近傍系と標準関数
その時に、分化と統合というカタチになるとなぜ、言えるのか。これはトポロジーそのものです。一つの平面ではなく、近傍系とそれの標準関数という統合から成り立ちます。ただし、人はあくまでも個人としてではなく、近傍系として成り立ちます。そうでないと面積を持ちません。その際に必要なのは存在の力で、多様性を持つことです。
点そのものは面積を持たないので、近傍系になるためには分化しないといけない。色々なところからポインターを付けないといけない。面積を得るためです。やはり、統合のイメージが出来ていません。国に対して、超国家、コミュニティに対して、インフラ再構築。市民に対して、何が統合になるのか? 社会の位相化ぐらいの概念があるだけです。
数学で言うと、点に対して、空間との連続性を保証する標準関数が統合の役割を果たす。
民主主義のキーワードは何しろ、多様化です。個人レベルの多様性まで持ってこない限り、依存します。民主主義を依存しないようにするには、多様化するしかない。多様化するためには直接民主制が合っています。直接民主制の範囲は狭くあります。それらの多様な層をどのように複合させるか。
それが多分、統合の部分です。今までのような単純なハイアラキーではなく、そうとしての関係性の上で保有するカタチになります。だから、トポロジーで言うところの標準関数の組み合わせです。これは仕組み自体がなかなか見えなくなります。これを見えるようにしないといけない。
「売る」「買う」から高度サービス化
資本主義に関しては、「売る」「買う」からマーケティングと高度サービス化で様相が変わっています。メーカーだけが「作る」ことに拘って、勝手な思いをしているだけです。
メーカーで「作る」に関与しているのは、技術部ぐらいだけです。それ以外のところは完全に変わってきています。それに気づかないようにしているだけです。そうなると、民主主義がどうなるかです。それが市民主体のところを関係してきます。
ということで、4.7の分化と統合のカタチは今のモノをベースにします。もっと、資本主義と民主主義の次のカタチをハッキリさせないといけない。これは第10章次の世界に持ち越します。
歴史のすべて?
これだけで、歴史のすべてと言えるかどうか。「国民国家」だけではないでしょう。何があるのか。未来方程式も{民主主義、資本主義}/情報共有⇒自由を保障のようなカタチです。それだけで、全てが言えるのか。今が一万年の間氷期だということとよく似ているかもしれません。
28歳の時に、60歳代・70歳代に歴史を考えることに決めた。それは何だったのか、もっと大きな歴史なのか、小さな歴史だったのか。ヘーゲルのような歴史哲学だったのか、ヘロドトスの「歴史」なのか、ローマ帝国興亡史みたいなものなのか。
小さな、局所的な歴史ではなかったのだけは確かです。歴史から何を創出したいのかが、私にとって謎だった。
図書館の本にしても、NDCの2番(歴史)がこんなにたくさんあるのはなぜなのか。歴史に対して、人間が何を望んでいるのか? 過去なのか、未来なのか、<今〉なのか。過去も未来も137億年から比べたら、たかが知れています。
そういう意味では、自分が生まれてきた理由そのものなんでしょう。だから、歴史とは哲学です。歴史哲学なんです。
資本主義一つとっても、今の資本主義は何のか、マーケティングにとってもそうだし、お客様との関係も同じようなところにあります。それを分かろうとして、システム化はできるのか、システム化することに意味があるのか。
変わらないことを前提とした時に、何が変わらないと見ているのか。〈今〉と言っても、今はどんどん過ぎていきます。単なる時間遊びに過ぎないです。自分はその間、生きていくためだけの詰まらない道具を作るだけの「お仕事」です。
答はどこにある
これだけ、悩んでいるということは、多分、答は近くにあるのでしょう。その答をどこから見つけてくるのか。歴史における答を敢えて言うならば、「クライシスで歴史は進化する」。137億年の歴史からするとこれだけかもしれない。
歴史の進化は全ては、多様化です。その典型がカンブリア爆発です。そして、今はクライシスの真っ最中です。まるでコントロールされていない。
クライシスの原因は「意思の力」です。完全な限界が来ている。それに対して、「存在の力」があまりにも少なすぎる。個人の「存在の力」で地域を巻き込み、国を巻き込み、超国家と一緒になる姿。それは存在と無の世界です。
その過程で、組織は分解します。元々、分解されているのです。「作る」ものと「使う」もの、「売る」ものと「買う」ものが分解します。LL=GGと同じように。
今は、統合が掴めないのです。最終的に分化=統合だから、統合を「意思の力」ではなく、「存在の力」で見ていくことです。一番のベースになるのは、地域と国家との関係。これがイコールになるためにはどうしたらいいのか? 国家そのものを見えなくすればいいんです。
民族も宗派も国家というものは一つでは成りえない。日本だけがそう思い込んでいるだけです。これも多様化します。近くにあるだろう答を探しに行くしかない。
その時に、分化と統合というカタチになるとなぜ、言えるのか。これはトポロジーそのものです。一つの平面ではなく、近傍系とそれの標準関数という統合から成り立ちます。ただし、人はあくまでも個人としてではなく、近傍系として成り立ちます。そうでないと面積を持ちません。その際に必要なのは存在の力で、多様性を持つことです。
点そのものは面積を持たないので、近傍系になるためには分化しないといけない。色々なところからポインターを付けないといけない。面積を得るためです。やはり、統合のイメージが出来ていません。国に対して、超国家、コミュニティに対して、インフラ再構築。市民に対して、何が統合になるのか? 社会の位相化ぐらいの概念があるだけです。
数学で言うと、点に対して、空間との連続性を保証する標準関数が統合の役割を果たす。
民主主義のキーワードは何しろ、多様化です。個人レベルの多様性まで持ってこない限り、依存します。民主主義を依存しないようにするには、多様化するしかない。多様化するためには直接民主制が合っています。直接民主制の範囲は狭くあります。それらの多様な層をどのように複合させるか。
それが多分、統合の部分です。今までのような単純なハイアラキーではなく、そうとしての関係性の上で保有するカタチになります。だから、トポロジーで言うところの標準関数の組み合わせです。これは仕組み自体がなかなか見えなくなります。これを見えるようにしないといけない。
「売る」「買う」から高度サービス化
資本主義に関しては、「売る」「買う」からマーケティングと高度サービス化で様相が変わっています。メーカーだけが「作る」ことに拘って、勝手な思いをしているだけです。
メーカーで「作る」に関与しているのは、技術部ぐらいだけです。それ以外のところは完全に変わってきています。それに気づかないようにしているだけです。そうなると、民主主義がどうなるかです。それが市民主体のところを関係してきます。
ということで、4.7の分化と統合のカタチは今のモノをベースにします。もっと、資本主義と民主主義の次のカタチをハッキリさせないといけない。これは第10章次の世界に持ち越します。
歴史のすべて?
これだけで、歴史のすべてと言えるかどうか。「国民国家」だけではないでしょう。何があるのか。未来方程式も{民主主義、資本主義}/情報共有⇒自由を保障のようなカタチです。それだけで、全てが言えるのか。今が一万年の間氷期だということとよく似ているかもしれません。
28歳の時に、60歳代・70歳代に歴史を考えることに決めた。それは何だったのか、もっと大きな歴史なのか、小さな歴史だったのか。ヘーゲルのような歴史哲学だったのか、ヘロドトスの「歴史」なのか、ローマ帝国興亡史みたいなものなのか。
小さな、局所的な歴史ではなかったのだけは確かです。歴史から何を創出したいのかが、私にとって謎だった。
図書館の本にしても、NDCの2番(歴史)がこんなにたくさんあるのはなぜなのか。歴史に対して、人間が何を望んでいるのか? 過去なのか、未来なのか、<今〉なのか。過去も未来も137億年から比べたら、たかが知れています。
そういう意味では、自分が生まれてきた理由そのものなんでしょう。だから、歴史とは哲学です。歴史哲学なんです。
資本主義一つとっても、今の資本主義は何のか、マーケティングにとってもそうだし、お客様との関係も同じようなところにあります。それを分かろうとして、システム化はできるのか、システム化することに意味があるのか。
変わらないことを前提とした時に、何が変わらないと見ているのか。〈今〉と言っても、今はどんどん過ぎていきます。単なる時間遊びに過ぎないです。自分はその間、生きていくためだけの詰まらない道具を作るだけの「お仕事」です。
答はどこにある
これだけ、悩んでいるということは、多分、答は近くにあるのでしょう。その答をどこから見つけてくるのか。歴史における答を敢えて言うならば、「クライシスで歴史は進化する」。137億年の歴史からするとこれだけかもしれない。
歴史の進化は全ては、多様化です。その典型がカンブリア爆発です。そして、今はクライシスの真っ最中です。まるでコントロールされていない。
クライシスの原因は「意思の力」です。完全な限界が来ている。それに対して、「存在の力」があまりにも少なすぎる。個人の「存在の力」で地域を巻き込み、国を巻き込み、超国家と一緒になる姿。それは存在と無の世界です。
その過程で、組織は分解します。元々、分解されているのです。「作る」ものと「使う」もの、「売る」ものと「買う」ものが分解します。LL=GGと同じように。
今は、統合が掴めないのです。最終的に分化=統合だから、統合を「意思の力」ではなく、「存在の力」で見ていくことです。一番のベースになるのは、地域と国家との関係。これがイコールになるためにはどうしたらいいのか? 国家そのものを見えなくすればいいんです。
民族も宗派も国家というものは一つでは成りえない。日本だけがそう思い込んでいるだけです。これも多様化します。近くにあるだろう答を探しに行くしかない。