメリカとスぺインとの間で、最終的な休戦を取り決める文書が調印される。これには、絶対的な最終停戦、スペイン軍のキューバ撤退、アメリカ軍のキューバ残留などが明記されていた。

12月10日、スペインとアメリカの間の和平協定がパリで締結された。こうして、米西戦争は正式に終結したが、これには、キューバの独立闘争を果敢に戦い続けてきたキューバ人代表の参加が認められなかった。パリの講和条約の結果、スペインはキューバの独立を承認し、アメリカにプエルトリコとマリアナ諸島の中のグアム島を割譲し、独立叛乱が頻繁に起こっているフィリピンを2000万ドルで売却する。

パリ講和条約の翌年6月、スペインは、太平洋にまだ残っているカロリン諸島、マリアナ諸島、パウラ諸島などの領土をドイツに売却する。こうして米西戦争に完敗したスペインは、15世紀末以来の植民地帝国、つまり「太陽の沈むことなき大帝国」の完全な崩壊を甘受しなければならなかった。海外領土でスペインに残されたのは、北アフリカのモロッコ北部だけとなった。

米西戦争で、スペイン軍はキューバの植民地軍であるマンビー軍のゲリラ戦で8万人もの戦死者・戦病死者を出した。しかし、スペインはこうした認識を持たなかった。むしろ近代的な文明国家のアメリカに敗北したのであり、スペインの衰退や後進性を示す大事件であると受け止めて、「スペインの不幸」と呼ぶようになった。
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「創発」と「暗黙知」という考え方

「創発」と「暗黙知」という考え方

 たくさんの部分が相互作用することで、全体としての新しい作用が生まれること。国としての振る舞いと個人の振る舞いとの関係を取り上げているけど、国というのは、個人と異なり、確固たるものではない。

 その間にグループがある。組織だったモノと個別なモノとの関係。そこに関係があることは分かるけど、どちらがどちらに影響しているかとなると、異なります。そして、暗黙知という概念。知識を得るときに体の中で起きるプロセス。

 部分から全体へ、創発が起きる時に働く力のことを暗黙知と呼んだ。部分と全体の関係は、複層的に積み重なります。

 全体が把握できていないと、欠けた部分を補うことはできません。こうした連続的な層の積み重ねを特徴とした、暗黙知による注目と理解の構造を「層の理論」と呼ぶことにします。
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