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マクドナルドのスタッフは変われるか

相談

 席に居ると息が詰まるということでした。1時間半、話していたんだ。何か、いつも短く感じます。8月はあと4日しかない。焦りますね。

崩壊のシナリオ

 そろそろ、作りましょう。マクドナルドのようになる可能性はあるけど、扱っているモノが日常的なモノでないから、様相は異なるのでしょう。

 マクドナルドは完全に、コンビニと他業種の間に挟まれてしまっている。マックカフェとか、高級路線を試行しているけど、同じところでフライドポテトをやっていては、成り立たないでしょう。高級路線を出しているけど、そういうものにニッチできるかどうか。販売店が使い分けることができるかどうか。

 高級車専門店については、本当に成功したかどうかは今後の事でしょう。JALのファーストクラス路線では儲からないでしょう。チグハグなモノになってしまう。

 崩壊のシナリオは、やはり、ハイパーインフレで、お金を持っている人が分離される可能性があります。

 都市には車は主要交通手段ではない。それも、電動になれば、軽いものを選ぶことになります。駐車場とか、専用レーンなどのインフラから締め出されてくる。それ相当の負担を公共から要求されてくる。

 中国は一気に様相が変わる可能性が高い。元々、持てるような様相ではないのに、不釣り合いな富裕層が出てきて。高級うアパートのように、買ったり、売ったりの世界になっている。ちょっと、条件が変われば、変わってしまう。国内でどうしていくかがハッキリしていない。先が見通せない。

マクドナルドのスタッフは変われるか

 マクドナルドはやはり、スタッフから変わらないと先がない。バイトがマックで働くことで、就職が変わるような雰囲気をどう作っていくのか。

 来店したお客さんが、ここでバイトしたいよねと思えるような、お客様との接触したカタチです。元々、「スマイル=0円」はあったけど、ターゲットを変えたことで、それがなくなってしまった。グローバル企業での締め付けが、ローカルでの文化を潰してしまった。

 スタバとかセブンイレブンカフェがあり、それに対抗する武器を持っていない。単なるグローバル企業というだけ。コーヒーだけなら、愛嬌はないけど、マシンと豆のコンビニがある。

 まずは、スタッフのネームプレートを大きくすることです。知ってもらうことです。お客様の興味にあることをスタッフが示すことです。そのためには、スタッフ教育が重要になります。お客様に接する教育には、スタバの半分の35時間ぐらいは必要です。

 存在の力からすると、全員参加型のバイトです。ある時期にバイトをして、就職しても、いつも、心がマクドナルドにあるカタチです。

チキンラーメンのトートバック

 それにしても、チキンラーメンのキャラクターが似合う64歳というのはどういうもんなんですか。

 未唯の分も探しましょう。

名古屋の成果

 第5章社会編は穏やかに回っている感じです。

 名古屋へ来た、最大の成果はサファイアです。その答えのうちの一部だけを実現しました。全体は単にメーカーを変えるだけでは済まない。市民の意識を変えて、自立させて、全体を変えていく。そのためのシナリオが必要だということで、そちらに向かっています。

 これも名古屋の成果です。この環境そのものはかなり、ネガティブです。研究開発に比べると、自分の生活を守ることを中心に動きます。だから、現場が見えてない分だけ、邪魔されずに済みます。サファイアを見つけたことで、ここでの仕事は終わったんです。

 全部を見えるカタチに出していくしか、そして、関係する人が徐々に変えていくことで、日本全体を変えていくしかない。その意味では、私がやっていることは正義です。狭い範囲で行動するよりも、大きな範囲で考えて、そこで起こっていることから、それぞれを変えていって、方向づけていく方がはるかにターゲットに近くなります。

宗教と革命

 意思の力に支配された世界から、存在の力でそれぞれが変わっていくには、モノつくりは役に立たない。それを為し得たのは、宗教と革命です。ムスリムは奥さんを含めた、70人の理解者から始まった。あとは時間です。時間と意識をどう関わっていくのか。偶然をどう生かすのか。

 ムスリムも追われた時に、ハトの巣とクモの糸でもって、洞窟に隠れた。捕まったらおしまいです。偶然はそれをさせなかった。鈍感な鳩と手抜きの蜘蛛だったんでしょう。

歴史の研鑽

 未唯空間4.4で未来方程式を出すと、あとが続かないですね。順番が非常に難しいですね。歴史はもっと研鑽を積まないといけない。各国の個々の状況とは言わないけど、多様性をどう表現するのか、同時に統合のところの地政学みたいなものも入れ込まないといけない。

 歴史哲学もヘーゲルのように、東洋とギリシャ・ローマ・ゲルマンなどの歴史からポイントアウトすると同時に、存在の力を前提とした時に、どうなるのかというシミュレーションを入れ込まないといけない。

 ただ、マーケティングとか行政とかに入り込まないで、歴史の観点で、構造がどうなっていくのかを追求することです。自分のミッションである、全体を見て、先を考えるという部分を明確にすることです。何しろ、サファイアという答えは出ているのだから。

歴史のなかの循環

 歴史に中に、持続可能性、つまり、循環をどう入れるか。あるとしたら、分化と統合のところの統合の部分です。持続可能性にはローカルとグローバルの循環が前提だという部分が言葉になっていません。

 民主主義、フランス革命が歴史のターニングポイントであったと同様に、本来の市民主体の転換点が4.7になります。
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読書することで「質問力」を向上させる

エドガール・モラン『複雑性とは何か』が出てきた。20年前に感銘を受けた本です。LAPLにはなかった。

『読書の全技術』より 読書を武器にする--アウトプットの全技術

「コメント力」と「質問力」の組み合わせで会話の中身をより深化させよう

 歴史上で質問の達人といえば、ソクラテスの名が挙がります。彼は質問することで相手に考えさせ、持っている知識を引き出し、真理を発見するのを助ける産婆術(問答法)で人々を覚醒させていったとされています。

 人々に、たとえば「徳とは何か」「正義とは何か」などと質問を投げかけ、実は知っていると思い込んでいただけで本当は知らなかったということを自覚させ、真理とは何かを考えさせたのです。

 つまり、質問には会話の中身を深化させるパワーがあるのです。

 そもそも会話は一方通行では成立しません。お互いに言葉のキャツチボールをすることで、徐々に深まっていきます。


 いくらコメント力があるからと言って、一方的にしやべっていては相手の気持ちを自分に向けさせることはできないでしょう。質問するという積極的な行為によって相手に働きかけ、コミュニケーションを深めていくべきなのです。

 たとえば話題を見つけるための質問と、話題を掘り下げる質問を上手に使い分けると、会話が弾みます。

 初めて会った人との会話は雑談から入ることが多いものですが、たとえば話題を見つけるための質問〔例‥休みの日は何をして過ごしているんですか?〕から入ります。

 そこで、相手が答えます〔例‥テニスです〕。

 その答えに、さらに掘り下げる質問を重ねます。

 こうして相手の情報を得ながら、さらに次に何を話すかを探っていくわけです。

 ただし、聞いてみただけの質問(「抽象的」かつ「どうでもいい」質問)をしないように気をつける必要があります。そんなことをしたら、相手はたちまちあなたとの会話に興味を失ってしまうでしょう。

 こうした質問力や前述したコメント力は、今の時代では非常に重要な力となっています。

 特にビジネスの場では、一〇秒から一五秒でさっと提案して、相手の反応を見て、また提案するというテクニックが求められます。

 そのためには、コメント力と質問力の二つを組み合わせ、織りなしていく能力を鍛えなければなりません。

本を読みながら読書することで、さらに「質問力」を向上させる

 たとえば、会議の席でただ話を聞いていても、本質をつかむことはできません。聞いているばかりでは、耳から流れ込んでくる情報を整理できないからです。

 その結果、「質問はありませんか」と言われても何も質問が頭に浮かばない、あるいは聞かれてから質問を考えはじめるという人が多いのではないでしょうか。

 しかし、それではとても会議の場で説得力のある発言などできないでしょう。

 そこで、話を聞きながらメモをとる習慣を身につけることをおすすめします。

 話を聞きながら、次に何を言おうか、何を質問しようかと考え、キーワードをメモしていくのです。それを繰り返していくことで、あなたの「質問力」は確実に向上していきます。

 そうすれば、「あなたはどう思いますか」と振られたときにもすぐに答えられるようになります。そうなればしめたもの。会議に参加した人たちの関心をぐっと引きつけ、自分の発言に耳を傾けさせることができるようになります。

 この能力は会議の席だけで発揮される能力ではありません。

 たとえば営業のときなどに、適切な質問をすることで、相手の関心をひきつけ、次の会話へとつなげていくこともできます。

 ちなみに、メモを上手にとるには活字慣れしておくことが求められます。そこで読書の習慣が力を発揮します。

 本を読んで活字に慣れていると、メモすることが苦にならなくなってきます。文字を読み、その内容を理解し要約するための基礎訓練ができているからです。

 余談ですが、監督として唯一「UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー」に四度も選ばれているジョゼ・モウリーニョというサッカー監督は、試合中にメモをとりまくり、そのメモをもとに、ハーフタイムに選手たちに指示を出すことで知られています。

 前半が終わった時点で相手の戦術を見切って、後半どういうふうに対処するかを指示するとき、前半に書き込んでいたメモが活用されるわけです。

 モウリーニョは選手としては目立った活躍はできませんでした。ワスボン工科大学でスポーツ科学を学び、体育教師から指導者としてのキャリアをスタートさせ、ついにはビッグクラブを率いるまでに至ったのです。

 彼は、チームを率いるにあたってのテーマは、フランスの哲学者エドガール・モランの著書から学んだ「複雑性」だと言っています。

 彼は常に本を読み、学び、メモをとってきました。それが、彼の判断力を磨き、世界最高の指揮官の一人と目されるまで成長させたのです。
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毛沢東思想を信奉し、毛沢東路線を継承している村

『現代中国を読み解く』より なぜ江沢民は反日キャンペーンに夢中なのか

理想郷をつくりあげた中共党に憧憬の念を抱いたものだった。同じ人たちが今日の中共党を見るとき、立ち戻ることのできない青春の夢がまたひとつ潰えたのだと思い、なぜこんなことになってしまったのかと考え込むこともあるにちがいない。

小平の取り引きにはじまったと私は思っている。

だれもが知るように、は毛沢東がやってきたことをすべて綺麗さっぱり捨ててしまった。

の「改革・開放」がはじまってからも、すでに二十年がたつから、かれがなにを捨ててしまったか、即座に思いだすことができない人もいるかもしれない。

幸いなことに、毛沢東思想を信奉し、毛沢東路線を継承している村が中国にいまなおある。この村を見れば、中国からなくなってしまったもの、私たちが忘れてしまったものを思いださせてくれる。

この村は河南省の鄭州市の南にある。南街という村だ。

この村を訪ねた人がまず驚くのは、広場にある巨大な毛沢東の石像だ。台座には「人民のために服務せよ」と毛沢東の字が刻まれている。中国全土にあれだけあった毛の像はいずれも撤去してしまったにもかかわらず、この村では、わざわざ一九九三年に新たに建造した。

今年(一九九九年)の新の正月、この村で結婚式がおこなわれた。三五組の男女が公会堂に集まった。かれらは「東方紅」を歌い、毛沢東の肖像画に頭を下げた。村役場からの贈りものは紅い小冊子「毛語録」だった。

この村では民兵も健在である。公会堂に近い一角では、一五〇人ほどの十代の男女が軍事教練をしている。

この村の朝は、スピーカーからの「偉大なる舵取り、毛主席」の歌ではじまる。文革時代に流行った歌だ。共産党の宣伝と作業命令を伝えたスピーカーも、現在はあらかたの町や村から消えてしまった。

村の小学生が暗記させられるのは、これまた懐かしい「老三編」である。「ベチューンを記念する」「愚公山を移す」「人民に奉仕する」の三つの文章であり、文革中には、子供も、大人も学ばされたものだ。南街では、どこの家にも、毛沢東のこれらの著作が並べられ、かれの写真が飾られている。

さて、現在はどこの村でも、農業は請負い制だ。各農家に耕地を分けてしまっている。ところが、南街には生産隊があり、集団で農業をしている。南街にはいくっもの企業があるが、これも村が所有し、村の経営である。

南街の住民の私有財産は衣類と自転車、台所用品しか認められていない。画一の3LDKのアパートに住み、面二の家具、カーテン、テレビ、電話が供給されている。小学校の教育費と医療費は無料だ。結婚、葬式の費用も村の負担だ。小麦粉もただで配給される。水も、電気もただだ。ビールも、映画の切符も村から配られる。余暇には「紅灯記」や「白毛女」といった「革命模範劇」を村内の演芸隊が上演する。

真面目に働かない者、自由気倦に振る舞う者、私利を図った者には、これらの権利が与えられない。だれも一ヵ月に二五〇元以上を稼ぐことは許されないし、娘たちはアイシャドーをつけたり、髪を染めたりすることは許されない。

村民にたいしては、十点制の審査がある。その昔の運動を思いだす。正しい政治思想を持つことにはじまり、生産のノルマを果たすまでの「五好」運動だ。当然ながら自己批判もしなければならない。全員が集まっての反省会で、成績の悪い者は自己批判をさせられる。悪質な者は黄色いチョッキを着せられ、建設現場で働かされている。

道路にはごみが落ちていない。むろんのこと、夜総会やディスコ、カラオケ・バーはない。この村の支配者である党書記は、村には売春婦がいない、ニワトリ一羽盗まれたことがないと胸を張る。

現在、この南街村でおこなわれているすべてのものを、小平は放りだしてしまった。どうしてそれができたのかを語らねばならないのだが、さらに寄り道をして、南街村についてもう少し述べておきたい。

じつは毛沢束思想を学習、実践している、この南街村は周囲の村から羨ましがられる金持ち村なのだ。中国内陸部といえば貧しいの同義語となっているが、南街村は貧しい河南省でトップの富裕村である。

村の人びとが集団制を守り、私を捨てて、公に尽くしての繁栄なら、文革中の「ヤラセ」の大秦村ではなく、これこそホンモノの毛亡きあとの大秦村であろう。

もちろん、麦作に頼るだけでは、河南第一の村にはなれない。企業意欲に燃える、この村の党書記がはじめたインスタントラーメンの生産が当たりに当たり、全国に売れ、二十四時間三交代制で操業しているからなのである。ビール、カラープリント、包装材料をつくる二十幾つもある村営工場もそれなりに利益をあげて、この村の繁栄につながっている。
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自転車通勤5割以上を目ざすコペンハーゲン

2004年にコペンハーゲンまで出掛けて、レベルの高さは経験している。

『自転車まちづくり』より 世界最先端の自転車計画とネットワーク 世界の自転車計画から学ぶ

コペンハーゲンの自転車計画(2011年)の特徴は、第1に、「世界最良の自転車都市」になることである。第2に、この目的のために、多岐にわたる目標値を設定していることである。第3に、その目標値の設定が高い水準であり、しかも、今後より高く設定しようとしていることである。

(1)目ざすなら世界最良の自転車都市

 コペンハーゲンは、世界最良の自転車都市(決してone of the best citiesではなく、唯一のthe best city である)を目ざして、絶えず自転車施策を高度化している。これは、ここまででよいというものではない。これからも絶えずこれ以上を目ざす必要かおり、これにより、世界の自転車都市の間の競争に勝つこと、そのために継続して自転車政策をレベルアップすることを意味している。2002年の計画では、表10・5のように、自転車通勤割合を40%に増加させるとしていたが、2011年の計画では、表10・6のように、目標を50%にした。ヨーロッパの都市で通勤・通学時の自転車分担率が40%を超える都市はないため、この50%は未知の領域であるとしている。しかし、この目標を含めて表5のような目標を掲げて、世界最良の都市を目ざして、継続して自転車政策を展開しようとしているのである。

 2011年の計画を、2002年の自転車政策と比較してみると、より多くの項目について数値目標が設定されていること、期間を段階的に区切ってより詳細に設定されていることがわかる。この目標はかなり具体的で、単なる目標値ではなく、次の各論の施策に直接リンクしている点が特徴である。

(2)目標達成のための施策を提示

 コペンハーゲンの自転車戦略2025にかがけられている具体策は、おおむねこの目標に沿うように設定されていて、わかりやすい。目標の設定とこのための施策の対応を計画に基づき整理すると表となる。

 これらのなかで特徴的な施策をピックアップして、例示する。まず、3車線の自転車道や自転車専用通行帯(レーン)である。通勤・通学を支えるために主要幹線の自転車走行空間を拡幅し、多くの自転車交通量とスピード差による追い越しなどを可能とするものである*5.

 自転車の目標で50%の分担率を達成するために新たに5万5000人に自転車による通勤・通学をさせることになるが、さらにこれに誘引するような施策の努力が必要である*6.すなわち、時間の短縮のために橋梁やショートカットの区間、高齢者や学校へのルートのボトルネックの解消などを積極的に行う。また、後ろに荷物や子どもを乗せる車両を連結した自転車を収容するための駐輪施設の供給、自転車による買い物の奨励と大型店ショッピングセンターでの駐輪施設の提供の要請などを行う。まちづくりとして、自転車はもっともスペースを必要としない移動手段であるため、都市生活により多くのスペースを生み出すことを組み込んだ自転車まちづくりも進めることができる。

 以上のように、さまざまな形で参考になりそうな先進的な内容が含まれている。

 日本では、すでに、各地で自転車都市または自転車のまちを標榜する地方公共団体が増加している。これがどんどん増えていくことはよいことではあるが、横並びを意識しすぎて、他との差別化をどのようにするのかが課題である。

 もし、地球環境や健康を改善するために自転車を推進するとすれば、それは、50年100年以上のオーダーの施策展開である。そうだとすると、息の長い自転車まちづくりは、時代の変遷を乗り越えて、また、環境の変化を取り入れて地域の環境に根ざした個性のあるものが必然的に要求されることになる。他と同じようなコンセプトや方針、内容という魅力に乏しいものであってはならない。

 自転車施策はわくわくするような内容があってこそ自転車は活用されるのである。
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