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『「女子」の誕生』より 自己肯定と脱良妻賢母--『GLOW』を読む

「大人女子」という生き方

宝島社の『Sweet』は、二八歳を過ぎた「女子」に甘い砂糖菓子のようなファッションを提案して「常識」を超えたが、もちろん世の「女子」たちは、リボンやフリルだけを好んでいるわけではない。『Sweet』の甘さを若干抑えて、よりカジュアルに個性的に仕立てたのが、「三〇代女子」という言葉を世に浸透させた宝島社の『Inred』である。個性派ファッションの『CUTiE』や『SPRiNG』の流れを汲む三〇代、それが『Inred』の目指すところであった。従来の三〇代と言えば、ライフスタイルによってファッションも規定されていた年代である。未婚なのか、既婚なのか。キャリアなのか、主婦なのか。ママなのか、そうではないのか。そのフア。ションは立場とともに明確に線引きされていたのである。例えば、一九九五年に創刊された『VERY』は、三〇代「新専業主婦」をターゲットにしていた。だからこそ、三〇代で未婚、子なしの「負け犬」は、『VERY』を読むことができなかったのである。だが、結婚年齢が上昇し三〇代未婚女性が増えた二一世紀の現在、『VERY』を堂々と読める女性は確実に減っている。しかしだからと言って、みんながみんな『Domani』や『Precious』を片手にデキる女を目指すわけでもないのだ。

そのような状況下に『InRed』は颯爽と登場した。高級ブランド尽くしのマダムでもない。パンツスーツを着こなすいい女風キャリアでもない。もちろん節約に勤しむ主婦でもない。三〇代でも二〇代の時と変わらず、自分の好きな服を着る「女子」でいたい。いくつになってもロックなテイストやエッジィなセンスは持ち続けたい。毎号、YOUや小泉今日子といった「女子」がカバーガールを務めた『InRed』は、二〇〇三年の創刊以来、そんな「三〇代女子」たちから絶大な支持を受けてきたのである。現在も、安定した販売部数を保っており、宝島社は三〇代女性誌のシェア--を誇示している。

しかし、創刊から七年の時が経ち、『InRed』な「三〇代女子」たちもそろそろ不惑を迎えようとしていた。果たして「不惑でも女子」は可能なのか。この大問題に正面切って「イエス」と答えたのが、二〇一〇年秋に同じ宝島社から創刊された『GLOW』である。本邦初「四〇代女子」のための雑誌として登場した『DLOW』の表紙はもちろん、最強の「四〇代女子」となったYOUと小泉今日子が飾っている。「なんてったって四〇代女子! 女子はやめられない!」という声が聞こえてきそうなインパクトのある表紙である。もちろん、創刊時から二人はファッションページのモデルも務めており、ミニスカートやショートパンツ、セクシーなミニドレスやスタッズの付いたライダースジャケットなど、年齢も立場も飛び越えた理想的な「四〇代女子」の姿をこれでもかと見せつけている。

『Sweet』が生みだし、『InRed』が切り開いた「三〇代女子」、そしてそれを引き継ぐ『GLOW』の「四〇代女子」のおかげで、「大人女子」はすっかりファッション誌の世界でお馴染みの存在となった。ファッション誌における「女子」の誕生とその成長は宝島社の青文字雑誌とともにあったと言っても過言ではない。だから後発であるにもかかわらず、それぞれの年代で宝島社の雑誌は、既存の雑誌をおびやかすようになっている。二〇一四年で創刊四周年を迎える『GLOW』も、四〇代女性誌シェアNo.1を謳い、揺るぎない人気を誇っている。現在の日本では一〇代も女子なら四〇代も「女子」である。他社に先駆けて各年代の「女子」を応援する雑誌を生みだした宝島社は、この流れをいち早く、感覚的に理解していたのだ。「大人女子」がこれからの日本に増殖することを。「大人女子」が必要とされていることを。

四〇代は決して後半戦なんかじゃない。まだまだ上り調子。恋だってするかもしれない。それも、「最後から二番目」ぐらいの、という勢いが感じられるキャッチフレーズだが、もちろんそれは女性のライフコースの劇的な変化を下敷きにしている。晩婚化、未婚化に加え、バッイチにシングルマザー。まさに、『GLOW』が言うように、「母です。妻です。シングルです。私たちみんな『40代女子』です。」(二〇一〇年一二月号)という現状なのである。
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社会編のロジック見直し

考えるのは違和感があるから

 考えることは生きていくことに対する違和感。だから、ライフワーク。つまり、一生のテーマ。ふつうに生きている時にぶつかってしまうような問題をその理論や概念を使って、考えられるかどうか。

社会編のロジック見直し

 社会編がこんがらかってきました。3.2から3.4までは、地域と社会との関係。地域の方に重点を置くというところ、地域から循環させるところまで来ました。3.5はインフラを地域に合わせることで、再構築することを述べています。そのトリガーはクライシスです。

 3.6は地域の拠点としてのコミュニティを描きます。問題はそれからです。そこでコミュニティの利点として、知識と意識というものを分離させます。それと情報共有との関係。多分、第3章でそこまで述べるのは大変だと思うけど、社会の位相化まで述べています。

 だから、第3章は部品だけ集めることにします。3.7は情報共有を中心とした世界です。3.8で取りあえずのところをどうするかです。社会の位相化まで述べるとしたら、かなりコンパクトにしないといけない。つまり、第3章は未完成にします。第9章「環境社会」と第10章「次の世界」に続けます。それとキーワード空間でジャンルをまたぎます。

歴史編の見直し

 歴史編では、4.5が一番重要なところです。従来の歴史哲学の「意思の力」では、歴史は壊滅します。それは、従属するからです。依存するからです。だから、クライシスに対しては非常に弱い。

 これを「存在の力」に変えないといけない。ヘーゲルでの歴史哲学は「意思の力」で出来ている。それを環境社会に対応できるようにしていく。

 それが4.6の歴史哲学の見直しです。今後の社会構築の一番のポイントになります。「存在の力」を依存から脱出するということと、個人の分化と組織の分化を働かせる。歴史とコミュニティがつながる時です。

未来方程式の成立

 その前に、「未来方程式」がキッチリと成り立つかどうかです。情報共有のパラメーターを入れ込まないといけない。元々、自由を求めて、国民国家が出来てきた。その自由が、民主主義という制度では保証されなくなってきた。

 民主主義と資本主義のいずれかをなくすと、全体主義化共産主義になってします。ともに、20世紀に否定された形態です。

国民国家への攻撃

 国民国家は現在、グローバル化とローカル化で攻められている。マーケティングにしても、今までのような資本主義的な「売る」「買う」というやり方が成り立たなくなってきている。ではどうするか?

 国を小さくすることで、民族主義の争いは解決します。同一価値観を持つものが集まることが基本になります。「売る」「買う」ことを無くすこと、所有権を放棄することで資本主義はなくなります。新しい形態になります。

 これらを共産主義に行かせないために、「存在の力」が必要です。国家に権力を渡さない力です。依存しない個人をどうつなげていくのか。それをベースとする社会をどう作っていくのか。つまり、個人と国との間に、コミュニティを作り上げて、下から支えると同時に、上から支援するというカタチです。

歴史哲学という見方

 歴史哲学という以上は哲学でなければいけません。個人に則った哲学を歴史という長い目で見ていくこと。その時の歴史の眼は137億年を超えます。
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未婚化・少子化社会

『ジェンダー論をつかむ』より 未婚化・少子化社会

□結婚への圧力

 それでは、どのように未婚化が進行しているのでしょうか。まず晩婚化しています。 30歳代前半の男性の約半分、女性でも3人に1人は未婚です。東京都の大卒の平均初婚年齢は、30歳を超え、全国平均でも男性が30.4歳、女性が28.6歳です。50歳の時点で一度も結婚していない人の割合である生涯未婚率は、男性で2割、女性で1割にのぼり、この数字は上昇傾向にあります。

 未婚化が進行する理由はなんでしょうか。みんな結婚が嫌になってしまったから? ちょっと事情は違います。実は、国立社会保障・人口問題研究所の調査では、男女とも9割の人は、結婚したいと考えています。がしかし、どうしても結婚したいと思っている人は減っています。「よい相手にめぐりあえたら」結婚したいと思い、無理をしてまで結婚する必要はないと思っているのですが、その「よい相手」になかなかめぐりあえないのです。

 1970年代はほぼ全員の人が結婚していました。結婚していなければ、女性は社会に居場所を得ることは困難でした。1人で食べていけるだけの職業が少なく、女性の職業は結婚までの腰掛けか、子どもを産んだあとの主婦のパートタイムが前提とされ、低賃金に抑えられていましたので、一部の「職業婦人」以外は、結婚しなければ生きていくことが難しかったのです。また男性も、いまのようにコンビニエンスストアも家事サービスもない時代には、家事をしてもらえる妻がいなければ生活がままならないと考えられていました。また、結婚して妻を養うことが一人前の男性であると考えられていたので、結婚していなければ企業のなかで昇進できないなどの差別もあったのです。

 いまは1985年に男女雇用機会均等法が成立して、コース別人事が行われ、表向きは男女の雇用における差別はなくなりました。それと同時に、日本型経営が急速に崩れてきています。日本型経営とは、終身雇用、年功序列、企業別労働組合を基本的な特徴とする日本の大企業のホワイトカラーの雇用形態のことですが、いまはリストラが行われ、「業績主義」が標榜されるようになり、また非正規雇用化か急激に進められてきています。実は、「男性世帯主」になれるだけの収入を得ている男性の数は減ってきています。非正規雇用の男性が結婚していようがいまいが、企業は注意を払いません。企業が家族を丸抱えで保障するシステムがなくなったことで、結婚への圧力は急激に減ってきたということができます。

□理想の結婚相手

 いまの女子学生に理想の生き方を聞くと、結婚して子どもを産んだら仕事を辞めて専業主婦になり、子どもの手が離れたら働きたいという答えが多く返ってきます。子育て後の再就職でパートに出れば典型的な戦後の日本の女性の就労形態であるM字型就労なのですが、「理想をいえば、生活のためにあくせく働きたくはない。フラワーアレンジメントなどのカタカナの職業を趣味程度に、自己実現のためにやりたい」という答えがつけ加われば、完璧な新・専業主婦志向です。専業主婦の妻は育児、夫は仕事に加えて家事・育児を手伝ってくれることが前提になっていますが、このような都合のいい専業主婦の生活は、一握りしかいない高給取りの男性と結婚しない限り、もう実現不可能になっています(しかも3組に1組は離婚しますから、とてもリスキーです)。

 日本型経営の揺らぎとともに、従来専業主婦を抱えていた年収600万円から900万円程度の男性の層が解体してきています。共働き世帯と専業主婦世帯の数は、1990年代にすでに逆転しています。また男性が女性に望むライフコースでは、共働きを求める男性が増えてきました。男女とも雇用が不安定な雇用状況では、片働きはリスクが高いからです。

 小倉千加子は、女性の結婚に対する意識をその学歴によって分類しています。

□結婚のきっかけ

 理想の結婚相手にめぐりあうことが難しくなっていますが、その一方で交際は簡単になってきています。以前は、愛と結婚と性と生殖が一体となったロマンティックラブ・イデオロギーが存在し、結婚するまでは性交渉がタブーだっただけではなく、結婚に結びっかない男女交際自体が認められていませんでした。

 しかしいまは結婚前に幾人かのパートナーと付き合うことは普通だと考えられていますし、性交渉自体も、「愛があれば」当然あると考えられています。もちろん、セフレ(セックス・フレンド)などという言葉も誕生し、恋人ではない相手と性交渉をもつこともあるとされていますが、性交渉は一応恋人ともつことが前提とされているからこそ、性交渉をもちながらも恋人ではない人、「友達」と呼んでいるのでしょう。

 このような交際の自由化が起こったことによって、人びとは結婚へのきっかけを失っていきます。「誰でも」`いいわけではない、自分に合う「誰か」と結婚したいと思っているからこそ、いまいる恋人がその「誰か」であるかどうかに悩むのです。

 婚外子出生率がきわめて低い現代の日本では、結婚しないとできないと考えられていることは、ある意味で子どもをもつことだけといえるかもしれません。図6-4は第1子出生までの結婚期間別にみた出生構成割合ですが、1975年では、多くの子どもが結婚して10ヵ月の山で生まれていることがわかると思います。結婚してすぐに子どもを作ったことによって、いわゆる「ハネムーンベイビー」が生まれています。ここでは結婚することがそのまま子どもをもつことと結びつけられています。

 ところが10ヵ月のこの山はだんだんと小さくなり、2004年にはほとんどこの山がなくなって、その代わりに6ヵ月での出生が大きな山となっています。この6ヵ月での出生は、だいたい妊娠が発覚してすぐに婚姻届を出した場合です。いわゆる「できちゃった結婚」ですが、この妊娠をきっかけとする結婚は26.7%となっています。 10歳代の出産の82.9%、20歳から24歳の63.3%がこのできちゃった結婚です。もはや妊娠くらいしか、結婚のきっかけはなくなってきているのかもしれません。
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IBMシステム360

『スマートマシンがやってくる』より システム360が会社での最初のマシンだった。地下の電算室で、技術者の思考のシミュレートしていた。

ワトソンが「ジョパディー」で勝って以来、このマシンを設計した研究者たちは、いわゆるチューリングテストを受ける気がないかといろいろな人に尋ねられる。これはコンピューターの草分け、アラン・チューリングが「コンピューターは考えられるのか?」と問うた1950年の論文「Computing Machinery and Intelligence(計算する機械と知性)」のなかで提唱した実験である。機械が考えられるかどうかを調べるには、ある人間(判定者)がコンピュータースクリーンとキーボード経由で、もうひとりの人間およびコンピューターと文字による交信をするとよい。その反応に基づいて判定者が機械と人間を区別できなければ、機械はテストに合格したことになる。

このテストでチューリングはコンピューターの能力を測るひとつの基準を提示したわけだが、その基準はいまだかつて満たされたためしがない。

IBMの担当研究者はチューリングテストに関心はあるものの、ワトソンにそれを受けさせる予定はない。テストを受けたとしても、ワトソンがわれわれ人間やその癖・習慣をまねるのがいかにうまいかがわかるだけだ。むしろ彼らは、ワトソンをメモリアル・スローン・ケタリングがんセンターのがん専門医のようなエキスパート、人間の信頼できるアドバイザーにするための研究にもっと専念したい。

コンピューターがいずれ人間と同じ認知的な役割を担うとは思えない。だが、人間のサポート役にはなれる。コンピューターの認知能力と人間の認知能力は互いを補完し合う。強みと弱みがそれぞれ違うのだ。やるべきは人間の認知能力の再現ではなく、コンピューターを使って人間由来のデータ--通信、文書、画像、デザイン--にかかわる推論を後押しすることである。

メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターのラリー・ノートン博士も同じ考えである。コグュティブコンピューティングが医療分野で果たす役割は拡大すると彼も考えている。だが、たとえそうして科学的・客観的な側面が大きくなろうとも、医療上の意思決定が同時に創造的な活動でもあることは変わらない。「私と患者、コンピューター、看護師、研究生が診察室で互いにやりとりしているようなイメージでしょうか」とラリーは言う。「すぐれた医学的判断を下すのは、すぐれた音楽の即興演奏みたいなものです」。彼は時間があるとき、ジャズグループでビブラホンを演奏している。

創業100年余の歴史のなかでIBMがコンピューターの大きな革新をなし遂げるたび、それが人間にどのような影響を及ぼすのかという疑問が提起されてきた。1960年4月25日付のマネジャー向け連絡文書のなかで、CEOのトーマス・ワトソン・ジュニアは「考えるマシン」という話題に正面から言及している。

「コンピューターは人間の独創力を奪うことも、人間に代わって創造的思考を担うこともないでしょう。もっと単調で反復的な思考から人間を解放することでこそ、コンピューターは人間が理性をフルに活用するチャンスを広げてくれるのです。本当の意味で想像的・創造的に考えられるのは、人間だけなのです」

ワトソンがこれを書いたのは、IBMが革命的なメインフレームコンピューター「システム360」を発表するわずか数年前である。システム360には「初」と名のつく要素が数多く搭載されていた。新しいタイプのプロセッサー、メモリーデバイス、ストレージ。ひとつではなく各種のコンピューター上で走るソフトウェアが提供されたのも初めてだった。ここからソフトウェア開発という独立の産業部門が生まれた。
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