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女性から変革が起こる

作成するタイミング

 トマス・ペインの「コモンセンス」は丁度いいタイミングで、いい提案したことで、名をなした。ザックリした作り方です。それをジェファーソンが利用して、それで反対派を押し切った。というよりも、全体の雰囲気をアメリカ独立に向けていった。それに火をつけた。

 それよりもちょっと早ければ、相手にされないし、遅ければ、ゴミになってしまったでしょう。未唯空間の存在の力は早いに決まっています。こんなことは世の中の文章では全然、取り上げていない。

多読とデジタルライブラリ

 本はデジタルライブラリの中に入れるだけのモノではない。デジタルライブラリはあくまでもライブラリです。そうではなく、心に残るモノ、関係づけるものがその中にあります。それを見せてくれるという心構えです。パートナーに送るものが何を意味しているかを感じてほしい。

「土曜日はバイト」の意識

 Iさんが何を考えているかを知りたいわけではない。心を感じていたいだけです。だけど、一つの言葉でかなり、印象が変わってきます。

 「土曜日はバイト」だと言っていた。この言葉はスタバのバリスタにはそぐわない。もっと、色々なことを考えてやっているのかと思っていた。単に働いているだけではないでしょう。

女性から変革が起こる

 変革は企業から起こるとは思えない。もっと、ニーズから起こります。それだけは確かです。それがどのようなファクターを持つのか。日本の場合は、どう見ても、女性から起こります。そうしないと、彼女らの存在。

反転する感覚

 私が落ち込んだ時の感覚は、内側が外側になり、外側が内側になる。つまり、反転します。内側だから、何も受けつけません。

本屋での速読

 本屋での速読はどんなものでも、5分で出来ます。

 齋藤孝の「読書の仕方」は分かるけど、それで彼は何を得たのかまで、書かないといけない。「声に出して読む」というような本を作るだけでどれだけ、社会が変わるのか。

 未唯空間はほとんど、読書で出来ている。あとは経験とパートナーです。

地区の未来像

 9月20日に「逢妻の未来」のシンポジュームがあるけど、こんなところで、どんな未来を市長は描くつもりなのか。交流館で活動を考えたけど、あまりにも狭かった。あまりにも、在に囚われている。コミュニティが出来ない。未唯空間でコミュニティを作らないといけないと言っている以上、考えないといけない。

スタバのレイアウト

 元町のスタバのレイアウトが変わりました。三日間のお休みの間に行ったんですね。若者の男女向けを意識した作りです。スタバは客層でスタイルを大きく変えることをします。

 富山のスタバとか代官山とか、皆、個性的になり、それをお客様が演出するカタチになります。
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サファイアはサファイアに戻す

未唯へ

 本当にICレコーダー一つで出掛けてきました。全然、起きる気がしない。寝ていると疲れるけど。本は後、入力するだけです。あまり、ピンとくる本がないです。

ダブルトールラテ

 エクストラホットのダブルが一番合いますね。一日に一杯です。最初の苦みと熱さが気に入っています。スタバの秋のラテアートの練習台にもなります。

4時起き

 休みの日にも、4時に起きれるようにしましょう。今日も、4時起きで本を読んだのは確かです。

文化と文明

 良し悪しは文明で、好き嫌いは文化。それはローカルとグローバルの関係。グローバルだと良し悪しで、ローカルだと好き嫌い。

サファイアはサファイアに戻す

 次はサファイアを変えましょう。特に最終的なサスティナブル。サファイアにサファイアを戻しましょう。母親の家族葬にパートナーが来てくれたこと。あそこで見た時に決まりました。

 4つの能力と一つの志として、本来のサファイアとして、パートナーに勧めましょう。人によって、そのバランスを変えていけばいい。NPOの場合はファシリテーションですし、提案型の場合はインタープリテーションですね。

 そして、活性化する人には、エンパワーメント、モノつくりに興味がある人はリアライゼーションです。それらが、それぞれのバランスを取りながら、自分の主戦場をハッキリさせると同時に、全体を層でつなげていく。モノづくりが好きな人にはエンパワーメントはできないでしょう。

 それらを、事務局でバランスを取りながら、サスティナブルにつなげていく。ではサスティナブルとは何か? あくまでも、それぞれに人たちが十分に生かされるように回していくこと。それによって、存在の力を変えていくことです。

 では、スタバのバリスタはどこに位置するのか? その中で、Iさんはどこに位置づけられるのか。あくまでも、高度サービス化はエンパワーメントですね。作ることの対極に居ます。そうやって、具体的な人に落としてやります。そう考えると、パートナーには4つを習得した上で、事務局をやってほしい。それだけの能力を持っている。

 それが4年前の販売店経営者層へのヒアリングからの要望をどのように、パートナーに展開しようかと考えた時のイメージです。

 未唯はその辺をどう考えますけど。今、席にはいないけど。(あくまでも未唯への対話です)

承認ということ

 承認されないことの楽しさ。間主観性を持っている限り、他者から承認されることは望まない。

 地下街のスタバのいいのは、カウンターにIさんが居ない時に、私が行った時の皆の反応です。チームプレイで、誰かがIさんを呼びに行きます。Iさんが出てくるまでは、私を見ないようにします。それを当たり前のような風景として受け取る、この心地よさ。世の中に承認されていない私にとってみたら、これは次の世界です。

情報共有の役割

 未来方程式に出てきた情報共有の役割は何なのか。過去のモノがどのように連携するのか、一つ一つが回りながら、つながていく。お互いが補完していながら、行く世界。それを為すのが、情報共有です。回っていくことが重要です。そして、自分の長所を伸ばしていきます。
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欧州連合(EU)のルールは世界を席巻するか

『パーソナルデータの教科書』より

欧州連合(EU)のルールは世界を席巻するか

 米国発のビッグデータビジネスが世界を席巻する一方で、プライバシー保護政策では欧州連合(EU)が諸外国に大きな影響力を持っている。EUでは、「プライバシーは重要な人権の一つである」との基本認識に立脚し、自主規制を基調とする米国とは対照的に、法律を中心とするパーソナルデータの保護制度を運用してきた。その中心が、パーソナルデータ保護を監督する第三者機関である。

 本章では、EUの制度を概観しながら、第三者機関の果たす役割とパーソナルデータの国際的な流通の課題、そして「忘れられる権利」に象徴されるEUの新しいパーソナルデータ保護のルールを紹介し、プライバシー保護で世界をリードするEUの取り組みを見てい人権を守るためのプライバシー保護制度

 EUでは、1995年に策定されたEUデータ保護指令に基づき、これまで各EU構成国が協調しつつ、パーソナルデータ保護に取り組んできた。その起源は、1950年に締結された「人権と基本的自由の保護のための条約」(欧州人権条約)に規定されたプライバシー権に求めることができる。欧州では、プライバシー権は重要な人権の一つであるという認識が広く普及しており、そのためのパーソナルデータ保護制度は、米国はもちろん、日本より妬厳しいものとなっている。

 例えば、日本では、パーソナルデータのうち、特定の個人を識別する情報が「個人情報」として保護の対象となるが、EUでは、この区別がなく、パーソナルデータは基本的にすべて保護の対象となる。また、パーソナルデータの収集・利用に当たっては、「オプトイン」方式で、明示的に本人の同意を取得することを求めている。

 このため、ウェブ閲覧時に用いられるクッキーのデータのような個人識別性が曖昧なものであっても、保護の対象とみなし、オプトインで閲覧者から同意を取得することが義務づけられている。米国のDo Not Track(オンライン行動の追跡拒否)政策は、米国ではオプトインかオプトアウトかで議論になっているが、EUの基準に照らせば、オプトイン方式の採用になるであろう。

官と民の両方を監督する第三者機関

 この厳しいEUのプライバシー保護制度の中心的な役割を果たしているのが、パーソナルデータ保護を監督する第三者機関である。イギリスでは情報コミッショナー、フランスではCNIL、ドイツではデータ保護監察官と、各国で呼称や行政機構上の位置づけは異なるが、いずれも行政機関から独立して執行する権限を有し、常設の専門スタッフを多数抱えて任務に当たっている。

 米国の連邦取引委員会(FTC)が民間部門のみを執行対象としているのに対して、EU構成国の第三者機関は、同一のデータ保護法の下、公的部門と民間部門の両部門を執行の対象としている。これは、EUの第三者機関がもともと、国家権力によるパーソナルデータの濫用を牽制するために誕生したことによる。パーソナルデータが公権力によって収集される場合と、民間企業がサービスを通じて収集する場合とを一元的に監督することで、市民のプライバシーをより包括的に守る役割を担っている。

 なお、日本の個人情報保護制度では、第三者機関は設置せず、行政機関に対する保護は各府省の自主的な取り組みに任され、民間事業者へは、各分野の所管官庁が担当する「主務大臣制」と呼ばれる方式をとっている。この権限が分散化した日本の体制は、公的機関の監視や個人の権利利益の保護が不十分であるとEUから指摘されており、個人情報保護法を見直す論点の一つとなっている。

負担の大きい越境移転規制

 グローバル企業にはよく知られたことであるが、EUは、独自の基準に照らしてパーソナルデータの保護が十分でないと判断される国へのデータの移転を認めない「データの越境移転」規制をかけている。逆に言うと、データの越境移転をしたければ、EUと同等の保護制度を構築する必要がある。

 これまでEUからパーソナルデータの保護が十分であると判断された国は、スイス、カナダ、アルゼンチンなどで、EU式のプライバシー保護制度を構築している。いずれもEUとの交易を重視している国であるため、EUはデータの越境移転規制という非関税障壁によって、自身のパーソナルデータ保護制度の普及を図っていると鄭楡されることもある。

 日本は、EUからプライバシー保護が十分であると認められていない。このため、事業者は特別な契約をEU構成国の第三者機関と交わさない限り、EU市民のパーソナルデータを、日本のサーバーに保存することができない状況にある。厳しいEUのパーソナルデータ保護制度のうち、このデータの越境移転に係る規制は、日本にとって、EUとの交易に直接的に関わってくる長年の懸案事項である。
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多様性が優れた意思決定を生み出す

『情報を捨てるセンス 選ぶ技術』より 〝みんなの判断〟に同調していないか?

意見の相違は優れた意思決定のカギである。違いもまた同じこと。賢明な意思決定がしたいなら、意思決定メンバーに自分とは異なる経験やバックグラウンドを持つ人を加えよう。外見が違って見える人、言葉が違って聞こえる人、そして違ったスキルをもつ人。

優れた業績を出すグループは、違いが特徴とな。っている。たとえば、多くの女性を上級マネージャーや取締役に登用して収益をあげた企業があること、多様な人種に囲まれた学生は同じ人種が集まった環境にいる学生よりも成績がよいこと、周囲が多様なものの見方をしていると思考スキルが上がることなどが例にあげられる。

そうなると、イギリスでいまだ支配的な〝オックスブリッジ〟--オックスフォードやケンブリッ--の白人の学生を採用するよりも、多様な学位やバックグラウンドをもつ学生を採用するほうがより効果的な人事戦略ということにもなるだろう。

外見が異なるベネトンの広告のようなグループをまわりに置けば、それだけで業績の向上や優れた意思決定が可能になるというほど単純なことではない。〝違う〟ということのメリットを暗号の解読に取り組んでいた。この困難を極める任務に就いていた人たちの一部は想像どおりのタイプ--非常に複雑なデータの見きわめ、処理する訓練を受けてきた数学者とエンジニアだ。だが、なかにはごく少数だが〝ワイルドカード〟も含まれていた。作家、言語学者、エジプト学者、古典の研究者、道徳哲学者、ブリッジ・プレイヤー、古書商人といったメンバーだ。

アメリカの弁護士で情報将校だったテルフォード・テイラーは戦時中にブレッチリー・パークを訪れ、イギリスとアメリカのチームを比較した。ペンタゴンの暗号解読者はほとんどが弁護士なのに対し、ブレッチリーの暗号解読者は作家や教師、それに〝チェスのプレイヤー〟も含まれる「雑多な要員から成るが、刺激的なグループ」だった。

このオーソドックスとはいえない人員採用のアプローチに多くの人は懐疑的だった。民間の暗号解読者ジョン・コーエンは、ブレッチリー・パークから逃げだそうとした軍人を見張りの憲兵が見つけたときのことを、こう回想している--「将校も下士官も、軍人も民間人も、ありとあらゆる人間がそこらを歩きまわり、身振り手振りで議論しているので、彼らはここを精神病院だと思い込み、すぐに逃げ出すべきだと思ったようだ」と。

ウィンストン・チャーチルでさえ、奇妙な才能の集まりを眺めてこう言ったといわれている。 「私は君に人員集めにはあらゆる手段を講じてくれと言った。だが、その言葉を文字どおり受け取るとは思ってもみなかったよ」

けれども、究極の成功にきわめて重要だったのは、まさに知性の多様性である。「仕事に取り組むための新たなスキームをけっしてばかにしてはいけない」。ケンブリッジの卒業生で、一九四二年にブレッチリーに加わり、コントロールールームで働いていたジョイ・エトリッジはそう当時を思い出した。〝ワイルドカード〟たちはむしろ激励されていた。ケンブリッジ大学の二年のときにリクルートされ、ブレッチリーの海軍担当として働いていた歴史学者のハリー・ヒンズリーは、当時をこう振り返る。--和気あいあいとしたアマチュアのたまリ場だったのが、徐々にプロの活動をする巨大なミツバチの巣箱のような場所になった。ブレッチリーは、私が成功のカギだと考えていたものをけっして失わなかった--まうしく大学内のような場所だった。みんなが取り組むという意味で、そこには厳しい修行もなく、ヒエラルキーもない。本当に自由でアカデミックな仕事の雰囲気があった。

部外者もその配置に魅了された。アメリカのアルフレッド・マコーマック大佐は、ブレッチリーを訪ねた際、イギリス軍が堅苦しい軍隊の因襲を避け、「この仕事に最適な人員」を集めたことにとりわけ感銘を受けていた。

みなが集まり、知識を蓄えながらそれぞれの違いを表現することで、イギリス軍のシークレットチームはファシズムを打ち破るにあたり重要な役割を果たした。じっさい、クロスワードマニアやチェスのチャンピオンも加わったブレッチリー・パークの寄せ集め集団が情報を集めていなければ、戦争は少なくともあと二年は続いていただろうと考えられている。

ブレッチリー・パークの暗号解読者のなかでも、もっとも風変わりだといえるひとりが、T・s・エリオットの友人で隠花植物-花の咲かないシダやコケ、海藻など--の専門家ジェフリー・タンディである。タンディは海軍本部によって、ブレッチリーに派遣された。ある将校が〝Cryptogam(隠花植物)〟と“cryptogram(暗号文)〟とを混同し、タンディを暗号解読の専門家だと誤解したからだった。タンディは暗号解読について何も知らなかったが、彼の海藻についての研究がじつは貴重だったのだ。

ブレッチリー・パークが直面していた難題のひとつが、エニグマはたえず暗号化のシステムを変更しているという事実だった。それゆえ難破したUボートからひっぱりだしたコードブックは、貴重な貴重な資料だった。手がかりやヒント、それにエニグマの暗号を解くかもしれない具体的な内容の類も提供してくれていた。だが、回収時に海水でずぶ濡れになっていたコードブックは、はたして役に立つのだろうか? ここでタンディが大きな貢献をする。

隠花植物の専門知識と、藻類の専門家として働いていたロンドン自然史博物館で得た知識のおかげで、ダンディはイギリス海軍がドイツのUボートからずぶ濡れのコードブックを回収してきた際に、何をすればよいかわかっていた。海藻を乾燥させるのに使っていた特別な吸い取り紙を博物館から取り寄せて、タンディはその貴重な文献を乾燥させた。こうして、海軍は海から引き揚げた文献にあった暗号化されたメッセージを確保できた--そのメッセージはエニグマの暗号を破るうえで不可欠な役割を果たした。
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個人は社会に対してどう責任を持つべきか

『世界で働くプロフェッショナルが語る』より 個人は社会に対してどう責任を持つべきか

□個人と社会の問題を数学的に分析する

 今、僕がやっている研究に強く関わってくるのが、個人と社会の関係です。社会の中で生きていくということは、自分一人でできることは限られていて、できなくて、さまざまな人たちと一緒に、決められた制度のもとでやっていかざるを得ない。税金を払わなければならないし、決められたルールには則るべきです。

 しかし、その制度は誰が決めたのか?

 もちろん、現在ではほとんどの国が民主的なルールで制度を決めています。ここにいる皆さんだって、1、2年すれば選挙で投票するようになるでしょう? たとえば、今、日本は原子力を使うべきなのかどうか。たくさんの人たちがさまざまな意見を戦わせています。推進派の人もいれば、反対派の人もいます。大飯原発を動かすかどうか、どういった方法で決めるべきだと思いますか? 僕が日本のニュースを見ている限りでは、あまり民主的な方法で決めているようには見えません。首相が「安全は確保された」と言い、近畿圏の首長たちを集めて何となく決めているように見えるからです。本当にそれでいいのでしょうか?

 ここで考えてほしいのは、社会でさまざまなことが決められていますが、個人は自分たちの意見を持っています。その個人の意見をどうやって反映させていくのかということが非常に大きな問題だということです。「決められたことだから仕方ないよ」と受け入れてしまうのではなく、どういった制度であれば個人の意見が反映されるのかを考えて欲しいのです。制度によって社会のありようが変わってきます。これはとても大切なことで、分析していかなければならない問題です。

 政治学ではそれぞれの文化に基づいて分析しますが、数学を使っても分析できます。多角的な分析はもちろんあるべきで、数学的な分析が飛び抜けてすごいというわけではないですが、数学的分析ではほかでは得られなかった答えが見つかるかもしれない……そんなふうに思っています。

 この思想の根底にあるのは、「個人は社会に対してどのような責任を持つべきなのか」「社会は個人に対してどのような責任を持つのか」という発想です。各国にはいろいろな制度があって、それを理想的に成し遂げようとするのは非常に難しい問題なんですね。民主主義が生まれたギリシャでさえ、とても苦しんでいます。日本でやっている制度も同じです。個人の意見を理想的に反映させるためにはどうすればいいか、選挙権があるということはどういうことなのか、選挙に対して自分たちはどういう声を出せるのか……。一人ひとりにとって非常に大切な問題だと、僕は思っています。

□多様な視点を獲得して自分を知るということ

 民主主義はヨーロッパで発展していきました。僕はヨーロッパやアメリカで学んで、一番よかったと思うのは、生活に染みこんだ民主主義の概念を感じられたことです。

 特に、フランスはストライキがしょっちゅうあることで有名です。毎年秋になると、必ずストライキによって電車が止まります。とっても不便で、みんなが文句を言っています。でも、ストライキは、一人ひとりの個人が何かを変えたいと思うとき、誰もが行使できる権利です。労働者として今の賃金に不満を持っていても、一人で変えることはできない。多数の人間が一緒に行動して、「俺たちは不満を持っているぞ」と言うことによって社会がようやく動き出すのです。僕はフランス人にいつも聞きました。「なぜフランスではこんなにストが多いの?」彼らはいつも「これは人民が歴史上勝ち取ってきた権利なんだ」と返します。「各個人が集まれば私たちは社会を変えることができる」と言います。だから、「ストライキはイヤだ」と文句を言いながらでも、どこかでプライドを持っている。

 フランスの全国の高校生が集まる高校生連盟というのがあって、ここもよくストライキをします。つまり、高校生たちが授業をボイコットするわけです。その状況を見たフランスの教育省は、「高校が機能しない事態は教育にとってゆゆしきことである。今度、高校生のためにこういう予算を作りましょう」と言うわけです。教師はまったくノータッチで、高校生自身が予算を勝ち取っています。僕は、さすがに民主主義が発展し、さまざまな哲学が生まれた国だなと思いました。個人対社会がどういった関係であるべきなのかを、いろんな戦争を起こした中から勝ち取ってきているんですね。これを肌で感じられたことはとてもよかったと思います。

 現地で生活したからこそわかることも多くありました。一つは「最適解はないかもしれない」ということです。もし最適解というものが社会と個人との関係にあるとすれば、それは実現されているはずです。でも、世のなかにそんな理想の国は存在しない。いろんな解かあって、状況に応じて、「たぶんこういう解かいいだろう」としているわけです。

 文化のなかにはよい面も悪い面もあります。フランス人はさかんに議論をしますが、議論しすぎて人と協調しないという面がある。日本のように人の輪を乱さないという協朧匯は持ち合わせていません。アメリカに行けば、協調性もないけれど、そこでイニシアチブをとって「じゃあ、こうしよう」と言い出す人はたくさんいる。だったら、いいとこ取りをして、自分か「これが一番いいんじゃないか」ということを学んでいけばいいんだと思うんです。僕はこれまで73カ国に行きました。さまざまな国にも住みました。楽しいことばか「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。皆さんは学業に向いている人なんだから、それにつきまとう義務というものをぜひ心にとめておいてほしいと思います。
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