未唯への手紙

未唯への手紙

「売る」「買う」から高度サービス化

2014年08月12日 | 5.その他
近傍系と標準関数

 その時に、分化と統合というカタチになるとなぜ、言えるのか。これはトポロジーそのものです。一つの平面ではなく、近傍系とそれの標準関数という統合から成り立ちます。ただし、人はあくまでも個人としてではなく、近傍系として成り立ちます。そうでないと面積を持ちません。その際に必要なのは存在の力で、多様性を持つことです。

 点そのものは面積を持たないので、近傍系になるためには分化しないといけない。色々なところからポインターを付けないといけない。面積を得るためです。やはり、統合のイメージが出来ていません。国に対して、超国家、コミュニティに対して、インフラ再構築。市民に対して、何が統合になるのか? 社会の位相化ぐらいの概念があるだけです。

 数学で言うと、点に対して、空間との連続性を保証する標準関数が統合の役割を果たす。

 民主主義のキーワードは何しろ、多様化です。個人レベルの多様性まで持ってこない限り、依存します。民主主義を依存しないようにするには、多様化するしかない。多様化するためには直接民主制が合っています。直接民主制の範囲は狭くあります。それらの多様な層をどのように複合させるか。

 それが多分、統合の部分です。今までのような単純なハイアラキーではなく、そうとしての関係性の上で保有するカタチになります。だから、トポロジーで言うところの標準関数の組み合わせです。これは仕組み自体がなかなか見えなくなります。これを見えるようにしないといけない。

「売る」「買う」から高度サービス化

 資本主義に関しては、「売る」「買う」からマーケティングと高度サービス化で様相が変わっています。メーカーだけが「作る」ことに拘って、勝手な思いをしているだけです。

 メーカーで「作る」に関与しているのは、技術部ぐらいだけです。それ以外のところは完全に変わってきています。それに気づかないようにしているだけです。そうなると、民主主義がどうなるかです。それが市民主体のところを関係してきます。

 ということで、4.7の分化と統合のカタチは今のモノをベースにします。もっと、資本主義と民主主義の次のカタチをハッキリさせないといけない。これは第10章次の世界に持ち越します。

歴史のすべて?

 これだけで、歴史のすべてと言えるかどうか。「国民国家」だけではないでしょう。何があるのか。未来方程式も{民主主義、資本主義}/情報共有⇒自由を保障のようなカタチです。それだけで、全てが言えるのか。今が一万年の間氷期だということとよく似ているかもしれません。

 28歳の時に、60歳代・70歳代に歴史を考えることに決めた。それは何だったのか、もっと大きな歴史なのか、小さな歴史だったのか。ヘーゲルのような歴史哲学だったのか、ヘロドトスの「歴史」なのか、ローマ帝国興亡史みたいなものなのか。

 小さな、局所的な歴史ではなかったのだけは確かです。歴史から何を創出したいのかが、私にとって謎だった。

 図書館の本にしても、NDCの2番(歴史)がこんなにたくさんあるのはなぜなのか。歴史に対して、人間が何を望んでいるのか? 過去なのか、未来なのか、<今〉なのか。過去も未来も137億年から比べたら、たかが知れています。

 そういう意味では、自分が生まれてきた理由そのものなんでしょう。だから、歴史とは哲学です。歴史哲学なんです。

 資本主義一つとっても、今の資本主義は何のか、マーケティングにとってもそうだし、お客様との関係も同じようなところにあります。それを分かろうとして、システム化はできるのか、システム化することに意味があるのか。

 変わらないことを前提とした時に、何が変わらないと見ているのか。〈今〉と言っても、今はどんどん過ぎていきます。単なる時間遊びに過ぎないです。自分はその間、生きていくためだけの詰まらない道具を作るだけの「お仕事」です。

答はどこにある

 これだけ、悩んでいるということは、多分、答は近くにあるのでしょう。その答をどこから見つけてくるのか。歴史における答を敢えて言うならば、「クライシスで歴史は進化する」。137億年の歴史からするとこれだけかもしれない。

 歴史の進化は全ては、多様化です。その典型がカンブリア爆発です。そして、今はクライシスの真っ最中です。まるでコントロールされていない。

 クライシスの原因は「意思の力」です。完全な限界が来ている。それに対して、「存在の力」があまりにも少なすぎる。個人の「存在の力」で地域を巻き込み、国を巻き込み、超国家と一緒になる姿。それは存在と無の世界です。

 その過程で、組織は分解します。元々、分解されているのです。「作る」ものと「使う」もの、「売る」ものと「買う」ものが分解します。LL=GGと同じように。

 今は、統合が掴めないのです。最終的に分化=統合だから、統合を「意思の力」ではなく、「存在の力」で見ていくことです。一番のベースになるのは、地域と国家との関係。これがイコールになるためにはどうしたらいいのか? 国家そのものを見えなくすればいいんです。

 民族も宗派も国家というものは一つでは成りえない。日本だけがそう思い込んでいるだけです。これも多様化します。近くにあるだろう答を探しに行くしかない。

EU加盟国--デンマーク、フィンランド、スウェーデン

2014年08月12日 | 4.歴史
『中央・北ヨーロッパ』より EUと北欧 北欧諸国とEU

1)デンマーク

 デンマークは1972年にEUの前身であるECに加盟した。NATO原加盟国として西側に足場を持つ同国のEC加盟は、経済的な動機に基づいており、最大貿易相手国であるイギリスの加盟に同調するものであった。欧州統合へ新たな一歩を踏み出すマーストリヒト条約は、かねてよりECにおける統合の進展に慎重な態度を示していたデンマークにおいて、急速な欧州統合の深化を目指すものとして受け止められた。その結果、国民の間に警戒感が広がり、1992年に同条約の批准手続きの中で実施された国民投票は否決されてしまう(デンマーク・ショック)。この批准否決を受けて再度EC加盟国間で交渉が行われ、デンマークはマーストリヒト条約の規定のうち、①欧州市民権②共通通貨ユーロの導入③司法内務協力④共通外交安全保障政策の4つの分野で適用除外が認められた(エジンバラ合意)。そして翌年、再度実施された国民投票での賛成多数を受け批准が成立した。この結果マーストリヒト条約は発効に至り、EUが誕生した。

 デンマークの適用除外は、同国が政策形成過程に参加できず、影響力を行使する機会を失うことをも意味している。こうした不利益を軽減するため、政府は柔軟な「解釈」や適用除外の解除に努めているが、たとえば2000年に改めて実施された欧州経済通貨統合(The Economic and Mone-tary Union : EMU)参加を問う国民投票が否決されたように容易ではない。適用除外という留保なしに、同国が統合の過程に参加することは困難であったが、その選択は安全保障や経済政策において統合の過程から取り残される危機感を伴うものでもある.

2)スウェーデン

 冷戦終結を受け、スウェーデンは広く知られた中立政策を、新たに軍事的非同盟と位置づけた。これにより従来の欧州統合に距離を置く姿勢から、軍事同盟を除く幅広い分野の協力をするという政策転換が実現し、1995年フィンランド、オーストリアとともにEU加盟を実現した。同国にとってEU加盟は、深刻な経済不況の打開策として魅力的な選択と映る一方、福祉政策への影響が懸念され、国内でEU加盟への支持は伸び悩み、国民投票では辛うじて過半数(52%)を得るにとどまった。また、既存の加盟国は、スウェーデンの対EU姿勢に疑念を持ち、加盟交渉時にはその独特な安全保障政策が統合の阻害要因になるのではという見解を示していた。

 こうした状況の中で政府は、低迷する国内のEU支持の改善と、新加盟国としてEU内で地歩を固めることを目指した。2001年の欧州理事会議長国を務めた際、スウェーデン政府は、国民の関心が強い環境、雇用、拡大を「3つのE」として掲げ、さらに国内各地で関連会議を開催することにより、国民のEUに対する理解を深めることに努めた。他方で、EUが軍事同盟化することに対しては慎重な姿勢を示していることや、2003年の国民投票の結果ユーロ導入を見送ったことからは、スウェーデンのEUに対する積極的な姿勢は選択的、限定的なものであることがうかがえる.

3)フィンランド

 フィンランドと欧州統合の関係はつねに安全保障的観点から議論され、隣国ソ連からの脅威を激減させた冷戦の終結は、同国のEU加盟において決定的な意味を持った。第二次世界大戦後、フィンランドは、ソ連と友好協力相互援助条約を結び、ソ連の動向に強い注意を払いつつ中立を掲げ、独立の維持に努めた。同国にとってECなど西欧で進む統合への参加は、ソ連を刺激するものと映り一貫してきわめて慎重な姿勢をとっていた。冷戦終結は状況を一変させ、欧州統合過程への参加は、フィンランドの安全保障をむしろ高めるものと議論されるようになったのである。

 こうした中で1994年に実施されたEU加盟を問う国民投票では賛成が安定的な多数を形成し(57%)、EU加盟が実現した。フィンランドはEU加盟後、同国が国境を接するロシアとの関係をEUの中に位置づけるべく努める。1999年に欧州理事会議長国を務めた際、ロシアを含むヨーロッパ北部とEUが環境・社会政策面で協力する「ノーザン・ダイメンション」の構築を積極的に進めた.

 2002年には、EUに加盟する北欧3カ国の中で、フィンランドのみが共通通貨ユーロを導入するなど、統合に対し積極的な姿勢を見せ、欧州の中に自国を位置づけている。しかし、昨今、欧州議会選挙、総選挙などで反EUを掲げるナショナリスト政党「真正フィンランド人」党への支持が拡大している。こうした状況は2008年に始まった債務危機打開とユーロ経済圏の安定のために一致した行動が求められる中、同国の欧州統合に対する積極性に陰りを与えている。

北欧民主主義 地方自治制度 フィンランド

2014年08月12日 | 3.社会
『中央・北ヨーロッパ』より 北欧民主主義と北欧共同体

フィンランドは単層制の地方自治制度をとっている。日本の県レペルにあたる広域の地方自治体はこれまでのところ置かれていない。地方自治体はクンタ(kunta)とよばれる。クンタの数は、2011年1月1日現在で336ある(そのうちの16はオーランド自治区に所属している)。クンタの人口規模は多様であり、最小のクンタでは118人(Sottungan;2009年9月現在)、最大のクンタでは約58万人(首都ヘルシンキ)である。

地方自治体の最高意思決定機関は議会である。地方議会議員の任期は4年で、住民の直接選挙によって選出される。地方議会議員の選挙権を持つ者は、18歳以上のフィンランド国民のほか、EU諸国、ノルウェー、アイスランドの市民権を持つ者、およびフィンランドに2年以上住民登録して居住している者である。議会は執行委員会を選出する。議会は、執行委員会のほか、特定の行政分野における業務執行に責任を負ういくっかの委員会を選出する。代表的な委員会としては、教育委員会、社会福祉委員会、保健医療委員会、土地利用計画委員会などがある。

地方自治体の主要任務は、社会福祉、保健医療、教育、文化、環境、上下水道などの領域で住民に対するサービスを提供することである。

ほかの北欧諸国の地方自治制度との比較において目立つのは、フィンランドでは地方自治体間の事務共同処理システムが発達していることである。ほかの北欧諸国においてもそのような共同処理のための制度が存在しないということではないが、フィンランドの場合、地方自治制度が単層制であるので、医療など一定の人口規模と経済的資源を必要とする事業の遂行のために、伝統的に共同処理システムが広く利用されてきた。2011年初頭の時点で全国に228の共同事務処理組織が存在している。その多くは、医療と学校教育の分野の公共サービス提供のためのものである(Suomi.fiのホームベージ)。

また、近年の地方制度改革の動きの中で特筆されるべきものとして、1994年の「地域開発法」によって導入された地域協議会(maakuntaval-tuusto)の設置がある。その設置は法律によって義務づけられており、全国に19の地域協議会が設置されている。地域協議会は当該地域に含まれるクンタから選出される代表者によって構成される、地域協議会は地域開発に関する全般的な責任を負う、19の地域協議会の中でカイヌウ(Kainuu)地域は、2005年以降、中央政府の発案による実験事業の対象とされてきており、より広範な権限を委ねられている。すなわち、この実験事業においては、一方ではそれまで国の行政機関に委ねられていた雇用や地域開発に関する行政上の諸権限が地域協議会に移され、他方では医療および社会福祉サービスなどのクンタの任務の一部がそこに移されている。さらにカイヌウの地域協議会だけは地域住民の直接選挙によって選出される仕組みとなっている。その実験の主要目的は、地域における産業とビジネスを発展させるためのプロジェクトを支援するための行政的・財政的な構造を構築することとされている。その背景には人口の高齢化と減少、企業活動および雇用の低下、自治体財政の悪化が各地で進行してきたことがあったといわれる。このように基礎的自治体と国の中央レベルとの中間レベルの地域という地理的空間単位で、地方自治組織を足場として産業の振興と地域の発展をはかるという試みは、すでに見てきたほかの北欧諸国でも(さらにほかの西ヨーロッパ諸国でも)近年、共通して観察されるものである。

痛みの間主観的・社会的性質

2014年08月12日 | 1.私
『境界の現象学』より 痛むこと、癒されること 痛みと独我論

痛みの経験は、身体の損傷から自動的に生じる単純な感覚経験ではない。ピアノの鍵盤を押すと定まった音が出るように、ある特定の神経興奮が単一の痛みの心理経験と結びついているわけではない。メルザックとウォールがいうように、「痛みという言葉は、さまざまに異なった経験のカテゴリーを意味していて、ひとつの経験が異なった原因を持っており、感覚的で感情的で、評価を伴った多数の基準によってさまざまに質的に変化するという特徴を持っている」。

日焼けとは、太陽光線に焼かれて黒くなったのではなく、強い光線に対する身体内部からの反応である。これと同様に、痛みも損傷に対する身体の反応である。さらに、この反応はどのような人間関係の中で生じるのか、どのような社会的文脈の中で生じるのかによって変化しうる。つまり、患者がおかれている状況にしたがって、痛みは強まりもするし弱まりもし、ときに消失してしまうことすらあるのだ。

ビーチャーの古典的な研究によれば、生理学的・生物学的な損傷と痛みの経験との問にはときに不一致が生じる。第二次世界大戦のあいだ、ビーチャーは、前線から距離のある野戦病院で鎮痛剤を要求する負傷兵を数多く見てきた。だが、その兵士だちと、同じ程度に身体的に損傷を受けた通常の病院の市民とを比べてみると、鎮痛剤の要求の度合いに明らかな差があった。同じ損傷で八割強の市民が鎮痛剤を要求したのに対して、兵士においては三割強にすぎなかった。身体損傷は同じほど深刻であるにもかかわらず、兵士たちはそれはどの痛みを感じていなかった。もちろん、兵士たちは神経伝達に異常をきたしていたわけではない。ビーチャーは、安全な病院で危険を脱することができたという安心感が、痛みの経験に影響を及ぼしたのだろうと結論する。

戦場での過酷な経験と、これで帰郷できるという安心感が、兵士の痛みの現れ方を変えたのである。私たちも、緊張していたり我を忘れるような切迫した状況では、痛みを忘れる経験をする。

戦場のような状況ではなおさらである。痛みは、患者がどのような状況に置かれているかで異なって感じられる。

痛みは、人間関係や社会的な文脈によっても異なってくる。看護学の専門家である西村ユミの研究によれば、患者の痛みは、看護師の患者への態度や認識によって変化すび。ある末期ガン患者は、ペインスケールで痛みを客観的に表現することを拒否し、絶えることなく痛みを訴えていた。しかし、看護師が患者の痛みに同調して、介護の反応をしたときには、その患者は痛みを訴えるのを忘れて、和らいだ表情になったという。

あるいは、医療人類学のヘルマンによれば、社会集団によって痛みへの対処の仕方や扱い方が変わってくる。ある社会集団は、痛みに堪えて我慢することを推奨する。自分の痛みを他人に隠すことは、道徳的に望ましい態度として、社会的に評価される。だが、こうした態度が、他の社会集団で同じように評価されるとはかぎらない。患者が医療関係者に対して痛みについてどのように伝え、表現するかは、その社会の価値に大きく影響を受ける。

こうしたエピソードから分かることは、痛みとは、身体的損傷によって機械的に生じる反応ではなく、自分への対処とケアを求める反応であり、援助を請う動作だということである。この求めは、しばしば「痛みの情動的側面」と呼ばれている。痛みとは、自分自身に対して行動を求める呼びかけであると同様に、他者に対しても向けられている呼びかけなのだ。

意識の志向性とは、私たちの意識が対象を狙う矢のように対象に向かうということではない。あらゆる経験は、文脈のなかで他の経験と関連性を持つことによって意味づけられる。志向性とは対象を意味づける働きなのだから、それは経験の対象を他の対象と結びつけ、文脈の中に埋め込み、対象をより大きな経験の中に部分として位置づける働きである。痛みも同様に、それがどのような形で人びとに対処されケアされるかによって、異なって意味づけられる。痛みが志向的な経験であるのは、それが単に自己身体についての経験だからではなく、それがより大きな文脈の中に置かれるからである。

痛みの意味には、認知的側面(位置、様態、強度、損傷との関係)、情動的側面(悲しみ、怒り、防御反応を触発する)、間主観的側面(他者への呼びかけや他者へ共感を求める態度)、社会文化的側面(忍耐や表出の仕方)がある。だが、もうひとつ重要な側面は、痛みはかならず表出を伴っていて、その表出は、痛みを持っている当人のみならずその周囲の人びとに対しても、損傷した身体に注意を向け、それに手当てすることを促す力を持っていることである。